もやいマンション日記

マンション役員の体験を綴った「マンション日記」に、プライベート所感を綴った「nonnon日記」が混ざっています。

No.35 「戦争と母」

2008-08-14 | 日記・エッセイ・コラム

               nonnon日記

明日15日は終戦記念日です。子供の頃、毎年この日の正午、

父と母が時報と同時に、直立不動で、頭を下げて念じている様子を見て、

私も真似ていました。その時の父母の表情は、いつも怖い程、真剣でした。

母の前夫は、海軍軍人で飛行機に乗っていたそうです。

(彼は最初、母の妹の縁談相手だったそうですが、

家を初めて訪ねて来た際、姉である母を 見初めてしまい、

‘お姉さんの方をください’と言い出して、ひと悶着あったそうで。

母の母としては、それぞれの娘の’出荷計画‘が狂って、

困惑したそうですが、まあ、めでたく婚儀となりました。

白い軍服にサーベルを下げた凛々しい彼と、若くて綺麗な母が寄り添う

結婚写真を、1度だけ、母の実家で見せてもらったことがあります。

(小学生だった私は、不思議な気持ちがしましたが。)

新婚生活は満州の官舎で、半年、それは楽しい日々だったそうです。(母の談)

官舎の庭に、母が家庭菜園を始め、できた野菜を

戦地に飛んだ夫に送ったそうです。 

新婚半年、いきなり、母の元に‘少尉殿は亡くなられました’

という通知が届きました・・・

悲嘆に暮れた翌日、思いがけず、その亡き夫から手紙が届きました。

「野菜ありがとう。回りの友達に冷やかされ、箱の中のどこかに、きっと

手紙が入っているだろうから、よく探して見ろ、と言われたけれど

、野菜だけでどこにも君からの手紙が入っていなくて、残念でした・・・。」

新婚半年で未亡人になった母・・・・。

(・・・裁縫箱の中に飛行機のガラスの破片が入っていて、時々それを

握っていた母を思い出します。   辛いことがあると、

‘戦争未亡人を貫かずに、再婚した罰だわ’と言っていた母・・・・。)

日本の実家に‘出戻り’で暮らしている時に、‘執拗’に接近してきて

母の長姉に‘取り入って’まだ学生の‘分際’なのに、

母の母の反対を押し切ってプロポーズしたのが、私の父でした。

(母の‘語り’を正確に再現するとこうなります。ごめんね、父ちゃん!)

もう一人、再婚候補がいたそうですが、‘体が弱そうだったから止めた’

そうで。(その青年、復員して母の実家を訪ねてきて、

母が再婚してしまったことを聞き、風呂場で嗚咽していたとか・・・。

・・・母が後で、親戚の人に聞いた話。)

(気の毒に・・・でも母、しっかり’選択‘してるでしょう。)

(この小うるさくて、激しいオバサンが、若い頃、そんな青春があった?

母の’思い込み‘でしょう・・・と思っていたのですが、親戚の家で、

‘あんたのお母さんは、**町小町といわれとった。’と聞いて

嘘じゃなかったのだと思いました。

DNAはどっかで切れたみたいですが。)

で、この夫婦、私の知る限り、夫婦喧嘩バトルもエネルギッシュ!

母、中国地方のカカア殿下地帯出身、

父、南九州の亭主関白地帯出身。・・・子供も大変でした。

・・・ほんと、事件も起きず、よく育ったと思います。・・・

その母も22年前に他界。

父は今87歳で入院中です。(父の話はまた次回)

前の世代の人達が、いかに戦争でその人生を振り回されたか・・・

(でも振り回された故に、その世代は特に精神的にたくましいのかも知れません。)

私達の知っている部分を、次の世代に伝えておかねば・・・と思います。

 

 

 

 

 

 

 

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