京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

長岡天満宮 新緑・ツツジ 2016/04/26

2016年05月13日 | 洛外 

      

      京都市の南西部の長岡京市に位置する長岡天満宮は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれた縁深いと

      ころであり、道真公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によっ

      て、道真公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立であります。  

      正面大鳥居 長岡天満宮の入り口正面にそびえる、総御影石製の大鳥居は、平成14 年の菅公御神忌1100年大萬燈祭を奉賛して、平成10

      年10月に奉納 された、近隣でも数少ない石の大鳥居です。総高9.75m、笠木 12m、総重量50トンにもなります。

 

 

 

 

 

      

      以来皇室の崇敬篤く度々の御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって「八条が池」が築造されました。中堤両

      側に樹齢百数十年のきりしまつつじが多数植えられており、その見事さは我が国随一と言われ、この季節には多くの観光客で賑わいます。 

 

 

 

 

 

      

      天満宮の敷地は、以前は10万余坪にも亘って居りましたが、明治維新の変革に際し上地のため、現在は2万余坪を有しております。  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      長岡天満宮境内の東に広がる八条ケ池は、 寛永15年(1638)に当時の領主・八条宮が造るように命じられ灌漑用の溜め池としても機能

      いたしておりました。 外周は約1辧貯水量 は約35000トンあると云われております。 水上橋の先に建つ六角舎

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       豊かな池を二分する中堤は参道として使われており、中堤真ん中の石の太鼓橋は加賀前田 候の寄進と言われています。又周辺を包み込む花々

      を求めて訪れる観光客も多い所です。 この時期は、霧島ツツジでおおわれます。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      水上橋の袂には、1メートル近くもある立派な鯉が多数泳いでおります。 

 

 

 

 

 

      

      中堤の参道の霧島ツツジの最盛期は少し前に終わっておりました。 

 

 

 

 

 

      

      カキツバタが開花を待っております。 

 

 

 

 

 

      

      太鼓橋を左に進みますと天満宮への参道が続きます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       

 

 

 

 

 

      

      社殿への参道 

 

 

 

 

 

      

      階段を上った右手に紅葉庭園の「錦景苑」があります。

 

 

 

 

 

      

      平成19年に境内に完成した紅葉庭園です。四阿(あずまや)に腰を庭園下ろし滝の方を眺めると覆うように大小の紅葉が錦を織り成し、 迂回

      して坂を登り絵馬殿の窓から東を望めば、紅葉の時期には、眼下に大銀杏の黄と楓の紅が競っています。

      

 

 

 

 

 

 

      

      又、庭園の中ほどに南北に延びる通称弁天池には、およそ2トンもある大きな石橋が架けられています。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      現在の御社殿(ご本殿、祝詞舎、透塀)は昭和16年に京都の平安神宮の御社殿を拝領移築したもので、正面朱塗りの拝殿は既存の拝殿を増改

      築したもので、平成10年秋竣工いたしました。

 

 

 

 

 

 

      

      手水舎 

 

 

 

 

 

      

      菅原道真公を祀る天満宮では、道真公の生まれ年の丑が必ず奉納されております。 

 

 

 

 

 

 

                 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      社殿の向かって左手にある稲荷社 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      神楽殿前に建つ銅像  名前の中小路宗城大人とは、現在の名誉宮司の祖父に当たり孫の宗隆氏が、祖父の没後50年の昭和61年例祭に建て

      られたもので、宗城大人は明治35年生まれで、衰微の神社を篤志家を募って保勝会を作り、社殿改修、八条池石堤、参道板石を設け、境域を

      整備して、社格も村社→郷社→府社へ1代に2度昇格させた方と云われており、現宮司いわく、祖父の苦労があってこそ今の天神さんがある

      とのことです。 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      酒樽奉納舎 本殿手前の石段下に左右6叩天地5叩∨婿慨歛世涼譟銅板葺きの屋根で50丁の飾樽が奉献できる奉献舎があり、京都を始め

      全国の有名な酒造会社の銘酒樽が奉納されています。 又毎年4月末には、献酒祭が行われています。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      八条ヶ池の畔に建つ「錦水亭」竹の子で有名な長岡京の竹の子を使った竹の子尽くしがこの時期の売りで、全国から観光客が訪れます。 

 

 

 

 

 

      

      錦水亭の湖面に建つ離れへの 入り口

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      各部屋を水上橋で結びます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      錦水亭別館  ちなみに京都の竹の子は、3月中旬から5月上旬が旬となっております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

岩倉 実相院 新緑 2016/04/26

2016年05月11日 | 洛外 

      

      京都市内の北の端に位置する岩倉に建つ実相院は、元天台宗寺門派の門跡寺院でしたが、現在は、単立寺院となり、ご本尊の不動明王が祀られ

      ております。 鎌倉時代の1229年関白近衛基通の孫・静基(じょうき)権僧正を開祖とし、当初の紫野上野町から洛中の五辻通小川へ移転

      し、応仁の乱の戦地となったため、現在の岩倉に寺域を構えました。

 

 

 

 

 

      

      実相院は昔から、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれていおり、門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた格式の

      高い寺院のことで、代々皇室から大きな支援を受けて栄えていました。とくに室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派では数少ない門

      跡寺院の随一とされていました。

 

 

 

 

 

      

      今日まで伝わる四脚門、車寄せ、客殿は、女院のお住まいとしての王朝建築美の中にも風格のあるたたずまいを見せております。 

 

 

 

 

 

      

      上段の間など各室には江戸時代中期に活躍した狩野永敬はじめ狩野派の襖絵がめぐらされ、現存する数少ない女院御所と説明されております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本殿西側の比叡山を借景とした枯山水庭園 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      木の陰になっておりますが、遠方に見えるのが比叡山山頂です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                  

                  実相院で有名な床みどり、紅葉の時期には、床紅葉と呼ばれます。 建物内は撮影禁止

                  でカメラを構えたとたんにスピーカーから注意を受けますのでお気を付けください。 

 

  

 

    

 

 

 

      

        本堂と客殿の間にある池泉回遊式庭園 紅葉の時期になりますと木々が紅や黄色のグラデーションをかなえてくれ、とても綺麗な庭園です。

 

 

 

 

 

                     

 

 

 

 

 

 

      

      客殿 池にはモリアオガエルが生息し梅雨頃になりますと木々に登り産卵し綿菓子のような卵を産み付けます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      実相院は、大変こじんまりした小さな寺院で、市内から離れていることもあり紅葉の時期以外は空いていて外国人観光客も少ない寺院です。 

 

秋紅葉 2013

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/716fe3945476b3b234832eddcf77c6a2 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

桂離宮 新緑 2016/04/20

2016年05月02日 | 洛西

      

      従姉妹夫妻が、桂離宮を申し込んでくれたので初めて伺ってまいりました。 天気にも恵まれ最高のロケーションを楽しむことができました。

      京都随一と云われる池泉回遊式の庭園を持つ桂離宮(かつらりきゅう)は、京都市西京区の五条桂川西側を南に下がった所に位置します宮内庁

      管轄の皇室関連施設です。

      拝観には、事前申し込みが必要で、一回30名前後で一日6組のみの拝観となります。案内の方と最後尾に警備員が随行いたしますが、指定の

      時間に遅れますと入場できない場合もありますので時間に余裕を持って伺ってください。 申し込みが通れば入場は無料です。

       

 

 

 

 

 

      

      駐車場に車を停めますと砂利道がエントランスへと続きます。 

 

 

 

 

 

      

      警備員に申し込みの葉書を見せ受付へと向かいます。 

 

 

 

 

 

      

      受付で、身分証明書を提示して手荷物をロッカーに預ければ、受付終了で庭園の入り口に向かいます。 

 

 

 

 

 

      

      桂離宮は、江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなりたっております。面積は約7万平方メートルと云わ

      れており、うち庭園部分は約5万8千平方メートルと説明されております。離宮とは皇室の方々が住まう皇居とは別に設けた宮殿の意であります

      が、「桂離宮」と称する様になったのは明治16年(1883年)からだそうで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていたそうです。 

