<特集ワイド>中高年なぜキレる? 怒りには裏感情が隠れてる
2012年2月9日(木)13:00 毎日新聞
「もう一度言ってみろ!」「何だとこの野郎!」。駅や街頭で怒りを爆発させている声の主を見れば、分別盛り(であるはず)の世代、ということはもはや珍しくなくなった。キレる中高年の光景がここまで一般的になってしまった背景は何なのか。怒りの仕組み、その対処法とともに探った。【井田純】
◇「気配り社会」の反動 意思疎通力が不足、メンツ保つため
◇弱さ 羞恥心…恐怖…不安…
◇「上手にアウトプットして」
昨年11月12日土曜日のJR大井町駅前(東京都品川区)。赤信号の横断歩道を渡ってきた男に、反対側で信号待ちをしていた男性(77)が注意したところ、「うるせえんだよ」とすれ違いざまに顔面を殴られる事件が起きた。男性は翌月に死亡、その数日後に容疑者の会社役員の男(48)が傷害致死容疑で逮捕された。男は「カッとなって殴った」と供述。事件当時、10代の息子と2人で買い物に行く途中で、缶ビールを1本程度飲んだ後だったという。
現場は駅ビルの目の前で、事件が起きた午後7時台には多くの人目があった。駅の反対側にある容疑者の自宅近くの商店主は「週に何度か息子さんと買い物に来ていた。普通のいいお父さんで、そんな事件を起こすような人には見えなかったのに」と話す。
ごく当たり前に見える大人がちょっとしたことで爆発してしまう。その背景を、「ある意味、社会の丁寧化の反動があるのでしょう」と語るのは作家の藤原智美さん。キレる高齢者たちに着目し、07年発表の「暴走老人!」でその姿を描いた。
藤原さんは言う。「昔に比べると今は『気配り社会』で、一般的にはとにかく相手を困らせないように、サービスも表面的には丁寧になっている。しかし裏を返せば、気配りが感じられないと途端にキレる、そんな薄氷の上で生活しているようです」
よく言われる「やらせていただきます」などの敬語の過剰化も「丁寧化」の一端と考えられるかもしれない。昔なら普通だった表現が失礼に響き、「侮辱された」と感じられてしまう――そんな見方も成立しそうだ。
藤原さんはまた、「キレる」ことへの抑止力として機能していた地縁血縁など従来の結つきが希薄化したことがあると指摘する。「例えば万引きなどの犯罪でも、昔なら親類に知れたり、近所に伝わることで地域社会で生きていけなくなる、ということが一種の歯止めになっていた。そういう『縁』の場がなくなったことで、人々のコミュニケーション力が低下した面もあると思います。コミュニケーションによって問題を解決できないから、キレざるを得ないという心理があるのでは」
■
「今の社会は尊厳を保ちにくい社会。それが背景にありますよね」。世の空気をこう表現するのは「カネと暴力の系譜学」を書いた津田塾大の萱野稔人准教授(哲学)だ。
高度成長期、バブル期のように企業が業績を伸ばし、税収も上がったころとは様変わりした状況に「キレやすい社会」の一因を見る。「かつては、経済的利益を手にすることでちょっとの不満なら黙っていられた。それが、今は政治も企業も、無駄をいかに削るか、でしょ。大したものも得られないのにつらい毎日を送らなきゃいけないという時に、何を自分のアイデンティティーの核に据えるか。『プライド』とか『メンツ』みたいなものになりがちなんじゃないでしょうか」。自己の尊厳を保つために、一番手っ取り早いのが、威張ったり大声を上げて強く出たりすること――という構造だ。
そういえば、最近国会でもテレビの討論番組でも、やたら怒っている人が幅をきかせているような気がする。
萱野さんは、特に最近の社会では、中高年世代の負担も大きくなっている、と指摘する。「若者は就職難、非正規雇用で苦しんでいるわけですが、裏を返せば、正社員は昔より少ない人数で仕事を回さなければいけなくなり、個々の負担は増えている」
仕事は大変なのに給料は上がらない、会社から与えられるポストも先細り。政治を見ても、細かいルールや前例にしばられてかつてのような調整型の意思決定が機能せず、物事がなかなか前に進まない。さまざまな閉塞(へいそく)感が漂う。「そんな時、多くの人が『(思うとおりにならないものは)ぶっ壊してやるんだ』という気分になる、あるいはそういう人を渇望してしまう、ということはあるかもしれない」
■
そもそも、怒りという感情はいかにして生じるのか。
そのものズバリ「人はなぜ怒るのか」という著書を持つ心理カウンセラー、藤井雅子さんに尋ねた。「怒りというのは『2次感情』なんです。裏には、怒りのもとになった別の感情、いわば『裏感情』がある」。人が怒りを爆発させる前に抱いた感情、それが「裏感情」だ。メンツをつぶされたことによる恥ずかしさ、危険な思いをさせられた際の恐怖、約束が果たされないことによる不安――などの弱さを抱えた気持ちがそれにあたる。冒頭の事件でも、息子の前で恥をかかされた、という心理が働いたのか。
