明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

村山由佳『放蕩記』を読んだ

2011-11-29 23:45:11 | 
本でも漫画でも、とにかく読み出したら一気に終わりまで見ないと気がすまない性質で。
それで、忙しいときに本を読むのが嫌なのだ。
電車の中でだけ・・・と思っても、帰って続きを読んでしまう。
よほど面白くないものは別として。

再読フェアを続けていたが、久しぶりに新刊を買った。
村山由佳の『放蕩記』



半自叙伝ということで、かなり興味深く読んだ。
『ダブルファンタジー』の謎が解けるような気がしたし。

ダブル・・・も彼女の作品だが、これまでになく性描写が露骨であることで騒がれた。
しかし、作品としての評価も高かった。
この作品でいろいろな文学賞をとっている。

ただ、なぜあの作品を、今、発表しなければならなかったのか?
それが不思議だった。

でも、その謎はやはり今回の『放蕩記』によって明かされた。
そういう意味で、読んでよかったと思う。

またこれもダブル・・・くらい分厚い(3センチ以上!)本だったけれど、
結局やめられずに、ほとんど一気に読んでしまった。
おかげで仕事が押して押して(笑)
今日から3日間、原稿の追い込みだというのに、初日でつまずいた。
仕方なく、今晩は夜を徹して追い上げるつもりだが。

作品の内容とはあまり関係ないが、こんな印象深い文章があった。

どんな場面であれ、相手が誰であれ、
その場の空気を波立たせたり人の感情をささくれ立たせたりすることが、
昔から夏帆には苦痛で苦痛で仕方なかった。
自分が主張することでその苦痛を味わうくらいなら、
多少の不都合など黙って呑みこんだほうがどれだけましかと思う。


「夏帆」というのは、主人公の名前。
母親の異常な躾がかなり性格に影響している。

「異常な躾」がある・ないに関わらず、長女や長男というのは上記のような考え方をもった人が多いように思う。
この文章を読んでいて、何人かの顔がぱっと思い浮かんだ。

自分はというと、全く逆で。
最近になってようやく自分の主張をやめても、相手との穏やかな時間を過ごそうと思えるようになったくらいだ。
それもどうかと思うが、
この文章を読んで、改めて、世の中にはこういう考え方が身についてしまっている人もいるんだなぁと、
なぜかしみじみ思ってしまったのだ。

他にもいろいろとこの作品については語りたいこともあるけれど、
とりあえず、作者に関する謎が解けたことで満足だ。
読んでいる間、ずっとこの物語の母親(おそらく実際の作者の母親がモデル)にイライラし続けたが。

彼女は、一体どんな想いでこれを書いたんだろうなぁ・・・
ずっとそう考えてながら、せつない気持ちもまじえながら、これを読んだ。



ときめかない「ツッコミ整理収納法」

2011-11-28 23:08:21 | 生活
今年はなかなか寒くならないのをいいことに、昨日の日曜日、ようやく衣替えをした

思い切って20着くらい捨てた。

この夏、一度も袖を通さなかったワンピース、
「いつか着るかも!」と思って残しておいたスーツ、
「痩せたら着る!」と思って毎年はけないスカート、
可愛くて大好きだけど、40歳には厳しいフリフリのワンピース、
何年も着ていないのに、高かったので捨てられなかったスカート、
家着にしていたチュニックやワンピース・・・

もう来年の夏は着ないであろう服と、
昨年の冬にしまうときに「一応とっておいた」けど、たぶんこの冬着ない服。
それらを思い切って収納せずに、紐でくくった。

かなりすっきりしたが、そうすると、この冬に着る服があまりに少なくてびっくりした
2、3着買おう・・・

そういえば、「片付け」の本って、いつも何か流行ってるなぁと思う。

ちょっと前なら「断捨離」。
今は「こんまり流 ときめき整理収納法」?
近藤さんという女性が書いた『人生がときめく片づけの魔法』という本がベストセラーらしい。
この間、テレビでも見た。
「捨てられない女」なんてのも流行ってたなぁ・・・

そう考えると、世の中には「片付け」のことで悩んでいる人が多いんだなぁと思う。
「片付けのリバウンド」なんてこともあるらしい。

このときめき整理収納法を編み出した「こんまり」さんがサイトの中でこう書いていた。

『こんまり流ときめき整理収納法』は、 片づけのリバウンドに悩み続けた末に失神、
15歳のときからあらゆる片づけ方法を実践し、 片づけの研究に半生を捧げた近藤麻理恵が編み出した、
「一度片づけたら二度と散らからない片づけ法」です。


「片づけのリバウンドに悩み続けた末に失神」って・・・

世の中にはこういう人も結構いるのかな?
私も、「意外!」と言われるが、片付けは苦手なほうだ。
「掃除」は好きなんだけど・・・

「片付け」と「掃除」って、似ているようで違う。

じゃあ、なんであんなに部屋がスッキリしてるの?!と言われるが、
それこそ「かおり流ツッコミ整理収納法」があるからだ。

箱や入れ物を用意する
⇒突っ込む
⇒隠す

以上!

これでいつも部屋はスッキリ。
今の家なんて「納戸」があるので、箱や入れ物もいらない。
とにかく納戸に「突っ込む」。
以上!

そして、年に2回くらい、箱や引き出しを開けて、いるものといらないものを分けて捨てるのだ。
その時は、ゴミ袋2つくらいになる。

いつも整理整頓ができている人をうらやましいなぁとは思う。
引き出しの中とか、最初はきれいなのに、すぐにぐちゃぐちゃになるし・・・
でも、生活に支障はないし、私は「かおり流」で十分(笑)

ただ、確か今年の誕生日のときに書いたかもしれないけど、
これからは「本当にいいものを少しだけ」持つような生活に変えていきたいと思っている。
「捨てていい」と思える服が20着もあるような生活ではなくて。
(いかにしょうもない服を着てたかってことやもんね)

例えば、器みたいに、何でも心から惚れ込んだものを妥協せずに買って、大事に使っていきたいと思う。
そういう「豊か」なライフスタイルは憧れやね

真実を書くということ

2011-11-26 01:26:38 | 仕事
出張から帰って来た。
1キロ太って・・・

いつも東京へ取材に行くと、太って帰ってくる。
朝昼晩としっかり食べ、日中は車で移動なのでほとんど歩かず、
さらにホテルではほとんどベッドの上で暮らすので動くこともあまりない・・・
という状態なので、まあ、太るのは当然なのだが。

向こうではまた美味しいものをご馳走になった。
仕事をもらっている身分なので、ただただ恐縮
しかし、ありがたい。

今回はお豆腐をたくさん使った懐石のコースだった。
その一部。









日本酒「而今」「十四代」など、いいものが置いてあり、堪能した。

夫がいつも「かおりは恵まれてるなぁ」と言うが、自分でもそう思う。
本当にありがたい。

「おいしいものが食べられる」からじゃない。(もちろんそれもあるけど)
もてなしの心をもった人とか、気さくにお酒を酌み交わせる人とか、私を信頼して仕事を任せてくれる人とか、
そういう寛大で人間的に優れた人といつも一緒に仕事ができること。
それが、本当にありがたいし、それを思うだけで涙が出そうになる

仕事を一生懸命、誠実にしようと、また心に誓う。

今回もたくさんの人を取材したが、久しぶりに泣かれた。
私は昔から、なぜか取材中に泣かれることがよくあって・・・。
(決して私が泣かしてるわけではない)

