西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

ヨーデリング・スリム・クラーク ジミー・ロジャースを歌う

2022年08月27日 | ジミー・ロジャースを歌う


Yodeling Slim Clark (1) 
米国盤 Palomino Records PAL-300 Yodeling Slim Clark Sings The Legendary Jimmie Rodgers Songs

(1)Moonlight & Skies (2)Mother, Queen Of My Heart (3)In The Jailhouse Now #2 (4)Away Out On The Mountain (5)Never No Mo' Blues (6)Yodeling Cowboy (7)Daddy & Home (8)Waiting For A Train (9)Desert Blues (10)T For Texas (11)My Little Lady (12)Peach Pickin' Time In GA.


今も昔も流行だけを追っかけていては決して出逢えないカントリー歌手がいます。私にとっては Yodeling Slim Clark (1917~2000年 マサチューセッツ州出身 )もそうした一人でした。カントリーヨーデルやカウボーイ・ソングの好きなファンの間で名前は知られていても、彼のレコードが全て弱小のマイナーレコードであったため日本では全く発売されたことはなかったようです。
僕自身初めてスリム・クラークの写真とレコードにめぐり合ったのは1975(昭和50)年頃でした。何かの機会にスリムがジミー・ロジャースを歌うLPレコードを出している・・・・と知って矢も立てもいられず 苦心惨憺してアメリカのカントリー通販カタログを取り寄せて彼の中古LPレコードを数枚注文したのでした・・・・その中の1枚が Palomino Records ( フロリダにあった )が1966( 昭和41)年に出したというこの 「 Yodeling Slim Clark Sings Jimmie Rodgers 」 です・・・・だからとても思い出深いレコードです。
スリムはカントリー歌手というよりはほとんど Cowboy Singer といってもよいくらい歌う唄の内容は Traditional Cowboy Song やアメリカ西部に関するものばかりです。ヨーデル入りの生ギターの弾き語りで、昔からのスタイルを堅持しているという姿勢がジャケット写真にも現れているように思います。アメリカのカントリー、カウボーイ・ソングの奥の深さを知ったのもスリム・クラークを知ってからでした。

ところでこのレコード、音的には全曲生ギターの弾き語りとヨーデルで ジミーの曲に忠実に歌っています。本来が Cowboy Song を主体に歌う地味なスタイルの人なので劇的な音作りを期待すると失望・・・・ということになるので誰れにでも奨めるというわけにはいかないのですが、僕はスリム・クラークのかたくななまでのこうしたスタイルを好ましく思っています。 どこかのレコード会社が CD 化してくれてより多くの人に聴けるようになるといいなぁ・・・・と思っています。 Yodeling Slim Clark については後日詳しく述べてみる予定です・・・・とりあえずジャケットの解説訳を載せておきます。

・・・・・・・・・「 スリム・クラークは現在でも活躍している数少ないアメリカの正統派 Cowboy Singer のひとりです。彼の歌う American Cowboy Song の数々は世界中の人々の心の中に生き続けているものです。 このアルバムではスリムは伝説のジミー・ロジャースの歌12曲を披露してくれていますが、12曲全てを彼自身のギター弾き語り-Slim Clark Style -で演ってくれます。 これはファンの人達が彼のそうしたスタイルを望んだので モダンなサウンド作りを避けて要望に答える形にしたんだそうです。
ジミー・ロジャースの歌はこれまでも多くのカントリー歌手にレコーディングされてきましたが、ジミーのオリジナルに忠実な形での録音は見受けられませんでした。ジミーの死から30年たってもジミーが残した数々の歌そのものへの関心は続いていました。

” Waiting For A Train ( 汽車を待って )” という曲はこのアルバムの白眉ですが、あたかも故郷を遠く離れた孤独なカウボーイが家に帰ろうとする様を put off a train in Texas として言い表わしているようにも感じられます。
” Yodeling Cowboy ” ( スリムのテーマソングでもあるそうです ) はギターを持った気ままなカウボーイの道中のことを歌った唄です。
” Daddy & Home ” は今まで書かれた中で最も悲しいカウボーイ・ソングのひとつでしょう・・・・スリルを求めて家を出て放浪の生活を送ったものの、時が経ってそんな生活に疲れ、今は亡き父親と過ごした子供時代に思いを馳せる・・・・という内容です。
” My Little Lady ” と、 トランプギャンブルはしないという母親との約束を破った男の後悔の念を歌った ” Mother, Queen Of My Heart ” という曲ではスリムの素晴らしいヨーデルが映えるものになっていて これまでも多くのカントリー歌手が採り上げていましたが スリム・クラークのような true style のものは有りませんでした。
その他の曲も聴いていただければ素晴らしいものと確信できると思います 」・・・・といった内容が書いてあります。

古いスタイルのカントリーを思わせるこのようなジャケットが僕は大好きです。 
 
今回新たにジャケットの裏表紙も載せました 

*2007(平成19)年10/7の古い記事です、しばらくしたらまた元に戻す予定です

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Billy Walker ジミー・ロジャースを歌う

2022年07月22日 | ジミー・ロジャースを歌う

Billy Walker ジミー・ロジャースを歌う

 

ビリー・ウォーカーという人は往年のカントリー歌手です。レイ・プライス、マーティ・ロビンス、レフティ・フリゼル等アメリカ・コロムビアレコード社が誇るカントリー&ウェスタン部門を構成する一人でした。でも日本ではそんなに知られているほどではなくて今では忘れられた歌手といってもいいでしょう。 私の中では Billy Walker と “ カントリー・ミュージックの父 ” と呼ばれる Jimmie Rodgers(18971933年 ミシシッピ州出身) との関連性についてピンときません……でもこの2005年発売のCDアルバムの中でジミー・ロジャースの代表的な曲を歌ってくれています。そうすると彼もまたジミー・ロジャースの歌に影響を受けた一人だったんだろかな……と推定できます。

ビリーはテキサス州出身(1929=昭和4)年生まれで2006(平成18)年に交通事故で亡くなっています。小さい頃にジミーの歌を聴いたことがあるのかも知れないですが・・・?