 

 

 

 

 

      

      書院入り口ですが、書院内の拝観は出来ません。 書院玄関は、苑内に位置します。      

      桂離宮の基礎を築いた八条宮家初代の智仁親王(1579~1629)は正親町天皇の皇孫、後陽成天皇の弟に当たり、智仁親王は初め豊臣秀吉の猶

      子となりましたが、秀吉に実子が生まれたため、八条宮家(桂宮家)を創設したとのことです。 

 

 

 

 

      

      書院東手から庭園に入場いたします。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

                

              

 

 

 

 

 

 

 

      

      桂離宮の建造物は書院群と池の周囲に散在する御茶屋群で構成されており、回遊式庭園には、桂川の水を引いた池を中心に、茶屋、築山、州

      浜、橋、石灯篭などを配しております。茶屋は松琴亭(しょうきんてい)、賞花亭(しょうかてい)、笑意軒(しょういけん)、月波楼(げっ

      ぱろう)の4棟があり、他に持仏堂の園林堂(おんりんどう)が建ち、また池では舟遊びも楽しむことができ、それぞれの茶屋に船着場が設け

      られております。 

 

 

 

 

 

       

      こちらの最初の橋の下を流れる水路を使い桂川から水を引いております。 桂離宮の表門と御幸門のところまで進み説明を受けます。 

 

 

 

 

 

      

      御幸門  門の左手の柱の先に正方形の切石があり「御輿石」と称し、天皇の輿を下す場所だと説明を受けました。  

 

 

 

 

 

      

      この先に表門が建ちます。 約30名のグループの内10名ほどが欧米の観光客でした。皆さん母国語の案内のテープをイヤホンで聞いておられま

      した。

 

 

 

 

 

      

      表門を入って真っ直ぐ進んだところにある御幸門は、後水尾院の行幸に備えて建てられたもので、切妻造茅葺の素朴な門で、格式の高い四脚門

      ではなく、棟門形式とせつめいされております。柱と桁には皮付のアベマキ材を使用しているそうです。

 

 

 

 

 

      

      御幸門で説明を聞き、先程渡った橋の方に引き返し庭園の拝観をスタートいたします。 

 

 

 

 

 

      

      庭園の作庭に当たり小堀遠州は直接関与していないとする説が有力ですが、庭園、建築共に遠州好みの技法が随所に認められることから、桂離

      宮は遠州の影響を受けた工匠、造園師らの技と智仁親王及び智忠親王の趣味趣向が高い次元で一致して結実した結果であろうと推測されており

      ます。 

 

 

 

 

 

      

      書院の横に建つ月波楼は、庭園を回り最後に訪れる茶室です。             

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      芽吹き始めたモミジの新芽ですが、最初は赤く徐々に緑に代わって行く品種です。 

 

 

 

 

 

      

      御幸道の途中から左に入り、飛石を伝っていきますと、外腰掛(そとこしかけ)と呼ばれる待合が建っております。これは、次に伺う松琴亭で

      茶会が催される際の待合になっております。 

 

 

 

 

 

      

      外腰掛前には延段(敷石道)と呼ばれる敷石の道が池の方向へ向かって伸びております。この延段は自然石と切石を混ぜたもので、古書院御輿

      寄前の「真の延段」、笑意軒前の「草の延段」に対して「行の延段」と呼ばれるそうです。

 

 

 

 

 

      

      外腰掛の向いの小山は「蘇鉄山」と称され、薩摩島津家の寄進という蘇鉄が植えられております。

 

 

 

 

 

      

      池の淵を進みますと最初に訪れる松琴亭が池の向こうに見えてまいります。 

 

 

 

 

 

      

      松琴亭の前に掛かる天橋立に見立てた石橋 

 

 

 

 

 

      

      洲浜と呼ばれる浜は、青黒い賀茂川石を並べて海岸に見立てたもので、天橋立は小島2つを石橋で結び、松を植えて丹後の天橋立に見立てたも

      ので、古図によれば、かつてはこの入江をまたいで池の北岸から松琴亭側に渡る朱塗の橋が架けられていたそうですが、現在は存在いたしてお

      りません。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      こちらは、白川橋と呼ばれる松琴亭に渡る別の石橋ですが、幅が狭いので油断をしていて池に落ちた方が居られたとガイドの方が仰っておられ

      ましたので、注意をして渡りました。  白川橋は長さ5.7メートル、幅33センチ、切石製で反りのない直線的な橋で、「加藤左馬助進上の奥州

      白川石」であるとする伝承がありましたが、奥州白川石は安山岩であって、石の種類が異なり、この白川橋は京都の白川石を用いて造ったもの

      と推測されております。 

 

 

 

 

      

      茶室前から望む外腰掛の待合方向  桂離宮の池は大小5つの島があり、入江や浜が複雑に入り組んでおり中でも松琴亭がある池の北東部は洲

      浜、滝、石組、石燈籠、石橋などを用いて景色が演出されており、松琴亭に属する茶庭(露地)として整備されております。

 

 

 

 

 

      

      茶室前の松の左手には、船着き場が整備されております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      松琴亭から池越しに望む月波楼茶室 

 

 

 

 

 

      

      松琴亭は、4つ建つ茶室の中でも最も格式の高い位置づけにあります。池の東岸、間に小島を挟んで対岸の古書院と向かい合う位置に建ち茅葺

      の田舎家風の茶屋です。建物は池に突き出た半島状の部分に位置してほぼ北向きに建ち、南を除く三方が池に面しております。 

      茶室の造りは、遠州好みの八窓の囲いと云われております。 

 

 

 

 

      

      一の間と二の間との境の襖は、白と藍色の方形を互い違いに配置した市松文様で全面が覆われており、これは白と藍染の加賀奉書を張ったもの

      で、桂離宮にみられる斬新なデザインの代表例として知られております。 

 

 

 

 

 

      

      襖や小襖の引手には結び紐形、七宝文、螺貝形などが用いられており、これらの金物は、嘉長の作と伝えられております。特に螺貝形の引手は

      七宝の技法が用いられているそうです。 嘉長とは、伊予松山出身の金工師(鋳物師)で、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した七宝

      師で、豊臣秀吉の招により上洛し、京都で色々な建物の装飾に携わったと説明されております。

 

 

 

 

 

      

      一の間の手前(北)には板敷の膳組所があり、ここには竈(くど)構えがあり、竹と葭で編んだ低い垣をめぐらし、隅には平面三角形の棚が設

      けられております。

 

 

 

 

 

      

      松琴亭から次の茶室の賞花亭に向かう道に掛かる一つ目の土橋 

 

 

 

 

 

      

      小島を挟み二つ目の橋 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       私の前を進むフランス人三人組は熱心に写真を撮っておりました。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      丘の上から望む松琴亭 

 

 

 

 

 

      

      賞花亭(二番目の茶室)は、池の南側にある大きな島の頂上よりやや西に北面して建つ小規模で素朴な茶屋で、「峠の茶屋」と呼ばれておりま

      す。土間に炉と竈を設け、南側には水屋を設け、その上を竹の連子窓があり南側壁に掛かる「賞花亭」の額は曼殊院良尚法親王(智仁親王の

      子)の筆によるものです。この建物はもとは今出川の八条宮本邸にあった「龍田屋」という小亭を移築したもので、使用する時は「龍田屋」の

      字を白と紺で染めた暖簾を掛けたと云われております。

 

 

 

 

 

      

      この建物は昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊し、翌年に新材で復元されたものだそうです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      賞花亭から次に進みますと、書院郡が見えてまいります。右から古書院、中書院、新御殿と三棟が連なり、いずれも入母屋造りで柿板という薄

      い板を葺足にして竹針で止める柿葺(こけらぶき)の屋根で、書院造を基調としておりますが、数寄屋風の要素も見られと説明されております。 

 

 

 

 

 

      

      ツツジの紅色と新緑のコントラストがとても美しい時期に訪れる事が出来、タイミングの大事さを感じました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      園林堂 (おんりんどう) 賞花亭の山裾に建つ持仏堂

 

 

 

 

 