今回も、某技能試験に受かった人にインタビューしていたのだが(合格率8%を切る難関の試験だ)
どんな想いでこの試験に臨んでいたのか、という話を聞いていたときに、突然言葉を詰まらせ、ポロポロと泣かれてしまった。
正直、焦る。
ティッシュを出してあげたら、少し笑って「恥ずかしい・・・」と言いながら鼻をかんで、ぼちぼち話せるようになってくれた。

そういうとき、本当は私まで泣きそうになる。
感情移入を特技としている(?)私だから、そりゃ、もうその時は、自分のほうがもらい泣きをこらえるのに必死で・・・。

息子さんがいるらしい。
離婚したのかなぁ、母子二人暮らし。
息子さんには夢があった。
その夢に向かって頑張っていた。
でも、なかなか叶わなかった。

それで、彼女は社内でもまだ2人しか合格していない難関の試験を受ける決意をした。
1年目は不合格だった。
息子さんは夢をあきらめたのだろうか・・・就職した。
今は離れて暮らしているらしい。
でも、彼女は勉強を続け、2年目も試験を受けた。
そして、見事合格した。

「努力することの大切さを、自分の背中で教えられたらいいと思って・・・」
そう言って、ポロポロ泣いた。

「伝わっているのかは、わからないんですけど」

謙遜ではなく、本当にそうなんだろうな、と思った。
だけど、きっと伝わっている。
そういうひたむきな誠実さが彼女にはあった。
それを息子がそばで見ていて感じないわけがない。

取材後、彼女も息子さんも、どうか幸せになりますようにと、自然に祈る自分がいた。

ひたむきに一生懸命生きている人を見ると、自分も頑張ろうという気持ちになるね!
もうこんなふうに人に泣かれるような取材はないだろうと思っていたのだけど、あったなぁ。
いろんな人の人生を、想いを、垣間見れる。
だから、この仕事は辞められない。

思い返せば、もう何百人も取材した。
はっきり知っているだけでも、その中で3人亡くなった。

1人はまだとても若かった。

もう1人は60歳くらいで、私に大切なことを教えてくれた。
たった一度の取材だったけど、印象深かった。

「カッコいいことなんて書かなくていい。あなたは、真実を書いてくださいよ!」

取材の後、私にそう言った人だ。

「真実」という言葉がとても重くて。
私は必死にそれを追った。

記事を書いたあとで、「真実が書かれていたと思います」とメッセージをいただいたときは、本当に嬉しかった。

でも、「真実」を嫌う人もいた。
そのことで私はずいぶん悩んだし、葛藤した。
最終的に、「嘘」はダメ、「真実」を書けばいいわけでもない。文章は「虚構」が大事なんだ、と学んだ。
それが、プロとして文章を書く意味なんだと。

「嘘」も「真実」も書くのは簡単だ。
「虚構」を書くことこそが、プロなんだと知った。

「虚構」と表現してしまうと、反論されそうだが、まあ、言葉通りの意味ではなく、もう少し深い。

例えば、さっき取材中に泣いた彼女の話。
このブログには「真実」を書いた。
でも、実際の記事にはここに書いたようなことは書かない。
だけど、もちろん「嘘」も書かない。
さっき書いたようなことを含めつつ、別の文章表現をするということだ。

相手が何を書いてほしいのか?
この媒体では何を表現すべきなのか?

まずこの2点が先にあって、その上で、自分の視点や想いを入れる。
そういうことが、駆け出しのライターの頃はできなくて、ずいぶん悩んだんだ・・・
まず「書きたい」気持ちが先走って。

「真実」さえ書けばいいと思っていたのだ。

取材をたくさん重ねて、決してそうではないとわかってから、
なおさらあの亡くなった「真実を書いてください」と言ってくれた方の言葉がよくよみがえった。

だって、私はたぶん、真実を書きたいんだと思う。

「カッコいいことなんて書かなくていい。あなたは、真実を書いてくださいよ!」

今でも宮地さんの言葉をよく思い出す。
ギロっと光る目。
近寄りがたい雰囲気。
昔気質の職人で。
でも、とても仕事に誠実で、優しい人だった。

向こうは、たった一度会っただけの小娘(当時はそうだった!)のことなんて、生きていたって覚えてないだろう。
だけど、私は忘れないな。
私に「真実を書け」と言ってくれた、唯一の人だから。


いわくつき!?

2011-11-24 21:22:46 | Weblog
決して霊感が強い人間ではなく、幽霊さんにも出会ったことはないのだが、この八王子のホテルはなぜか嫌な感じがして。
いや、もう何度も泊まっていて、とても居心地はいい、好きなホテルなのだが、なぜか前回うなされた。
日記にも書いたので覚えてる方もいるかもしれないが、私が家でよくやるようにうなされて絶叫したホテルだ。

あの記憶のせいなんだろうか。
今回は最初からなんか嫌な感じで。

で、昨夜、見事にうなされた…
絶叫はしなかったが、二回もうなされて、小さく叫んで目が覚めた。
夢の中でもこのホテルで寝てるのだ。
そして何かに襲われる。
それを振り払おうとして叫ぶ。
目が覚める。
なんでやろ…
もしかして、いわくつき!?

いや、冗談じゃなく、今日も泊まるのでちょっと怖い…
今日はうなされないことを祈る。
もし、今日もうなされたら、次からホテルを変えよう。

ウイスキー風味の飲み物

2011-11-23 21:48:12 | Weblog
最近、「ノンアルコール」の文字がやたら見られる。
「キリンフリー」が成功したからか!?

確かに、ノンアルコールビールの重要はあると思う。
妊娠や授乳中、運転する人など、みんなと乾杯するとか、どうしても飲んでる気分になりたいとか。
ビールは日常的に飲んでる人も多いし、乾杯も圧倒的に選ばれるので、世の中にノンアルコールビールが存在することは否定しない。
(私も夏場、禁酒できない日にこれで自分をごまかしたことがある。笑)

しかし、TVCMも電車の中吊り広告も、やたらノンアルコールばかりなのはどうやねん、と。
ノンアルコールカクテルって…
ただのジュースやん!!
ノンアルコールとかカクテルとか、付ける必要あるか!?
酔わない梅酒って…
梅味のジュースやろ!?

さらには、ノンアルコールハイボールまで出た。
もうここまでくると、流行をたくさん取り入れたもん勝ち!?
言わば、ウイスキー風味の炭酸水やろ?
そんなんおいしいか~

そして、究極のノンアルコールがこの間、アメリカで発売された。
なんと、ノンアルコールウイスキー!!

夫がこの情報を持って帰ってきたのだが、二人で「なんやそれ~」と唖然。
なるわな(笑)

ウイスキーの風味をつけた水である。
もちろん蒸留もしていない。
一体どんな飲み物なんやろ…
ウイスキーを飲んだときの、あの喉にカ~っとくる感じはどうなってるんやろ?
カクテルならまだしも、アルコール度数40度以上のものをノンアルコールにするのは、さすがに無理がないか?

これもブームみたいなもんで、数年後には全部なくなってるのかもしれないが、なんとなく、このノンアルコールブームには嫌気がさしてしまう。

願わくは、ウイスキー風味の水が日本に上陸しないことを。

※電車の中で暇やから書いてます。

12月は忘年会に徹する。

2011-11-23 20:24:24 | Weblog
東京出張。
今は新幹線の中。
今日は前泊で明日の朝から取材が始まる。
帰りは金曜日の夜。

夕方から東京やと思うと、今日は一日中落ち着いて何かをする気持ちにはならなかった。
なんだか無駄に一日を過ごした感じ。

仕事もなんやかんやと入っていて、もうしばらく忙しい日が続きそうだ。
でも、12月5日には今抱えてる仕事は全部終わらせて、そのあと12月はあまり仕事せずにゆっくり暮らしたいと思っている。
忘年会も忙しいしね(笑)
すでに忘年会や飲み会やら、人とご飯食べる約束が6件。
日程は決まってないが、話がでてるのが3件。
まだ入るやろな…

今のうちに体調を整えておかないと、これらをこなしていけないし、とりあえず仕事をしている場合ではないのである。
早めにケリつけて、12月は休むで~!