さてCDの解説を訳してみると……「ビリー・ウォーカーのカントリー・ミュージック歴は実に50年にわたっています。1954(昭和29)以来私達に The Tall Texan と呼ばれて知られたビリーは60曲もの曲がヒットしています。そのうち13曲がトップ10内のヒットでした。1960(昭和35)年にグランド・オール・オープリーに初めて登場、そして今なおオープリーのファンに常連歌手として親しまれるひとりなのです。1962(昭和37)年にNo.1ヒットになった " Charie's Shoes " はビリーの代表曲で、百万枚以上売れてトップ100ホットカントリーシングル曲のひとつに選ばれているほどです。他にも1964(昭和39)年のNo.2ヒット曲 " Cross The Brazos At Waco "、1966(昭和41)年のNo.2ヒット ” A Millon And One “ があります。2002(平成14)年には長年の功績を認められてGolden Voice Lifetimf Achievement Award 賞を受けています。ビリー・ウォーカーは伝統的な正統派カントリー・ミュージックを支える歌手として認められてきました。このアルバムでは全てのカントリー・ミュージックの嚆矢といえるジミー・ロジャースに捧げるものとなっています」……といった具合。 亡くなる数年前のアルバムの解説ですからその点考慮。

 

音的には全曲アコースティックで生ギター、ベース、やさしめのドラムブラッシングのほかドーブローギター( 電車増幅のないスチールギター ) を使ったおとなし目の音なので落ち着いて聴けます。ビリー・ウォーカーの声質はマーティ・ロビンスに似ており私は大好き😁ヨーデルもきれいで全曲に入っています……因みに私はビリーのヨーデルの上手さはカウボーイ曲 " キャトル・コール "  を歌っているのを聴いたことがあって知っていました😁

カントリー・ミュージックの世界ではこうした " ◯◯ /   △△を歌う " といったようなテーマを持ったアルバムというのは少なくなっていくでしょうね。個人的な好みがあるんでしょうけど 私は大好きなアルバムです😁

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ハンク・スノウ ジミー・ロジャースを歌う

2014年10月29日 | ジミー・ロジャースを歌う
ハンク・スノウ ジミー・ロジャースを歌う
  
米国盤 RCA Victor Records LPM-2043 Hank Snow Sings Jimmie Rodgers Songs
(1)Moonlight And Skies (2)You And My Old Guitar (3)Down The Old Road To Home (4)I'm Sorry We Met (5)Tuck Away My Lonesome Blues (6)Blue Yodel#10 (Ground Hog Rootin' In My Backyard) (7)One Rose (8)Roll Along Kentucky Moon (9)Any Old Time (10)Gambling Polka Dot Blues (11)Never No Mo' Blues (12)Travellin' Blues 
 
今日は私の永遠の Favorite Country Singer ハンク・スノウのLPレコードからです。 
日本では過去に何回か発売されたことがあるアルバムなんですが先日 博多の中古レコード屋さんで初めてアメリカ盤を見ました。バーゲン値段で480円だったのでびっくり、こんなことがあるからどうしても月に1回くらいはお店を覗いてしまいます・・・・・アメリカ盤がこんな値段で手に入るなんてちょっと昔では考えられないことです、見ることだけでもそうだし たとえあったとしてもとても買えなかった、見るだけの時代を経験している世代としては本当に驚き。 

ハンクの永遠のアイドルだったジミー・ロジャースの歌を集めて歌ったものです。いろいろ書くよりも Ted Daffan() という大昔のカントリー歌手がライナーノートを書いていますのでそれをそのまま訳して載せておくことにします・・・・・・・・ 

「 時は1928(昭和3)年、場所はテキサス州ヒューストンのマジェスティック劇場。ボードヴィル(客席演芸)の一大イヴェントが開かれた日々でのこと、ステージにはきらめくばかりのショーバンド、歌手達、踊り子やコメディアン連中でごった返していました。やがてフィナーレの時がきて暫しカーテンが降ろされ皆が散開していきステージが閑散となった中にギターを抱えて道具箱に腰掛けた痩せたひとりの男だけが残っていました。その男こそジミー・ロジャースだったのです。その澄み切った甘い歌声とソフトなギターの音が満座の聴衆の上に響き渡りました。彼が歌っている間 息をこらえるような静寂の時でした、そしてその後に万雷の拍手が沸き起こったのです、それはアンコールを求めての鳴り止まない拍手が続いたのでした。 

ジミーが歌ったのは” Moonlight And Skies ”、”The Blue Yodel”、”Waiting For A Train” でしたが、満座の聴衆はまるでジミーの歌に魅入られたように座り込んでいたのでした。ギター弾き語りでジミーの声に隠されたちょっとしたフレイズやアクセントは夜の暗闇の中で力強く突っ走る8輪駆動の蒸気機関車が作り出す難解なリズムのようだったからです。この魅力は彼の歌に忘れられない特色をもたらしました。それらの歌はいつまでも心に残り、誰れもが カーテンが降りてからもハミングしたり口笛を吹いたり歌ったりするほどの魅力を残したのでした。 
 
ジミー・ロジャースの歌を愛する何百万という人たちの中に歌とギターを練習している あるひとりのカナダ少年がいました。それこそ皆さんご存知の Hank Snow その人です。ジミー・ロジャースの魅力を余すところなく捉えて自分のものに消化し、I'm Movin' On や The Golden Rocket のような自らの歌で成功を収めたのです。 

ハンク・スノウはとっても才能豊かで幅の広い歌手です。エキゾチックなリズムのラテンアメリカ曲もやれば 馬の歩み走りにあわせたようなカウボーイ&西部調の唄も歌い、人の心に訴えかけるような Heart Song も歌います。 中でも、8輪駆動の蒸気機関車のエキサイティングなリズムをもった Train Song も得意としています。 ジミー・ロジャースの素晴らしい歌群に新しい息吹を吹き込むハンク・スノウの愛情 努力がそこにあるのです。
フレッシュでモダンなアレンジはチェット・アトキンスによるものです。このアルバムは単にカントリー&ウェスタンファン向けというだけではなくて、Great American Music の愛好者全てへ向けたコレクションといえるでしょう。」・・・・・・私の感想など記事は未完につき続く。 
下の写真はある日本盤LPアルバムの中開きページに載っていた写真で私はとても気に入っているもの、昔 来日の時に撮られた写真なんでしょうか?? 
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ケニー・ロバーツ  ジミー・ロジャースを歌う

2012年04月10日 | ジミー・ロジャースを歌う
 Kenny Roberts (4)
米国盤 Palomino Records PAL-319  Yodeling Kenny Roberts   Sings Jimmie Rodgers Songs (カセットのみ発売)

(1)Mule Skinner Blues (2)Rock All The Babies To Sleep (3)When The Cactus Is In Bloom (4)Mississippi River Blues (5)Hobo Bill's Last Ride (6)Yodeling Ranger (7)T For Texas (8)Train Whistle Blues (9)In The Jailhouse Now (10)Any Old Time (11)Frankie & Johnnie (12)Jimmie The Kid


