FORZA世界史inBLOG KANTO

世界史の復習をサポートするブログです

フランス革命はいつから始まったのか 一橋大学入試問題から

2017年06月17日 | 高3用 授業内容をもう一度
1787年に名士会が開催されました。名士会は全国三部会が開催されていなかった時代に国王の諮問機関として機能していました。
87年に名士会が開かれると、ルイ16世の政治運営に対する不満が湧き出しました。
財政再建として重農主義への転換が提示されたからでした。
この時期、重商主義は行き詰まっていました。というよりも収入に対して財政支出があまりに大きかった。
そこで貴族が持つ免税特権を廃止したり貴族年金を削減する政策が求められたわけです。この政策を説くのが重農主義者です。
名士会は特権階級でも最上位の人々で構成されます。いわゆる宮廷貴族です。

名士会の貴族の一部はルイ16世に対して反発し全国三部会の開催を要求しました。
これは「貴族の反乱」でしょうか?「革命の始まり」でしょうか?

このことを考えるには、そもそも「革命とななにか」を考える必要があるのだ、と一橋大学は高校性に言います。
しかしなかなか難しい。
つまりイギリス革命との比較をせよ、といっているのです。

革命とは、アンシャンレジームを崩壊させること
革命とは絶対王政を崩壊させること

この2つの立場があります。
イギリス革命を「革命」とする立場は、後者になります。絶対王政を崩壊させたが特権階級は生き残った。これがイギリス革命の独自性です。
アンシャンレジームを崩壊させるとは、体制(レジーム)そのものを覆して、特権階級を政権の中心から押しのけることです。
こうして考えると、「革命」といってもかなりの違いがあることがわかります。

以上のことから、「革命」を「絶対王政の崩壊」と考える立場にたてば、1787年の「貴族の反乱」は「革命」になります。
結果から見て、フランス革命によって絶対王制は崩壊しました。
この点から、つまり、絶対王政を崩壊させ最終的にはアンシャンレジームをも崩壊させるけど、
絶対王政を崩壊させた最初の出来事は名士会による全国三部会開催の要求であり、このことで次の革命を引き起こす糸口になったと考えることができます。
貴族による革命です。
この考え方は「複合革命論」につながります。つまり最初の動きが次の革命を生み出したのだから、様々な人々によって革命は構成されたのだ、という考え方です。
貴族革命が次のブルジョワ革命を引き起こした。そしてブルジョワ革命が次のサンキュロット革命を誘発した。
このように幾つかの革命が連鎖しあってフランス革命が進んだという立場です。

しかし。「革命」を「アンシャン・レジームの崩壊」という立場にたてば、1789年のバスティーユ襲撃事件からが「革命」とよぶべきです。
1787年の名士会における反発は、決してこのことによってアンシャンレジームが崩壊するとは思えません。
まさにイギリス革命と同様の結果にとどまったはずです。つまり特権階級が生き残ります。
アンシャンレジームの崩壊とは、特権階級の消滅を意味します。
あるいは、特権階級に替わって、努力してのし上がっていった人々(ブルジョワジー)が政治に関与できる新しい「体制(レジーム)」を作り出したということです。

世界史の教科書では、複合革命論を示しながらも、1789年をもってフランス革命の始まりとします。
1787年の名士会における全国三部会開催要求は、それまで課税承認権を否定されていた特権階級が初めて約170年ぶりに国王に反発した「貴族の反乱」として扱います。


ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« イギリス革命は独特な革命と... | トップ | スタディ・スキル »
最近の画像もっと見る

あわせて読む