仕事が忙しいときに飲みに行くと、確かにその時はリフレッシュするんだが、後で二倍のストレスが返ってくる。
生活のリズムが崩れたり、仕事が予定通りに進まなかったりで、かなりイライラしてしまうのだ。
昔はそれをすぐに戻す体力や気力があったのだけど。
今はもう無理。
「なし崩し」って感じになる。
だからって忘年会のために仕事しないというのも自由すぎるやろ…とは思うのだが。

もう1つ理由があって、今年やるはずやったのにできなかったことを、最後の一ヶ月で頑張って、ちょっとでも帳尻合わせよう…みたいな気持ちもある。
ほんま、この1年は何も進められなかったし。
最後に少しでも取りかかることで、来年に繋ぎたい。

とりあえず、あと2週間!
集中して頑張るのだ。

久しぶりの1人びりけん

2011-11-22 16:56:57 | 美味しいもの
昨日は午後から取材。
終わってから買い物があったので、梅田へ出た。
買い物も済ませて、例によって、例のごとく、ビールスタンドへ・・・

私はほんまあのビールスタンドが好きやなぁと思う。
ビール飲みながら、梅田の街を歩く人々をぼんやりと眺めるのが楽しい。
普段は自分もあの雑踏の中にいるからわからないけど、外から見ると街って不思議だ。
たくさんの人の流れ。
話し声。
いろんなものが無秩序に入り混じっている。
目にも耳にもうるさいはずなのに、なぜかあそこでビールを飲んでいると、ぼーっとできる。

普段、忙しくしてるか、ごちゃごちゃといろんなことを考えているか、どちらかなので、
頭と心を休めるのにとてもいい。(ビールも旨いし)

ビールを飲み終わる頃、ふと、「びりけんに行ってみよう」と思いついた。
何ヶ月も前からずっと1人で行きたくて仕方がなかった。
人と一緒に行くのももちろん楽しいし、友達はほとんど連れて行ったけど、
やっぱりあの店は、私が「恢復できる」場所。
だから、たまに1人で行きたくなるし、行かないとダメだ。

梅田の事務所で仕事をもらっていたときは、結構な頻度で仕事帰りに1人でふらーっと立ち寄ったりしていたのだけど、
最近は梅田へ出ることも少なくなり、本当に1人で行くことが減ってしまった。
特に今の北新地へ移転してからは、お客さんも増えて、いつ行っても人がたくさんいて、どうも落ち着かなかった。

だけど、昨日はなぜか「今日は大丈夫」と思った。
実際行ってみると、女性が1人。
その方も私が来てから10分かそこいらで帰ってしまい、本当に、本当に久しぶりに、私1人になった。
やっぱり「今日」だったんだな・・・と思った。

マスターに話を聞いてもらった。
少しだけ言葉をもらった。

ほんの5分か10分くらいの短い会話。
でも、それで十分だった。

例えば、その言葉がものすごく感動的な言葉だとか、
他の人には決して言えない神がかり的な言葉だとか、
目からウロコの内容だとか、
そういうことではないのだ。

むしろ、ごく普通の回答だった。
でも、私が恢復するのには十分だった。

さすが、ヒーラーやなぁ、と思う。
カウンターを挟んで、お酒を飲みながら、普通に、フランクに、話しただけ。
でも、目の光かなぁ・・・なんか自分の中にちゃんと何かが落ちていくのがわかった。

あんなに悩んでいたのがウソみたいに、心が決まった。
本当に、あっけないほどに。

そして、仕上げにパワー料理。
びりけんの料理は「旨い」。
でも、そういう表現が合わないといつも思う。
食べてあんなに元気に、幸せになる料理を他に知らない。
一口、また一口と食べていくにつれて、自分がどんどん恢復してくのがわかった。

最初はゴボウの煮物を食べた。
それから牡蠣。上にはトンブリが乗っている。


自家製オイルサーディン。
あまりに旨くて、作り方を教えてもらった。


お造りは、ハマチとカツオ。
脂がのっていて、たまらんね!


写真はボケたが、大きななめこと野菜のお汁。
やっぱりびりけんは椀物が最高!
出汁だけで、調味料なし。味付けは野菜から出る甘みのみ。究極の素材料理だ。
そして、一口食べるごとに、幸せになる。


秋らしいお皿に盛り付けてくれた、舌平目のムニエル。


「ピザ食べたい!」というと作ってくれた。
最近は、トマトソースも使わない。年々、シンプルになるなぁ。
ブルーチーズとルッコラ。最高!!


この後、アジの南蛮漬けがあり、最後にロースとビーフとベーコンを厚切りにしてステーキ風に。


合計9品、堪能した。
お酒は3杯。

お客さんは、しばらくして3人来たけれど、とてもゆっくりできた。
昔のびりけんみたいだった。

上新庄で1人暮らししていた頃、マスターがホットプレート背負って遊びに来てくれたことあったなぁと、そんな話になった。
たしか、中野ともんちゃんがいたんだっけ。
マスターがいっぱいお好み焼きを焼いてくれた。
生の桜海老が入ったお好み焼き。
今でもすごく美味しかったのを覚えている。

あれからもう10年以上経つのか・・・

そんな昔話もして、美味しく食べて飲んで、すっかり恢復して店を出た。

やっぱり今日行ってよかったな、と思った。
何かに「呼ばれて」いたんだな、と思った。

もう大丈夫だ。

旅の話をしよう。~新潟といえば、やはり日本酒!

2011-11-20 23:49:55 | 
新潟旅行で少し申し訳なく感じたのは、下戸のもんちゃんを酒関係のところへつき合わせたこと。

この旅ではもともとお酒関係のことはあまり重要視していなかったので、
ガイドブックを見るときも、あえて酒関係の情報は見ていなかった。

しかし、越後湯沢に行くことが決まって、いろいろ調べていたら、駅に「ぽんしゅ館」というのがあるという。
試飲もできるし、酒関係のものがいっぱい売っている。酒風呂まであるそうな・・・

■ぽんしゅ館
http://www.ponshukan.com/index.html

これは行かないわけにはいかない!

もんちゃんも快く「いいよー」と言ってくれたので、ぽんしゅ館へ寄ってみた。
本当に駅構内にあるお土産屋さんとくっついたような施設で、利き酒コーナーがすごい。
なんと、新潟の酒蔵の代表銘柄95種類・おすすめ銘柄22種類、合計117種類が飲めるのだ。

システムは、500円で5枚のコインを買う。
ぐいのみも貸してくれて、コイン1枚で1種類のお酒が飲める(25ml)。

こんなの。


本当にコインロッカーみたい。

いやー、これは興奮するよ
ぐいのみを置いて、コインを入れて、スイッチを押したら、お酒が出てくる。

私があれこれ飲んでいると、もんちゃんがじーっと見て、
「ちょっとちょうだい」という。

え、大丈夫か?