今回は2010=平成22年5月22日に書いて未投稿のままだったものです。 最近 音響機器メーカーTEAC が出しているターンテーブル / カセットプレーヤー付きCDレコーダーという機械(つまり、レコードやカセットテープをCD化できるレコーダー)を買ったので今日は(H24.4/9)テープをCDに録りながら聴いてみたので載せてみました・・・・・2年前の記事ですがそのままの形にしてあります。

2010年5月16日 日曜日の夜このカセットテープを聴いてみた・・・・・相当昔に買って2~3回聴いたっきり仕舞い込んでいたもの。 CD時代になってからレコードは聴いても カセットテープはほとんど聴かなくなってしまって忘れられた存在になっていた。
これを聴いての私の正直な感想は ケニー・ロバーツ(1927年~現在 テネシー州出身 )の力のこもった熱唱で、まさにケニーの最大の名盤といえるほどのものだ-ということでした(私の個人的感想ですが)。レコードとしての発売があれば少しは話題に上ったかもしれないのに-という思いと、これまで熱心に聴かなかったことが恥ずかしいくらい。

” Country Music の父 ” といわれるジミー・ロジャース(1897~1933年 ミシシッピ州出身 )に憧れてカントリー歌手になったという人は昔は沢山いて、思い入れの強い人は 「 ~ sings Jimmie Rodgers 」 等のアルバムを出したりしています( ハンク・スノウなどは4枚もジミー関連のLPを出している )。 古いながらもジミー・ロジャースの歌大好きの私は Palomino Records ( フロリダ州にあった )というマイナーレーベルから 「 Yodeling Slim Clark Sings Jimmie Rodgers 」 というLPレコード( 2007.10/7の記事を参照して下さい ) が出されていることを知って かつてアメリカの中古レコード店に注文して買ったことがありますが、その時にそこの人が 同社からはケニー・ロバーツもジミーを歌うアルバムを出しているよ・・・・・と知らせてくれたのでした。 その時は お客さんの needs に合わせて情報を提供してくれるところなんかはアメリカの業者さんはさすがだな-と思ったものです。

実際はカセットテープのみの発売でしたが、それでもカントリーヨーデルの Kenny Roberts がジミー・ロジャースを歌う-となると気になって せっかくのお知らせに応えて買ってみたのでした・・・・・はるばる日本からのオファーにアメリカの業者さんは喜んで わざわざコメントを入れてくれていました。 今ではパソコンのネット販売で何でも手軽にポンと手に入る時代になりましたが 情報の少なかった頃に足を棒にして苦心惨憺して得た時の喜びはいつまでも残り・・・・今でも消えずに残っています・・・・こんな感覚ってこの先もう来ないような気がします。

ケニー・ロバーツは Jimmie Rodgers やカウボーイ ソングを得意とする Yodeling Slim Clark (1917~2000年 マサチューセッツ州出身 )に憧れてカントリーミュージックの世界に入ってきた人だけに昔ながらのカントリースタイルです。 最大のヒット曲が1949年の ”I Never See Maggie Alone ” と少なくて 必ずしもカントリーの Main Stream を歩いてきた歌手とはいえませんが 何故か存在感のあるカントリー歌手ではあったようです
>( ケニー・ロバーツ 若い頃の写真-Bear Family Records のCDから )。

さて、内容ですが(1)Mule Skinner Blues ( Blue Yodel No.8 ) は初期の頃のビル・モンロー(1911~1996年 ケンタッキー州出身 Bluegrass Music の父 )が火の出るようなアップテンポのブルーグラス スタイルでヨーデルを入れて歌い演奏したものが有名ですが 僕はここでのケニー・ロバーツ盤を聴いて断然こちらの方のファンになりました。まさに圧巻で Kenny Roberts も負けてはいません、ヨーデルはもうお手のものですし。
そのほか全曲にわたってケニーのギターのほかにリードギターと思われる生ギター奏者がいるようでシンプルながらセンスのよい伴奏をつけています、ぜい肉のない良質のジミー・ロジャースソング集です。

ケニー・ロバーツのこの Palomino Records の録音がいつ頃のことなのかはっきりしませんが(1970年代前半までは Starday Records 専属だったらしいので恐らくその後ということなんだと思います )、かえすがえすも残念だなと思うのはレコードでの発売がなかったことでしょうか、内容の濃さを考えるととても勿体ない気がします・・・・・カセットのカバー写真を見ても判るように、Kenny Roberts の顔写真もなくて文字だけのもの・・・・いかにも地味でインパクトに欠ける仕様で、Palomino レコード社には商売っ気なんか全くないのかな-と思わせるものです・・・・・僕自身も業者さんに教えてもらわなかったら知らずにいたでしょう。 このようなアルバムはもっと多くの人達に聴いて欲しい-と願うばかりで・・・・・どこかのレコード会社がCD化して出してくれないものかな-と切に願っているところです。
ケニー・ロバーツはまだ元気なんでしょうか?
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ハンク・スノウ ジミー・ロジャースを歌う 2 

2011年09月13日 | ジミー・ロジャースを歌う
  Hank Snow (5)
日本盤 RCAビクター RMP-5122 (S) Hank Snow Sings Jimmie Rodgers Songs ( 原盤はアメリカRCAビクター LPM-1111 )


(1)Moonlight And Skies  (2)You And My Old Guitar  (3)Down The Old Road To Home  (4)I'm Sorry We Met  (5)Tuck Away My Lonesome Blues  (6)Blue Yodel # 10 (Ground Hog Rootin' In My Backyard)  (7)One Rose ( That's Left In My Heart )  (8)Roll Along Kentucky Moon  (9)Any Old Time  (10)Gambling Polka Dot Blues  (11)Never No Mo' Blues  (12)Travellin' Blues


故ハンク・スノウ () のジミー・ロジャースへの傾倒ぶりは大したもので、これほどまで徹底した人はいなかったのではないでしょうか。企画された”ジミー・ロジャースを歌う”LPレコードだけでも4枚もあるし、自分の一人息子にジミー・ロジャース・スノウ()という名前を付けているくらいですから。
このアルバムは1965(昭和)年にアメリカで出たものの日本盤で、以前にぺラジャケット盤があったはずでこれは2回目の発売(?)と思います。ハンク全盛期のものなのでとっても充実した内容になっていて人気の高いレコードといえます。

