美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

2014年01月07日 | 瓶詰の古本

   朝早く駅を出た列車は、凸凹した黄色い地図の上を線路に導かれて走って行く。だだっ広い車室には座席が雑然とばら撒かれて据えられている。空いている椅子に腰を深く沈めて座っていると、うとうとと眠くなる。どのくらい寝入ってしまったのか、知らないうちに列車は幹線から逸れて支線の軌道に入ってしまった。野良を走り、橋を渡り、黄色と緑色をした原色の風景の中をなかなか駅に止まろうともせず列車は走る。
   気がつくと列車は、山中の作業を行うために設えられた螺旋状に登攀するモノレールのようにたった一本の鉄製レールの上を、起き上がり小法師さながら左右へ大きく揺れながら先へ先へと疾駆しているのだ。列車の天井や側板といった堅牢の囲いはとっくに消えてなくなってしまったので、床の縁に足をぶらつかせながら腰をかけ、周りを飛びすさったり、盛り上がって頭の上に覆いかぶさって来たりする景色のパノラマを見物していた。急カーブを曲がる時には、床からはみ出してぶらつかせた右足からサンダルが脱げ落ちて後ろの川の方へ舞って行ってしまう。
   やがて列車が停まると、ほとんど学生、生徒と子供ばかりが降りてホーム中に溢れる。ホームからはそのまま売店というか、小物類を詰め込んだ木箱のような部屋へ直に通じていて、いつの間にか自分はシャツとパンツきりの姿なのだ。もと来た所へ帰るためにホームの反対側、逆方向への列車の出発時刻を尋ねると、夜の12時までないという。どうしても帰らなければと言うと、今度は3時頃のがあるという。
   売店の中は色々な雑貨、品物が所狭しと陳列されていてごちゃごちゃになっているが、可愛らしい女の子が応対してくれて、その後ろから、縦に列んだ男親と女親が顔を互い違いにしながら時々言葉をはさんでくる。この村にはいろんな名物があるから、ゆっくりしていってもらいたいので深夜発の時刻を言ったんだよと男親が説明する。
   親切心にほだされて千円札を4枚折りたたんで出し、取っておいてもらうが、いったん受け取ったすぐ後に戻してくれた。売店の横脇にある細く曲がりくねった小路をなんとか抜けて村を見物しようとするが、外へ出てみると人が大勢往き来している。ところどころで男どもが集まって花見のときのような大賑わいをしている。
   この村にはなにやらの朗吟という有名なうたが保存されていて、役場まで行けばいつでも聞くことができるという。駅の正面から真っ直ぐに伸びる道の両側には人がさんざめいていて、しばらく歩いて振り返ると、岡になった小高いところにものすごく巨大な灰色の建物が聳えている。あれが話に聞く役場らしい。しかし、役場はとりあえず後回しということにして道の先を行くと、モダンな地中海風の通りになる。ひしめく家々の間の窮屈な坂道を登って行く。家ごとのきれいな白壁に手を突きながら、体を斜めに傾げさせてようやく道を進む。入り組んだ迷路の道をしばらく行くと、なにやら下宿屋のような建物があり、どうもその二階では男たちが屯して、新聞を発行する段取りをめぐって頭を寄せ合い、ひそひそ談をしている。精巧無比の印刷機を使って、とてつもなく珍しい写真記事を満載させようと相談しているのだそうだ。

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