Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

由緒正しき温泉(バート・キッシンゲン)

2008-08-19 18:18:40 | ドイツ
すっかり暑さが戻ってしまって・・今日は昼間外に出たらまるで『暖房』をしているような感じ。もういいよ・・

そうえいば今朝のニュースでTGV(フランス新幹線)ニース線が最高10時間遅れとか。途中で架線が切れてしまったからとのことだったけれど、この乗り継ぎで飛行機で移動なんて考えてたら大変だね。と思ってしまった。
払い戻しはクーポン券だとか。つまりフランス鉄道でしか使えないってやつよね。2度と乗る機会のない外国人には紙切れどうぜんか・・なんてね。
まあ、こういこうとに巻き込まれないのが一番ですね。でも、これも運か・・

○6月29日(日)

音楽会のチケットを求めてバート・キッシンゲンBad Kissingenの町なかを彷徨い歩くkおばちゃん。本人は『探検』&『散歩』だとおもってましたけどね。

ようやく広い通りに営業中のカフェと、人影が・・とりあえず行って見ましょ。

『ラコッツィRakoczyと言う名前のレストランのよう。

そういえば、このバート・キッシンゲンの薀蓄を前に友だちから聞いたことがったのを思い出した。
このバート・キッシンゲンはドイツの中でも最高の格式を誇る温泉・保養地だったとか。湯治客にはオーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇后(シシ)、シシの従姉妹のルートヴィヒ2世、ロシア皇帝アレクサンダー2世、鉄血宰相ビスマルクも常連だったとか。その他にもトルストイ、バーナード・ショー、さらに月面着陸のニール・アームストロングだって来てたとか。蒼々たる面々!・・だったのね。

タキトゥスればにここの場所は、『ザーレ川の塩泉を巡ってカッティ族とヘルムンデゥーリー族が争った』と記述されているとか。そして801年には“Chizzicha”と言う名が記事のなかにみられるのがここのバード・キッシンゲンの始まり・・と思われるらしい。
しかし、この温泉が温泉として有名になったのは、18世紀半ば過ぎで、そのころの領主だったヴュルツブルクの大司教は温泉好き。そしてそのころ新たに源泉も発見されたとか。
そして、その新しい源泉はラコッツィと名前づけられたとか。
でも、このラコッツィと言う名まえはあの『ラコッツィ行進曲』で有名なハンガリーの農民蜂起の指導者から『あやかって』名づけられただけで、ご本人は関係無いそうである。

それ以降このバート・キッシンゲンの『ラコッツィ』という名前は一人歩きしてしまっているようで・・ラコッツィ祭りなるものも毎年催されているようだけれど・・内容は元祖ラコッツィ氏とは全然関係ないようだ。

レストランの名まえについていても・・当然ですね。
出もよーーくみるとガラスのドアーに

『20:45からサッカー(フットボール)の最終戦のライブ有』の手書きの文字が・・
ああ、そういえば今日はユーロカップの最終戦でドイツ対スペインだったよな・・なんて思い出したkおばちゃんです。

この通にはさすがと言うわけでもないけど、

そうkおばちゃんの大好きなドイツのブランドショップが店を出しておりました。
やはり高級温泉保養地なのね・・なんて変に納得したりして。それにしても・・気になるのはウインドウに書かれている手書きの『30%引き』の文字!!・・・なんで今日は日曜日でお休みなのよ!!とほざいていたkおばちゃんです。
ま、無駄遣いしないですんだけどね。

そんなものを見ながら街中を歩いていたら・・なんだか一段と人の気配のする一角が出現!公園のような・・それが冒頭の画像の先右側!
もう、このころにはインフォメーションの存在はkおばちゃんの頭のなかから消え去ってしまって、ただの『物見遊山』になってました。

さて、あそこはいったなんでしょうね?
コメント
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