      

      園林堂の左手には、池を挟み三つ目の茶室の笑意軒が建ちます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      園林堂は、持仏堂ですが現在は安置されているものは無く建物だけが残っております。 本瓦葺きの屋根の宝形造りと云うそうですが、離宮全

      体の雰囲気とは異質ではありますが、景観にも馴染みそれなりの雰囲気を出しております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      各茶室には、船で移動することが出来るようになっておりますので、船着き場への石段階が設けられております。 

 

 

 

 

 

                   

      笑意軒は、切り石を直線的に畳んだ人工的な汀線に面した田舎風の茶室です。茅葺寄棟造りの屋根に柿葺の廂(ひさし)を付けた間口の長い建

      物です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      建物の西側には水田が備わっており今でも近所の数件の農家の方がお米を作っておられるそうです。 

 

 

 

 

 

                 

                 下地窓と呼ばれる丸窓の上に掛けられた「笑意軒」の扁額は、曼殊院良恕法親王

                 (智仁親王の兄)の筆です。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                 

 

 

 

 

 

 

      

      珍しい三角灯篭は、船着き場の照明の為のものです。  三角灯篭は、京都の寺院の中でもあまり見かけませんが、私の知っている限りでは、

      清水寺の成就院の南庭に一基と城南宮の枝垂れ桜近くに一基あります。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       園林堂に掛かる扁額は、後水尾上皇の宸筆とされております。

 

 

 

 

 

      

      桂離宮の中核をなす書院郡は、東(右)から古書院、中書院、楽器の間、新御殿と雁行形(雁が飛行する形状)に連なって立ち並んでおり、古

      書院には、池に面して竹で組まれた月見台が設けられております。 中書院は、三の間からなり、楽器の間は楽器などを格納する役割を果たして

      おります。 新御殿は、後水尾天皇(ごみずのおてんのう、1596年〜1680年 第108代天皇)を迎えるために智忠親王が増築した建物です。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      最近では、昭和51年7月から平成3年3月にかけて各書院および茶室の解体大修理が行われました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      古書院の東側に建つ四つ目の茶室「月波楼 げっぱろう」 

 

 

 

 

 

      

      古書院の月見台 こちらの書院は、東西の軸線が南東方向に19度ほど振れており、これは寛永元年(1624年)の月の出の方位と一致している

      というふうに云われております。 広縁から池に突き出すように竹簀の子で作られており月見に限らず苑内の主要な景観が一望でき、納涼の施設

      としても利用されていたそうです。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      月波楼は、古書院に近い池辺の高みに建つ茶室で、正面中央を広い土間にして開放的な造りになっております。月を見るのによい位置にあり、

      土間の右手の部屋は、池を眺めるのに見晴らしがよく設計されております。       

 

 

 

 

 

                 

                  化粧屋根裏の竹の垂木(たるき)が船の底のような形に組まれております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      御輿寄(おこしよせ) 書院の玄関であり、前庭は杉苔で覆われており、中門から切り石を敷き詰めた延段が御輿寄に向けて伸びております

      が、今までの苑路には見られなかった切り石の堅さのある構成で更に石段を四段上がると一枚石の大きな沓脱があり、六人の沓を並べられるこ

      とから「六つの沓脱」と呼ばれております。 

 

 

 

 

 

      

      中門 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      中門の外側の黒文字で出来た垣根  まだ新しく何とも言えない香りが漂っておりました。

 

 

 

 

 

      

      苑内を一周するのに約1時間10分要しました。 

 

 

 

 

      

      入り口を出たところで、時間に遅れた観光客が入苑を断られている光景に出会いましたが、わざわざ申し込んで遠路来られているのに無下に断

      るのもお堅い役所仕事のように感じました。遅れる方が勿論非がありますが、次のグループに参加させてあげるとか対応があってもよさそうな

      ものですが、税金で運営している国の施設なら、もう少し柔軟な対応があってもよさそうなものですが釈然としないで気持ちが残りました。 

      もう一言付け加えさせていただきますと、拝観中、最後尾に付く警備員ですが、各時間帯によって何名もおられると思いますが、私のグループ

      に付いた若い警備員は、不愛想でちょっとでも前との間隔が空いただけで注意され後ろから悪いことをしないか監視されている様でとても不愉

      快な思いもいたしましたので、最後尾は避けた方がいいかもしれません。 拝観させてやっているといった感じを受けたのは私だけでしょう

      か?   私見を申し上げましたが、庭園が素晴らしかっただけにもう少しサービス精神があったら京都のいい思い出になり皆さん喜んで帰っ

      ていただけるのに残念に思いました。

 

 

 

 

      

      次回は、修学院離宮にも挑戦してみたいです。 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

清水寺 成就院 鹿見喜陌襖絵展 2016

2016年04月28日 | 洛東 東山 清水寺方面

              

      4月28日より5月5日まで、成就院におきまして日本画家の鹿見喜陌襖絵展が開催されております。普段見る事の出来ない、成就院のために書き

      上げられた襖絵です。パンフレットを頂きましたので、取り敢えず先行告知だけさせていただきます。

 

 

 

 

      

      拝観時間は、9時から16時となっております。

 

 

 

 

      

      秋の部分

 

 

 

 

      

      夏

 

 

 

 

      

      秋

 

 

 

 

      

      冬から春

 

 

 

 

      

      京都迎賓館の藤の間の壁画装飾「麗花」の一部です。

 

 

 

 

      

      京都迎賓館の藤の間の壁画装飾「麗花」の一部です。

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

      第一室 雪・桜

 

 

 

      

      第二室 牡丹

 

 

 

      

      第三室 菖蒲

 

 

 

 

      

      第五室 朝顔

 

 

 

 

      

      第四室 月・秋草

 

 

 

 

            

            期間中に伺わせていただきたいと思っておりますので、その時に詳しい説明を搭載いたします。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

八瀬 蓮華寺 新緑 2016/04/19

2016年04月24日 | 洛北 八瀬方面

      

      洛北八瀬に位置する蓮華寺は、北白川通りから大原方面に入ったすぐの所、高野川沿いの住宅地の中に佇んでいるあまり大きくない寺院です

      が、紅葉の名所として知る人ぞ知る穴場スポットとなっております。比叡山天台宗系の寺院で、もとは七条塩小路にあった西来院という寺院

      が、応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の1662年に、加賀前田藩の家臣、今枝近義が、祖父の縁のあるこの地に再建したものです。

 

 

 

 

 

      

      山門をくぐるとすぐ右手に鐘楼が建ちます。 開山にあたり比叡山延暦寺の僧が招かれたことから、比叡山延暦寺を本山とし、延暦寺実蔵坊の

      末寺のひとつとして天台宗に属する寺院となり、また、現在の寺号は、かつて同名の廃寺の跡地であったことに由来すると言われております。 

      山門の正面に参拝受付の庫裡が建ちますが、秋の紅葉のシーズンは、山門の内側に受付が設けられます。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

      山門を入って左手には約300体といわれる石仏群が居並んでおり、これらは大正13年に開業した京都市電河原町線の敷設工事に際して発掘され

      たもので、河原町周辺はかつて鴨川の河原で、戦災や天災による死者や刑死者の屍が打ち捨てられる遺棄葬の場であったために、そうした死者

      を弔うための石仏群が、京都市内を走っていた市電の線路施設工事によって掘り起こされ、供養されているのがこの石仏群です。これらの石仏

      群はいずれも大日如来像で、中央には地蔵菩薩像が配されています。 

 

 

 

 

 

 

 

      

      鐘楼左手の鳥居の奥には、本堂につながる石畳の参道が続きますが、こちらからは入れないようになっております。 

 

 

 

 

 

      

      京都名水にも選ばれていた「漱玉水(そうぎょくすい)」と呼ばれる井戸ですが、現在は枯れているそうです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      書院から眺める池泉鑑賞式庭園 作庭者は不明とされております。この庭園は浄土宗的な形式に従い、池の対岸に浄土を描く形をとっており、

