花雅美秀理の感性創房

時の過ぎゆくまま、心のおもむくままに「団塊世代」の一人として語り続けることができれば……(かがみしゅうり)。

・セラビー氏『アドリブログ』、ジャズ評ブログのベスト1に!

2012-05-27 11:44:39 | Jazzに親しむ

 

 「ジャズ評部門」のブログランキング1位

 わが友、『アドリブログ』の『セラビー氏』。読者はご承知のように、筆者の「ジャズ」及び「ジャズ評」の師匠です。当ブログでも、この「ジャズ評ブログランキング」のことに触れたことがあります。その際、同氏が常に「ベスト5」前後のライターであるとの紹介をしていました。
 
 しかし、この1か月前後は何と「ベスト10」ぎりぎりの危うい位置を上下していたのです。しかも下がり始めたタイミングは、筆者が「宅地建物取引主任者養成講座」の講師となった4月半ばあたりでしょうか。
 
 そのためいっそう気になり、毎日、何回となく自宅と学校で「ランキング」に目を通す日々でした。……9位…8位…9位…10位。そして…9位…8位…9位……。「ベスト10外」という危険を孕(はら)みながらの推移であり、上昇の機運もないままハラハラ、ドキドキのしどうしでした。ひょっとしたら、ある瞬間「ベスト10外へ」ということがあったのかも……そんな思いに駆られたものです。
 
 筆者の脳裏に、ヘーゲル先生のひとことがチラリと頭を掠めました。 
 
 ――理性的なものは現実的なものであり、また現実的なものは理性的である。 
 
     
        ☆
  
 この法哲学的な一節を「超意訳」すれば、『勝てば官軍』となるでしょう。ということは、『負ければ賊軍』……。ん? ZOKUGUN? 何ということだ!  筆者の脳髄の核に、『ベスト10ランク外絶対阻止!』というフレーズが点(とも)ったのです。
 よーするに、どげんかせんといかん てなわけですな。筆者には、すぐに「ある秘策」が閃きました。
  
        ☆
  
 筆者が講師を勤める学校については、『車のバッテリーよ、永遠に!』でもご紹介しました。実はここは、本来「パソコン関係の訓練校」です。そのため、「教室」には8人の生徒諸君それぞれの机に、デスクトップ型の「パソコン」が1台ずつ置いてあります。
 
 しかし、民法をはじめとする法令中心の授業では、現在のところこれを使う機会はほとんどありません。都市計画法や建築基準法の授業の際には利用するつもりです。
  
 さて、「秘策」がなんであるのか、もうお判りでしょう。
 
 そうです。……つまりは生徒諸君に、セラビー氏の『アドリブログ』にアクセスしてもらい、そこから『人気ブログランキング―音楽(ジャズ)』に入って貰うというもの
 
 ことに「ランク10位」ジャストの「最大危険区域」のときは、居ても立ってもいられませんでした。危機脱出のための「緊急避難」的措置の実行……という“誘惑”は激烈でした。
 
  ……だが…しか〜し……! 筆者は、この“誘惑”を果敢に退けたの……です。
 
       ☆   ☆   ☆
  
 授業では現在、「民法総則」にあたる「権利義務関係」を中心に、「物権」や「債権」等を教えています。その指導指針は、「法の理念」や「法の正義」に言及しながら、民法1条の「公共の福祉」、「信義則」、そして「権利濫用の禁止」をはじめ、「公序良俗」(第90条)や「不法行為」(第709条)といった「民法全体」を貫く基本思想の習熟です。
 
 何といってもこの「クラス」には、法学部出身者のNさんがいます。また、Eさんも法律への関心が非常に高く、この女性二人は成績も優秀です。昼休みなど、まるで「法哲学のゼミ」のように三人で論じ合っています。
 
 この二人の「美熟女」に男性諸君が刺激され、「法の正義とは?」「法が究極的にめざすものは?」といった、サンデル教授流の「白熱教室」化しつつあるといえるでしょう。
 
 そのような「プチ・サンデル」が、「教師」という自己の「優越的な地位」を「濫用」してよいはずはありません。いえ、そもそも「する」はずもありません。
 
 「純粋理性」の根幹をなす「自由意志」への不当な干渉。それは「法哲学」否、「哲学」そのものに対する「死刑宣告」に等しい……そのように「悟性」は判断」したのであります。
 
