美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(七十)

2017年01月04日 | 偽書物の話

   「先生、先生は文字に託された意味とは無縁な、別様の世界をその本から語りかけられました。しかも、これまで予想だにしなかった書物固有の声でもって。仮りそめにはそれを、書物一般が通有して永く隠して来た本然の声であって、不覚にもそれが洩れ出たものであるとも解けるし、そうではなく、唯一目前にあるこの黒い書物が古伝的に内に潜ませて来た声であって、何かのきっかけ(何かの必然)で特別に定められた人の目や耳へ届いたものであるとも解けるとお考えでしょうか。」
   水鶏氏は、本の放つ直接の声を見聞きし、文字の意味する脈絡と結びつかない新たな別世界が語られたと捉えている。かつは、経験済みの心理的環境を突き詰めれば、凡そ書物となったものと自分自身との間には必ずやその種の感応が生じ得ると、確信はしていないが意中に予期している節がある。片や私の目には、黒い本は氏の期待を一途に後押しするものではなく、むしろ意図せずして危うい罠に変わるものと映るのである。
   書物に記されている文字の使命は、ある一義的(時には多義的)な意味を揺らぎなく明瞭に伝えることにある。寄り集まる文字は書物となって意味を繋ぎ合い、意味の連環は未到の世界を次々築いて行くことになる。その際、頁の上の文字(らしき形体)から一つ残らず意味が剥ぎ取られて暗幕にすっぽり包まれ、意味の連環が何事を訴えているか皆目不詳とされる(偽)書物があるとしよう。そして、ある日暮れ方でもいいが、(偽)書物が初めて発したかの声を捉えた人がいたとする。このとき、当の人物に届いていた声は真実、文字(らしき形体)が繋いだ意味の連環を真っ正直に過不足なく伝えるものであったのではと推論するのは、日暮れ方醸し出された感慨の余韻へ不埒な横槍をねじ込むことになるのだろうか。

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