      こうした浄土宗的な庭園は池の周囲を巡り歩くことを想定して作庭されることから池泉回遊式と呼ばれますが、蓮華寺の庭園は規模も小さく、

      書院からの鑑賞を旨とした池泉鑑賞式の庭園と説明されております。

 

 

 

 

 

 

      

      畳まで緑色に染まっておりました。 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庭園の奥には水量の豊かな湧水があり、それを導いた池が庭園の中心にあり、池は「水」の字の形に作られており、「水字形」と呼ばれるもの

      だそうです。池の右手前には舟石(ふないし)と呼ばれる石が配されている。

 

 

 

 

 

      

      右手奥の本堂へは、スリッパを履いて渡れます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      京都の寺院では、以前は見られなかった中国語の注意書きが目立ちだしルールを守ってもらう為には仕方ない事なのでしょうが、無粋感を感じ

      ずにはいられません。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂前の庭園には、蓮華寺形灯籠として知られる2基の灯籠が佇んでおります。蓮華寺形灯籠は、「基礎は六角で蓮弁がつき、竿は丸竿で中央

      部が膨らみ、中台は蓮弁のある六角形で唐草文をあしらってあります。火袋も六角で前後に四角の穴を穿ち、笠は急勾配の長めで九段の葺地を

      表し、頂上に宝珠が乗る独特の形をしており茶人たちに好まれたと言われております。

 

 

 

 

 

 

      

      本寺は天台宗の寺院でありますが、造営に黄檗宗僧が関わったこともあり、本堂の様式は全く黄檗宗のそれであり、本堂入り口には石川丈山の

      筆による寺額が掲げられており、堂内中央の須弥壇には螺鈿厨子に収められた本尊、釈迦如来像が安置されております。

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      蓮華寺の前に見える比叡山山頂 麓には、山頂へのケーブルカーの駅があり、徒歩5分の距離に瑠璃光院が佇んでおります。なお、瑠璃光院

      は、春先と秋の紅葉シーズンのみの特別拝観となります。 

 

 

蓮華寺 紅葉 

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/d0ea541db6c2bd30872ef29e7efedffa 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

太原 三千院門跡 新緑 2016/04/19

2016年04月23日 | 洛外 大原方面

 

      

      三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのが始まりで、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たび

      か移転しました。その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時

      仮御殿とされたのでしたが、明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。

      御殿門 高い石垣に囲まれた大きな御殿門は、門跡寺院にふさわしい風格をそなえ、又、政所としての城廓、城門を思わせる構えで、2003年秋、

      修復完成しました。

 

 

 

 

 

 

      

      京都の奥座敷だけあって市内は葉桜になっておりますが、まだ桜が所々残っておりました。 

 

 

 

 

 

      

      書院玄関  元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門

      跡となりました。  妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきました。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      客殿南側の聚碧園庭園 客殿を介して初めに広がる庭園で、 声明の音がしみ渡ったであろう自然の美に、江戸時代の茶人金森宗和 (かねもりそ

      うわ・1656没)が感動し、自らの手を加え、今日の清楚にして 優美な庭が生まれました。

 

 

 

 

 

 

      

      庭内の、永遠に満るがごとく清らかなる水を湛えた 池の源は、音無しの滝よりいでし清流の律川から引かれております。 往生極楽院の、杉木

      立ちの間に見透かすように在るさまが、尚いっそう庭の 立体感を深めて伝わる自然の絵巻物の様と説明されております。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      この時期に伺ったのは初めてでしたが、庭園内にこれほどシャクナゲが植えられていた事を花を見て初めて知りました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿(本堂)前庭 

 

 

 

 

 

      

      宸殿(本堂)は三千院の最も重要な法要である御懴法講の道場として、大正15年に建てられたもので、宸殿では毎年5月30日、門主が導師を勤

      め、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が厳かに行われます。雅楽と声明がとけあった

      御懴法講は、後白河法皇の御代からはじめられた宮中伝統の法要で、江戸末期までは宮中で行われていましたので、「宮中御懴法講」と呼ばれ

      ていました。   宸殿の東の端にある玉座の間から望む往生極楽院

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿の東の端にある玉座 玉座に掛かる「鵞」の大字は、中国天台山國清寺内に今尚、現存する碑の拓本で、王義之筆によるものです。

      王羲之とは1600年もの昔に中国書道の革命家とも言われ、その後の書道家たちにも大きな影響を及ぼしていると言われています。

      「鵞」の意味を探しておりましたところ、王羲之はガチョウを可愛がっていて、多くのガチョウを飼っていたそうです。國清寺以外の紹興の蘭

      亭と言う所にも、「鵞池碑亭」と言う碑があり、鵞鳥(ガチョウ)がいる池という意味で「鵞池」という字の碑があるそうです。
               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿より往生極楽院に通ずるこの広い庭園は、その名の通り清らかな自然に抱かれています。園内の所々には、地蔵様が訪れる人々をあたたか

      く見守られ、(地蔵菩薩は迷いの世界で人々を救うと伝えられ、とくにその慈悲深さより子供たちの守護尊として広く信仰を集めております。)

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿前に広がる有清園  青苔にスギ、ヒノキ、ヒバなどの立木が並び、見るものをして心の安らぎを与えてくれる庭です。そして、御堂の東側

      にはまんまんと水をたたえた池泉があります。山畔を利用して三段式となった滝組を配して、上部から水が池泉へと流れ落ちています。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      天下泰平、萬民豊楽の祈願も併せて行われますので一般の参詣者も自由に献香していただけるようになっております。 白木造りの美しい本殿の

      正面には、伝教大師作の薬師瑠璃光如来が安置されており、秘仏として非公開となっています。 向かって右には歴代天皇の尊牌を、左には歴代

      法親王の尊牌が厳かにお祀りしてあります。

 

 

 

 

 

 

      

      往生極楽院の前庭の苔の中に佇む「わらべ地蔵」 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      有清園の中央に建つ往生極楽院は、三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂で、平安時代に恵心僧都(源信)が父母のために、姉安養尼ととも往

      に建立したものと伝えられており、堂内には、阿弥陀三尊が今も変わることなく永遠の大慈大悲の御心を私たちに与えて下さっています。 千年の

      昔より、弥陀の浄土に往生安楽を願い、ひたすら念仏を称え三昧にひたる常行三昧(阿弥陀様の周囲を念仏を唱えながら修行する)が行われてき

      た御堂内部には、有名な船底天井及び壁画は、金胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩(楽器を奏でる菩薩像)・宝相華(極楽の花園の図)な

      どの極彩色の絵で包まれ、あたかも極楽浄土をそのまま表しています。

 

 

 

 

 

 

      

      ヤマブキ 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      妙音福寿大弁財天 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      万両 

 

 

 

 

 

      

      金色不動堂       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      金色不動堂の前の階段を登りますと観音堂があります。 

 

 

 

 

 

      

      こちらには、一万体を優に超える観音様が信者の皆様から奉納されており、今なお増え続けております。   

 

 

 

 

 

      

      観音堂前の庭園には、シャガが咲いておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

      

      桜の終わりとともに境内は色んな花が咲き誇り参拝者の目を楽しませてくれます。金色堂裏のこの庭園は、アジサイの名所としても知られてお 

      り6月まで新緑と共にお花の好きな方は楽しめます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      ヤマブキ 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山わさび 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      この道の両側があじさいです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      境内最後の門です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      大原のお土産は、やはり柴漬けでしょうか? 従姉妹もしっかり買っておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

新緑とあじさい

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/591da90cad0a955d77062315d7301f4a

紅葉

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/72c30b7aea3cc438afe7521c00376030

 雪景色

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/21986909da4bc14bce28ab3ec22f5c3b

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大原 宝泉院 新緑 2016/04/19

2016年04月22日 | 洛外 大原方面

      

      寂光院のあと三千院に伺いました。 

 

 

 

 

 

      

      桜のシーズンも済み観光客も一段落した感じでとても空いておりゆっくり回る事が出来ました。何よりも、やかましい中国語が聞こえてこない

      のが良かったです。 

 

 

 

 

 

      

      三千院の前を通り抜け、勝林院の奥の宝泉院に向かいます。 

 