 『正しい行動を正しい動機で』という「カント的正義」は、寸分も(…真実は、はきわめて微弱な躊躇があったやに…)揺るがなかったのであります。あとはソクラテス師も言うように、人間智の遥かに及ばない「神のみぞ知る世界」……つまりは、一切を神に委ねて、あとは成り行きをじっと見守るしかない……と。 
 
 そのことは、何よりも「セラビー」氏自身が納得してくれるでしょう。常日頃の氏の言動がそうであり、筆者同様「自然体そして自然法的思想」に限りなく近いと思われるからです。
 
       ☆  
 
 以上のような覚悟を決めた直後、今度は急にランクが上昇し始め、「定位置」の6位…5位、そして4位、さらに3位へ……。
 
 そして、あれよあれよと言う間に……3位…2位、そしてついに「1位」へと上り詰めたのです。    
 そこにいたるまでには、『神の見えざる手』が……あるいは……。
 
       ☆   ☆   ☆
 
 『トップになったら、二人でささやかな食事と祝杯を』というのが、セラビー氏との「約束」でした。
 
 CONGRATULATION!  Mr.SERA & 「ADLIBROG」 
 
  ……てんぷらの後、ビル・エヴァンスを聴きながら、ジャック・ダニエルのオンザロックでも……。
 
       ☆
 
 そして、『アドリブログ』と「このブログ」フアンのみなさまにも。
 
  ことに「jazz」について多少なりとも興味をお持ちの「花雅美秀理」ファンのみなさん!
 一度、『アドリブログ』の『ジャズ評ブログランキング』をごらんください。
 
 ともかく、誰であれ、何であれ――、
 
  
 CONGRATULATION!  
 
 
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・車のバッテリーよ、永遠に!(下):終章

2012-05-20 15:44:44 | つれづれに(日記)

 

 ◆2012.4.17 6:00〜◆

 ……………2012年4月17日の「講義初日」。やや曇り気味の早朝。アパートの部屋を出て駐車場に向かった。時刻は、ジャスト6時。
 
 はりきって乗り込んだ軽自動車。だがそのエンジン音は、カタリともコトリともしない。本シリーズ(上)で述べたように、バッテリーが上がっているのだ。何たる無様、何たる不運。「講義初日」という“清新な緊張感”が、瞬時に“吹きとんだ”。いや、“ぶっとんだ”。トラブル確認時刻、6時03分
 
 閑静な高台の住宅地。そのT字三叉路の真ん中からは、人影も車が出入りする“けはい”もない。15台分の駐車場には、1台分を除いて車が静かに並んでいる。平日の朝6時そこそこに家を出る御仁など、そう多くはないのだろう。
 去年の「車屋の青年2人」の「出勤時刻」は、いずれも限りなく「9時」に近かった。
 
 去年のような「信じがたい超ラッキー」は、どう考えても“夢のまた夢”というしかない。そう思いながらも、視線は去年の「救世主M君」の「二階建て」に向けられ、自然に足が向かっていた。筆者の「駐車スペース」から「M邸」までは、20mちょっとの距離だ。
 
       ☆
 
 だがM邸は、一階も二階もしっかりと「雨戸」が閉まっている。物音一つなく静まり返り、ちょっとやそっとで家人が出てくる様子はない。「最大の頼み」を失った筆者は、やむなく「ある知人」の携帯に電話を入れた。おそらくはまだ夢心地であることを確信しつつ……。
 
 ……やはり……電話はかからなかった。『スイッチが入っていないか、電波の届かない所に……』とのメッセージを繰り返し聞くだけだった。電波再確認時刻、6時09分
 
 
 とそのとき、近くの家から夫婦らしき人物が車に乗ろうとしている姿を見つけた。すばやく歩み寄り「ブースター」(充電用接続コード)のことを尋ねた。だが――、
  
 ――急いでいるものですから。
 
 ほとんど無視に近かった。満足な返事もないまま、迷惑そうな冷たい視線だけを浴びた。へこみそうな気持をかろうじて支えながら、『これがSEKENというやつさ』……気丈にそう納得させてもいた。SEKENの再認識時刻、6時12分
 
       ☆
 
 T字三叉路の「見通し」はまずまず。携帯の時刻を見つめながらも、目と耳の集中力は「超超MAX」。「針の落ちる音」も「猫のまばたき」も見逃さなかった……だろう。というより、『矢でも鉄砲でも持って来い』という、半ば“破れかぶれ”の心境だった。
 だが、「針も猫も、矢も鉄砲も」その“けはい”は“微塵”もなかった。
 
