Utsuke Bron

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長崎

2017年08月09日 | 日記


長崎平和公園 平和記念像
昭和20(1945)年8月9日午前11時2分。長崎市の市街地の北部、松山町付近上空で炸裂したとされるプルトニウム型原爆は「ファットマン」と呼ばれ、TNT火薬22キロトン分の威力(広島に投下されたウラン爆弾「リトルボーイ」の1.5倍)で、約7万4000人の命を奪い、12万人以上が罹災被害者となりました。日本がポツダム宣言を受け入れ降伏するわずか一週間前の悲劇でした。
それから72年。今年も平和公園で長崎市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開催され、被爆者と遺族らが犠牲者を悼み、平和宣言と慰霊の式典が執り行われます。





長崎への原爆投下の日。その日は快晴無風だった?

1945年夏。日米戦争の末期、日本の本土への米軍の空襲も活発化していった時代。長崎もまた、戦艦・武蔵を建造した三菱造船所、魚雷を製造する三菱兵器製作所などの軍需工場を抱えていたため、すでに5度にわたる空襲を受けていました。
快晴無風のその日、8月9日も午前に「時報」「定期便」と暗に揶揄されていた空襲警報による防空壕退避と警報解除。防空壕から人々がぞろぞろと出てきて日常生活が始まった頃、ラジオが一機のB29爆撃戦闘機ボックスカー(Bockscar)の長崎市接近を告げました。香焼島や金比羅山などに配備された高射砲隊は、上空10000mを飛ぶB29に迎撃は出来ず、戦闘体勢解除、兵員は武装を外し、ただ眺めているだけでした。
午前11時2分。市北部の浦上川沿いの松山町付近で目も眩む閃光がいきなり炸裂したかと思うや、凄まじい爆風と爆音が衝撃波となって長崎の町に一瞬で広がりました。中心部が摂氏数千万℃ともいわれる核爆発による火球は、直下の地上を3,000~4,000度の高温で焼き、火球から発された赤外線は、生き物すべての皮膚を貫通して内部の血液体液が気化、即死に至らしめました。

『原子爆弾ノ炸裂ニ際シテハ先ズ強烈ナ一大閃光ガ迸バシリマシタ。ソレハ恰モ強烈ナ「マグネシウム」ヲ焚イタト同ジ様ナ感ジデ、アタリ一面ガ白茶ケテボンヤリ霞ンデ仕舞イマシタ。ソシテ爆発ノ中心部デハソレト同時ニ、又多少距離ノアル所デハ夫激ヨリ瞬時ノ後、猛烈ナ轟音ト共ニ強烈ナ爆風ト熱気トガ襲ウテ来タノデアリマス』

火球は強烈な衝撃波を生じさせて高温の爆風で広がり、建物も木々もなぎ倒し、焼き尽くしました。
爆心地となった松山町一帯の浦上地区は、天正年間(1584~1592)にイエズス会領となって以来のカトリック布教の中心地で、キリスト教が禁教となった江戸時代にはキリシタンの里として、幕末から明治初期には浦上四番崩れ(うらかみよんばんくずれ)と呼ばれる大弾圧の地として、当時の日本のカトリック信者の最大の集落でした。
その象徴である浦上天主堂は、信徒たちが煉瓦を一つ一つ寄進して積み上げたといわれ、爆心地の北西の丘の上にそびえていました。原爆は天主堂も破壊し、麓に暮らす12,000人の信者のうち、8,000人が亡くなったといわれます。
長崎の市街地は、南に面した港湾から山襞の間を細長く内陸にのびた形で、浦上地区は中心街区から約3kmはなれ、長崎市内の夜景を見下ろすスポットとして知られる稲佐山の西側に位置します。南部の港湾には先述したように戦艦・武蔵を建造した三菱造船所があり、中心街区の人口密度も浦上地区より集中していました。軍事拠点も存在する中心地を狙わず、なぜ浦上に原爆が落とされたのか。これは長崎原爆の謎の一つとされています。

ボックスカー搭乗の機長チャールス・スウィーニー少佐の証言では、この日、第一目標である福岡県の小倉は曇天で、前日の激しい空襲によるスモッグも濃く、目標が視認できなかったため、第二目標とされていた長崎にやむなく転進、しかし長崎も「雲に覆われていた」といいます。しかし爆撃手ビーハンは「一瞬の雲の切れ間から市街の一部がわずかに見え、三菱製鋼所、兵器製作所が目視できた」。そこで原爆投下を実行した、とされています。そして爆弾は目標からややそれて、浦上地区に着弾した、というのが定説です。