 

 

 

 

      

      三千院門跡の北側を流れる律川  

 

 

 

 

 

      

      左手、実光院は時間の関係で今回はスルーいたしました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      この勝林院は、835年円仁によって開かれたと伝えられ、古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場であり1186年には顕

      真と法然上人との宗論(いわゆる大原問答)がこの寺で行われた事で有名で、江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)の塔頭が

      ありましたが、現在は宝泉院と実光院の2院のみが残っております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山門を入りますと樹齢700年の五葉松が迎えてくれます。 

 

 

 

 

 

      

      シャクナゲが満開でした。 

 

 

 

 

 

      

      山門を入り左手に宝楽園庭園があります。平成17年3月に宝泉院境内南側の低地に新しく誕生した庭で、心の内なる広大な仏、神の世界を岩

      組、樹花、白砂等をもって表わし美しく宝の如くそのままそこにある楽園の境を創作したものと説明されております。 

 

 

 

 

 

      

      作庭は長野県に本拠を置く、造園の園冶(えんや)庭園研究企画創作所─空間総合プロデューサーとなっております。庭園北側の築山や橋の石

      組に使用されている銀石は、金属の輝きを思わせる三波峡の石を使用しております。  三波石峡(さんばせききょう)は、神流川上流に位置

      し、群馬県から埼玉県に跨る景勝地です。また、緑色の結晶片岩は石英が緑色の紋様を示し非常に高価な庭石としても重宝されており(三波石 

      さんばせき)と呼ばれております。  天橋立玄海のぞき橋 

 

 

 

 

 

      

      海の濁流を表現した白川砂は、夜半にその砂に月光が照り映えて、銀砂幽玄の世界がそこに現れるそうです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      環状列石蹲い(つくばい) 古代先人仏舎利を表現した、蹲踞 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      四季折々の花木が配置されており百花繚乱と言われる庭園です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      池に注ぐ滝の横に佇む不動明王像 

 

 

 

 

 

      

      こちらの庭園は、玄関の左手にある鶴亀庭園です。江戸中期の作で、部屋の中から格子ごしに観賞する庭園で池の形が鶴、築山が亀、山茶花の

      古木を蓬莱山とみる名園と云われております。 この庭園も園冶の修復、管理と説明されております。

 

 

 

 

 

 

      

       玄関を入りすぐ右手にあるお部屋です。宝泉院は四方を庭に囲まれており、どの部屋からでもそれぞれの庭園を鑑賞することができます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      額縁庭園 客殿の西方にあり右手に御本尊が祀られる本堂の柱と柱の空間を額に見立て観賞する庭園です。 庭の名前を盤桓園(ばんかん)と

      言い立ち去りがたい庭園という意味だそうです。 

 

 

 

 

 

                 

                 拝観料にお抹茶代が含まれておりますので、毛氈に座り待っておりますと、御茶菓子と共に

                 運んできてくださいます。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庭園南側に鎮座する近江富士を型どる樹齢7百年を誇る五葉松  京都市指定の天然記念物で京都市内にある3つの著名な松の一つで、 70年ほ

      ど前に高浜虚子が無住寺の宝泉院を訪れ、「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んだそうです。

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

      

      西側庭園の右手の軒先のつくばいにある水琴窟  竹筒に耳を傾けますと心地よい水の音色が響きます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                

                血天井  慶長五年(1600)関が原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が

                豊臣の大軍と戦い伏見城中で自刃し、その武将たちの霊をなぐさめ、供養のために、

                自刃した場所のものを天井にして祀ったものです。

                鷹峰の源光庵の本堂にも同じものがあります。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      実光院の向側に位置する法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年(1240)

      に建立されました。享保二十一年(1736)類焼いたし現在の堂宇は、安永年度(1764〜)に再興されております。 御本尊には、普賢菩薩を祀り

      ます。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      三千院に向かいます。 

 

秋紅葉

 http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/c55fa3bbeefc032ae854364f9c27c83c

雪景色

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/m/201402

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大原 寂光院 新緑 2106/04/19

2016年04月21日 | 洛外 大原方面

      

      従姉妹夫婦が来てくれたので、彼女たちのリクエストで大原を案内して来ました。

      寂光院は天台宗の尼寺で、山号を清香山、寺号を玉泉寺といい、寂光院は玉泉寺の子院であり推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提

      を弔うために建立されたと伝えられております。 

 

 

 

 

 

      

      菊の御門の刻まれた門を進みますと芽吹き始めた新緑が迎えてくれます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      山門までの中腹に建つ「狐雲 茶室」 

 

 

 

 

 

      

      京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に千宗室宗匠を

      たのみて献茶式を催し茶室開きを行ったものである。
 

 

 

 

 

 

      

      「孤雲」の名のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、「笙歌遥

      かに聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」という大江定基の歌とともに、「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」と

      いう女院の歌を御覧になって、一行涙にむせんだという『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなんでおります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      狐雲茶室の向かい側に建つ「鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』」

      平成18年秋に寂光院の復興を記念して建てられた宝物殿は、 寂光院に伝来する『平家物語』ゆかりの文化財等を紹介しており、一角にミュー

      ジアムショップも併設されております。

 

 

 

 

 

      

      山門と正面に建つ本堂 

 

 

 

 

 

      

      本堂の右手に建つ書院 

 

 

 

 

 

      

      雪見灯篭 本堂に向かって右手前にある置き型の鉄製灯籠で、豊臣秀頼が本堂を再建した際に伏見城から寄進されたものと伝えられており宝

      珠、笠、火袋、脚から形成されております。  火袋は側面を柱で5間に分かち、各面に五三の桐文を透し彫りにし、上方に欄間をもうけ格狭間

      (ごうざま)の煙出とし、円形台下に猫足三脚が付いております。  

 

 

 

 

 

      

      本堂 山門の正面に建つ本堂には、当初の本尊として、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊がまつられておりましたが、鎌倉時代に制作さ

      れた旧本尊(重要文化財)は、平成12年(2000)5月9日未明に発生した不慮の放火により焼損したため、文化庁の指導を受けて財団法人美術院に

      よって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることとなり、現在は美術院によって模刻された色白の地蔵菩薩像が本堂に安置されております。 

 

                             

      本尊 六万体地蔵尊菩薩           建礼門院(けんれいもんいん)            阿波内侍(あわのないじ)

                            第3代の建礼門院徳子(平清盛の          第2代の阿波内侍(藤原信西の息女)

                            息女、高倉天皇の皇后、安徳天           崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、

                            皇の国母)                    出家のあと永万元(1165)年に入寺

                                                     し、証道比丘尼となった。

 

 

 

 

 

      

      境内の中央には、八重桜が満開を迎えておりました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂と書院を結ぶ渡り廊下   四方正面の池 本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝を設け、 池

      の四方は回遊出来るように小径がついており、本堂の東側や書院の北側など、四方のどこから見ても正面となるように、周りに植栽が施されお

      ります。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本堂の左手の西門を出ますと神明神社の鳥居が建つております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       文治元年(1185)長門壇ノ浦の合戦で平家が敗れたあと、建礼門院はひとり助けられて京都に連れ戻され、その年の9月、都を遠く離れた洛北の  

      地大原寂光院に閑居いたしました。 本堂の北奥に女院が隠棲していたと伝えられている庵跡があり 翌2年の春、女院のもとを訪れた後白河法皇

      がご覧になった御庵室の様子は、「軒には蔦槿(つたあさがお)這ひかかり、信夫まじりの忘草」「後ろは山、前は野辺」という有様で、「来る

      人まれなる所」であったと云われておりました。 御庵室跡の右手奥に、門院が使用したという井戸が残ります。

 

 

 

 

 

      

      女院は夫高倉天皇とわが子安徳天皇および平家一門の菩提を弔う余生を送りつつ、建久2年(1191)2月中旬この地でその生涯を閉じました。
 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      境内の西側に建つ「諸行無常の鐘楼」 本堂の正面の池の汀にある江戸時代に建立された鐘楼には、「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かって