       ☆
 
 「7時」にトラブル「解消」=「出発」……では絶対に「9時20分」開始の講義には間に合わない。「6時40分出発)」なら何とかなる。となれば、「6時30分」には「トラブル解消」のための「行動」すなわち「バッテリー充電作業」の「メド」がたっていなければならない。
 
 筆者の足は、導かれるように再び「M邸」に近づいていた。潜在意識による無意識の行動だった。要するに、“居ても立っても居られない”心境のなせる業なのだろう。だが先ほど同様、雨戸はしっかりと閉じられていた。
 
 But! しか〜し! 針の音も猫の瞬きも見逃さない「センサー」は、M邸に“人のけはい”を感じた。
 
 “けはい”どころか、紛れもなく「human being」が眼の前に動いているではないか。「M邸敷地内の人影」いうことは、ほぼ「M家のご家族」。とたんに元気と勇気が全身に満ち始め、瞬時に「口を開く」体勢が整った。
 
 ――おはようございます。
 
 湧き上がる興奮のためか、どこか声が「よそ行き」になっている。明らかに「自分の声」ではない。だが――、
 
 ――ご主人でいらっしゃいますか? わたくし、隣りのアパートに住んでいる者ですが、実は車のバッテリーがあがってしまって。ちょうど1年前にも同じようなことがあり、お宅の息子さんに助けていただいたことがありました。……息子さん、まだおやすみですですよね? 
 
 不思議なほどスラスラと言葉が出て来たことに、自分でも驚いた。
 しかし、それよりも驚いたのは、「ご主人」すなわち「M君」のお父さんの応対だった。「まだ人が寝静まっている早朝」の、それも「初対面」の「招かざる客」。……であるにもかかわらず、怪訝な表情一つなく、親しみと好意すら感じられたからだ。
  
 ――さあ。どうでしょうか。……見てきましょう。
 
 そのひと言と表情のおかげで気持に“ゆとり”が生まれ、冷静に時刻を確認していた。「お父さん」との出会い、6時21分
 
       ☆
 
 再び独りとなり、沈着かつ冷静にM邸の「車庫」を見まわした。しかし、2台の乗用車は確認できるものの、昨年見た「仕事用のワゴン車」が見当たらない。「ブースター」は、あるのだろうか。
 “灯りかけた希望”に「黄色信号」が点灯し始める。と同時に、毎晩遅く帰宅する青年が、すんなり起きれるものだろうかと、こちらも心配だった。
 
 ……時間は容赦なく過ぎていく。まるで「この世の終わり」のカウントダウンのようだ。
 
 「お父さん」が家に入って、2分……3分……、そして4分……5分と経過した。不安の信号は、着々と「黄色」から「赤色」へ変わりかけようとしている。迫り来る「作業着手リミット」まであと4分。つまり、時刻は6時26分。……ヤバイぞ!
 
 と思った瞬間、何とM君の姿が見えた。というより、“忽然と現れた”というべきだろうか。別の言い方をすれば、「筆者の前に運ばれて来た」……。何度憶い返しても、それが一番適した言い方かもしれない。
 
        ☆
 
 「M君」は爽やかな青年の笑顔をしている。よく見ると「作業着」に身を包み、全身から「その道の職人」というオーラが出ている。さ〜すが、プロ。だがやはり、「ブースター」はなかった。
 
 しかし「プロ」は悠然と、物置の辺りで何やら作業をしている。「ブースター」がないため、臨時に「バッテリーを交換」するという。そのため多少時間はかかったものの、見事に「エンジン」がかかった。トラブル解消時刻、6時43分
 その1分後、筆者は片道56kmの走行を開始した――6時44分
 
        ☆
 
 ……そして走行所要時間、2時間28分。学校到着は、9時12分だった。事務の女性と打合せ、そそくさと出席簿やテキスト、法令集、講義ノートを抱えて「教室」に駆け込んだ。「授業開始」の1分前、9時19分だった。 
 
  
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・『愛と青春の旅立ち』−7/映画を読み解く:8

2012-05-16 19:10:30 | 映画を読み解く

 【12】 2回目のデートと「アクシデント」 

 ザックとポーラ、シドとリネットたちの2回目の「デートの夕べ」がやってきます。

 地元の「パブ」でポーラとリネットを待つザックとシド。もちろん二人は「軍人」の格好です。地元青年の思い思いの私服に比べ、「軍服」に「制帽」スタイルはそれだけで際立ち、また魅力的に映っています。

