美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(八十九)

2017年05月17日 | 偽書物の話

   「黒い本が書物にあらざる偽書物なるものだとしたら、書物と人の交感によって現出する世界、文字も語り得ない新たな別世界の実在を論ずる上で、とりわけあなたのご本に執着する理由はないと言えましょう。この本が含み持った固有の潜勢力に仕組まれ、手もなく幻術の罠に嵌ってしまったとか神妙なことは言いませんが、構想の契機となった黒い本を遠ざけ、ここにある書棚のうちから任意の一冊を引き抜いて、まごう方ない書物からの声を掬い取ろうと専心するのが、取るべき最も賢明な針路ではないですか。私に生じた感興が偽書物の仕向けた詐妄であると認める認めないにかかわらず、立ち込める灰白色の霧を突き抜け航路を先へ拓くためには、書架に並ぶ彼是の書物と本身で向き合い、それらから発せられる声を受け留めることができるかを検証してみなければなりません。」
   水鶏氏が語っている間中、黒い本の膚である繊美な柔毛は水鶏氏をなびき寄せるように、目立たずそよぎ続ける。私の眼にはその様が、水鶏氏の言葉に駄々をこねている媚態とも映った。私は自ら進んで柔毛の招きの指に籠絡されてしまい、ついには濛々たる心的境界に連れ去られ、理非分別を忘れるまで遊ばされているのかも知れない。

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