美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(八十)

2017年03月15日 | 偽書物の話

   一時の感興に舞い上がっていたのでは決してないですが、思考の基底にある書物の像があまりにも骨身に浸潤していたもので、黒い本の書物たり得る出自や属性を洗い直す前段処理が見くびられて、覚えず疎かになっていたのでしょう。ことが書物ありきで出発している論述の扉の前に、書物の資質如何を篩分ける検見台を据えなければならないとは思慮が及びませんでした。つくねんと先入観のぬるま湯に漬かっていたら、急に熱湯が噴いて来たとも言えます。
   書物に紛れ込んで生息する偽書物があるとは、誰が唱えた説か知りませんが、私の頭を一頻り昏迷に落とす麻酔的な妙説でした。果して偽書物なる擬態、仮諦の概念を認めることは合理に沿った周到な態度なのか、偽書物が存在する確実性の切れ端なりをどこに求めたら発見できるのか。すぐに起き直った頭を必死に振り絞ってみましたが、下手の考え休むに似たりを地で行く体たらくです。焦りに追われて闇雲に試行錯誤の投網を打っても、穿った答が即座に引っ掛かってくれる見込みは、限りなくゼロに近いでしょう。
   書物に記された文字(形体)の意味が毛一筋も判読できない場合にあっては、文字が表しているであろう別世界の相貌も又、捕捉可能な埒の外に置かれているのではないかと、あなたは案じておられる。書物と私との関係は、黒い本との極めて限定的な条件下で結ばれたものであるのを見落としてはならず、そこで立ち止まって思考の足元を固め直す必要があることを遠慮がちに喚起されている。好意に満ちたあなたのご示唆は、予断に引かれてのめり勝ちになる私の企図に対する貴重な道標にこそなれ、行き先を塞ぐ抑止柵になるものでは素よりありません。」

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