 その青年たちは、一応「ビリヤード」を楽しんでいるようです。しかし、“心ここにあらず”なのでしょう。彼等の関心はザックとシド、そして彼らのガールフレンドとしてやってくるポーラとリネットにあるのです。地元青年には、地元女性の「憧れの的(まと)」である「士官候補生」が妬ましいに違いありません。 

 そこへグラマラスなスタイルのポーラとリネットが、青年たちを刺激するような衣装に身を包んでやってきます。青年たちの視線と気持が彼女二人とその相手の士官候補生に向けられます。そういう青年たちを尻目に、「再会挨拶」の大胆な抱擁とキスに夢中になるザックとポーラ、そしてシドとリネット。
 
 やがて「モーテル」に行くために店を出て行こうとする4人。しかし、地元青年の一人が、ビリヤードの「キュー」(玉撞き棒)で4人を「とうせんぼ」するように語りかけます。
 
 ――戦争屋のお通りだぜ。
 
 キューで妨げられたザックが応えます。
 
 ――何だと?。
 
 ――お前ら戦争屋だろ?
 
 
 しかし、それを軽くいなして出て行く4人。店を出た4人の前に先回りした「先ほどの青年」がザックに絡み、引きとめようとしながら、
 
 ――大学出の坊やがここ数ヶ月、めかし込んでデカい面をしやがる。気にくわねえ。
 
 ザックは返します。
 
 ――落ち着けよ。ケンカはご免だ。中に戻って頭を冷やせ。
 
 そう言って彼を無視して歩きはじめようとしたとき、「先ほどの青年」が、
 
 ――つべこべ言うな。
 
 そう言って、ザックの制帽を飛ばすのです。その瞬間、ザックの「空手の一撃」と「回し蹴り」が炸裂し、青年は路上に仰向けとなって倒されてしまいます。「青年」は鼻骨を損傷させられたようです。まさにあっという間の出来事でした。
 
       ☆
 
 フィリピンでの少年時代、ザックは地元の少年グループに、「空手と回し蹴り」で倒され、お金を奪われた苦い経験がありました。そのため、「護身」として「空手を習得」したのでしょう。
 このシーンによって、ザックが辿ってきた少年時代の別の一面が想像されます。実父すら“当てに出来ない”ザック少年の、“生きていくためには何が必要か”という思いの象徴であり、彼の人生観や精神性を示す重要なシーンです。
  
       ☆
  
 この後、4人は予定通り「モーテル」に入ります。しかし、さきほどの「いざこざ」によって、「忌まわしい少年時代」を振り返えらざるをえなくなったザックの様相が一転します。ポーラをまるで娼婦のように扱い、自分の性的欲望を果たす対象だけのような口の利き方をするのです。そのことに深く傷つたポーラは、モーテルを出て行こうとします。しかし、開けようとしたそのドアをザックが抑え、ポーラを外に出さないようにします。
 やがて若い二人は情念の炎と燃え、「結ばれる一夜」を迎えます。
 
       ☆  ☆  ☆
 
 
 次のシーンは、「飛行機着水時の脱出訓練」です。訓練に失敗したザックの同室のダニエルズが、「DOR」を申請して去っていきます。というより、「申請を余儀なくされた」というべきでしょう。
 
  
 【13】 ザック、「DOR」の危機!
 
 フォーリー教官による「寮室」の点検が実施され、ザックの「サイドビジネス」が発覚します。天井裏に隠した靴などの「商品」が見つけられたのです。その結果、ザックはその場で「DOR」すなわち「自主退学」申請を指示されます。
 しかし、彼は「DOR申請」を拒否し、『私はやめません』と即答するのです。それに対してフォーリー教官は言います。
 
 ――作業着に着替えろ。週末までに気が変わる。
 
       ☆
 
 ここから「虐め(いじめ)」にも似たフォーリー教官の「マンツーマン」の「しごき」が始まります。ホースの水を浴びせられながらの「銃の捧げ(持ち上げ)」に始まり、水溜りの中での「腕立て伏せ」と続きます。
 この際、フォーリー教官はザックの顔面が水溜りに浸かるよう指示し、『DORするか?』と尋ねます。もちろんザックは拒否しますが、そのとき教官は、離れたところで「自主訓練」しているシーガー(女性候補生)を見るよう促します。彼女は腕力が弱いため、「腕立て伏せ」や綱を使っての「壁登り」が満足に出来ません。そのため、外出を返上してトレーニングをしているのです。
 