しかし、その日の長崎市が人々の証言から「快晴無風」であったことは既に記しました。南の香焼島の高射砲隊が撮影した、原爆によって形成されつつあるきのこ雲の写真も、明確に晴れています(晴れていなければ、10kmはなれた場所から撮影できないでしょう。長崎出身の筆者の父は、原爆投下当時小さな子供で、長崎市街の東側の橘湾で海水浴をしているときに「きのこ雲を見た」と話していました)。「雲の切れ間からたまたま市街の一部が見えた」という証言は果たして本当なのでしょうか。
また、第一目標が小倉である、というのも、だとしたら不思議な話で、爆撃目標となるべき小倉の軍事施設は、大分の日田に移設されていて、広島のように本土決戦のために重要な軍事拠点があったとは言いがたく、また仮に目標だったとしても、その前日に大規模な空襲を仕掛けて視界を悪くし、日本軍の警戒を高めるようなことをするはずがないでしょう。
そのように考えると、8月9日の第一目標は最初から長崎で、しかも三菱造船所などがある南部地域や中心街区ではなく、浦上地区でだったのでは?だとするとなぜ、浦上地区が狙われたのでしょうか。



父のアルバムから。廃墟の浦上天主堂




マンハッタン計画とファットマン

第二次大戦の最中、枢軸国(日本、ドイツ、イタリア王国/社会共和国、ハンガリー、ルーマニアなど)の核兵器開発の進捗に危機感を抱いたアメリカ、イギリスを中心とした連合国は、核兵器の早期開発計画を立てました。これがマンハッタン計画(Manhattan Project)です。
マンハッタン計画により、1945年7月16日、ニューメキシコ州のアラモゴード砂漠で、人類史上初の核実験といわれる「トリニティ実験」が実施されました。トリニティは爆縮レンズを用いたプルトニウム型原子爆弾で、長崎を破壊した「ファットマン」と同じものでした。しかし、トリニティ起爆実験では空中投下ではなく、鉄製のタワーに設置した状態で起爆されました。
「トリニティ」とはキリスト教の教義「三位一体」のことで、また、ナチスドイツのヒトラーが「ローマ第三帝国」を打ち立てると宣言していたことからも、第二次大戦、そして何より核兵器戦争が、キリスト教国にとって宗教戦争の側面があったことを物語ります。
トリニティの地上起爆実験からわずか3週間後に、同じ爆弾が長崎で炸裂したのですが(その3日前には広島でウラン型原子爆弾「リトルボーイ」が)、そのわずかの間に空中の任意の位置で起爆させられる技術を得たとしたら大変な早業ですし、出来たとしても実験一つせずに空中投下起爆を実線で使用したのでしょうか。何より危険な核爆弾を抱えたまま、テニアン島から飛び立ち小倉、長崎へとうろうろと飛び回るなんてことをするのだろうか、などの疑問が多く残ります。
日本は1940年には、理研の仁科芳雄氏によりウラン型爆弾の開発計画がはじまっています。これは二号研究と名づけられ、ウラン鉱石の採掘が日本国内や朝鮮半島で行われました。これらの研究は第二次大戦中ドイツに渡され、また一方あるルートからイギリスを通じてアメリカにもわたったようです。核兵器の技術開発には、日本も関わっていました。
そして、広島、長崎への原爆投下の後、わずか2日後(つまり戦争終了前)に、日本人の大規模な調査団が現地入りし、徹底的な被爆者の調査を行いました。これは終戦後も2年間にわたって行われ、一万ページに及ぶ詳細な調査書が作成されます。その調査書は日本人には秘匿されたまま英訳されてGHQに手渡されたことが、戦後65年経って公文書公開法によって明らかになったのです。放射線がどう人体を蝕むかの詳細なトレースや遺体解剖のデータなど、被爆に役立てるべきだった資料が、生かされることなくアメリカ国立公文書館に保管されていたのです(NHKスペシャル「封印された原爆報告書」より)。
長崎市の南部の港湾側には、武器商人だったトーマス・グラバーの居住した「グラバー邸」がありました。当時は三菱財閥に買い上げられ、大浦クラブとして社交に使われていました。長崎の原爆投下後も、無傷で残存しています。もちろん、近年世界遺産になった三菱造船所の大クレーンも無傷で残りました。
今となっては詳細な事実はわかりませんが、72年前の夏、広島と長崎で一体何が行われたのか…。考えさせられます。



旧グラバー邸




恒久平和を願う「祈りの式典」

今日、長崎の爆心地近くの平和公園で、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われます。神の愛と仏の慈悲を象徴したといわれる北村西望の巨大な平和祈念像の前で行われる式典は、広島の式典が世界に向けて核廃絶を訴えるメッセージであるのに比して、恒久平和を願う「祈りの式典」と称されます。

72年前の今日、一発の原子爆弾で命を落とし被災した人々、そして忘れられているかもしれませんが同じく命を落としたすべてのその地の生き物に対して、その痛みと苦しみに祈りを捧げたいと思います。






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