「なめるだけ」と言って、ちょいちょいなめていく。
私は心配で仕方がない。

でも、なめるだけでも「おいしいー。結構好きかも」とか「違うのがわかる」とか言ってくれると、
それだけですごく嬉しくなってしまう

飲めないのに付き合ってくれて、本当に嬉しかった。



ちなみに↑このガラスケースの中にあるお酒は、ちょっと上等なのとか珍しいやつ。
「コイン3枚」とか書いてある。

うーん・・・
飲みたかったけど、やはり100種類ほどのお酒を前にすると、いろいろ試したくなってしまい、コイン3枚に踏み切ることはできなかった。
でも、翌朝と2回行って、合計10種類飲めたので、満足だ

それから、新潟の青木酒造「鶴齢」にも行けたのでよかったなぁ。


ここは米どころ、南魚沼市の塩沢というところにある。

塩沢は、昔ながらの街並みを再現して、観光地として人を呼び込んでいる。
こんな感じ。


この通りの中に鶴齢の商店もあった。


夫にお土産にと、前掛けとお猪口を買って帰った。

あと、この通りの中の老舗の商店に、私の好きな木喰(もくじき)の仏がまつられてあったので、
それを見られたのもよかった。
今まで知らなかった「鈴木牧之(ぼくし)」という人の記念館にも行ったのだが、それもなかなか興味深かった。
正直、ぱっとしない田舎町ではあるが、結構楽しめた。

バスで片道5000円台で京都から新潟までいけることがわかったので、
今度は夫と新潟酒の旅でもしようかと思う。
そのときは、またぽんしゅ館には立ち寄るだろうな

気持ちを切り替える。

2011-11-19 16:27:19 | 仕事
昨日は取材の後、やさぐれて、梅田のビールスタンドで2杯も立ち飲みして、帰って寝た

最近、ここの会社の仕事をすると、必ずこうなる。
また愚痴になるけど、とにかく仕事がやりづらく、ストレスがたまる。

最初から抱いていた「違和感」。
これはやっぱり「ジェネレーションギャップ」なのかもしれない。

半年前、その会社の仕事を初めて受けたとき、最初に出会った営業さんから違和感があった。

取材先のビルの下に集合。
初めて顔を合わせたのに、挨拶もそこそこに自分のペットボトルを出してお茶を飲み、フリスクを口に放り込んだ。

別に構わない。
私もお茶も飲むし、フリスクも食べる。

でも、なんなのかな、この違和感は。
何度も仕事をしたわけでもなく、初顔合わせで1分もたたないうちに、何の断りもなくやった行動。

私だったら、「すいません。ちょっと喉かわいちゃって・・・。お茶飲ませてくださいね」と一言断ってからやる。
例えば、1日一緒に取材で行動していたとして、その中でそんなシーンがあってもなんとも思わないけれど、
初対面で、出会った瞬間には無理だな、と思った。
別に迷惑をかけられたわけでもないけれど、へんな気持ちになった出来事だった。

それから、その会社の別の営業さんに2人会った。
みんな23、4歳くらい。
どちらもやっぱり違和感があった。
1人は、この間の夜間電話の人。

そして、もう1人は女性で(他は男性)、昨日2度目の同行だったのだけど、同じくビルの下で待ち合わせていた。
さて、そろそろ行きましょうか・・・というときに、
なんと、バッグから鏡を取り出し、その場で口紅かリップを塗りなおしたのだ。

私は、とっさに目を逸らした。
見てはいけないと思ったからだ。

人通りのある街中のビルの下。
私もカメラマン(男性)も真横にいる。
そこで、その行動ができることに驚いた。

あー、やっぱりこの違和感はジェネレーションギャップか・・・と確信。

たぶん、電車の中で化粧をしたり、外で物を飲み食いしたり、道端に座り込んだり、夜間に電話したりすることが平気な世代なんだなぁと

ベンチャー企業で、代表取締役がまだ32歳くらい。
大学生のときから企業家目指してやってきた・・・みたいな人。
設立して10年そこそこの会社だ。
「成功」していることは確か。
会社も大きくなっていて、それはすごいと思う。

私が愚痴ばっかり言っている営業さんたちも、きっと能力的には高いのだろう。
志も高そうだし、仕事も毎日夜遅くまで一生懸命がんばっている。
人柄も決して悪くない。
むしろ、愛想もいいし、よくしゃべるし、笑顔で感じもいい。

だから、「嫌悪感」ではなく「違和感」だったのだ。ずっと。
その理由が、昨日、化粧直しを見てようやくわかった。

ジェネレーションギャップだ。
逆に、もうこれがはっきりして「違和感」ではなくなったので、これからは付き合いやすいと思う。
最初からそういう気持ちで臨めばいいのだから。

で、やさぐれてストレスたまっていたのは、決してこの件ではない。
仕事の段取りが悪くて、思うように取材ができなかったからだ。

営業といってもディレクションも兼ねているので、きちんとまわしてくれないと、いいものが出来上がらない。
取材相手の人はめちゃくちゃ話もわかりやすく、いい感じの会社でもあったので、
本当に「良く書いてあげたい」と思いながら取材をしていた。
だから、よけいに腹が立った。

会社帰りのおっちゃんたちに紛れて、ビールを飲みながらいろいろ考えていた。
最近の仕事のことを。

11月は大きな仕事が2件入って喜んでいたのだが、結果的に2件ともうまくいかなかった。
1件は社内の方針変更などがあり、ライターの必要性がなくなったという感じ。
まだどうなるか見えないが、おそらくこの仕事は打ち切りだろう。
もう1件は一応自分の業務は終了しているのだが、どうなっているのかがわからない。
私も「いい仕事ができなかった」という想いが強いので、なかなか自分から切り出せない。
前者はほぼ報酬ゼロだし、後者に関しても、あまり期待はできない。というか、自分があまりもらいたくない。
2つ合わせて35万円くらいになると見込んでいたので、厳しいなぁ・・・(服買っちゃったよ!

結局、毎回ストレスをためながら、安い仕事をこなしていく日々。
夫は「そんなにストレスたまるなら、やめとき」と言うが、そういうわけにもいかない。(服買っちゃったし!)

なんかうまくいかへんなぁ・・・なんでやろ、なんでやろ・・・と考えていたら、わかった。
そうか、自分が「そういうレベル」なんやな、と。

「レベル」と言っても、能力の話じゃない。
最近の私は「志」がダメなんじゃないだろうか?
こうやって、愚痴ばっかり書いてるし、前向きじゃないし、悩んでばかりだし。
そんなふうに過ごしていると、「悪いオーラ」しか寄せ付けない。
悪いオーラに囲まれていると、思うようにうまくいかないし、いい人との出会いもない。
だから、またふてくされる。悪循環。

これは、私が40年生きてきて、いつも感じること。

逆に、自分が「よっしゃー!!やるでー!!」という気持ちで、
明るく笑顔で、楽しい話して、感謝の気持ちをもって過ごしていたら、
また「いいこと」がやってくる。
もっと明るくなるし、感謝も増える。
そこから、いい循環が始まる。

やさぐれて、酒ばっかり飲んでいても、悪循環は断ち切れないな・・・
悪いオーラに包まれてるから、滅多にひかない風邪までひいたのだ。(まだ咳が出る)

明日から気持ちを入れ替えようと決意
オッサンとビール飲んでる場合じゃない。

悪いオーラを吹き飛ばして、いいオーラを呼び込もう。
ちょうど来週は2泊3日で東京取材。
この仕事は今、一番好きな仕事だし、取引先の人も尊敬できる人ばかり
今度こそいい仕事ができるよう、気持ちを切り替えてがんばる
もう愚痴は言いません(たぶん・・・)

でも、そう思うだけでも、早速、気持ちが楽になっていることを感じる。
感謝すべきことはちゃんと見つめれば自分の周りにはいっぱいある。
よし、ポリアンナの「よかった探し」をしていこうと、久々に心に誓うのであった・・・