「こうした裏感情が大きければ大きいほど、それを隠そうとして生じる怒りも大きくなる。だから、カッとなった時に『それだけ自分は弱っているんだな』と思えればいいんです。怒りという感情は、自分自身が弱っているというメッセージですから」
この考え方は他人に対しても同じ、と藤井さん。激怒している人を見ても「この人は困っているんだな」と思えばおびえずに済み、逆に何か助けてあげられるかなとも考えられる――というわけだ。
しかし、そんな立派な人格を形成するのは難し過ぎる……。
日ごろ、簡単に心がけられることはないだろうか?
藤井さんが説くのは「言語化」だ。「怒りを感じること自体が悪いわけではありません。そう思って無理に抑えようとするから逆に爆発してしまう。怒りは適切にアウトプットすることが大事で、信頼する友人や家族に話すこと。日記に書くのでもいいんです。言語にすることで、もやもやしていたことが明確になり、怒りの『裏感情』が何だったのかわかるようになる」
そう話す藤井さんも、日常生活で「カッ」となり、言った後で「しまった」と思うことがあるそうだ。「そんな時はまずその場を外すこと」
帝政ローマ期の哲学者セネカも書いている。<怒りに対する最良の対処法は、遅延である>。なるほど。今度は自分も試してみよう。
2012年2月9日(木)13:00 毎日新聞
「もう一度言ってみろ!」「何だとこの野郎!」。駅や街頭で怒りを爆発させている声の主を見れば、分別盛り(であるはず)の世代、ということはもはや珍しくなくなった。キレる中高年の光景がここまで一般的になってしまった背景は何なのか。怒りの仕組み、その対処法とともに探った。【井田純】
◇「気配り社会」の反動 意思疎通力が不足、メンツ保つため
◇弱さ 羞恥心…恐怖…不安…
◇「上手にアウトプットして」
昨年11月12日土曜日のJR大井町駅前(東京都品川区)。赤信号の横断歩道を渡ってきた男に、反対側で信号待ちをしていた男性(77)が注意したところ、「うるせえんだよ」とすれ違いざまに顔面を殴られる事件が起きた。男性は翌月に死亡、その数日後に容疑者の会社役員の男(48)が傷害致死容疑で逮捕された。男は「カッとなって殴った」と供述。事件当時、10代の息子と2人で買い物に行く途中で、缶ビールを1本程度飲んだ後だったという。
現場は駅ビルの目の前で、事件が起きた午後7時台には多くの人目があった。駅の反対側にある容疑者の自宅近くの商店主は「週に何度か息子さんと買い物に来ていた。普通のいいお父さんで、そんな事件を起こすような人には見えなかったのに」と話す。
ごく当たり前に見える大人がちょっとしたことで爆発してしまう。その背景を、「ある意味、社会の丁寧化の反動があるのでしょう」と語るのは作家の藤原智美さん。キレる高齢者たちに着目し、07年発表の「暴走老人!」でその姿を描いた。
藤原さんは言う。「昔に比べると今は『気配り社会』で、一般的にはとにかく相手を困らせないように、サービスも表面的には丁寧になっている。しかし裏を返せば、気配りが感じられないと途端にキレる、そんな薄氷の上で生活しているようです」
よく言われる「やらせていただきます」などの敬語の過剰化も「丁寧化」の一端と考えられるかもしれない。昔なら普通だった表現が失礼に響き、「侮辱された」と感じられてしまう――そんな見方も成立しそうだ。
藤原さんはまた、「キレる」ことへの抑止力として機能していた地縁血縁など従来の結つきが希薄化したことがあると指摘する。「例えば万引きなどの犯罪でも、昔なら親類に知れたり、近所に伝わることで地域社会で生きていけなくなる、ということが一種の歯止めになっていた。そういう『縁』の場がなくなったことで、人々のコミュニケーション力が低下した面もあると思います。コミュニケーションによって問題を解決できないから、キレざるを得ないという心理があるのでは」
■
「今の社会は尊厳を保ちにくい社会。それが背景にありますよね」。世の空気をこう表現するのは「カネと暴力の系譜学」を書いた津田塾大の萱野稔人准教授(哲学)だ。
高度成長期、バブル期のように企業が業績を伸ばし、税収も上がったころとは様変わりした状況に「キレやすい社会」の一因を見る。「かつては、経済的利益を手にすることでちょっとの不満なら黙っていられた。それが、今は政治も企業も、無駄をいかに削るか、でしょ。大したものも得られないのにつらい毎日を送らなきゃいけないという時に、何を自分のアイデンティティーの核に据えるか。『プライド』とか『メンツ』みたいなものになりがちなんじゃないでしょうか」。自己の尊厳を保つために、一番手っ取り早いのが、威張ったり大声を上げて強く出たりすること――という構造だ。
