美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

千年の鯉

2016年09月18日 | 瓶詰の古本

 簑笠「いや、格恰よりも、モツと気性の面白い異人さんだ。ぢやア、あツしが網をかついで、深川クンダリから、井之頭まで遣つて来た訳を話しやせうか。」
 外人「その話迚も聞きたい。」
 簑笠「ぢやア話しやせう。かうなんですよ。異人さんの御国ぢやア、そんなことを云はないかも知れないが、日本ぢやア、鯉が千年も生きて甲羅を経ると、刎ねツ返つて天上するつて云ひやす。要(つ)まり、天にゐる龍の仲間へ入るんですね。」
 外人「その話むづかしい。龍、何?解(わか)らない。鯉、魚!それ解る。」
 簑笠「龍ツて、天にゐる蛇の親玉ですよ。傑い通力で、雲を起したり、雨を降らしたりするんです。」
 外人「アヽ、解つた。角ある、足ある、そして蛇あります。鯉、魚あります。それも天に昇つて、龍の仲間になるありますか。その話なかなか面白い。」
 鯉が天上すると聞いて、滑稽に目を円くしながら、濡れるも構はず真直に手を挙げ、木の間の空を指して、鹿爪らしく首肯くのである。
 簑笠「さうですよ。元々この井之頭の池は、何でも、武蔵と云ふ国の名よりも古く、大昔にやア、天へ昇つたり池へ降つたりする龍が、迚もウヂヤウヂヤするほどにゐて、そいつがみんな、弁天様の眷属だつたつて云ひやすよ。ところが、人間も多くなり、世間も蒼蠅くなつて、龍共も天の方へ引越し切りになると、池は段々と小さく浅くなつて、果ては、今日日(けふび)の様な人間の遊び場となり下がつたが、それでもまだ、真中程にやア底知れずの深い処があつて、弁天様が龍宮の乙姫様から御招待を御受けになる時の、通ひ路が附いてるとも聞きやした。ですが、その上に水草の根を搦ませた泥の蓋をしておくさうだから、我々人間の凡暗眼(ぼんくらまなこ)ぢやア、どうして見附かりツこがあるもんですか。千年の鯉が今も棲家にして、凝然(じツ)と天上する機会を待つてる場処は、其処ですよ。」

 (「不死人」 伊藤銀月)

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