USBのキーボード

売れない作家の日本定点観測

八つ当たり当世模様

2017-02-24 00:51:32 | 日記
https://dot.asahi.com/wa/2017022200079.html

http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1487864463/-100

これだけ科学や技術が発展し、ITやAIが成長したこの近代都市においても、文章は人の手で書かれ、真贋は人の目で解かれるのだ。未来は若者の手中だが、輝く理想ははるか遠い。しかしまっすぐゆくと疲れるので、科学と習慣の中程を歩めばいい。道は具体的に始源から存在するわけではないが、地上には永久に存在し得ないものとも言えない。獣道のように人外が営造する場合もあるし、尾瀬の至仏林道のように多くが歩みすぎて山体崩壊することもある。拠点を結ぶ街道は開発し尽くし、大地はアスファルトの構造物に埋め立てられた。フェイク・ニュースという未解決の事件は、旧メディアの悪習を要点抽出しウェッブの力で捻じ曲げて生み出された。彼らも緩やかな勾配の中程を見つけ進行しているといえるだろう。技術中立説を思い出すが、どうとも取れる言葉の中を、人はどうとも解釈し、急進したり多数を占めた。しかし直近の世界状況では、経済グローバリズムに限界を感じた庶民が、国政選挙で国際潮流よりも国民国家を意識した政治家を選ぶ傾向にある。繰り返すようだが、人民に与えられた政治的選択は国政選挙しかなく、国連と報道の人選は密室で決められるようなものだから、人民は前者に正義を委託しがちだ。そう確認すると道を見つけた多数派は国民国家の正義を掌握し、100年前の帝国主義の亡霊を新自由主義に憑依させ、新自由主義者はあちらこちらに散らばって過剰に生きようとする意志を強く抱いき、封建主義を打ち負かした近代人であるという夢を見ながら、必要に応じて裃を用意している。たいへん周到なわけであるが、これも歴史の準備した人選なのだろう。繰り返すが、道というのはどうとも取れるが、具体的に始源から存在しているわけではないし、地上には永久に存在し得ないものでもない。あるといえばあるし、ないといえばないものであるが、勤勉な近代人は、迅速に舗装道路を営造するように、人力で無理くり道筋を見出してしまう。しかし世に反新自由主義という立場が見出されていない以上、言葉を尽くして説明するしかないのではないか。しかしこれも繰り返しになるが、帰り道はもはやない。
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