旅の話をしよう。~『雪国』の舞台へ

2011-11-17 22:02:38 | 
今日は何の話を書こうか。
そういえば、旅の話をほとんど書いていなかったので、少しずつ書いていこうと思う。

10月の終わりに行った新潟の話。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜のそこが白くなった」

有名な川端康成の『雪国』の冒頭。
まず初めに行ったのは、この「雪国」の舞台だった。

1日目に泊まった越後湯沢の「高半」という宿。

http://www.takahan.co.jp/index.html

ここは、川端康成が昭和9年から12年にかけ「雪国」を執筆していたという宿。
当時、泊まっていた<かすみの間>という部屋を展示室に移し、自由に見られるように開放している。



ここであの名作が生まれたのかと思うと、どきどきした。
いいねぇ、昭和初期の部屋。
机や肘掛付きの座椅子、火鉢など、どれをとっても美しい。

そして、外から見るだけかと思ったら、入れた。
ベタな演技までしてみた(笑)



温泉もとても気持ちよかったし、ごはんも美味しかった。
1泊2食付き1万円程度で、値段のわりに満足。









お酒は「鶴齢」があるのが嬉しかった。さすが地元である。



ただ、部屋食でなく、大広間みたいなところで食べるのだけど、これがちょっと微妙。
テーブルがやたら大きくて、もんちゃんと向かい合うとめちゃくちゃ遠い。

さらに、私たちは食事のスタートが遅かったので、一番最後になってしまい、スタッフが片付けとかを始めて、
なんだか追い出されるように部屋を出た。
もうちょっとゆっくりできればよかったのだけど。

もう1つ。
土瓶蒸しのアルコール分が完全に抜けていなかったのか、
アルコール分解が全くできないもんちゃんが「なんか酔っ払ってきた・・・」と言い始め、ひやひやした。

そんな細かいことはいろいろあったが、お料理は満足

朝食はこんな感じ。


プリンみたいな、蒸し豆腐?が美味しかった。


そして、例のごとく、おひつを空にした
(お茶碗3杯)

新潟産炊き立てコシヒカリだと聞いていたので、どんなにおいしいんだろうかと期待していたら、
意外にそうでもなかったのが残念。極めてフツー。
お米の質はいいけど、釜が悪いんじゃないだろうかとか思った。
それくらい普通のゴハンだった

総合して、★4つ、というところだろうか。
食事も温泉も基本的には満足したし、川端康成の部屋を見られたのがポイント高い。
帰りに、2合もコシヒカリをお土産にくれたのも嬉しかったな

周りは温泉以外は何もないところだ。
冬はスキー場になるみたいだけど。

雪が降るとまた違った風情があるんだろうなぁ。
あの『雪国』を書きたいと思わせた風景、情緒、空気を感じてみたい気がした。

「夜分にすみません」

2011-11-16 22:43:16 | 想い
昨晩、やさぐれてお酒を飲んで、床でごろ寝してしまったら、風邪悪化
当たり前か・・・
咳で胸が苦しい。

そういえば、数ヶ月前に、夫の友達が結核になって入院した。
昔、日本では結核で死ぬ人も多かったようだが、今となっては堀辰雄の文学に出てくるような印象しかなく、「ほんまかいな」と驚いた。

でも、一番驚いたのは本人だっただろう。
まさか結核だなんて思わないから、かなり重症になるまで処置を行っておらず、深刻な事態に陥ってしまった。
退院はしたけれど、元通りとはいかないようだ。

すごく向上心があって、知識欲があって、野望があって。
人の話を聞くのも上手だし、営業マンとしての才覚も現していたような人だった。
いつも素直で、人当たりも良く、少なくとも私に対してはキラキラした目で仕事のことなどを語ってくれていた。
なので、病気のことを聞いたときはショックだったけど、本当に辛いのは本人やし。

何か力になれることがあれば・・・と夫とよく話すが、何もできず。
一日も早く体力が回復して、また仕事で活躍できることを祈るのみ。

健康は一番大事だなぁとつくづく思う。
心と体が元気だったら、いろんなことがあっても何とかなる。

私もそろそろ定期健診行かないと

その前に、今日は風邪を絶対治そうと思い、早々とお風呂も入って寝る用意も万全。
もちろんお酒も飲んでいない。

仕事も切り上げて、お茶飲んでくつろいでいたら、電話が鳴った。
着信を見ると、仕事関係。
22時だったので「こんな時間に?」と思ったが、急用だったら困るので出てみた。

例のベンチャーの若い人の集まりの企業だ。
朝や昼間と全く変わらず、「今いいですかー?」みたいなノリ

いやいや・・・
そりゃ、こういう仕事やから時間関係なく原稿書いているときもあるけど、別に急ぎのものを任されてる最中じゃないし。
何かと思えば、「今日中にアップする」と言っていた写真を今からアップするから、キャプションをつけてくれ、という話。

いやいや・・・
今日中とか明日の朝までの仕事なら、今言うのも構わないけど、締め切りは明日の夕方。
こんな遅くになったのは自分の責任なんだし、私に今それを連絡する必要があるのか?

とりあえず、不機嫌そうな声で「確認してやっときます」と言ったら、
「あ、じゃあアップしたら後でまた電話しますね」と言う。

いやいや・・・
明日でええやん。なんで?
もうすっかりオフモードやのに、これ以上電話したくないで・・・

さすがに「いやちょっと非常識ちゃいますの?こんな時間やのに。確認したらやっときますので、それでいいですか?」と怒ってしまった。

「あ!すみません・・・」と向こうも困った感じ。
そうなると、私も強く出るのがイヤになって、「まー、あのー、やっとくんで・・・」みたいな感じでもごもごして終わった。

電話を切ってから、友達と「今の若い人は『夜分にすみません』の一言が出ない」という話をしていたことを思い出した。
(もちろん、出る人もいるんだろうけど)
「家電話文化」がないからなぁ・・・
友達の家でも9時くらいを過ぎたら、「夜分にすみませんが、●●ちゃんいらっしゃいますか?」というのが常識だった。
それを経験してない世代だなぁと思った。まさに!!

もし、彼がそれを最初に私に言ってくれていたら、私もそんなに怒らなかったんだけどなぁ

やはり、「携帯電話は18歳から」にすべきだと思う。
防犯のために小さい子に持たせるとか、いい使い方もあるのはわかるけど。

「家電文化」を経験したおかげで、いろんなことを学べたと思う。
親が横で口うるさく「切れ、切れ」と言ってくるのもストレスだったけど、あの「ストレス」を経験するのも大事な気がする。
社会生活を送るための小さな「訓練」というか。

男の子から電話がかかってきたりしたら、もう家中が大騒ぎで、「誰?誰?」「何?何?」と干渉されたものだ。
めちゃくちゃ鬱陶しかったけど、あれも大事やったと思う。
自分の子供の交友関係がわからん今のほうが怖いよな・・・

同じ世代の人と話すと、家電の話って、結構盛り上がる
「家電あるある」が豊富だし、懐かしさで笑えてくる。

そういえば、携帯電話を左耳で聞くか、右耳で聞くかで年齢がわかるらしい。(テレビでやってた)
「利き耳」というのがあるので(耳を壁に当てて音を聞くときなどにとっさに当ててしまう方の耳)、それも関係してくるのだが、
利き耳は右なのに、携帯電話は左耳で聞いてしまうという人がアラフォー以上には多いという。
10代・20代はその逆。
利き耳が右なら、携帯も右という人が多い。

理由を聞いてちょっとショックを受けた。

理由は、私の世代以上の人は「黒電話」文化を経験しているから、らしい
黒電話って、コードの関係で左手で持つようになっているので、子供の頃からそれが習慣になり、コードのない携帯電話になっても左で持ってしまう・・・ということみたいだ。

