月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

今は修復のとき

2017-05-18 | 想い
最近、自分の周りに「店をやる(やりたい)」と言う人が多い。
実際にオープンした人もいれば、かなり具体的に動き始めている人もいる。

ふと自分も50歳くらいでライターの仕事に区切りをつけて店をやりたいなぁと思っていたことを思い出した。
日本酒とウイスキーにこだわり、週末はブルースのライブをやるブルースバー。
酒のアテにぴったりな私のおばんざいをいくつかカウンターに並べて。
そんな店を夫とできたらいいのになと思っていた。

そう・・・。
「思っていた」のだ。もう過去形。

しばらくそういう気持ちを思い出すのに時間がかかるほど、はるか遠くに行ってしまったささやかな夢だった。
「あきらめた」とかそういうことでもなく、「忘れていた」。
思い出してみて、「チャンスがあったらやりたいかな?」と真剣に考えてみたが、どうにも心は動かなかった。

たぶんあの頃は「50歳でライターをしている自分」というものをリアルに思い描くことができなかったのだと思う。
それよりは店でもやっているほうがリアリティがあった。
もちろん、ライターをやめたかったわけではなく、「こんな暮らし、長くは続かない」と、そう思って継続をあきらめていたようなところがあった。

でも、すでに40代後半にさしかかり、明日はどうなるかわからないとはいえ、まだしばらくはライターとしてやっていけそうな気配はある。
また、周りの年上のライターさんたちも普通に活動しているので、「そうか、50歳でもライターという職業は成り立つんだ」と思いなおした。

ガンが完治してからは、仕事を断るでもなく、営業するでもなく、依頼された仕事をぼちぼちとこなしている。
普通に、人が一人生きていけるくらいは稼げるものの、以前なら、情緒不安定になるくらいの仕事量だ。
前は仕事をしていないと、不安で不安でたまらなかったのに、今は不思議なくらい落ち着いている。

昨年までは自分の心が潤いをなくして枯渇していたにも関わらず、ひたすらアウトプットを続けていた。
いつも何かに追われていて、とても苦しかった。
仕事がイヤだと思ったことは一度もないし、取材も書くことも楽しかったけれど、同じくらい苦しかったのだと思う。その「苦しさ」をうまく説明はできないけれど。

今は、これまでの渇きを潤すように、ひたすらインプットを続けている。
キャンプに行くこともそう。
私はもともと「旅」が好きで、貧乏旅行ばかりしていた。
旅をしたくて、日本全国を取材でまわれるようなライターになったくらいだ。(最初は「旅ライター」を目指していた)
いつも旅へ出ると、1つ物語が生まれた。
それなのに、いつの間にか、旅はインプットをする場ではなく、日頃の疲れを癒すためのものに変わってしまっていた。

最近、キャンプに行って、自然の中で寝泊りして、焚き火の炎を見て、ついでにその土地を観光してまわると、昔のことをよく思い出す。
昔の、旅をしていた頃を。

決して快適とは言えない寝心地のテントとシュラフがそうさせるのだろう。
暑かったり、寒かったり。
大風でテントの天井が目の前まで落ちてきたこともあったし、イタチ(?)が中に侵入してきたこともあった。
そんなちょっとしたことが楽しくて。快適じゃないのに、やみつきになる。
忘れていた私の心の中のどこか、とても純粋な部分が揺さぶられる。

これまで、頭でいろんなことを考えて考えて考えて、分析して、不安になって、自分を変えようと頑張って、またくじけて、憂鬱になって、人とぶつかって、また落ち込んで、考えて考えて考えて、もうこれ以上考えられないくらいになって、酒を飲んで仕事して。
そうやって、ぐるぐる同じところをまわりながら、自分の表面を痛いくらいこすって、内面はつつきまくって。
プライドと劣等感との狭間で、いつも悶えていた。
「何者かになりたい」のに「何者にもなれない」自分を、いつ、どうやって、どのタイミングで認めればいいのかわからなかった。

それが原因でガンになったとは言わないけれど、ためこんできたストレスが多少は病気を引き起こす要因にはなったと思う。
ガンを取り除いたとき、私はそいつを「悪いやつ」だとは思えなかった。
手術の前夜、自分の取り除かれる細胞に「ごめんね」と謝っていた。(たぶん変人だと、その日のノートに記している)
これまでの自分のストレスを全部そいつ(ガン細胞)が背負い込んでくれたような気がしたのだ。
全部全部、そいつが私の中から持って行ってくれた。犠牲となって。

だから、いろんなことが生まれ変わった。髪の毛だけでなく。
今は修復のとき。
枯渇していた自分を潤すときだ。

「何者にもなれない」自分を認めたとき、残ったのは「書きたい」という気持ちだけだった。
ただ言葉と向き合っているときが幸福で、私はそれだけでいい人間なんだなぁと実感する。
コンプレックスから解き放たれて、とても心穏やかに自分やまわりの人と付き合えるようになった。
そうすると、言葉が自由に動き始めた。

まあ、5年後はともかく、10年後もライターをできているのかは謎だけど、どんなカタチでも書き続けていられたら幸せだなと思う。
(ブルースバーやってたりして・・・)
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