      おり、 鐘身に黄檗宗16世の百癡元拙(1683-1753)撰文になる宝暦2年(1752)2月の鋳出鐘銘が刻まれております。時の住持は本誉龍雄智法

      尼、弟子の薫誉智聞尼で、浄土宗僧侶であったそうです。 鋳物師は近江国栗太郡高野庄辻村在住の太田西兵衛重次と伝わります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

      山門の西側に宝物殿への階段があります。 

 

 

 

 

 

      

      ヤマブキだと思います。 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

      

      まだ開く前のモミジの新芽 

 

 

 

 

 

      

       

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      トキワマンサクと三千院方向 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

清水寺 春の夜間拝観 2016/4/10

2016年04月13日 | 洛東 東山 清水寺方面

      

      毎年春の恒例の清水寺の夜間拝観に伺って来ました。 本日10日(日曜日)が最終日で、ソメイヨシノは葉桜になっているものが多かったですが、

      紅枝垂れやモミジの新芽の色が映えてライトアップならではの鮮やかさでとても綺麗でした。 正面の参道を避けて、茶碗坂の一番上の駐車場に

      車を停め仁王門の南側から階段を上がります。

 

 

 

 

 

      

      仁王門  応仁の乱(1467〜1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、平成15年(2003)に解体修理されました。清水寺の正

      門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す楼門です。 以下の説明は、清水寺のホーム

      ページからのものを参照させていただきました。

 

 

 

 

 

      

      西門前の枝垂れ桜 

 

 

 

 

 

      

      西門と三重塔 

 

 

 

 

 

      

      仁王門の吽形(左)の仁王像

 

 

 

 

 

      

      西方面とされる極楽浄土を示すレーザー光線 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

             

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                

      西門(さいもん)現在の建物は寛永8年(1631)再建のもの。もとの創建時期は分かっていませんが、史書「帝王編年記」など鎌倉時代の文献に

      見えるので、おそらく浄土教が流行した平安時代末期にはできていたと推測されています。

      ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であったと考えられてい

      ます。

 

 

 

 

 

      

      西門の北側に建つ鐘楼は、慶長12年(1607)の再建で、平成11年(1999)に彩色復元され、桃山様式の美しい彫刻が一層華やかに蘇りました。

      牡丹彫刻の懸魚(けぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)、四隅の柱の先にある獏と象の木鼻などが見どころです。  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      西門と同様に絢爛豪華な建築美を見せているのが三重塔です。平安時代初期847年に創建され、寛永9年(1632)に再建。現在の塔は古様式に

      則って昭和62年(1987)に解体修理したもので、総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しました。

      非公開ですが、内部には大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。

      三重塔としては日本最大級の高さ約31メートルの塔は、清水寺、京都東山のシンボルとして、古くから国内外に広く宣伝されてきました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      現在、本堂の入り口の轟門は、修復中なので開山堂の北側から本堂に向かいます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      濡れて観音 本来、奥の院の横にひっそりと佇んでおられますが、奥の院修復期間中は、開山堂の北側に祀られております。 

 

 

 

 

 

      

      右、経堂 寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理され、西門、三重塔とあわせて美しい丹塗りの建物が続きます。

      平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えましたが、それ以降、記録から消え、現在その一切経は伝来していま

      せん。 堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基(おかむらのぶもと)筆の墨絵の円龍が描かれています。 

 

 

 

 

 

      

      本堂の舞台の南側の山に建つ子安の塔 子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期はわかっていません。現在

      の建物は明応9年(1500)のもので、明治の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、本堂の南に位置する、錦雲渓を隔てた丘の上に移築

      されました。高さ約15メートル、檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、名前の通り安産に大きな信仰を集めてきました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      舞台から下を望みますと清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった音羽の瀧があります。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命

      水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。 3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列が

      できるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も

      水垢離が行われています。   右下の灯りは茶店です。

 

 

 

 

 

      

      本堂  西国三十三所観音霊場第十六番札所   洛陽三十三所観音霊場第十二番札所   寛永10年(1633)に再建された、正面36メートル

      強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂です。 堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つに分かれ、通常、外陣

      とさらに外側にめぐらされた廊下を進んで拝観します。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       本堂東側の御朱印を書いていただける所です。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      子安塔 

 

 

 

 

 

                

 

 

 

 

 

 

      

      右手の釈迦堂の裏手からレーザー光線が放たれております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      新緑が鮮やかな奥の院から 

 

 

 

 

 

      

      音羽山に植樹された千本山桜 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      三つ葉ツツジでしたが、色が出ませんでした。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      夜間は、子安塔には近づけませんでした。 

 

 

 

 

 

      

      音羽の瀧の行列を横目にしながら出口に向かいますの 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

      秋の紅葉 ライトアップ   http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/fb895143ef48ae766495f43771651240

      雪景色  http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/fe302af44504e9a1df50c0416fc671db

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

洋画家 大杉真司 春の油絵舞妓展 2106

2016年04月10日 | 京都歳時記

 

      

      古くからのお客さんで友人でもある大杉真司氏の個展に伺って来ました。 毎年4月に寺町三条のギャラリーヒルゲートで1週間開催されます。

      近年は、京都市の催しのポスターなども多数手掛けており、白竹堂さんとのコラボレーションの扇子の販売や永楽屋・細辻伊兵衛商とのコラボ

      手ぬぐいとハンカチなどの制作活動と活躍の場を広げております。

   

 

 

 

 

 

      

      昨年は、大丸(東京店・沖縄店・高知店)天満屋岡山店他、各地で個展も開かれました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      最近では、洋画の上に金箔をあしらった作品も多く見かけられます。 

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       この作品は、今回の個展の案内状に使われた「お披露目」と題された作品です。 

 

 

 

 

 

      

      洋画の制作の合間をぬって陶磁器の制作もこなしております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       小物の焼き物やバック、コースターなどお手軽な価格の商品も展示されております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      こちらの日本酒は、俳優の佐々木蔵之介氏の実家の佐々木酒造さんの聚楽第の大吟醸の入った500ml瓶です。 進物などにも喜ばれそうな瓶とラベ

      ルです。  私の店でも取り扱っておりますのでお声がけ下さい。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      作品のポストカード

 

 

 

 

 

       

       ワイン雑誌の表紙も飾っております。

 

 

 

 

 

      

      扇子の白竹堂さんとのコラボ扇子。

 

 

 

 

 

      

      オーダーメード鞄「はんなり」は、http://hannari.zerostore.jp/まで。

 

 

 

 

 

                 

                壬生狂言開催中、本堂内にて大杉真司氏と陶芸家の加藤氏の二人展が行われております。 

                4月29日〜5月5日までです。

 

 

 

 

      

      個展は、寺町三条上ル西側のヒルゲートギャラリーで今日までの開催となります。 情報が遅く申し訳ありませんが、毎年この時期に開催いたし

      ておりますのと、詳しくは大杉真司で検索してみてください。

 

 

 

 

 

      

      ギャラリーの近くには、松茸と竹の子で有名な「とり市老舗」がありこの時期は日本一の京都産の高価な竹の子が並んでおります。

 

 

 

 

 

      

      一籠三本入り、最高値3万円以上しておりましたが、どんな方が買われるのか興味がわきました。 料理屋で使える価格でないことだけは間違いあ

      りませんが、進物でいただく方が居られるのでしょうが、この大きさの竹の子が家に届いたら皆さん困られるだろうと、余計な心配もしておりま

      した。  

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

宇治 平等院 冬 2016/02/10

2016年03月04日 | 洛南 伏見 宇治方面

 

      

      永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院としました。この年は末法初年に当たるとされ、末法

      思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂

      (鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされてい

      ます。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。 

 

 

 

 

 

            

            今回は、地図左側の駐車場方面から入りましたので鳳凰堂を中心に時計回りに回りました。 

 

 

      

      養林庵書院 

 

 

 

 

 

      

       木の名前は、分かりませんでしたが、赤い実が木全体に生っておりました。

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      鳳凰堂の後方から 

 

 

 

 

 

      

