感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、じじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
四国遍路の旅記録 平成24年春 その4
土佐国境の二つの峠を越えて・・逆打ちへ
宿の付近から見た那佐湾の夜明けの風景です。
那佐湾の夜明け
那佐湾の夜明け
今日は阿波と土佐の国の境であった土佐街道の二つの峠道を歩きます。
まず、元越。
白浜まで行き、阿佐海岸鉄道の甲浦駅の近くを通って北に進むと、林道「元越線」の看板。
この道は峠までは簡易舗装の林道になっていたのです。
林道に入る前、土佐側の関所跡と思しき場所があり、石垣や石柱など転がっていましたが、何の標示もないので確定はできません。
峠から北に馳馬(はせば)に下る道は荒れた山道です。土佐街道も荒れるに任せて放置したという感じです。
山道を下った所に「土佐街道元越関所跡」の石碑。それ以外何もありません。
元越の下り道
田圃の中の道を東に。宍喰川に沿って行き、古目大師にお参り。
今度は北から南へ古目峠を越えます。この道は以前にも通ったことがあります。
「古道旧土佐街道」の標示から山に入ります。この道、普通の山道という感じで旧土佐街道という印象は薄いのですが、管理はされています。
峠には、頭の代りに石を載せた座姿の地蔵。台座に安永○年 俗名輿作とありますから、墓であるようです。
隣には折れた石柱が転がっていますが、それには「神社五里半」とあります。距離からして佐喜浜の八幡宮あたりを指しているのでしょうか。
こういう道標を見るにつけても、寺や神社が人々の心の拠り所であった時代を感じさせられます。
峠を下って、甲浦湾に近づきますが、道路が工事中で東股関所跡には行けませんでした。
古目峠への道
峠の地蔵と石標
さて、何ということでしょう。ここから逆打ちの開始です。
これまで歩いてきた道はワープする予定ですから、とりあえず甲浦駅から牟岐まで鉄道で移動です。
今日のお定めのお宿は、日和佐。牟岐からは15k先ですから、国道55号を脇目も振らず、私としてはけっこう飛ばして歩きました。ですから、記憶もそぞろ、記述も飛ばします。
山河内の駅の前から旧道を経由して、日和佐トンネルの前辺りを右折、横子峠の道に入ります。
逆打ちだと標識が何もないので迷いますが、田圃の横の道を左に上るのが正解。
私は直進して少々の藪漕ぎ。左の斜面を攀じ登れば、とにかく道には出ます。
峠には地蔵と徳右衛門標石が並んでいます。標石には「是より東寺へ二○○」(下部は埋まっていますが、おそらく二十リ?)
峠からの下り、旧道は谷を下っていたようですが、今は林道を辿ります。この道、標識も十分にあり迷うことはありません。
林道に出て二つ目のガードレールの隙間辺りから、旧道に下れそうな気がしますが、止めた方がいいでしょう。
横子峠
横子峠の徳右衛門標石
日和佐に近づき、国道55号が大きく北に向きを変える所。新道は鉄道線路の上を跨ぎます。
実はその下の鉄道線路に沿った旧道の傍に真念石があるのです。地蔵と弁財天の左です。
「右遍ん路○○/施主土州安喜郡○○」
近くの家の庭にいるおじさんに「あそこにあるのは、真念石ですねー貴重ですね・・」と話しかけると
「そういえば、わしが小さいころからそこにあるなー・・」だって・・
日和佐の真念石
参考までに余談+蛇足を書いておきます。
真念石は年代が古いということだけでなく、石質の所為もあってか劣化が進行して刻まれた文字が明確に読みとれるものは少ないようです。私が見た中では、香川県観音寺市、琴弾八幡宮の玉垣の途中、側石に挟まれるように置かれたものが、最も状態が良いように思います。、その流れるような文字が読み取れます。
(参考) 琴弾八幡石段の真念石
ついでに、道標に関して更に一言。
真念が「四国遍路道指南」の序に、凡そ次のように書き留めていることに最近気付きました。
「巡礼の道筋に迷途おおきゆえに、十方の喜捨をはげまし標石を埋めおくなり。東西左右のしるべ、施主の名字刻み入墨せり。年月をへて文字落れば、辺路の大徳、並びに其わたりの村翁、再びこしらへる所仰ぎ奉るところなり」
真念の熱き思いを感ぜぬにはおれません。
(平成24年4月17日)
海沿いの道、旧土佐街道、旧道を探る
この度の遍路で、平等寺からまわった順方向の往路で歩かなかった「海沿いの道」の方の旧土佐街道や旧道を探ってみようと思います。
日和佐から出発ですが、その前に、昔の遍路道はどうだったのか。その予測は「まえがき」でも記したことですが、真念の「道指南」を確認してみましょう。(澄禅はこの区間については詳しく記述しておらず、海辺と山を繰り返して七里と言っていますから、真念と同ルートであったと推定できます。)今日も逆打ちで歩くので、ちょっと混乱するかもしれませんが、平等寺から薬王寺への方向です。
(二十二番平等寺の項)
「・・これより薬王寺迄七里。 ・・○かねうち(鉦打)坂。ふもとに茶屋有。さかせ川、此河の蜷貝とがりなし、大師加持し給ふなり。○小野村、此間まつ坂、標石あり、○だい村、とまごえ(苫越)坂。○きき(木岐)浦・・おほ坂。○ひわさ、たい(田井)村、をだ坂くだり川有。きたかわち(北河内)村。○ひわさ浦、川有。」