人が集まるときにこれを話すと、わりと盛り上がる(笑)
やっぱりアラフォーは圧倒的に左携帯が多い。
私も例に漏れず・・・

黒電話か・・・懐かしいな。
呼び出し音が異常に大きかったよな。
友達は「子供はもうダイヤル式の電話のかけかたがわからん」と言っていた

なんか、自分が普通に高校くらいまで使っていたものが「古道具」みたいになってると思うと、ややショック。
年齢を実感させられた

「夜分にすみません」にこだわるのも、年寄りっぽいなぁ・・・
そうは思いつつも、営業の彼に怒ってしまったのだった。

プロの仕事

2011-11-15 22:40:21 | 仕事
今日、ふと、「本を読んでないな・・」と思った。
本当に読書量の減り方がすさまじい。
それと比例して、書く時間も減っているように思う。

でも、今はとにかく書くことに決めた。
短くても内容があまりなくても、とにかく毎日書く。

今日で3日目。
どこまで続くかわからないが、よろしければお付き合いを

今日はあまり調子がよくなかった。
心身ともに。

夫が2週間くらいずっと風邪をひいていて、
ひどくもならないのだが、咳が止まらず完治もせず。

ひたすらゴホゴホと咳をする人の横にずっといて、
生まれてこのかた、「うがい」ということをしたことがないので(歯磨きの後は別)
意地でもせずにいたが、全くうつる気配もなし

楽勝やと思っていたら・・・
なんか喉が痛いし、いやーな咳が出る。

この感じは・・・完全にうつってるやん!

まあ、私の中で風邪菌は3日しかもたないので、明日か明後日には治っていると思うが。
当然熱も出るわけもなく

今日もしっかりお酒、飲んでますがな(笑)

心の弱りは何かといえば、仕事の出来にあまり満足できなかったことかな。
大手メーカーのサイトに携わっていたのだけど、
いろんな人が関わってくる上に、ちゃんとディレクションをしてくれる人もいなかったので、
すごく無駄と修正が多かった。

関わった人たちはみんないい人たちばかりで、仕事もできる方ばかりなんだけど、
仕事のやりやすさって、そういうことじゃないんだなぁと思った。

私の関わらないところで大まかな企画が決まる。
取材時に初めてラフを見せられて内容を聞かされる。
それに沿って取材を進めるけれど、広報担当者と開発担当者がいて、
企画は広報担当者と決めているのに、実際取材する相手は開発者だから、ズレが出てくる。
仕方なく、せっかく決めていた企画をその場で微調整。
そんな状態だから、どうしても取材にもれがある。

でも、帰って得た材料でもう一度組み立てながらテキストを書く。
この後、直接、開発者とやりとりができればいいのだけれど、間には広報が入る。

仕事というのは、何でもそうだと思うが、できるだけ「直」がいい。
伝言ゲームみたいになると、無駄も多くなるし、ストレスもたまる。

広報が「これを入れてほしい」とまわしてきた情報もがんばって入れる。
だけど、それが開発からNGが出る。(というか、情報自体が間違っていたり)

でも、開発は「私」が書いたと思っている。
それがなんか自分の中ではすごくイヤ。
プライドが傷つく。
でも、「いや、あの広報の方の情報で書いたんですよ」と言い訳をする機会も手段もない。
かといって、広報の方が「これは私が出した情報なんです」とかばってくれているとも思えない。
(悪い意味ではなく、たぶんその必要性を感じられていないと思う)

結果、開発から広報を通して、びっしり「赤字」で修正された原稿が返って来た。
普段見慣れないだけに、この赤字はダメージが大きい
自分が書いたものを修正されるというのは、自分の存在が否定されたくらいのダメージがあるのだ

言い訳したい箇所もいっぱいあった。
「いや、これはこういう意図で・・・」と。
でも、直でやりとりできないので、それも押し殺して、とりあえず修正するしかない。

自分の書いた原稿がボロボロになって帰ってきて、
それを清書するときの、みじめな気持ちときたら・・・!

これは、そういうことを経験したライターじゃないとわからんやろな。
情けないやら、憤りやら。

結局、最後には開発の人が書いた文章みたいになってしまった。
あーあ、私の存在って、必要やったんかな、と思ってしまう。
これやったら、最初から開発の人が書けばいいやん、と。

でも、そういうと、「タタキがほしい」といわれるのだ。
不思議なもので、何もないところから物を作り出すのは難しいのに、
あるものをあーだこーだと変えるのは簡単なのだ。

いつも修正された自分の文章を見て思う。
「この『そして』だって、いろいろ考えて、文章のリズムを見て、やっと入れたのに」と。
そういうことは相手にはわからないから、簡単に削除されてしまう
その人にとってはたいしたことではないのだろうけど。

夫にぐちぐち言ったら、
「大企業はいろんな人の思いがありすぎて、どうしたってひっくり返ることが多いと思う。
 直接やりとりできたらいいけど、それもできないと難しいね」
と言われた。

大企業相手の広告マンらしい、意見だった

確かにお金はいいんだ。
こんなふうに憤りを感じても、もらえるお金は大きい。
大企業だから。
新卒のOLさんのお給料くらいのお金が、3日間くらいで手に入る。
自分の実績にもなる。
それは本当にありがたい。

だけどなぁ・・・と思う自分がいる。

これで、「だけどなぁ」と思うから、私はいつまでもしがないライターなんだろう。
でも、数千円のギャラでも、自分で書きながら涙が出るような仕事もあるのだ。

仕事って、ホント難しい。

時には、悔しさで奥歯をかみ締めて、震える手を押さえながら、
それでも書かないといけないようなものもある。

「私はそんなものは書きません!」と言えるプライドと勇気と信念がほしい。

悔しくて酒をあおって、それでも生きていくために、自分の文章を変えてしまう自分がいる。
それがプロだと思った時期もあったけど、今はそんな自分に疑問も感じている。
たぶん賛否両論あるだろう。
それは、その人の価値観。

NHK朝の連ドラの「カーネーション」。
洋裁職人としてがんばるヒロインの糸子が、「いくらでも金は出すからドレスを作れ」と言う踊り子に言った。

「うちの作るドレスはあんたには売らん!」

自分はプロの洋裁職人や。
いい加減な気持ちで踊るあんたにうちの作るドレスを着る資格はない。

自分と自分の作るものに誇りをもって「売らない」と言った。

ガツン

音がするくらい、やられた

もう忘れかけていた、野上弥生子の
「私は自分の書きたいもののほかは、いくらお金を積まれても、一文字だって書きません」
という言葉を思い出した。

真っ赤に修正されたワードの画面。
心を無にして、機械的に修正していく自分。

ただ、この仕事の報酬をほしいと思う気持ちは全くなくなっていた。

それに気づいたとき、
野上弥生子みたいには言えないけれど、まだ完全には腐ってないなと、自分にホッとした。

でも、今日は心身共にダウン。
なんだかしんどい1日だった。


ああ、憧れの北新地!