そういえば、最近国会でもテレビの討論番組でも、やたら怒っている人が幅をきかせているような気がする。
萱野さんは、特に最近の社会では、中高年世代の負担も大きくなっている、と指摘する。「若者は就職難、非正規雇用で苦しんでいるわけですが、裏を返せば、正社員は昔より少ない人数で仕事を回さなければいけなくなり、個々の負担は増えている」
仕事は大変なのに給料は上がらない、会社から与えられるポストも先細り。政治を見ても、細かいルールや前例にしばられてかつてのような調整型の意思決定が機能せず、物事がなかなか前に進まない。さまざまな閉塞(へいそく)感が漂う。「そんな時、多くの人が『(思うとおりにならないものは)ぶっ壊してやるんだ』という気分になる、あるいはそういう人を渇望してしまう、ということはあるかもしれない」
■
そもそも、怒りという感情はいかにして生じるのか。
そのものズバリ「人はなぜ怒るのか」という著書を持つ心理カウンセラー、藤井雅子さんに尋ねた。「怒りというのは『2次感情』なんです。裏には、怒りのもとになった別の感情、いわば『裏感情』がある」。人が怒りを爆発させる前に抱いた感情、それが「裏感情」だ。メンツをつぶされたことによる恥ずかしさ、危険な思いをさせられた際の恐怖、約束が果たされないことによる不安――などの弱さを抱えた気持ちがそれにあたる。冒頭の事件でも、息子の前で恥をかかされた、という心理が働いたのか。
「こうした裏感情が大きければ大きいほど、それを隠そうとして生じる怒りも大きくなる。だから、カッとなった時に『それだけ自分は弱っているんだな』と思えればいいんです。怒りという感情は、自分自身が弱っているというメッセージですから」
この考え方は他人に対しても同じ、と藤井さん。激怒している人を見ても「この人は困っているんだな」と思えばおびえずに済み、逆に何か助けてあげられるかなとも考えられる――というわけだ。
しかし、そんな立派な人格を形成するのは難し過ぎる……。
日ごろ、簡単に心がけられることはないだろうか?
藤井さんが説くのは「言語化」だ。「怒りを感じること自体が悪いわけではありません。そう思って無理に抑えようとするから逆に爆発してしまう。怒りは適切にアウトプットすることが大事で、信頼する友人や家族に話すこと。日記に書くのでもいいんです。言語にすることで、もやもやしていたことが明確になり、怒りの『裏感情』が何だったのかわかるようになる」
そう話す藤井さんも、日常生活で「カッ」となり、言った後で「しまった」と思うことがあるそうだ。「そんな時はまずその場を外すこと」
帝政ローマ期の哲学者セネカも書いている。<怒りに対する最良の対処法は、遅延である>。なるほど。今度は自分も試してみよう。











感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。
現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。
実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。
現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。
「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。
丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。
学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。
民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。
理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。
恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。
「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。
この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
いろいろな考え方・視点がありますから、多様性と思って、読んでくださいな。