西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

プラモデル作りが役立って

2017年02月23日 | 医療の仕事
  
子供の頃のプラモデル作りが役立って 
今の小学生の男の子たちはどうか知らないけれど、私が少年の頃はおまけ付きグリコキャラメルというのがあって切手だったりちっちゃなプラモデルだったりが入っていた。今から思うとささいなことですがお菓子を買う楽しみの一つがそのおまけだった。 
私は飛行機が好きだったのでおまけの箱に飛行機が入っていると嬉しくて結局10数機集めたと思う・・・・・そこから発展して少し小さな、それこそ手のひらに載るようなプラモデルを何回か買った。 少年のことだから昔の軍用機に自然と目が行って「 零戦 」とか「 隼(ハヤブサ)」、「 雷電 」、「 紫電改 」、「 彗星 」 などと名前の付いた戦闘機を作ったりした。 いまでも覚えているけれど 「 零式艦上観測機 」 というフロートがついた水上複葉機が気に入ってかなり大きくなるまで机のスミに残っていた。 濃緑色の機体に白地に赤の日の丸がついていて旧式の複葉飛行機だけど何となくかわいいながらも風格があって好きだったのに何度かの引っ越しでいつの間にか捨てられてしまっていた。 
 
去年の暮れにカラオケに行った話を載せましたが、その時にいたお客さんのひとりが ”ちょっとやわな唄が続いたようですので日本の唄を歌います ” とかいって 「 暁に祈る 」 とかいう軍歌を歌ったのです。 その人が歌っている歌詞が映る動画に 私が少年の時に作った「 零式艦上観測機 」 という飛行機が出てきました。 昔のモノクロ映像ですがまさしく本物で、軍艦からカタパルトという装置で甲板なしでも飛び出していく映像が出ていた、 「 あぁ、あの時の飛行機だ 」 と思ってジッと見入ったのでした。歌った人は自分の父親が昔 海軍にいたとかで、親が歌っていたとかで歌ったらしいんですが僕には飛行機の映像が珍しかった・・・・少年の頃に作ったプラモデルの飛行機。 定宿にしているホテルで2/22の夜そんなことを思い出していた 
 
今日(2/23)全く久し振りにTさんが奥様に伴われてヨタヨタ歩行で受診に来られた。 
”先生、89歳だから仕方ないんですけど主人は脚が弱ってしょっちゅう転ぶようになりました、若い頃は零戦に乗っていた人なんですよ何とかなりませんか ”・・・・と。 なんと、”零戦 ” という響きも私の少年時代のプラモデルの響きだ 、ビックリして ”Tさんの年だったら今でいえば中学卒業してすぐ飛行兵志願するようなことだったんじゃないですか ” というと ” じゃんど、そえな時代じゃったでなあ( そうです、そんな時代でしたから )” と典型的な鹿児島弁で言われた。 私の少年時代にはたくさんいたコテコテの鹿児島弁を喋るおじいちゃん達も少なくなっていることに気付かされると同時に 若く元気ハツラツだったであろう時代の面影がその人に残っているのにちょっとほほえましい気がした 。 
奥様はおとなしく控えめだけどちゃんとご主人のことを心配されて何とか元気になって欲しい-と気遣っておられるが、当の本人は ”ワイヤだまっちょれ( お前はだまっていろ )” と・・・なかなかの亭主関白ぶりだ・・・・身体は弱っているのになあ(smile)  結局 介護保険を申請して認可がおりたらパワーリハビリをすすめます・・・と話した。 私が少年の頃に「零戦」の模型を作ったことも話をしたのだった。 久し振りに 「 薩摩隼人 」 を思わせる人に逢った気分だ、こんな人には長生きしてもらいたい
 
 
 
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