 ――いずれ落第するだろうが、見上げたもんだ。貴様とは出来が違う。
 
 吐き捨てるように言うフォーリー教官。この後、教官はちょっと驚くような行動を見せます。『ついてないな。メイヨ』と語りかけた後、明らかに泥濘状態になっている地面に腹ばいになり、腕立て伏せをしているザックの目線になって語りかけるのです。
 
 ――貴様の身上書を調べたんだ。お袋のことを知っているぞ。おやじは酒と女に浸りづめ。だからお前は他人に心を許そうとはしない。心の底に劣等感をかかえているからだ。
 
 ときおり教官の顔を見ながらも、黙って聞いているザック。ひたすら腕立て伏せを繰り返しています。だが、フォーリー教官は、ザックの腕を掴んで返事を促そうとします。
 
 ――どうだ、図星だろ。
 
 それに対して、ザックは激しくそして強く、
 
 ――違います! ノー、サー! ノー、サー!
 
        ☆
 
 この後、訓練は「夕暮れの砂浜」へと続きます。
 
 ――どうしたバテたか。だらしないぞ。お楽しみはこれからだ。続けろ。明日もまた楽しいぞ。
 
 フォーリー教官の周囲を、ふらふらになりながら銃を抱えて回るザック。
 
        ☆
 
 この「水溜りでの腕立て伏せ」と「夕暮れの砂浜」での2つの訓練シーンは、印象深い象徴的なシーンです。前者は「正味2分20秒足らず」、後者は「たった18秒」しかありません。
 この映画の上映時間は「2時間4分」ですが、両シーンは、ちょうど真ん中辺りです。製作者側としては、主人公ザックのこれまでを観客に「振り返ってもらう」とともに、今現在「彼が置かれている状況」と「DORの意味」を再確認してもらうという狙いがあるのでしょう。
 
 「前者」の「腕立て伏せ」のシーンは緊張感に溢れ、内容的にも重たいものとなっています。フォーリー教官が、ザックの「生い立ち」や「母親の自殺」、それに「一介の水兵にすぎない父親」のことを知ったからです。
 
 それに対して「後者」の「夕暮れの砂浜」は、前者の“緊張を解きほぐす”シーンです。右上の小さな灯台とその灯り、煙突付きの付属家屋……。また左下には「流木」が映っています。暮れなずむ空に、ほんのりと柔らかい明るみを点けた灯台。その灯りが回りながら点灯し続けています。心憎い映像表現であり、筆者のようなマニアを充分満足させるものです。ひとつ欲を言えば、「流木」がもう少し「本物っぽいもの」であったら……というところでしょうか。
 
  ともあれ以上「2つの訓練シーン」によって、「訓練の続き」としての「次の最重要シーン」がいっそう効果的となります。(続く
 
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・『愛と青春の旅立ち』−6/映画を読み解く:7

2012-05-09 20:20:13 | 映画を読み解く

 【9】 「訓練」と4人の「出逢い」

 いよいよ訓練が始まります。ペナルティの腕立て伏せを命じられたザックシド。その前を、基地に押しかけて来たポーラリネットの二人が歩いていくシーンがあります。
 「カメラアングル」が「腕立て伏せ」をしているザックとシドの「目線」であるため、ポーラ、リネットの二人も、「膝から下」だけが映っています。そのため、二人の若い士官候補生は、女性二人の「キュートな足元」に惹かれるのです。
 
 このシーンこそ、後に「恋人同士」となる「ザックとポーラ」、「シドとリネット」が「初めて出逢う瞬間」となっています。
 
         ☆ 
  
 いよいよ本格的な「訓練」がスタート。ザックの運動能力は優れています。フィジカル面では理想的な「士官候補生」と言えるでしょう。だが“抜け目のない”彼の“サイドビジネス”は、メンタルいえスピリチュアル面での適格性に疑問を投げかけるものです。
 
  
【10】 「基地内パーティ」と初デート
 
 「訓練生」となって初めての週末がやってきました。基地内で「パーティ」が催され、「ザック・メイヨ」「シド・ウォリーそして「ポーラ・ポクリフキー」と「リネット・ポメロイ」の4人は、ルファウェル夫人の「紹介」によって正式に「出逢う」こととなります。
 
 その際の4人の「立ち位置」と「シドの選択」に注目してください。シドの前にはポーラ、ザックの前にはリネットが立っています。
 
 ところがシドが「ダンス」の相手に選んだのは、自分の「正面」に立っているポーラではなく、「斜め前」のリネットです。シドの正面のポーラは、シドが当然、自分を誘うものと思っていたようです。
 そのため、シドがリネットの手を取ったとき、ポーラが「腑に落ちない怪訝な表情」を見せています。とはいえ、それで「がっかりした」というのではなく、シドの予想外の行動に「不意をつかれて」とまどったというところでしょう。
  
