美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

年若き旅人よ(石川啄木)

2017年07月16日 | 瓶詰の古本

   年若き旅人よ、何故にさはうつむきて辿り給ふや、目をあげ給へ、常に高きを見給へ。かの蒼空にまして大いなるもの、何処にあるべしや。如何に深き淵も、かの光の海の深きにまさらず、如何に高き穹窿もかの天堂の高きに及ばじ。日は恒に彼処にあり。
   たとへ何事を忘るるとも、わが頭の上の限りなき高さを忘れ給ふこと勿れ。常に目をあげよかし。よし其為に、足路上の石に躓づきて倒るるとも、其傷の故に爾の生命を危うくすることなからむ。又、蛇ありて爾の脚を噛むとも、其毒遂に霊魂の花までも枯らすには至らじ。
   ヂスレリーの言ひけらく、青年にして上を仰がずして下を見、其精神の発揚せざるものは、これ地上に匍匐すべきもの也。
   けだかき百合の花は下見てぞ咲く。然れども人々よ、よく思へかし、人の目にふれぬ荒野の百合だにも、其生ひ立つや、茎は皆天を指す也。
                  ――――――――――――――――――――――――――
   手に鍬もちて野に立つ人よ、爾何処を耕さむとするや。何故に早く其鍬を下さざるぞ。野のあまり曠きが故に心迷ひたるか。はた、あまりに地の痩せたるを惑ふか。
   爾の立つ所を深く掘れよかし。さらば清き泉湧き来らむ。これ哲人の訓也。ただひたすらに爾の立つ所を深く掘れよかし。さらば必ず清き泉湧き来らむ。爾の堪へ難き心の渇を癒すも其泉なり。又、いかに広き野をも、湿ほしつくして余りあらむ。いかに痩せたる土も、その尽くるなき泉の水を灌がば、必ず肥えたる土とならむ。

(『一握の砂』 石川啄木)

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