美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(五十九)

2016年10月19日 | 偽書物の話

   終の踏ん切りというか決意に基づいて現世界に対峙しているのが我々の我々たる所以だとすれば、その上でなお、わざわざ現世界に文字を書き残すなんという衝動を抑え切れないのは何故でしょうか。世界を外にある客体として認識したり、それと対話を交わしたりするにとどまらず、自我意識が最期的に消えてしまった後あるかどうか定かでない世界に、自分の書いた文字を残そうとするのはどんな論法に導かれてのことですかね。」
   水鶏氏が私へ問いかけているのでないことは明らかである。書斎に閉じこもり書物や器物に囲まれて充足している人は、きっと他との交際や交流など全然必要としないのだろう。水鶏氏にとって、氏の面前で立ちつくす今の私は鏡に映った水鶏氏自身という訳だ。阿呆面して口を開けていようが、あわてて頓珍漢な相槌を打とうが、いずれ水鶏氏の独り言を反芻する鏡像であることに変わりない。それは構わないのだが、私が送った黒表紙の書物の方はどうなっているのだろうか。なんだかどんどん話が遠ざかって行くようで、あからさまに不審の表情を浮かべはしないまでも、さすがに途方に暮れるしかなかった。

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