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山本五十六と「イ」号作戦 カテゴリー: 大東亜戦争   No. 408

2016-09-18 11:38:50 | 大東亜戦争

 

昭和17年に日本軍は米国~オーストラリアの連絡を遮断することを決心したのです。そのためにはガダルカナル島(以下: ガ島:ソロモン諸島)を確保する必要がありました。日本陸海軍はラバウル(ニューブリテン島)に前線基地を設けてガ島確保に奮闘しましたが、ガ島は米軍の手に陥ちてしまいます。(ラバウルからガ島へは東南方向に直線距離約1,050Km)

 

 その後、第一次ソロモン海戦(8/8)、第二次ソロモン海戦(8/24)、南太平洋海戦(10/26)とガ島奪還に向けての大海戦は目的を達することができませんでした。

 

 そこで昭和1841日に「い」号作戦が発令されました。これは当該戦域での劣勢を挽回するための作戦でした。そのために連合艦隊司令部はラバウルに進出し、山本五十六司令長官自らが指揮に当たりましたが不調で、416日「イ」号作戦は中止となります。

 

山本は作戦終了後、北部ソロモン諸島のブーゲンビル島のブインを視察するために移動中(ラバウルから直線距離で約397Km)の4月18日ブイン上空で戦死しました。

 

 原因は日本軍の暗号が解読されていたこともありますが、「い」号作戦での戦果の見積もりが誇大であったための慢心とも言われています。なお、作戦直前に愛人であった河合千代子との逢瀬を楽しんだとのことで、なんだかホットしますね。ちゃんと遺書と遺髪も本人が準備しており、見事な最後だったということです。

 

 以上は「新人物往来社 日本陸海軍航空隊総覧」を参考にしました。ありがとうございました。

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