      昨年、鳳凰堂の漆塗り替えが行われ以前と比べ格段に鮮やかに蘇りました。それに合わせて屋根の上の鳳凰も新しくなされたので太陽を浴び黄金

      の輝きを放っております。

 

 

 

 

 

           

           昨年までの鳳凰 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       鳳凰堂は、平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂です。華やかな藤原摂関時代をしのぶ

      ことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築として高く評価されております。

 

 

 

 

 

      

      最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面 に映しています。

      堂内の拝観は、別料金で20分置き位で入れ替え制でガイドの方が説明してくださいます。

 

 

 

 

 

      

      観音堂と藤棚  鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物とされています。全体的に簡素な建物ながら、垂木を地円飛角の二軒と

      し、天平以来の格式高い様式に倣っています。

 

 

 

 

            

            5月の上旬には、藤とツツジが満開を迎えます。 1メートル近くにもなるのが平等院藤の特徴です。

 

 

 

 

            

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

        

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐し、周囲の壁および扉には九品来迎図、阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれています。 

 

 

 

 

 

      

      鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像は、日本の仏像作家を代表する仏師定朝によって平安時代後期、天喜元年(1053)に造られたものです。その構造技

      法は日本独自の寄木造りの完成した技法を示します。また表現の上でも日本独自の様式、いわゆる和様の完成を見せる点がたいへんに重要です。

      頬がまるく張った円満な顔。伏目がちですが意外に大きな眼は拝む者を静かに見つめ、その表情はかぎりないやさしさにあふれています。胸をひ

      いて背をわずかにまるめた姿勢には無理がなく、いかにも自然で、どこにも硬い緊張感がありませんと説明されております。 

 

               

 

                 

       鳳凰堂中堂内部の長押(なげし)上の小壁(こかべ)に懸けならべられている52躯の菩薩像。この群像も定朝工房で天喜元年(1053)に制作さ

      れたものです。 南北コの字形に阿弥陀如来を囲んでならんでいます。南北半数ずつに分けて懸けられ、各像には南北1から26までの番号をつけて

      います。 各像はいずれも頭光(輪光)を負い、飛雲上に乗ってさまざまの変化にとんだ姿勢をとります。5躯は比丘形(僧形)で、他は菩薩形で

      す。それらはいろいろな楽器を演奏したり舞を舞ったり、あるいは持物をとったり、合掌したりしています。

 

 

      

      平等院は、まだ大量の中国人観光客にも侵されておらず、静かにゆっくりと回ることが出来ました。 ただし、運が悪ければバスで団体が押し寄せ

      る可能性は十分ありますのでご承知くださいませ。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

            

      平等院は、宗教法人としては初の総合博物館(登録博物館)となる 「鳳翔館(ほうしょうかん)」を2001年(平成13年)3月1日(木)に開館し

      ました。 平等院ミュージアム鳳翔館について、詳しくはこちらをご覧ください。 鳳凰堂の左側が、鳳翔館の入り口になります。

 

平等院 藤棚・ツツジ

 

 http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/9cf837fb2388ee7f0c95b148689e62c3

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

真言宗東寺 後七日御修法 2016.01.09

2016年01月15日 | 京都歳時記

 

      

       千百余年の伝統がある真言宗の最高儀式「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」が1月8日から京都市南区の東寺(教王護国寺)で執り行われま

      した。真言宗各派の高僧が14日までの7日間、計21回の法要を15名の僧侶が非公開の道場で営み、国家安泰や恒久平和を祈願いたします。

 

 

 

 

 

      

      真言宗開祖の弘法大師空海が835年に始めた儀式であり宮中の正月行事として、当時は元日から7日までを神事、8日から14日までを仏事

      で営まれてまいりました。明治維新後に一時中断いたしましたが、1883年から式場を東寺に移し、今もなお伝統を守り続けております。 

 

 

 

 

 

      

      8日の正午前に宮内庁京都事務所(上京区)から天皇の御衣が届けられた後、導師の大阿闍梨(だいあじゃり)を務める僧侶ら15名が本坊を出

      発し朱傘を差し掛けられて厳かに練り歩き、道場の灌頂(かんじょう)院に入り7日間21座の法要が始まります。 

      この日は、二日目の二回目の法要が終わった後、灌頂院から本坊に戻られる時の様子です。

 

 

 

 

 

      

      雅楽の演奏が流れる中、厳かな雰囲気の中行列が進みます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      朱傘を差されておられる方が、今年の大阿闍梨をお勤めになられている醍醐寺座主の仲田猊下です。 その他、真言宗18宗派から仁和寺、智

      積院、長谷寺、泉涌寺、大覚寺、朝護孫子寺、西大寺、金剛峯寺、善通寺、隋心院、根来寺等の5名の猊下や10名の僧正の方々が参加なされて

      おります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      今回、東寺に伺わせていただく御縁を中央の白い法衣をまとわれた豊山派の根岸僧正にいただきお見舞いに寄せていただきました。

      お一人だけ白い法衣をまとわれているのは、法要中護摩供養をなされるためだと伺っております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

   

      

      各宗派の僧侶の方々が沢山お見舞いにお越しになられておられました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本坊では、法要と法要の間の時間を個々のお部屋で過ごされます。 その間各方面からのお見舞いの方々のお相手もなさるので早朝から夕方ま

      で大変な一週間を過ごされます。 各僧侶には若い僧侶の方が一人ずつ付きっ切りでお世話をなさるそうです。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本坊の東側に建つ食堂 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      食堂から見た本坊 

 

 

 

 

 

      

      食堂の南側に拝観受付がありここから有料になります。 

 

 

 

 

 

      

      春を彩る枝垂れ桜 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      瓢箪池の西側に金堂と講堂が建ちます。 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

             

             国宝 五重塔 東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、826年弘法大師の創建着手に始まりますが、

             しばしば災禍に会い焼失すること四回におよび、現在の党派1644年徳川家光の寄進によって竣工した総高

             55メートルの現在する日本の古塔最高の塔です。

                       

                      心柱を囲む四仏座像

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

      天邪鬼  五重塔の一層目の屋根の内側四隅に天邪鬼が塔を守っていると言われております。 

 

 

 

 

 

      

       金堂

              

            金堂 薬師三尊 金堂本尊の薬師如来坐像と日光、月光両脇侍菩薩像です。光背上には七体の化仏を配して七仏薬師をあらわし、

            台座の周囲には十二神将像を配しています。

 

                        

                        台座に配された十二神将像 これら三尊像は桃山時代の大仏師康正の
                        作で密教的な薬師心仰の形をとどめています。



 

 

 

 

 

       

      講堂

                          

                     講堂・立体曼荼羅  堂内の白亜の壇上には大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、

                    四天王、梵天、帝釈天の二十一体の仏像が安置されており、これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼

                    荼羅です。 

                        

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      14日の法要最終日の三座目の法要は、一般の方も参加することが出来るそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

北野天満宮 秋紅葉 2015/12/04

2015年12月04日 | 洛中 北部

 

 

      

      全国12000もの天満宮の総本社である北野天満宮は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀

      県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされております。

 

 

 

 

 

      

      永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念され、この時から「北野天満天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の

      一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。 

 

 

 

 

 

      

      北野さんは、梅で有名な神社ですが、境内の西側に流れる紙屋川の土手にはモミジの散策路が広がりこの時期には紅葉狩りを楽しめるようにな

      りました。 入苑料700円でお抹茶ではありませんが、お菓子とお茶が飲める茶屋が設けられております。 

 

 

 

 

 

      

      紙屋川の土手は、太閤秀吉が造営した御土居の一部が残っており土手の上から紅葉を見下ろす景観と帰り道は、川沿いを散策しながら御土居を

      見上げる景観が楽しめます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      今年の京都は、例年に比べ11月中旬の天気が悪く、日中の日照が足らず夜の冷え込みも弱かったため市内全域で色づきが悪く近年まれに見る色

      付きの悪さでした。木によっては紅葉する前に枯れてしまったものも多く日当たりの悪い場所は、未だに青葉のままの木も見受けられました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      日の光が当たるとそれなりに綺麗に見える木々もありましたが、11月中に来られた方は残念な思いをなされた事と思います。

