月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

頑張りどころを見極める。

2017-02-13 | 想い
先日、取材したベンチャー企業の若き31歳の社長がこう言っていた。
「仕事において大切なのは“プロとして”という姿勢。100点は当たり前で、プロなら101点、102点を目指すべき。1点でもいいからプラスできるように、より完璧なものを目指して努力したい」

2014年と2015年の2年間、その101点を目指す余裕が私にはなかった。
もちろん100点は目指してきた。
でも、本当は100点を超えた「プラス1点」を目指す中に、その仕事の本質的な面白さがあるんじゃないだろうかと思った。

2016年、病気になって半年ほど仕事を休んで、ようやく自分の「老い」を認められた。
ずっと20代と同じような記憶力、理解力、構成力で原稿が書けると思っていたし、いつも元気で体力もあって、多少眠らなくてもハードな生活でも、自分の能力は何ら変わらないつもりでいた。
40代になっても変わらないなんて、「決してそんなはずはない」と頭のどこかではわかっていながらも、老いをはっきりとは認めたくはなかった。いつも“やれる自分”でいたかったのだと思う。

でも、老いを認めて、今の自分が気持ちよくできる仕事を取捨選択していくようになったら、とても楽になった。
100点を超えた「プラス1点」を目指すような仕事ができているから、とても楽しい。
前はただ「100点のもの(高品質のもの)を書こう」と、クオリティを上げることだけは妥協せずに書いていたが、今はそこに“自分らしさ”であったり、“味わい”であったり、何かあと1つプラス肉付けできる余裕ができたと思う。
ここはちょっとドラマチックに書いてみよう、とか。
書き出しを映画のワンシーンのようにしてみよう、とか。
そして、実はそれこそが、「文章を書く」という本当の楽しさであったことを思い出したのだ。

「老い」と書くと、マイナスなイメージをもたれるかもしれないが、私が主張しているのは特別な「老い」ではなく、普通に、「45歳ってこんなもの」ということ。
体力も記憶力も確実に低下している。
でもそれは、決して悲しいことでもみじめなことでもない。
きっと悲しいのは、それを認められなかった自分のほうだし、みじめなのは認められずにムチャをして倒れた自分のほうだ。
自分をきちんと見つめて、認めて、一番気持ちよく楽しく暮らせる方法を考えることが大切だと気づいたのだ。

取捨選択はとても大事だと思う。
もう7、8年は続けていた某大手家電メーカーの広告コピーの仕事を、ついに断った。
依頼された今回の案件は受けたが、「これで最後にしたい」ということを話した。
理由はいろいろあって、それをきちんと誠実に伝えた。

広告の仕事はあまりやってこなかったし、クライアントが誰もが知るメーカーということもあって、自分の実績作りのために続けてきたけれど、やっぱり自分は広告コピーを書くことが好きではない。
わかっていながらも手放す勇気はなかったが、今回、いつも重荷になっていたこの案件を手放したことで、とても気持ちが楽になった。

私が頑張るのは、そこじゃなくていいはずだ。

どうしても出張があったり、いろんなところから依頼があるので一定期間に集中してしまったりと、会社勤めの人のように規則正しく仕事をするのは限界があるが、それでも今はできる限り週休2日をキープし、1日8時間労働くらいの仕事量に調整している。
もちろん夫と家計を折半して、自分1人で暮らせるくらいの収入(ギリギリだけど!)は確保しつつ、だ。

そうすると、先に書いたように、「プラス1点」を目指す余裕ができた。
文章を書くって楽しいなぁとしみじみ思いながら、次はこう書こう、ああ書こうと、創意工夫ができるようになった。

こんな当たり前のことが、失われていたんだなぁ。

決して頑張ることをやめたわけではなく、「頑張りどころ」を間違えないようにしていきたい。
手放した分、今ある仕事の「プラス1点」を目指したいし、勉強もしたいし、将来の糧になるものを書いていきたい。
大学卒業の時、「自分のペンで食べていく」と決め、なんとか(奇跡的に!)この20年はそれが実現できた。
10年後も書いていたいし、自分のペンで生活していたい。
そのためには20代と同じように頑張るのではなく(無理だし!)、「頑張りどころ」を見極める時期なんだろうと思う。
まだ模索中だけど。
今年はゆっくり、それを探していきたい。

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