ある人物の生涯を描いた伝記、評伝。その面白さは、誰について、誰が書いたかによって決まる。
学術的にも評価の高いミネルヴァ書房の日本評伝選の新刊は、竹内オサムさん『手塚治虫~アーティストになるな』。
評論家であり、研究者でもある竹内さんが、国民的マンガ家の実像に迫った野心作である。
戦後のマンガ史や、アニメ史において、手塚治虫が果たした大きな役割や、その作品の高い価値に異論を唱える者はいないだろう。
しかし、竹内さんは、近年の傾向である手塚の「神格化」に強い危惧を抱く。
そこで、実人生の歩みと、創作の過程を丹念な調査でたどり、徐々に真の姿を浮かび上がらせた。
たとえば、初期の手塚は芸術性への志向が強く、作品の底には陰鬱な感情が渦巻いていた。だが、それでは人気マンカ家にはなれない。大衆性が必要だ。手塚はジレンマに悩み、矛盾に苦しみながら、“変質”を遂げていく。
「マスコミのなかで苦悩した芸術家」だったということだ。
また、創作のヒントが、意外と身近に存在する場合が多い、という指摘も興味深い。
手塚が映画から学んだ映像技法は山ほどあるが、それだけじゃない。代表作「鉄腕アトム」と横井福次郎のマンガ「ロボット・ペリー君」の類似性は驚くほどなのだ。
こうした先行イメージの本歌取りから、社会の流行や読者の反応への機敏な対応まで、いわば”見えざる努力”の数々が明かされていく。
それから、手塚の、自身を大きく見せたいという願望や、回想や言葉に垣間見られる「演出癖」のことも、この本で新たに知った。
あれやこれやの「きわめて現実的な生き方の実践」も踏まえ、竹内さんがたどり着いた見解は「妥協する天才」。
周囲からはどんな風に見えようと(見せようと)、「物語作りの才能には抜群のものを持っていたが、その生涯は苦悩の連続」だったようだ。
もちろん、そんな苦悩もまた、手塚作品の中に何らかの形で吸収・昇華されて、現在も生き続けているわけだが、うーん、何かを創造していくのは、いかに大変なことか。
「アーティストになるな、アルチザン(職人)になれ」という後進への助言(名言!)は、手塚の苦い実感だったのだ。
手塚治虫―アーチストになるな (ミネルヴァ日本評伝選)竹内 オサムミネルヴァ書房このアイテムの詳細を見る |