Jimmie Rodgers の歌というのはとてもギター弾き語りに合っているんですがここでのスノウはジミーの唄をすっかりハンク・スノウ スタイルに同化させて素晴らしい出来映えになっています。Ted Daffan ()という人が書いた裏の解説を訳して載せてみます・・・・・「」
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ジミー・スキナー  ジミー・ロジャースを歌う

2011年02月21日 | ジミー・ロジャースを歌う
 Jimmie Skinner (1)

ドイツ盤 Cowgirlboy Records LP-5060 Jimmie Skinner Sings Jimmie Rodgers

(1)Hobo Bill's Last Ride (2)My Rough And Roudy Way (3)Dear Old Sunny South By The Sea (4)Jimmie The Kid (5)The Soldier's Sweetheart (6)My Blue Eyed Jane (7)Moonlight And Skies (8)I Miss The Mississippi And You (9)Never No Mo' Blues (10)Tuck Away My Lonesome Blues (11)Somewhere Down Below The Mason-Dixon Line (12)Jimmie Rodgers Last Blue Yodel


きっと今では忘れられた人でしょう・・・・・旧世代の往年のカントリー歌手の中でも地味なほうでとっても渋~い人です。 が、このジミー・スキナー(1909~1979年 ケンタッキー州出身)の歌にはいぶし銀の味みたいなものがあって 曲によっては素晴しいものがありますし、まさに ”大人のカントリーのにおい ” がするといっていいでしょうか。 作曲の才能があってカントリーでもブルーグラスでも活躍したので、それぞれに知られた曲を残しています( ”I Found My Girl In Good Ole USA ”と ”Doin' My Time ” が有名)。 

この世代の例に漏れず ジミー・ロジャースに影響されてカントリー歌手になっただけあって Mercury レコード在籍時代の1962( 昭和37)年にジミー・ロジャースへの Tribute Album を出しています・・・・・オリジナルアルバムはなかなか手に入らなくて、私ののは後年ドイツの Cowgirlboy Records 社というクラシックカントリー専門のレーベルから出された再発盤です、時を経てCDの時代になったおかげでレコードの方はとても安くなっていました。

音的には Jimmie Rodgers Style の生ギターにドーブローギター(電気増幅をつけないスティールギター様の楽器)伴奏だけのシンプルなものですが ジミー・スキナーの声質が低めのバリトンボイスでまさに laid-back Country voice ( laid-back=くつろいだ、のんびりした の意 )なので 各曲がなかなか味のあるものに仕上がっているし、ヨーデルもちゃんと入れて歌ってくれています。ジミー・ロジャースの偉大さを別の面から知ることが出来るアルバムだと思っています。

このレコードのライナーノートがオリジナルレコードのものと同じなのかどうか判りませんが 補足を加えながら訳を載せてみました、各曲の簡単な内容紹介も載っています・・・・・

「 Jimmie Skinner 自身は決してそんなことは云わないでしょうが、”The Blue Yodeler ” ジミー・ロジャースで有名になったカントリーをアルバムレコーディングするのに彼ほど的確な人はいないでしょう。ジミー・スキナーはカントリーの伝説的人物ジミー・ロジャースの1ファンという域を通り越していて、彼自身にとってJ・ロジャースへの tribute album を作るという名誉は必然だったのでしょう。彼はジミー・ロジャース信奉者、熱心な追随者でした・・・・・それに、カントリーミュージックの本質である悲しみとか悲劇、喜び、分別といったものをよく解かっていて、J・ロジャースの歌の世界の継承者として通っていました。
 J・ロジャースの遺産ともいえる憂いに満ちたブルースや入魂のラヴソングを採りあげて成功した人は大勢います。鉄道関係の( around the Big Iron Horse と表現 )人達やその生活にまつわる物語ソングを歌う J・ロジャースの曲はクラッシクカントリーミュージックの世界には依然として残っています。ジミー・スキナーは J・ロジャースの後継者としての役割を十分に果たすのに必要な優れた感受性と ものごとを深く理解する力を発揮しています。 Mercuryレコード社でこのアルバムを作るにあたって彼は数年間あれこれ思索したそうですが、そうすることは当然だ-と考えたのも他ならぬ彼自身でした(熟慮のすえ完成させた Tribute Album だということを云いたいのだと思います)。 J.ロジャース夫人ともたびたび会って話をし、彼女の励ましと勧めでこのようなアルバムができたのです。よく ”First Lady of Country Music ”と言われたジミー・ロジャース夫人にスキナーはこのアルバムを捧げたのです。

彼はロジャースの唄を自分なりのムードに合うようにもっていきたかったので親しみやすいスティールギターが入っています。J・ロジャースの歌にスティール伴奏を付けたクリフ・カーライルの役をここではラスティ・ヨークがスティールギター(実際は Dobro guitar です)を弾いています。各曲はジミー・ロジャースの趣きを保っているとはいえ決して単なる Imitation (真似)ではありません。決して真似だけではないのです・・・・・ジミー・ロジャースのような人が ある世代に残した inspiration(刺激)はスキナーにとっても素早いものでした。二人のジミー(ロジャースとスキナー)の音楽の良さを認めて楽しむ人達にとって このアルバムを真に傑作にするためには彼自身の力量、バイタリティー、影響を加味する必要があったのです。

Jimmie Skinner はオハイオ州シンシナチ東6番街に ”The Jimmie Skinner Music Center ”を経営しており、アメリカでも有数のカントリーミュージックの本拠の一つとなっていて、ここの店の商標をつけたシートミュージック、シングルレコード、LPレコードなどが世界中に向けて出荷されています。