2011-11-14 23:38:21 | 美味しいもの
先週、仕事の取引先の方に食事に連れて行っていただいた。
それも、「前から言っていたように、ご主人と一度食事したいのですが」とのこと。
私だけでなく夫も誘ってくださった。

なんとか夫には仕事を都合してもらい、20時半に北新地集合。
連れていっていただいたのは、「川添」さん。
和風の料亭なのかと思っていたら、カハラ(北新地の有名フレンチ)で長年修業された方のお店だということ。
カウンターだけのこじんまりとした店構えで、和とフレンチを融合したような創作料理だった。

お料理はコースのみ。とにかく素晴らしかった。



この前菜の美しいこと!
琵琶湖のもろこや、牡蠣、北海道のししゃも、大あさり(牡蠣の後ろに隠れて見えない)などなど。
素材の1つ1つにこだわり、そのままの味を楽しもうというお料理。

ワインのボトルも開けてくださった。


こちらはさわらの燻製に、緑色のが菊菜のソース。
上品で、めちゃくちゃおいしい。



あれ?なんだっけ?(笑)


海老芋のスープ


お肉は、いろんな付け合わせが楽しかったな。
スクランブルエッグとか、トマトのキムチとか。


そして、シメは、本日のお魚5種類から好きなものを好きなだけ選んでごはんに乗せてくれる。
私はコハダと・・・あとなんだっけ?(笑)

このお料理の合間に、いくつか美味しいパンも出してくれて、とにかく満足のコースだった。

お店の方の感じもよく、とても気持ちよく食事ができた。
いいなー、北新地!
こちらのお店は、また特別なときにでも、来てみたいなぁ。
もっと稼いで、毎晩北新地で飲めるようになりたいもんだ(笑)

しかし、私がお仕事をいただくという立場でありながら、しょっちゅうご馳走になっている。
自分は本当に恵まれているなぁと実感・・・
いつもこれしか答えはないのだけど、とにかくいい仕事をしてお返しするしかない。

それに、私だけでももったいないのに、何の関係もない夫までご馳走になり、感動を通り越して恐縮!
でも、甘えさせていただこう。
ずっと前から「一度、ご主人と・・・」とおっしゃってくださっていたし、一度くらいは。

夫とも楽しそうにお話されていた。
こういうとき、うちの夫は感じがいいので助かる・・・

さすがに何か手土産でも・・・と思い、京都の長久堂で「鳰の浮巣(におのうきす)」を買ってきてお渡しした。

ついでにうちでも食べた



葛湯なんだけど、こんな形。
これをカップに入れる。


そして、お湯を注いでかき混ぜると・・・


こんなふうに、2羽の鳥が浮いてくる!

かわいいし、ちょっといいでしょ?
それに、葛湯もおいしい。
冬はほっこりする。

味は、プレーン、抹茶、こしあんの3種類。

ちょっとした手土産にもいいし、つがいの鳥だから、結婚の御祝などにもいいかも。


グレーゾーン

2011-11-14 01:18:53 | 想い
今夜は久しぶりに、真夜中に1人、グラスを傾けながらパソコンに向かっている。
「こういう時間」をもたないとあかんなぁと思う今日この頃。

年をとるにつれて怠惰になっていく自分を感じる。
35歳くらいまで、信じられないくらい働いても「しんどい」と思ったことがなかったし、
ついこの間まで何事に対しても「面倒くさい」と思ったことがあまりなかったように思う。
それが今はどうだろう、なんだかしんどいなと思うことも増えたし、たまにいろんなことを面倒だと思う自分に気づいてはっとする。
これは年齢による「衰え」なんだろうか?

最初に書いた「こういう時間」というのは、「自分を見つめる時間」という意味。

20代後半は本当に忙しかった。
寝る時間もないほど働いていた。
だけど、「毎日」日記を書いていた。
昔から読んでくれている人はそれを知っていると思う。
本当に、「毎日」書いていた。何年間も。

あのパワーと情熱は一体どこに行ってしまったんだろう?

見方を変えてみる。
あの頃は書くことが「はけ口」だった。
今は「はけ口」を必要としていないほど生活が充実している。
だから書く必要がない。
パワーや情熱がなくなったわけではない。

そういう考え方もできる。

どっちも誇張していないし、どっちも正しい。

こういうニュートラルな考え方は悪くない。
でも、とても私らしくない。
卑屈で偏って、とことん自分を追い詰める。
そういう生き方のほうが似合っている気がするなぁ。
本人は疲れるけど

一年を振り返るにはまだ少し早いかもしれないけど、
40歳という年齢だからか、今年は本当にターニングポイントだったように思う。
いろんな面で、いろんな意味で。

いろいろと悩んでいる。
誰かに話したい気持ちもある。
でも、友達に会うと言葉は出てこない。
隠すとかそういうことではなく、ただ安心して「もういいや」という気持ちになるから。

文章にするのはこんなにも簡単なのに、話をするのはどうして難しいんだろう。
いつもあんなにペラペラとくだらない話は出てくるのだから、もっと大事なことを話せればいいのに。

この間、もんちゃんとの旅の途中、ようやく本当の意味での「話」ができるようになって、
「ああ、これから」というときに、旅の終わりの時間が来た。
二人とも「これからやったのに・・・」という思いでいっぱいだった。

帰りのバスの中で思い出した。
「旅は3日目から」だったなぁ・・・と。

これは私が昔、気に入ってよく使っていたフレーズ。
旅に出ても1日目は日常が抜けない。はしゃいだ気分とお客さん的な気分とで終わる。
2日目は日常が抜けてくる。旅を楽しみ始める。
3日目から、非日常が訪れる。ルーティンワークをこなすような毎日から離れる。実質的にも、心も。

そこから自分を見つめることがようやくできるのだ。

まさに3日目、やっと非日常が訪れ、本当の「話」ができるようになった頃、終わりが来た。
「話したりない!」と二人ともが言った。「これからやったのに」と。

旅に出ても3日目からやのに、日常の中で私に「話」なんてできるはずもなく。
ここもいろいろと書きづらくなってしまい、心がまとまらなくなってしまった。

だからだろうか、最近はいつも悶々としている。
自分の中の整理ができない。

でも、今日は少し書いてみよう。
うまく書けるかわからないが、少し書こう。

1ヵ月前くらいだろうか、夫の実家へ行った。
その時、おかあさんが言いにくそうに、「おめでたらしいよ」と言った。
夫の兄夫婦のことだ。

「わー、よかったですねー」と私はすぐ喜びの反応を見せたのだが、話は全く盛り上がらなかった。
他の話になってしまったので、「で、予定日はいつなんですか?」と無理やり話を戻さないといけないほどだった。

気を遣ってるんだなぁと思った。
そんな必要は全くないのだが、そういう話をしたことがないし、おかあさんにとったらタブーな話なんだろう。
その気遣いはとても嬉しかったが、不必要でもあった。

帰りのバスの中で、なぜかビートルズの「イエロー・サブマリン」が流れていた。
何の脈略もない。思い出もない。関連性もゼロ。
なのに、ずっと好きでもない「イエロー・サブマリン」が流れ続けていた。
(紙の上なら、「好きでもない」に傍点を打ちたい)

このときの気持ちを一言で表すなら、「あちゃー」という感じだ。
正直、落ち込んでいた。
でも、それは、例えば義理のおねえさんには子供ができて、自分にはできないとか、そういう感情ではなかった。
前から書いているように、自分はどうしても子供が欲しいわけではないし、それに対して何か努力をしているわけでもない。
だから、昼のメロドラマ的に「なんであの人にできて、私にはできないのー!」みたいなのは微塵もなかった。

でも、落ち込んでいた。

いつもの分析癖で、なんで落ち込んでいるんだろうかと分析してみたら、答えは簡単だった。
「もう理由がないから」

お兄さん夫婦は、結婚して7年目。
義理のおねえさんは最初から専業主婦で、特にこれといって没頭する趣味があるとか、そういうわけでもない。
だから、失礼な話だけれど、たぶん子供が欲しくてもできないんだろうなーと勝手に思っていたのだ。
それは環境として「産まない理由」は見つからなかったし、年も私より4つ下くらいで結構な年だから、不妊ということも大いにありうると思ったからだ。

