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昭和14年頃の日満支台の民間航空輸送 7  カテゴリー: 民間航空機  No. 575

2016-12-31 12:21:20 | 民間航空機

 今回の図は戦前の新聞広告の切り抜きでございまして、おそらくは当時の日本の植民地に関連の有った方が何気に切り抜いたものが残っていたのでしょう。弥富億で手に入れたものでございます。

 

 (私は)なんでも買う人でしょう。呆れましたか。でも業界的には何でも買う男と呼ばれておりましたようで、決して褒めているのではなくて、詰まらんものを高く買う馬鹿者(カモ)と思われていたと思います。私が確かに、その人です。はい。

 

 何時ものように笑い、笑いです。まあ、人生、苦しい時ほど高い大声での空笑いでございます。人が見たらアブナイ人と思われるでしょうが、所詮じぃーんせーぃってこの位です。他人の辛さは自分の笑い、逆も真なりの人生は笑いでございます。

 

 本題に入ります。左の大日本航空会社とは昭和13年に国内の航空会社が統合されたのです。つまり前身は日本航空輸送でございます。春の空の旅とありますので、昭和14年の新聞広告でよいのではないでしょうか。飛行機を見てください。現在のレシプロ旅客機とさほど外観は変わりません。

 

 飛行機の速度も上がりました。使用された飛行機、例えば中島AT型旅客機では時速300Kmにもなりました(以前の機材であるフォッカー・F.Ⅶは170Km)。そこで東京を朝7時に出れば新京に夕方の430(当時はすでに満洲時間は廃止されていたと思います)に到着です。広告の通りの日満支台の即日連絡になり、間違いございません。

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