A面1曲目の ”Ridin'-on-an-east-bound-freight-train~”の歌い出しで始まる悲しい結末の歌 ”Hobo Bill's Last Ride ” は彼の好みのタイプの音楽のよさが発揮されています。” My Rough And Rowdy Ways ” も悲劇を歌ったもので鉄道会社からの召喚に抗うことが出来なかった鉄道に生きる純情な男の真実の愛の悲劇を歌ったもの。”Jimmie The Kid ” は全く楽天的なヨーデル曲。”Soldier's Sweetheart ” は悲しい曲。”My Blue Eyed Jane ” はどんな男にもしっかりした貞淑な女性が必要だと歌い、スティールギターが印象的な ”Moonlight And Skies ” はそれを直に知る者たち(囚人)についての歌。 旅をすることで誰かを、土地を、何かを失なってしまう人達にとって ”I Miss The Mississippi And You ”はその気持ちがよく解る歌でしょう・・・・・以下の ”Never No Mo' Blues””Tuck Away My Lonesome Blues”、”Somewher Down Below The Mason-Dixon Line ”、”Jimmie Rodgers' Last Blue Yodel” は省略します(私) 」・・・・・・以上解説から。   ジミー・スキナーの全盛時代がいつの頃だったのかはっきりしませんし、とても地味なので女性や若者受けするようなタイプの歌手とは思えませんが 作曲の才能があってアメリカで10枚以上のLPレコードを出していたということはやはり一流の証拠で、根強いファンがいたということなんでしょう・・・・・こんな人がアメリカの Country Music 界にはたくさんいますね・・・・・このLP中で (2)My Rough And Rowdy Ways と (3)Dear Old Sunny South By The Sea 、(4)Jimmie The Kid が特に素晴らしく(私個人的にですが)、全体的には Dobro guitar がとてもよい雰囲気を醸し出している・・・・・というのが私の感想です。もし単発のCDになっていればジミー・ロジャースの歌が好きな人にはお奨めです

(2009=平成21年7月29日 の未投稿記事を初掲しました)
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お気に入りCD 6 Jimmie Rodgers

2010年08月14日 | ジミー・ロジャースを歌う
Jimmie Rodgers (6)
ヨーロッパ盤 PLSCD-650 Jimmie Rodgers  Country & Folk Roots 

(1)Whippin' That Old TB (2)Gambling Polka Dot Blues (3)I'm Free ( From The Chain Gang Now ) (4)Rock All Our Babies To Sleep (5)My Time Ain't Long (6)Mississippi Delta Blues (7)Somewhere Down Below The Mason Dixon Line (8)Years Ago (9)Old Pal Of My Heart (10)The Yodelling Ranger (11)Dreamin' With Tears In My Eyes (12)The Cowhand's Last Ride (13)Sweet Mama Hurry Home (14)Prairie Lullaby (15)In The Hills Of Tennessee (16)I've Only Loved Three Women (17)Mother, The Queen Of My Heart (18)Ninety-Nine Years Blues (19)Roll Along, Kentucky Moon (20)Old Love Letters

続き・・・・・・・
「1933(昭和8)年には映画や演奏ツアー出演の話をキャンセルしなければならないほどジミーの健康は悪化していました。レコードの人気の方は相変わらずでしたが、大恐慌()の影響は 熱心なジミーのファンにとって新しい新譜レコードを買う余裕すら困難な状況にしたのでした・・・それは即ジミーの経済的状況も悪化することを意味したのです。 経済的に豊かになって数年間のハイレベルの生活を送ってきたことでその生活を維持する必要があったのです。1933(昭和8)5月にジミーはビクターレコード社に更なるレコーディングをするためにニューヨークに赴きます、身体がとても弱っていたのでレコーディングの間スタジオ内に簡易寝台を置いて休養しなければなりませんでしたし、そのため12曲録音するのに2週間もかかるといった具合で、これが Jimmie Rodgers の最後のレコーディングになったのでした。

1933(昭和8)年5月26日レコーディングを終えると、ジミーの肺機能は停止し、ニューヨークの Taft Hotel で亡くなりました。早すぎる死でしたが、ジミーはカントリーミュージックの世界に多大な影響を残しました。ジミーの全盛期にはレコード各社が似たような歌手を見つけ出そうとしましたが・・・・・その結果として 明らかにジミー・ロジャースのスタイルに影響を受けた Ernest Tubb や Hank Snow、 Gene Autry、 Jimmie Davis といった新人達の出現につながったのでした。 Lefty Frizzell から Merle Haggard に到るジミー・ロジャースファンとしての新しい世代にはジミーの歌を歌ったアルバムを出したり、歌手としてもそうですがその歌にもジミー・ロジャースを彷彿させるような影響が見られます。1950年代にロカビリー歌手だった Jerry Lee Lewis でさえジミー・ロジャースが好きだ・・・と述べているくらいで その他数え切れないくらいの歌手がアルバムにジミーの歌を採り上げたりしています。

1961(昭和36)年に Country Music Hall Of Fame ()に選出されたのは誰もが認めることでした。しかし1986(昭和61)年にはロック界にも影響を及ぼした-ということで ” Forefather Of Rock'n' Roll ”として Rock'n' Roll Hall Of Fame にも選ばれています。
1985(昭和60)年には彼の ” Blue Yodel ( T For Texas )”が the Grammy Hall Of Fame に選出されました。
Collectables Records 社がロジャースのベスト作品の幾つかを出すことが出来るのは誇りです・・・この作品群を聴いて頂ければ いかにジミー・ロジャースが才能豊かだったかが理解できると思います。」・・・・・・・・以上解説。

ここに載せた写真はタワーレコードに620円で売っていた廉価盤CD ( Country & Folk Roots というシリーズになっているようで 他にウッディ・ガスリー、カーター・ファミリー、ハンク・ウィリアムスなどが並んでいました)・・・・これもオリジナル音源なので古色蒼然としています、全曲いっぺんに聴くのは途中でだれてしまいそうです。でも曲調がよくて たまに1~2曲ポツンと聴くとなかなかよいもので この中では(3)I'm Free ( From The Chain Gang Now ) という囚人の歌の弾き語り曲が秀逸・・・・ジミーの曲を歌った他の歌手でもあまり聴かれないように思います。 「 懐かしのカントリー&ウェスタン 」 では監獄経験のあるカントリー歌手 Lefty Frizzell や Johnny Cash 、Merle Haggard なんかが歌っていると真実味があるんでしょうけど・・・・・smile
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お気に入りCD 5 Jimmie Rodgers

2010年08月13日 | ジミー・ロジャースを歌う
Jimmie Rodgers (5)  
米国盤 Collectables Records COL-2700 Jimmie Rodgers  The Memorial Album

(1)Blue Yodel ( T for Texas ) (2)Away Out On The Mountain (3)Frankie And Johnny (4)The Brakeman's Blues-Yodeling The Blues Away (5)My Old Pal (6)Desert Blues (7)I'm Sorry We Met (8)Blue Yodel No. 3 ( Evening Sun Yodel ) (9)My Carolina Sunshine Girl (10)Sleep Baby Sleep (11)Blue Yodel No. 2 ( My Lovin' Gal, Lucille ) (12)Tuck Away My Lonesome Blues (13)Never No Mo' Blues (14)Daddy And Home (15)Waiting For A Train (16)Blue Yodel No, 4 ( California Blues ) (17)Dear Old Sunny South By The Sea (18)Blue Yodel No. 6 (19)Pistol Packin' Papa (20)Jimmie's Mean Mama Blues (21)You And My Old Guitar (22)Prairie Lullaby (23)Old Pal Of My Heart (24)My Little Lady


