河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

973- サヴァリッシュ フィッシャー=ディースカウ、ヴァラディ、N響、ショスタコーヴィッチ14番、死者の歌、1979.5.2

2010-02-15 00:10:00 | コンサート

サヴァリッシュには演奏人が集まるというか、曲も演奏も大変に素晴らしかった。
日本ではN響とのコンサート以外あまり思い浮かばないが、なんといっても生まれた地元のミュンヘンで1971年から20年の長きにわたりバイエルンの国立歌劇場を務め上げた、それこそ、そのもっと前の最初っから根っからの劇場マンであった。
オペラ振りにとってコンサートスタイルの曲なんて簡単でしょうがないと思う。観ていてそう思う。何事も突き詰めるには奥が深いものに違いはないのだが、だからといってコンサート専門指揮者が必ず上をいくわけでもない。輝かしいシカゴ交響楽団とショルティの一時代、でもショルティにとって長い余技だったのでは?もしくは音楽運動を通した脳と体力の保持、継続。サヴァリッシュがショルティと同じという話ではないが、オペラあっての棒であることに間違いはない。

それで、この日の異例とも思えるショスタコーヴィッチのプログラム。

1979年5月2日(水) 6:45pm NHKホール

バッハ 管弦楽組曲第3番ニ長調

ハイドン 交響曲第103番変ホ長調「太鼓連打」

ショスタコーヴィッチ 交響曲第14番「死者の歌」
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
 ユリア・ヴァラディ

ヴォルフガンク・サヴァリッシュ 指揮 NHK交響楽団

当時のメモ。改編。
この頃、あまり演奏会に出向いていない。東京にいなかったこともあり、休みの時期と選曲、タイミングでよさそうなものを聴きに出かける。

久しぶりにN響の音を聴いた。運がよく、最高の席で聴くことができた。
今日の演奏に関する限り前半2曲はともに前座の域を出なかった。というよりもショスタコーヴィッチが素晴らしすぎた。
なかなか生で聴ける曲ではないのだが、その素晴らしさ、凝縮度、深刻さ、気軽に聴ける曲ではない。この日はもちろん生初聴き。録音ライブラリーにはあるものの頭のライブラリーにはほんの少ししか記憶されておらず不安であったが、最初の音を聴くやその魅力的な和声に引きずり込まれた。
演奏者の質の高さはものすごく、今の日本で考えられる最高の室内楽メンバーであろう。単なる室内楽としてではなく、室内楽的交響曲の演奏メンバーとして。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ。あの余裕。うまいとかへたとかいうのではなく、その余裕と落ち着きに心を奪われてしまった。ppからffまで、また最低音から最高音までまんべんなく均等に配分された声、やはり素晴らしかった。
最高のメンバーによる最高の演奏、そして最高の曲。

なんとも簡単なメモ。
タコ14のハーモニー、音の響きはそれまでのものとは明らかに異なってきており、その室内楽的な編成、響きにもかかわらず、どこかシンフォニー作家としてのジャングルジム的響きのあや。N響はこのようなものは得意。当時のN響はブラスはよくなかったがウィンド、弦は最高。見事なソロ技術、アンサンブル、音色の強弱濃度のバランス、深い響き、味わい深さ。これ以上ないショスタコーヴィッチ。
フィッシャー=ディースカウは結局のところ、観られ慣れていて、特にオペラ歌手に多いのだが、聴衆に観られ慣れている。余裕の歌、その前に余裕の落ちつきなのである。
N響とソリスト二人がサヴァリッシュの棒のもと、どのようなショスタコーヴィッチを演奏したのか。滑らかすぎたかもしれないが、それを越えた音楽の集中する構築物、表現等目の当たりにしたのだ。

開始時刻が6:45pmと中途半端。この時期のことはあまり記憶にないが、開演が6:30pmというのもあったと思う。
NHK-FM放送は7:00pm開始で演奏会の途中から放送開始。1曲目は演奏会終了後に最後に流す、ということだったと記憶する。だから、本当のライブは7:00pmに開始する曲だけ、最初の曲はテープから流れ出ていたわけだ。
おわり


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。