・・・、桃青つくづくと聞て曰(いわく)、三子の冠五各(おのおの)一理を含で、倶に平常の句には勝れりと云べし、就中其角が山吹の花やかなる、最も力ありて面白し。去ながらかゝる七五の冠(かむり)たらんは、観想見様の理をはなれて、唯此庭の此儘に、我は古池やと置侍らんとあるに、各初てあつと感入て、誠に、
古池や、 蛙とびこむ水の音 とは吟じては、心に閑(かん)をもよほし、思うては意に妙を知る。こゝに俳諧の眼(まなこ)ひらけて、天地をも動かしつべく、鬼神をも感ぜしめぬべし。是より敷島の道とも云べく、仏を作る功徳にもくらぶべし。人丸の陀羅尼、西行の讃仏乗も、わづかに十七文字の中にこめて、向上の一路の遊び、真実法性の光りを放て、遠く天下の俗俳を破り、今時俳諧に遊ぶ人を正風の直路に導かんこと、まことに我師の力にぞ有けれと、手の舞、足の踏所を忘れて、よろこぶこと限りなかりけり。されば此池百年の後にも猶残りて、星うつり霜重なり、其地今は或諸侯の廓中(くわくちゆう)になりしかども、昔の姿を作りもかへず、世に深川の古池とは申けり。
(「俳諧水滸伝」 遲月庵空阿)
古池や、 蛙とびこむ水の音 とは吟じては、心に閑(かん)をもよほし、思うては意に妙を知る。こゝに俳諧の眼(まなこ)ひらけて、天地をも動かしつべく、鬼神をも感ぜしめぬべし。是より敷島の道とも云べく、仏を作る功徳にもくらぶべし。人丸の陀羅尼、西行の讃仏乗も、わづかに十七文字の中にこめて、向上の一路の遊び、真実法性の光りを放て、遠く天下の俗俳を破り、今時俳諧に遊ぶ人を正風の直路に導かんこと、まことに我師の力にぞ有けれと、手の舞、足の踏所を忘れて、よろこぶこと限りなかりけり。されば此池百年の後にも猶残りて、星うつり霜重なり、其地今は或諸侯の廓中(くわくちゆう)になりしかども、昔の姿を作りもかへず、世に深川の古池とは申けり。
(「俳諧水滸伝」 遲月庵空阿)