博多のあるCD屋さんで 新品なのに800円で出ていたもの。 ジャケットを見ただけで買ってしまったいわゆる ”ジャケット買い ”・・・・・なかなか素敵な色合いで気に入って何にも考えずに買った・・・・時々こうしたものがあります。 だからジャケットというのはとても大事だと思います、アルバムの顔だから 面白そうだな-とか聴いてみたい-と思わせるようなジャケットは大事(私のようにつられて買う人がいるから)。 たとえ聴いてみて失敗だったとしても許せる気がします。 このアルバム おそらく売れなくて値段も下げられたんでしょう・・・・・古~いカントリーに興味のある人が目に止めるくらいでしょうし、ジミー・ロジャースの歌 ( 今の時代に響くだけのほんとにいいメロディラインを持った歌が多いです ) が大好きな私はちょっと哀れさを感じてこのCDを買いました。ジミーの歌がオリジナルの形で入っているので古色蒼然としていますが、ギターの弾き語りを覚えたり 新しいスタイルにアレンジする音源として利用するなど・・・・でいくらでも現代に甦らせることが出来そうです。  Mark Marymont という人が書いた解説があってジミー・ロジャースの Short Story のようになっているので補足を加えながら2回に分けて訳して載せてみようと思います・・・・・

「 カントリー・ミュージック界で数多の優れた人物の中で ” King Of Country Music ” の称号に値する人物といったらジミー・ロジャースをおいて他にいないでしょう。
Jimmie Rodgers は1897( 明治30)年9月8日ミシシッピー州メリディアンに生まれました。父親は鉄道員で時には農夫、母親は彼が6歳の時に死んだので父親と親戚たちの手で育てられたのでした。ジミーは一日の大半の時間をメリディアンの町の街頭で過ごし、ブルースなどその地区の音楽に熱中したのでした・・・・・もっとも、ブルースの影響は微々たるものだと主張する人もいますが・・・・とにかくその町の生活の一部ともいえたボードヴィル(街頭、辻音楽士とでもいうんでしょうか)やダンスホール音楽の渦中で育ったということです。
12才の時にはタレントショウに出て人前で ”Steamboat Bill ” という曲を歌ったといいます。コンテストは上出来でしたが父親には認めてもらえず 逆にもっと鉄道の仕事に地道に励むよう諭されたことで ジミーは忠告に従って数年間は鉄道の仕事に専念して国中を渡り歩く生活をしたのでした。その時の経験が後に ”The Singing Brakeman ( 歌う制動手 ) ” と呼ばれる所以になっているのです。
その間最初の短い結婚生活で女児をひとりもうけました。1920年までには牧師の娘だった Carrie と再婚しています。1924( 大正13 )年に結核と診断されてからは鉄道の仕事をやめてしまい、1927( 昭和2 )年2人は健康のためにノースカロライナ州 Asheville に移り住み そこでジミーはミュージシャンとして働き始めました。The Jimmie Rodgers Entertainers と名付けて WWNC ラジオ局に出演し、ありとあらゆる音楽を演奏したのでした。
1927( 昭和2 )年の夏 Victor レコードのタレントスカウト Ralph Peer がこの地区を通りかかった際にジミーとそのグループはテネシー州 Bristol まで会いに行ったのでした。グループとして発表することについて口論となりジミー以外の3人が The Teneva Ramblers として宣言したためジミーはソロとしてオーディションを受けたのでした。 ジミーのユニークなヨーデルに興味を持ったラルフ・ピアは 古い戦争物のバラッド ”The Soldier's Sweetheart ” ともう1曲 ”Sleep, Baby, Sleep ” を録音させています。この2曲は1927( 昭和2 )年秋にビクターレコードからカップリングのシングル盤として発売され、売れ行きがよかったためさらなるレコーディングのきっかけになったのでした。
ジミーはニュージャージー州 Camden のビクター本社に赴き、自作の ”T For Texas ” を録音して ”Blue Yodel ” の名前で発売します・・・・その曲はすぐさま反響を呼び 初のカントリー百万枚セールのひとつになったのでした。1年もたたないうちに無名の歌手が当時としては破格の 1ヶ月に2000ドルものレコードを売り上げるビクター社のビッグスターになったのです。  ジミーは6年間に110曲録音しましたが、多くの曲がヒットになりました・・・・”Way Out On The Mountain ”、”Blue Yodel No. 4 ”、”Waiting For A Train ”、”A Drunkard's Child ” といったベストセラーは何度も何度も再発売されましたが、ほとんどの曲がジミーの自作か義理の妹 Elsie McWilliams との共作でした。 

ジミーとプロデューサーのラルフ・ピアはしばしばバック音楽に色々と実験的な試みをしています、バックシンガーや演奏に The Carter Family を使ったり Hawaian Steel Guitar を入れたり、ルイ・アームストロングのようなジャズバンドさえ使ったことがあります。どんな試みをしても結果的にレコードは よく売れたのでした。
ジミーは健康の許す限りは演奏ツアーに出ましたし 持病である結核( 当時は死の病。Tuberculos を略してT.B といった )を ”T.B Blues ”という歌にして自嘲気味に受け入れてもいました。 演奏旅行に出る他ラジオにも出演、ハリウッドからの要請にも応えて15分の短い映画 ”The Singing Brakeman ” にも出演しています・・・・・次回に続く  
(2010年7月12日 記事)
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エディ・ノック ジミー・ロジャースを歌う

2009年08月15日 | ジミー・ロジャースを歌う
Eddie Noack
 米国盤 Wide World Records WWS-2001 Remembering Jimmie Rodgers  by Eddie Noack
(1)Waiting For A Train (2)I'm Sorry We Met (3)Any Old Time (4)Train Whistle Medley (5)Why Did You Give Me Your Love (6)Mother The Queen Of My Heart (7)Why Should I Be Lonely (8)Blue Yodel Medley (9)My Carolina Sunshine Girl (10)Mississippi River Blues (11)Treasures Untold (12)My Old Pal


