晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

我が家から青空高く偲ぶ日々

2016-10-13 10:58:40 | 日記
自宅を一歩出たら、空の高さに思わずiPhoneでカシャ!今年も秋が名古屋の街中にもやって来ました。
同時に、改めて気付いたのが、外壁の汚れです。我が家(竹山秋英建築設計事務所)も築15年、そろそろ色々なところに不具合が生じてきました。

この我が家を建てた頃、当時まだ私も40歳代であり、娘たちも中高生となっていたので手がかからず、体力も意欲も満々でした。夏はトライアスロン、冬はスノーボード、夏・冬・春休みはバックパッカーとして世界中をぶらぶら散策するなど、まさしく贅沢な人生を謳歌していました。その頃、世の中はバブル崩壊後の建設不況の真っ只中、注文住宅建設は驚くほど安くできました(大手住宅メーカーとほぼ同額!)。

父親の仕事の所為で、幼い頃から賃貸の集合住宅暮らしが長かった自分にとって、戸建て、それも既製のものではない住処は夢でした。そんな日々の中、バブルで住んでいたマンションが高く売れるなど幸運に恵まれ、3世帯同居の注文住宅を建てることになりました。注文住宅の雑誌を手当たり次第に見たり、知り合いを通じて複数の建築家や設計士の案を検討したりしていましたが、いま一つ納得できないままに時間が過ぎて行きました。
ある日、雑誌の中にかなり斬新な設計の家を発見、その建築家の事務所が名古屋市内にあったので、そのまま本屋から直行しました。その日のうちに予定敷地までおいでくださり、数日後、幾つかの案を示してくださいました。私が一番好きな案を指差すと、先生はニッコリして、「その案は私自身が考えました。他のは別人のものです」。

かくして”お見合い”が目出度く成就し、さあ、いよいよだ!と思ったのですが、それからが大変でした。施工業者を複数社で入札することから始まり、事前はもちろん、建設最中も毎月三者会議(施主の私、建築家、施工業者)を開き細部まで検討・話し合いを繰り返すなど、結局トータル1年半以上かかりました。でも、会議に出て来るのは若い人たちで、いつもみんなでわいわいと建築談義に花を咲かせたり食事を共にしたりして、一つの作品を文字通り「こつこつと積み上げるように」作っていきました。

みんなの思いが力になったのでしょうか。おかげで2001年11月に入居でき、思わぬ「中部建築賞(住宅部門)」の栄誉も授かりました。竹山先生にとっては2作目の受賞作品でした。

注文住宅は色々と住むには不自由な面もあります。何よりすべてが独自のものですから、修理保善に思わぬ費用がかかったり、業者さんの手配が遅れることもままあります。夏暑く冬涼しい!といった四季も、家の中で味わえます(笑)
しかし、お金をポンと出して、さあ、作れ!といった姿勢・態度では生きた家は完成しません。あの頃、みんなで知恵を絞り、力を合わせて家を作った実感が、其処に関わってくれた人々の表情と共に今でも浮かんできます。
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