( )内は現在の地名を想定してあてました。上記文中で「さかせ川」は今の福井川と思われます。別書(四国遍礼名所図会)には逆瀬川の字をあて「水逆に流る」と記されています。小野地区北方で穿入蛇行している様を言っているのではないでしょうか?「まつ坂」は現在の松坂峠と思われます。小野の先の集落を貝谷(峠名も)と呼びますが大師伝説の貝と関係があるのかしらん? 「だい村」は後の木岐田井村と思われます。「おほ坂」は今の山座峠でしょうか? 「をだ坂」は今の小田坂峠と思われます。
以上より、昔の主ルートがかなり明確となります。現在の遍路道である県道25号にほぼ近いけれど、鉦打と小野の間は山越えの道。小野からは貝谷を経て、貝谷峠、松坂峠の道で田井(木岐田井)に。木岐田井から山座峠を越えて田井へ。田井から小田坂峠を越えて北河内へ。というルートです。
逆打ち方向ではありますが、これらの旧道の様子を見たいと思うのです。先ず、旧土佐街道小田坂越です。
薬王寺門前から国道55号を行き、北河内駅付近から旧国道に入ります。おっと、この辺に真念石があるはずですが、見落としました。井ノ上橋を渡って井上の集落を過ぎ山道に入ります。
荒れた山道ですが、旧街道の面影を若干は感じさせる地形も残ってはいます。谷に沿う道はやがて崩れ、その先は見付けられません。峠まで200mほどの所でしょうか。峠の上の空は木を透かして見えますが、予期した通り廃道です。
引き返します。
小田坂峠への道
小田坂峠の南2、3kに、日和佐から恵比須浜の田井に抜ける尾根道の旧道があると聞いています。
えびす洞の近くを通る海岸の崖上の道(県道25号)は、おそらく後に開かれたもの。それまでは、この尾根道が田井から日和佐への生活道であったと思われます。現在は、日和佐側の1/3ほどは「四国の道」となっていて、途中にある金毘羅宮や大岩を巡るハイキングコースとなっています。
日和佐の街で、道掃除中の奥様に聞くと「大岩から先の山道も多分抜けられるのではないか・・」というお言葉。信じて入ってみます。
大岩手前付近から見た日和佐の街
大岩までは、さすが四国の道、悠々。その先、道筋は怪しくなります。
203mの三角点を確認しましたが、その先はいけません。草木繁茂、全く道を失いました。
杉林の急斜面を右に左に。1軒の民家の裏の道に出てしまいました。本来の出口より3、400m北、尾根を一本間違えたようです。
振り返れば、右手に小田坂峠も見えています。民家から出てきたおばさん
「あんた、どこ通ってきたの・・」とあきれられます。
「あーあそこが昔の土佐街道じゃ・・今は通れん・・」
田井まで県道を歩いて、小田坂峠越の出口を確認しておきます。
田井の入江から北へ300m。道傍に石燈籠、その向いが八坂神社。
この辺りが小田坂峠越の出口のはず。でも、山に入る道はどこにも見えません。
若い夫婦がやってきます。
「この辺に昔の土佐街道が通ってたって、知りませんかのー・・」
「えっ、えっ、何カイドー・・それよりおじさんどこの人?言葉が変・・」と全く取り合わない。
「ヒロシマでがんすけーのー・・」と言って喜ばす。
石燈籠
八坂神社
ここから山座峠への旧道も消えているようです。山座峠へは今の遍路道を上ります。
その先の白浜へ下る山道は「俳句の道」と呼ばれます。
応募で入選した句の書かれた木柱が並ぶいい道です。遍路の知人、東京のMさん(本名からいうとTさんかな)の句もしっかり見させていただきましたよ。
この道で、多くの遍路さんと出会えました。「逆打ちですか・・大変ですねー、でももう先が見えてきましたねー・・」 「いえ、あの、その・・どうも」と、ついついごまかします。
白浜の浜には、嘉永7年の津波を記録した常夜燈を見ます。そういえば、四国の海岸、どこにいっても津波時の避難場所、避難経路の標示が目立ちます。海辺に住む人にとっては、まさにやりきれないような、深刻な問題だと思います。
山座峠付近から
田井ノ浜
木岐の街を過ぎて歩いていると、どこからか「おへんろさーん、がんばって・・」と、子供たちの大合唱が聞こえてくるのです。
見れば、100mほども離れた学校の窓に子供たちの姿が微かに・・
精一杯の大声で「ありがとー・・」と。すると、また大合唱が。
田井ノ浜から北に行けば、旧土佐街道、松坂峠、貝谷峠があるはずです。この道は田井(田井という地名が二つあって紛らわしいのですが、こちらは東側、旧名木岐太井村の方)から峠を越えて貝谷、小野、鉦打と繋がる道です。
小田坂峠越えの道の状態から考えると、おそらく廃道でしょう。でも、田井側の入口には大師堂(目晴大師)があると聞きますし、ひょっとしたら・・
疲れました。行く気力は失せました。次の機会があれば、その時までとっておくことにしましょう。
現在、「四国八十八箇所霊場と遍路道」を世界遺産に登録しようという運動が行われていますが、その提案書の中で、重要な遍路道を史跡と表現しており、今回、通行または通行を試みた古道が含まれているのです。
実は、これらの古道を歩きたいと思い立ったきっかけの一つはここにもあったのです。
しかし、提案書の中の古道の表現と現実のあまりにも未整備な道の状況の間に大きな落差を感じるのも事実です。提案書だから・・と言ってしまえば、それまでですが・・これ以上は申しますまい。
阿波福井の駅まで歩いて、電車に乗ります。今日の宿の立江まで。
(平成24年4月18日)
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