この夏 東京の神田の古レコード屋さんで買った”ジミー・ロジャースを歌う” LPレコードの2枚目はとっても珍しくてマニアックなものだった。 Eddie Noack(エディ・ノック)というローカルカントリー歌手が1974(昭和49)年に テキサスのWide World Records というマイナーレコード社から出したジミー・ロジャース集・・・・・このようなレコードがあるなんて さすが東京だなあ・・・・・と思った。 と同時に このような誰れも聴かないようなレコードのことを載せるべきか-迷った結果 やはり ”Blue Yodeler”ジミー・ロジャースがいかに多くの後進に影響を与え、追従者を生み出したか、そしてその思い絶ち難い人はみんな Tribute レコードを出したり Tribute Song を歌ったりしていたんだ・・・・・ということを単なる記録として表すためにも載せることにしました( とは云いつつも 実のところ単に私が嬉しかっただけのことなんですが・・・・ )。

すこし調べてみました・・・・・Eddie Noack (1930~1978年 テキサス州出身) はアメリカではそこそこは知られていたカントリー歌手だったらしく、 Tommy Wood という名前でロカビリーも歌っていたことがあるようです。 歌手としてはマイナーレコードばかり渡り歩くといった状況だったため一流にはなれなかったのでしょうが作曲家としていい曲を幾つか書いています。 ハンク・スノウが歌って有名な曲に”These Hands”というやや sacred song 寄りの佳曲がありますがそれを作ったのがエディである-と初めて知りました。 クリス・クリストファーソンが作った”Why Me ”というこれも sacred song に近い佳曲がありますが それと似たような雰囲気を持った曲です。2曲ともハンク・スノウは歌っていて一聴の価値があると思います・・・・・やはりこれは という曲は目立つんだと思いますね(参考)。    
ともあれ、 Eddie Noack という歌手は全く知らなかったし 彼がジミー・ロジャースを歌うアルバムを出していなかったらきっと興味を示す人ではなかったと感じています。

アーネスト・タブが解説を書いていますので補足しながら訳して載せておくことに・・・・・・・・・・・・「Eddie Noackー”Tribute To Jimmie Rodgers ”       私のテキサスの友人エディ・ノックが私のアイドルだった”The Singing Brakeman (歌う制動手)”と云われた Jimmie Rodgers に捧げるアルバムを出しましたが、そのLPレコードのライナーノートを書いて欲しいと依頼があったときはとても嬉しい気持ちでした。 エディはカントリーミュージック界では知られている人です。カントリー歌手としての貢献も大きいですし、特に song writer として有名で ”These Hands ” や ”God's Eye ”という曲などは素晴しいもので他にも多数の優れた曲で知られています。そして今回 ほんとに自慢出来る大仕事(Jimmie Rodgers への Tribute Album を作ったこと )を成し遂げてくれました。

これまでにも沢山のジミー・ロジャースへの Tribute Album が有りました、挙げれば Hank Snow や Elton Britt、 Lefty Frizzell 、最近でも Merle Haggard などがありますし勿論私自身のものもあります。私は Eddie Noack のアルバムはこれらの中でもトップランクに近いものであると皆さんに御約束できます。私のようなジミー・ロジャースの old fan の人達にはエディが ジミーの歌を original Jimmie Rodgers Style で演ってくれることがとても有り難く思えますし、私のような熱狂的なジミー・ロジャース ファン同様に ほとんどのカントリーミュージック ファンの人達が simple で down-to-earth な pure country に理解を示していただけると思っています。

私はここでプレーしている dobro guitar奏者と fiddle(バイオリン)奏者を褒めておきたいと思います、2人ともエディの歌にジミー・ロジャースのオリジナル演奏を髣髴(ほうふつ)させるような実に素晴しい伴奏を付けてくれているのです-その演奏はとにかく Country Music ならではのもので、まさに私達が Country Music に必要としている類いのサウンドです。
私はエディがこのアルバムで歌っている全ての曲が好きですが、中でもエディが歌う ”Waitin' For A Train” と ”Treasures Untold ”がいいですね。いい歌にいい演奏・・・・まったくそれが全てです。ジミー・ロジャースを知っているか否かにかかわらず、貴方が Country Music が好きなら このアルバムは真にカントリーを聴く喜び、楽しみに答えてくれるはずです。
The whole album is very refreshing and very good.
Eddie Noack と このレコードを出した Wide World Records 社は Tribute album to the great Jimmie Rodgers に誇りを持ってよいと思います。」・・・・・・・・・と述べられています。

音的には全てミディアムテンポで、エディの渋い歌とギターに fiddle (有名なチャビー・ワイズが弾いているような気がする?)とdobro-guitar が伴奏していて各曲素晴しいですが 全曲通しで聴くと可もなく不可もない・・・・という感じでした。ギターはジミー・ロジャース的な弾き方ではないしヨーデルも全く入っていないので すこし物足りなさがありましたが曲がいいので・・・・・・とにかく Eddie Noack という歌手の一世一代のアルバムなんだと思います(裏にエディと故ジミー・ロジャース夫人と一緒に写った写真が載っています)。 私もたまたま出逢ったものなので、「ジミー・ロジャースが好きな人」にこんなレコードがあります・・・・・と カントリー音楽の歴史知識のひとコマとしての情報役割だけです(CDもきっとあるんだと思います)。 広いアメリカ・・・・・長い間には色々なことがあり-色々な人がいるんだなぁ-ということを改めて知るきっかけにはなりました。

ところで、自分で ”Country Music の原点”と勝手に思っている Carter Family 、Jimmie Rodgers 、Hank Williams 、Bob Wills の4大アーティストについて色んな人達が歌ったいわゆる「~OOOO を歌う」といった Tribute Album が 私はとても好きです。 それを歌う歌手の Country Music への情熱みたいなものがありのままに出てくる感じがして・・・・・・今回も名もない歌手にそんなことを強く感じました・・・・・。
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エルトン・ブリット ジミー・ロジャースを歌う (2)

2009年08月09日 | ジミー・ロジャースを歌う
Elton Britt (2) 米国盤 Camden Records CAS-2295 The Jimmie Rodgers Blues
(1)My Carolina Sunshine Girl (2)You And My Old Guitar (3)Roll Along Kentucky Moon (4)Waiting For A Train (5)My Little Lady (6)The Jimmie Rodgers Blues (7)Treasure Untold (8)Singin' In The Pines (9)Peach Picking Time Down In Georgia