      今年から夜間ライトアップもなされているので、夜の方が昼間より綺麗に見えるかもしれません。  

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      御土居から本殿を眺める事が出来ます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      折り返し地点で、川沿いに降りてゆきます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       山茶花が所々に咲いております。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      紙屋川に掛かる、うぐいす橋 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      この辺は、谷底になり日当たりも悪いので青葉のままの木がありました。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      出口の手前に設けられた茶屋。 

 

 

 

 

 

      

      茶屋の南側が、梅園になります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本殿への入り口の「三光門」 

 

 

 

 

 

      

      本殿前の中門で、日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれますが、実際には星の彫刻はないとも言われ、「星欠けの三光門」として  

      「天神さんの七不思議」に数えられています。  

 

 

 

 

 

      

      三光門の蟇股(かえるまた) 蟇股とは、社寺建築で、梁 (はり) や桁 (けた) の上に置かれる、輪郭が山形をした部材のことで、構造上必要な

      支柱でありましたが、のちには装飾化していったようです。厚い板状のままの板蟇股と、内部をくりぬいて透かせた本蟇股とがあるそうです。 

 

 

 

 

 

      

      社殿(本殿・国宝)ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿、石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)で、現在の建物は慶

      長12年(1607)に造営されたもので、桃山時代の華麗な装飾とともに、歴史的に非常に貴重な建築とされています。  

 

 

 

 

 

      

      西回廊 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      社殿北側の摂社・末社 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      今年のライトアップは、12月6日までとなっております。 

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

仁和寺 ninnnaji 秋 2015/10/02

2015年11月06日 | 洛中 西部

      

      龍安寺のあと仁和寺に伺いました。龍安寺に比べ観光客が少ないのが魅力です。境内東側の駐車場から東門を通り参拝いたします。

      仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。 しかし翌

      年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成され、寺号も元号から仁和寺

      となりました。


  

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      二王門  仁和寺の正面に建つ巨大な門。高さは18.7mで門正面の左右に阿吽の二王像、後面には唐獅子像を安置します。同時期に建立された

      知恩院三門、南禅寺三門が禅宗様の三門であったのに対し、平安時代の伝統を引く和様で統一されています。 

 

 

 

 

 

      
      宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位され、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となってから、皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)

      を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。 しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほと

      んどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移

      され、法燈とともに伝えられていきました。

 

 

 

 

 

      

       御殿入口  仁王門をくぐりすぐ左手に御殿の受け付けがあります。御殿には、白書院、宸殿、黒書院などが点在します。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      玄関正面 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       白書院前の南庭 宸殿の南側にあることから南庭と呼ばれており、庭内には左近の桜、右近の橘が植えられ、その前方に白砂と松や杉を配し

      た、簡素の中にも趣のある庭といえます。

      正面に見える勅使門は、大正2年(1913年)に竣工され、設計は京都府技師であった亀岡末吉氏によるもので、檜皮葺屋根の四脚唐門で前後を

      唐破風、左右の屋根を入母屋造としています。また、鳳凰の尾羽根や牡丹唐草、宝相華唐草文様や幾何学紋様など、細部にまで見られる彫刻装

      飾は、伝統的和様に亀岡独自の意匠を取り入れたもので、斬新かつ見応えがあります。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      白書院から渡り廊下を通り右に宸殿、左に黒書院と回っていきます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      白書院 

 

 

 

 

 

      

      北庭  宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれ、南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園です。斜面を利用した滝組に池泉を配し、築山に飛濤

      亭、その奥には中門や五重塔を望む事が出来ます。庭の制作年は不明ですが、元禄3年(1690年)には加来道意ら、明治〜大正期には七代目小

      川治兵衛によって整備され現在に至ります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

      

      飛濤亭 五重塔の手前に見える建物で、第119代光格天皇(1771〜1840)遺愛の席と伝えられている茶室です。仁和寺第28世 深仁法親王

      (1759〜1807)は光格天皇の異母兄にあたり、飛濤亭は宸殿北庭の築山にあり、内部は四畳半に台目がついた茶室と水屋の間、勝手の間で構

      成され、入口は躙口のかわりに貴人口が設けられています。 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      霊明殿  宸殿の北東にみえる霊明殿は、仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に明治44年(1911年)に建立

      されました。設計は亀岡末吉で、内部は正面に須弥壇を置き、小組の格天井をはじめ、蛙股の組物などの細部に至るまで見事な出来になってお

      ります。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      宸殿から霊明殿に渡る廊下です。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       霊明殿から宸殿の眺めです。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      仁王門の正面に建つ中門 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      五重塔 寛永21年(1644年)建立の塔は、塔身32.7m、総高36.18mあり、東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり

      差が見られない姿が特徴的です。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられます。塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四

      方仏が安置され、中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで

      描かれています。 

 

 

 

 

 

      

      金堂(国宝)仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂で、慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したもので

      す。現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝えるの建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像や梵天像も安置され、

      壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれます。 

 

 

 

 

 

      

      鐘楼 「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指します。階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの

      覆いが特徴的です。また、通常吊られた鐘は外から見ることが出来ますが、この鐘は周囲を板で覆われており見ることが出来ません

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      経蔵 金堂の右手にある建物で寛永〜正保年間の建立ました。内部は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など六躯を安置し、壁面には八大菩薩や十

      六羅漢が描かれます。内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、各面に96箱、総計768の経箱が備えられており、その中には天海版の

      『一切経』が収められています。

 

 

 

 

 

 

      

      経蔵の南側に建つ九所明神(KushoMyojin) 仁和寺の伽藍を守る社。社殿は本殿・左殿・右殿の三棟あり、八幡三神を本殿に、東側の左殿に

      は賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神を祀ります。現在の建物は寛永年間(1624~)に建立

      されたものです。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      四隅の屋根を必死で支える天邪鬼(あまのじゃく)邪鬼とは仏教では押さえ込まれる存在としてあらわされ、よく四天王が踏みつけているのも

      邪鬼でだそうで身近な邪鬼では天邪鬼(あまのじゃく)が有名です。人に反発する、反対のことをする、といった意味で使われることから、大

      工たちは邪鬼のこの性格を利用して、屋根を支える束の代わりにこれを置いたと云われております。反発することにかけてはナンバーワンの邪

      鬼の力を利用して屋根を支えようとした発想のようです。邪鬼達は必死の形相で軒を支えており装飾のないこの塔において唯一昔の人の洒落を

      感じます。 

 

 

 

 

 

                  

 

 

 

 

 

 

      

      一層目には大日如来を示す梵字の額が懸けられます。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      東門への帰り道に金剛華菩薩が鎮座されております。 済信塚と霊宝館の間に露座される菩薩像で、金剛界曼荼羅の金剛華菩薩と説明されており

      ます。 左手には宝相華を盛った器を持ち、右手で器をはさむような姿を執り昭和56年(1981年)に安置されました。

 

 

 

 

 

      

       菩薩像の東側に建つ霊宝館  別料金がかかります。

 

 

 

 

 

      

      仁和寺の前に寄った金閣寺です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

仁和寺 紅葉 

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/2b6bfd02d87c069b382a2bc578e3da93 

仁和寺 桜

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/a42449f5f232fb495499ba4fd475beff

仁和寺 雪景色

http://blog.goo.ne.jp/kappou-fujiwara/e/5d06a8296bcc635f04081cb37cebaa91

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

絵師 井堂雅夫 琳派を描く 個展開催 11/8〜11/15

2015年11月05日 | 洛中 

             

              絵師でもあり版画家でもある「井堂雅夫」先生の個展が11月5日より京都文化博物館で開催されます。

             同時開催で、京都駅のホテルグランヴィア京都ロービーにて「井堂雅夫展」も10月27日より11月28日まで

             開催されております。是非お時間がございましたら立ち寄ってみてください。

             尚、常設ギャラリーは金閣寺からほど近いとこにあります。京都市北区平野宮敷町27 ギャラリー雅堂

 

 

 

             

 

 

 

             

 

 

 

 

             

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加