軽井沢の明治の文化遺産、三井三郎助別荘

取り壊しの危機に瀕している三郎助別荘

軽井沢で最古の日本人別荘「八田別荘」(M26)見学会

2017年06月18日 | 歴史文化遺産
 今日6月18日、軽井沢ナショナルトラスト主催の「八田別荘」見学会が開催され、昨日の同会総会に続いて、参加した。
「八田別荘」は、明治26年、八田裕二郎の依頼で地元の大工さんにより建てられ、以来、八田家三代により夏の別荘として使われてきた。
木造2階建、外見は洋風に見えるが、1階入口の板張りの空間を除くと、1階(3室)も2階(1室)も、畳部屋である。
かつ、きわめてシンプルな状態で避暑をされてきたことがしのばれ、その避暑のスタイルと美学に感動を覚えたほどである。
二手橋の近くに復元されている「ショーハウス」と比べてみても、ある意味でよりシンプルで、より禁欲的な趣きを感じてしまう。旅籠を改造したといわれるショーハウスには、和室(畳部屋)はないが、、、
1階の一番広い13.5畳の和室には、天井(板)が張られていない。電線が碍子で配線されているのがそのままみえる。無駄を省けば、こうなるのかもしれない。
 現況では、和室、板の間空間、家具調度、台所、どこをとってもシンプルで飾らない。ほとんどなにもない。当時をしのぶことができる八田家の家具調度などは町の施設に別置され保管されているのだろうか? 是非、歴史的状況がわかる形で保存し、公開して欲しいものである。八田裕二郎をはじめ、八田家三代がどのように避暑してきたのか、また建物自体の歴史的価値がわかるような資料の展示があるとよいと思う。
 たとえば、軽井沢で現存最古の洋館別荘「三井三郎助別荘」(M33)と比較対照すると、それぞれに良さがあり、多くの興味深い異同が認められよう。
明治26年に建てられた八田別荘は、今年で124年になる。現況で、124年の歴史、時の痕跡などは、どこを見ればよいのだろうか?
むき出しの電気の配線状態については、たしかにシンプルな避暑のあり方をしのぶことができるだろう。しかし軽井沢に電気がひかれたのは大正3年のことである。それ以前は、ガス灯の時代であり、ろうそくの時代であった。
 八田家には、「こんばんは提灯」が残されており、ろうそくの時代をしのぶことができる。
 一方、明治33年に建てられた三井三郎助洋館・和館別荘は、今年で117年になる。ガス灯を取り付けた跡の痕跡(器具)は、洋館には天井と壁に残されており、和館には天井に痕跡が残されている。また洋館の食堂などで使用された思われるろうそく使用の燭台も複数で残されている。
 また洋館の窓にとりつけられている絹製カーテンは創建当初のものと推定され、また洋館の各ドア(錠つき)も創建当初のもので、木札がついたレトロな鍵が複数で残されており、117年の歴史を刻んでいる。
 またトイレについては、洋館2階には、創建当初あるいはその後まもなく設置されたと思われる、当時最先端の水洗式便器と木製便座が残されている。ちなみにトイレは、洋館1階、2階に各洋式1、和館に洋式1、和式1があり、さらに独立した留守番屋(木造平屋建)にも大小のトイレがある。
 これに対して、八田別荘は、洋館ではないし、また洋室に値するものはないので、比較することができない状態である。トイレは1階に1個あり、現代的なものに替えられている。
「八田別荘」は、軽井沢駅からも近く、本通りの裏手にある。建築当初は、約300坪の敷地があったが、道路の拡幅などで削られ、現在は約150坪になっているという。
2014年12月、軽井沢町が1億8千万円で取得したが、いまだにその利活用の計画がみえてこないように思われる。立地がよいだけに、時の経過が惜しまれる。
別件になるが、2008年12月、軽井沢町は、前田郷にある「旧スイス公使館(深山荘)」(S17)を2億2千400万円で取得したが、この歴史的建造物についても、利活用の計画がみえてこないように思われる。規模は、敷地2100㎡、建物485㎡である。


「八田別荘」(明治26年)外観、1階に板の間の部屋1室と和室3室、2階に和室1室がある。


八田別荘(明治26年)、1階13.5畳の和室、現況では、天井の電気の配線はむきだしの状態である。


八田別荘(明治26年)、台所の現況である。昭和時代を彷彿とさせる。湯沸かし器は小型で、換気扇なし、ガスコンロも小型である。


八田別荘(明治26年)、トイレのところの手洗い器である。昭和時代にタイムスリップしたような趣きである。


八田別荘(明治26年)、トイレ、便器は新しいものになっている


八田別荘(明治26年)、1階和室、現況では、電気の配線がそのままみえる


八田別荘(明治26年)、1階の和室の現況、


八田別荘(明治26年)、1階の和室、立鏡はいつ頃のものだろうか?


八田別荘(明治26年)、かなり急勾配な階段、明治の人は足腰が強かったか?


八田別荘(明治26年)、2階は1室のみで、和室である。和室と階段(右手)との間には仕切りはない。1階の階段の上がり口のところにドアがある。


八田別荘(明治26年)、現況では、2階和室、階段の踊り場のところに置かれている大きな衣裳(道具)箱、旧軽井沢での避暑はある時代から湿気との闘いの歴史である。木製とブリキ製がある。


八田別荘(明治26年)、唯一の板の間の空間、かつてはデッキであったという。



三井三郎助別荘洋館(明治33年)2階の洋式便器と木製便座


三井三郎助別荘洋館(明治33年)2階のトイレの電灯と、ガス灯の取り付け器具跡


三井三郎助別荘洋館(明治33年)2階洋室の創建当初の絹のカーテンと、水道式洗面器


三井三郎助別荘洋館(明治33年)2階洋室の洗面器、三笠ホテルのものより古い


三井三郎助別荘洋館(明治33年)2階洋室の創建当初の絹のカーテンを降ろした状態

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