軽井沢文化遺産保存

軽井沢文化遺産の保全活用と次世代継承

軽井沢の明治の歴史文化遺産「三井三郎助(高景)別荘」

2017年10月15日 | 歴史文化遺産
 先日の連休、軽井沢に滞在、日曜日の10月8日、自転車で三井三郎助別荘へ行きました。
 昨年は、NHKの朝の連続ドラマ「朝が来た」の広岡浅子ブームで、浅子が好んで滞在した「三井三郎助別荘」の見学ツアーが何度も開催され賑わいましたが、今年は訪れる人も少なくなり、静かです。
 三井三郎助別荘は、明治33年に竣工、洋館、和館、長屋(調理人や使用人の宿泊棟)、留守番屋(管理人棟)、テニスコートなどから成り、明治・大正期の財閥の避暑地での暮らしぶりがわかる貴重な歴史文化遺産です。
 明治期の別荘はその後、次々と姿を消していき、現在、現存する明治の「洋館・和館別荘」としては、一番古い別荘となりました。独立した留守番屋(木造平屋建)つきというのも貴重です。 
 軽井沢における日本人別荘としては、八田別荘(明治26年)が一番が古いですが、三井三郎助別荘は二番目に古い別荘ということになります。
 「八田別荘」は、外観は洋風ですが、実は、内部は、1階の3室、2階の1室はすべて和室です。1階の張り出し部分のみ、内部が洋風です。
 もしも「三井三郎助別荘」が取り壊されてしまうと、軽井沢における明治期の「洋館・和館別荘」は絶滅することになってしまいます。これだけは避けたいものです。
 三井三郎助別荘には、毎夏、広岡浅子が長期滞在、ここで聖書を読み、大阪教会の牧師を招き、キリスト教に入信することを決意した場所でもあり、またインドの詩人・タゴールが滞在した別荘でもあります。
 三郎助の子息・三井高修は、大正時代、米国から帰朝、新婚まもないこともあり、近くのぼうず山の丘上に近代的な三井新館を建てました。この新館は、戦後、皇太子の英語教師として来朝したヴァイニング夫人が夏、避暑した別荘としても知られています。皇太子(現・天皇)もここで1泊されています。
 またヴァイニング夫人が来朝したとき、通訳を務めたのが三郎助の長女で、皇后の女官・御用掛であった多都雄です。多都雄は、未亡人となった後、宮中に仕えていました。
 また高修の妻・広子は、九州の島津家の島津長丸・ハルの長女です。母親のハルは、のちに女官長を勤めることになります。英語が堪能であった多都雄がヴァイニング夫人の通訳を務めたのは、このような関係があってのことでしょう。

 先日来の雨風で枯れ枝などが落下、散乱していたので、熊手と箒を使い、洋館の玄関のあたりを清掃してきました。


洋館玄関部分です。熊手と箒で綺麗にしてきました。


洋館サンルーム中央の階段部分です
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