ブログ書けなかった。。。。
母が特養に入所した日、11月14日、忘れられない日になりました。
その日の午前中、母を特養の主治医になる区内の開業医に連れて行き
インフルエンザの注射をし、健康診断をしました。
心電図やレントゲンまで。。
母の場合、認知症でも足腰は強く、短期記憶が低下しているけれど、ものの道理などは
理解出来る?ので、入所にあたり、ある程度の納得がないと帰宅要求が激しいので
特養の方と打ち合わせをして「嘘」を刷り込んでいました。
それは、私が東京転勤になり息子も東京に行くこと。猫も犬も連れて行くので安心して良い。
母が東京に行っても、デイサービスをすぐに利用できないから、しばらくの間、住み込みで
老人施設のお手伝いをしてほしい。。。と言うことを話していました。
母は68歳まで、働いていたし、看護助手もしていたので、特養でも、実際に洗濯を
たたんだりしてもらおうと、予定していました。
母も一応、納得していました。
特養に着くと、玄関に母の名前が書いてあり「歓迎 ○○○○○様」って。。
それを見て、まんざらでもなく微笑んでいました。
3Fのフロアーについて、荷物を置き、特養の方の配慮で職員の方と同じエプロンと名札が
ベットの上にありました。 偽の契約書(賃金等を書いたもの)の説明もあり
手をかけて準備してくださった事がよくわかりました。
母は用意されていた昼食を食べてましたので、いったん整理ダンスを取りに自宅に戻り
弟と一緒に持っていくと。。。。一変していました。
母は火の玉の様に怒り狂い、荷物を持って「帰る」と、鬼の形相です。
もう、私も弟も手がつけられません。私と深夜に戦ったときと同じか、それ以上です。
特養はエレベーターでしか下に行くことが出来ないので、私達は降りれません。
下の階から、非常階段を開けて下さり、そこから抜け出たのですが、追ってきた母が
鉄の扉を叩き「私も帰る」と言うような事を、叫んでいました。
この時点で、私は、どうしようもない罪悪感に押しつぶされそうになっていました。
その日、水曜日は主治医が午後から、この特養に入所されている方の健康チェックに
来られるのですが、さっき見た母の荒れ狂う様子をみて、早々に1Fの医務室に呼ばれました。
この特養では拘束や薬を使う事はしないと聞いていたのですが、「母の興奮が明日も同じようだと
鎮静をかけます」と。。。。
「今日はあんたたち頑張らんとね」と看護士さんに言ってました。
特養を後にする時、弟が「可哀想と言うか、憎たらしいと言うか。。。精神病院送りに
ならないいけど。。。」と独り言のように言ってた。
私もそう思ったけど、二人とも会話をせずに帰った。
母に新しい下着・靴下・服等を買ってそろえ、前日に二人でパックに詰める時
母が「買ってくれたと?ありがとう」と子供の様に喜んだ事を思い出し、涙が出るのです。
せめて。。。と思って私がしたことは、自分の罪悪感を何かに変えて、自分の気持ちを
鎮めようとしているだけで、何だか空しいです。
その後も、色々な事があって、また書きます。