夫のおかあさんは夫を含めて3人の息子を生み、体が弱いのにここまで育てあげた。
それなのに、孫を1人も見ることができない。(もう1人のお兄さんはまだ結婚していない)
それはあまりにも気の毒だと私は思っていた。

おねえさんが無理なら私が生まないと!
これが、私が子供を生もうかと考えた一番の理由だった。

それが、「おめでた」だと聞いた瞬間、「あ、もう理由がなくなった」と思った。
もう誰のせいにも、誰かのためにもできない。
「自分」がどうしたいか?
それだけが選択肢の決め手になる。

私はそのことに落ち込んでいたのだった。

落ち込むというより、恐怖に近かったかもしれない。
もう逃げられない、もう自分で決めるしかないという・・・

イエロー・サブマリンがずっと流れていた。

悩んでいる時間はもうない。
タイムリミットはもうそこまできている。
答えを出さないといけないのに、私にはどうしても出すことができない。

白黒はっきりさせないと気がすまない私だから、
答えが出なくなって迫られる「選択」はとても苦手だ。
昔も一度、別のことで「選択」に悩んだことがあったっけ。
世の中で一番嫌いなことがこの「選択」という作業だ。

グレーでいるのは気持ち悪い。
かといって、白黒もはっきりできない。
この感じが一番しんどい。
だから、最近落ち込んでいるんだろうなぁ・・・

でも、私は絶対に考えることから逃げたくない。
考えに考えて、それで出した結論だったら、どんなことになっても後悔しないと思うから。
昔、「いーーーーっつも何か考えてますよねー!」と、相場さんに言われたっけ(笑)

でも、自分の信条として、「反省はしても、後悔はしない人生」というのがある。
いつも100%で、ひたむきに、真摯に、できるだけのことをしたら、反省はしても後悔はしないだろうと思っている。
これまでもそうだった。山ほど失敗はあるけど。

それに、ちょこちょことだけど、友達に話をする中で、少しずつだけど心がまとまりつつもある。
プライベートすぎて書けない話もあるので、書けることだけ。

ちょっと前、ふみことあやと飲みに行って、その帰りにふみこと二人で立ち話をしていた。
だいたい上に書いたようなことを初めてふみこに話した。
「みんな不安だ」という経験者の話や、ふみこらしい冷静な判断をもらえた。
もう少し深く考えてみようと思えることがいろいろとあり、考え方が少しステップアップした。

もんちゃんとの旅の途中、もんちゃんが言ってくれた言葉も嬉しかった。
私が子供を生んだら、「絶対子育てがうまいと思う」と。その姿が容易に想像できると、言ってくれた。
私も子育てについての不安というのはないのだ。
もちろん、その子の性質もあるのだろうけど、私は、自分が母に育てられたように育てればいいと、単純にそう思っている。
感謝することも、物事の善悪も、美しいものを愛する心も、「教育はお金には変えられない財産」という考え方も、今私の核を作っている全部が母の教えだから。
学歴なんて捨てて就職活動もせずに「作家になる」と言った私を何の躊躇もなく応援してくれたのも母だった。
(無邪気に「早く直木賞とって!」といわれるのは困ったが・・・)
人の道にそれたことでなければ、私がやりたいことを絶対に否定することはなかった。
少ないけれど「好きな自分」というのは、全部母の影響を受けた自分だ。
だから、それを同じようにやればいいと、そう思っている。
でも、これは私の勝手な思いだったから、もんちゃんに肯定されたのはとても嬉しかった。

結局、私が悩んでいるのは、子育てではなく、その子の存在なのだ。
でも、それも、随分と楽になる言葉をかどやがくれた。
夏くらいだったろうか。
二人でワインボトルを2本あけた夜。

私は、自分が好きじゃなくて、いろんな劣等感で生きていくのがずっとつらかった。
でも、友達やいろんな人のおかげで、なんとか今幸せに生きている。
私はなんとかやってこれた。
だけど、私の子供はそうじゃないかもしれない。
「私は、私みたいな子が生まれるのが怖い。私はなんとかやれたけど、その子はわからない」
私はそう言った。
40歳にもなって、まだ自分のことで悩んでいて、自分のことで精一杯の私。
ただでさえ感情移入しやすいのに、そんな自分の分身みたいな人間がそばにいたらもう無理だ。

「私みたいな子が生まれたら、かわいそうやん・・・」
私のこんな言葉に、かどやが言った。

「じゃあ、その子には、また私みたいな友達ができるやん!」

あ・・・・?

一瞬、なんだかわからなかった。
だけど、その後、涙がボロボロこぼれて、お店だというのに止まらなくなってしまった。
(ワインボトル2本も大いに効いている)

「そんなことないよー」とか「なんとかなるよー」とか、そういう言葉を想像していたのに、意表をつかれた。
そうか・・・私みたいな子が生まれたら、その子には、またかどやみたいな友達ができるのか・・・
何の確信もない言葉だったけれど、なんて心強い言葉なんだろうかと思った。
やっぱり、すごいなぁ、この人は・・・と思った瞬間だった。

いろんな人に少しずつだけど機会があれば話もして、言葉をもらって、考えている。
答えはまだ出ない。
グレーゾーンの、一番しんどい時間。

でも、絶対に後悔しないよう、何が何でも考える。

とりあえず、今書けることを書いた。
次に会って、何か言葉があったらください。

ハラヘリ恐怖症

2011-11-10 12:43:31 | 生活
昨日は、某エアコンメーカーの広報チームとサイトの打ち合わせ&ヒアリング。
6人ほどで集まって、いろいろ大事な話をしていたら、

突然、

きゅーるるるるる・・・・・きゅーるるるるるる・・・

と、長い長いおなかの音が

誰も何も言わない。

またしばらくすると、

きゅーるるるるる・・・・・きゅーるるるるるる・・・

長い長い・・・20秒くらい。

またシーンとする。何事もなかったかのように・・・。

打ち合わせは順調に進み、なんとかまとまったので、「明日コピー出します」ということで終了。
意外に時間がかかり、なんと5時間。
もう外は真っ暗だった。
ちょっとした疲れを引きずって、ディレクターのOさんと一緒に駅まで向かった。

「疲れましたねー」
「でも、充実してました」
なんてたわいもない会話をしながら歩いていたら、Oさんが言った。

「そういえば、誰かめっちゃおなかすいてる人いましたね」

ぎくぅ!

「なんかすごいおなかの音が聞こえてませんでした?誰やろ?」

ぎくぎくぅ!

「あのー、実はあれ、私なんです・・・

「ええっ!! めっちゃおなか鳴ってましたやん!」

「はい。私です・・・」

恥ずかしい。めっちゃ恥ずかしい。
いい大人の女性があんな長い長い長いおなかの音を深刻な打ち合わせ中に2回も!!

誰か「あ!おなかすいてる人いますね!」とかその場で言ってくれたら、
「いや~、私です。すみませーん」なんて言って、その場を笑いでごまかせたのだが。

ただシーンとして、皆が聞かないふりをしていた。
あれは本当につらかった。
しかし、一番離れていたOさんにも聴こえていたということは、全員に聴こえていたってことだな・・・

結局、「おなかはすいてなかったんですけど。なんでかな・・・」
と、どうでもいい言い訳をして終わった。

こういうことがあるから「ハラヘリ恐怖症※」を克服できないのだ。

※ハラヘリ恐怖症……長時間ごはんが食べられないため、お腹がすいて何らかの支障が出るのではないかと恐れ、
出かける前に異常なほど食物を詰め込んでしまうという病気。(民明書房刊『身近なココロの病』より)