7月18日姉の一周忌に神奈川県の鎌倉に行った帰りに東京の神田の古本屋街に寄って本とカントリーのレコードを数枚買いました(東京に行く時はいつも楽しみにしていることです)。 古本屋さんは心なしか数が少なくなっている印象を受けました、それとレコードを買いたくても肝心の古レコード屋さんが見つからないのでした、以前行った何件かのお店もなくなっていたし・・・・・・で、さんざん歩き回ってやっと見つけた古レコード屋さんにカントリーのコーナーがありました。 そこになんと2枚の 「ジミー・ロジャースを歌う」 アルバムがあったのです・・・・・・僕はそれだけで大満足、その中の1枚がこれで以前日本盤で紹介したもの (懐かしのカントリー&ウェスタン 32) の本家本元盤です。もともと廉価盤なのにさらに穴開けして安くしたもの(ジャケットのジミーのギターのところに穴有り)、繰り返しになるけれどまた載せることにしました。とにかく嬉しくて嬉しくて・・・・・レコードっていいな・・・と念仏のように唱えたのでした。
もう1枚はちょっとマニアックなもので 次回に載せる予定です。 

さて、エルトン・ブリット( 1913~1972年アーカンソー州 出身)は有名な カントリーヨーデル歌手 でしたが若い頃に幸運にもジミー・ロジャースの薫陶を受けた経歴を持っている人です。エルトンが亡くなる数年前にちゃんとジミー・ロジャースを歌うアルバムを残してくれたものがこのレコードなんですね・・・・・・自分が成功するきっかけを作ってくれた Jimmie Rodgers への感謝の意を込めて是非とも残しておきたかったのに違いない・・・と推測します。
Vaughn Horton という人が書いた”Reminiscing About a Couple o' Pretty Fair Country Yodelers (2人の素晴らしいカントリーヨーデル歌手の想い出)”と題した解説が載っていますので補足を加えながら訳して載せておくことにします・・・・・・・

「1930年代初頭ジミー・ロジャースは田舎に住むほとんどの少年達にとって the king and the idol でした。アメリカのどの大通りを歩いてもいつの日か有名な Blue Yodeler's crown ( Jimmie Rodgers のこと)にとって代わろうと夢見ながらギターをかき鳴らして歌う少年達が聴かれたものです。 やっとかき集めたお金で安いギターを手に入れた少年達はジミー・ロジャースのような歌手への予備軍になっていったのです( beccame a potential front-porch howling coyote と表現してありますが・・・・howling coyote・・・吠えるコヨーテ とはヨーデルのことを指しているんでしようね )。
ジミー・ロジャースの影響は絶大だったので国中のラジオ局にはロジャースの carbon-copies(そっくりさん)を目指す熱心な若者達からオーディションをして欲しいという要望が洪水のように押し寄せたものでした。そんな熱心な若者達の中で幸運をつかんだのが Ozark-mountain 出身の10代の若者エルトン・ブリットだったのです。 エルトンは夜鷹が鳴くようなアーカンソー州の農場からオクラホマ州のラジオ放送局にやって来ました・・・・・・そしてラジオを通じて歌手としてのエルトンの魅力がそのエリアで話題になっていったのでした。 たまたま Pawnee Bill's Oklahoma Round-Up に出演するため来ていたジミー・ロジャースはエルトン・ブリットの素晴らしいヨーデルと歌声を耳にして、自分に会いに来るように招待したのでした。そしてエルトン少年のヨーデルを聴いて感銘を受けたジミーは彼にカリフォルニアに行くことを奨めたのです、当時のカリフォルニアはあらゆるものが発展しつつある新興都市でした。ジミーのアドバイスを受け入れたエルトンはハリウッドで最高のグループ( Beverly Hillbillies のことか?)に属して1年もたたないうちに West Coast でセンセーションを巻き起こすほどの存在になったのです。
カリフォルニアで再びエルトンの歌を聴いたジミーは Ralph Peer ( ジミー・ロジャースのマネージャー兼ニューヨークの出版社主 ) に次のような手紙を書いて奨めています・・・・・曰く 、”ここに来てこの若者と契約を結んだ方がよい・・・・・彼は大物になるよ”・・・・と( 今ではこの手紙は有名になっているそうです )。

エルトンは1933年5月にニューヨークに向かう途中 ミズーリ州 Springfield で一夜を過ごしました、3日後に初めてのレコーディングを予定されていたので早く起きてスタンバイしていたのでした。まさにその時ショッキングなニュースが飛び込んできて ジミー・ロジャースの悲劇的な死を知ったのです。 彼は最近になってナッシュビルの Grand Ole Opry のステージでその時のことを聴衆に語っています・・・・・”尊敬していたジミー・ロジャースの死を知って私はすっかり気落ちして数週間は立ち直れなかった”・・・と。

エルトン・ブリットは自身の輝かしい経歴を続けていきます- RCAレコードに数十曲のヒット曲をレコーディングし、中でもミリオンセラーになった”There's A Star Spangled Banner Waving Somewhere(どこかではためく星条旗)”で頂点に達したのです。この曲はカントリー歌手のものとしては初めて Gold Record になったもので、現在ナッシュビルの Country Music Hall Of Fame館 に飾られています。  エルトンは第二次世界大戦中 ヨーロッパ戦線を演奏ツアーしてアメリカ兵達の永遠の Favorite になったのでした。数年後には朝鮮戦争でも同様のツアーを行ったのですが今度は不運なことにアジア熱にかかってしまい、それが Elton Britt の引退を早める結果になってしまったのでした。繰り返し起こる病いで健康が許す範囲での出演に限られるようになったのです。
私(Vaughn Horton)はエルトン・ブリットに関わったことをとても誇りに思っています。私達は何年にも渡って親友でしたし、一時は彼のバンドメンバーの一人だったこともあります。私が Songwriting の世界に入った時 励ましてくれたのはエルトンでしたし、私の big hit 作 ”Mockin' Bird Hill” を RCA ビクターでレコーディングしてくれたのも彼でした。彼のこのLPレコード製作に携われたのも名誉なことですし、エルトンの素晴らしい傑作の一つだと思っています。」・・・・・・・と書かれています。
尚、エルトン・ブリット自身のコメントも載っていて・・・・・「私にジミー・ロジャースを歌うアルバムを作るようにいつも奨めてくれていたRCAビクターの Steve Sholes に感謝します・・・・彼が亡くなる前に私の Jimmie Rodgers Blues を聴いてもらえてよかった。1曲だけジミー・ロジャースの歌ではない Singin' In The Pines という曲を入れたのは彼が好きでいつも私に歌って欲しいといっていた歌だからです。」・・・・・・とのこと。
音的にはモダンなサウンドですが晩年の Elton Britt の心意気が伝わってくる作品になっています・・・・・・・もしCDになっていたらお奨めします
(2007年9月30日の記事も参照してください)
コメント (2)
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