 この「シーン」すなわち「シドの選択」は、その後の「ザックとポーラ」、そして「シドとリネット」という「2組の恋人」の“成り行き”を大きく左右するとともに、それぞれが背負う“人間智を超えた宿命”を暗示しています。 
 
 もしこのとき、シドが彼の正面に立っているポーラを選んでいたとしたら……。その結果、ザックとリネットというカップルが誕生していたとしたら……。彼ら4人の「愛と青春」そして「その後の人生」はどうなっていたでしょうか。
 
        ☆
 
 それにしても、その日のうちに「男女の関係」になってしまったシドとリネット。シドを誘うリネットの表情と行動に、フォーリー軍曹が注意を促した“”の気配が感じられます。
  
 一方、ザックはザックで、初めて言葉を交わすポーラに、とんでもない嘘をついています。『父親が第七艦隊の少将』であり、『カトマンズ、モスクワ、ナイロビなど、世界中の基地で暮らした』という嘘です。
 すでに明らかなように、ザックの父バイロンは「うだつのあがらない」飲んだくれの一介の水兵にすぎず、女性関係にだらしない夫そして父親として描かれています。しかも平然と嘘をつく人間であり、ザックは、まさにそのような「父親のDNA」を確実に受け継いでいるのでしょう。
 
 言うまでもなく、ザックは父親の赴任地・フィリピンにおいて、「娼館住まい」の父と6年間過ごしましたね。地元の少年たちに「カツアゲ」されるという、忌まわしい記憶とともに。
 
        ☆
 
 「ザックの嘘」は、『モスクワには米国海軍の基地はない』とのポーラの指摘によって脆くも崩されることになります。彼女は「しっかりした考え」を持っている女性です。
 本来、彼女も「基地」の「士官や士官候補生」との「結婚目当て」の地元の女性の一人なのでしょう。しかし、ポーラは「それだけの女性」ではないことが、次第に明らかになっていきます。そのあたりの様子は、リネットとの比較によって、しっかり描かれていますので、注意してご覧ください。
 
 それにしても、「ポーラ」すなわち「デブラ・ウインガー」は大きな瞳ですね。そのため「眼の表情」つまりは「眼の演技」が、とても効果的です。嘘を語るザックを、「不審と興味」の眼差しで見ているときなど、深い精神性と母性とが滲み出ています。
 ことにザックの「嘘」を指摘するとき、「いたずらっこ」を諭し示すような「眼の表情と笑み」を見せ、魅力的なシーンです。 
  
 以上の「初デート」の後、4人は急速に親密の度合いを深めていきます。
 
 
【11】 ダニエルズ「DOR」(自主退学)の意味と効果   
 
 この後、物語は「マーシャルアーツ(格闘技)」の実践訓練となります。フォーリー教官(軍曹)は、この実技訓練の対戦相手として、ザックと同室のダニエルズを指名します。
 それは明らかに彼を「潰す」ためであり、案の定、ダニエルズは一瞬のうちに教官に組み伏せられ、喉を痛めつけられます。その結果、“予想されたように”リタイア(試合放棄)を余儀なくされます。
 
 この「シーン」の意味は、訓練生に対するフォーリー教官(軍曹)の「絶対的な権力」というものです。彼は訓練生の「生殺与奪の権」を持っており、“その気”になれば、いつでも「訓練生」に「DOR」(自主退学)の申請を提出させることができるのです。前回、彼はこう言っていました。
 
 『ときには汚い手段を使ってでも、貴様らの無能を暴く。パイロットとして不適格な奴らだ。わかったか?』
 
 事実、このダニエルズは、この後の「飛行機着水時の脱出訓練」において大変な失敗を犯し、結局、「DOR」によって去っていくことになります。
 
 結論的になりますが、「ダニエルズのDOR」、というより「ダニエルズに対するフォーリー教官の対応」は、最初からはっきりしていたようです。見た目にも「ひ弱な印象」のダニエルズは、早い段階で「DOR見込み生」とされていたのでしょう。
 
 何といっても「フォーリー教官の職務」は、いかにして優れた「海軍航空隊の士官」を育てるかということにあります。「一人当たりの訓練価値」が100万ドルと言われるここでの訓練。国防そして国家経済的な見地からも、「不適格な訓練生」は、できるだけ早い段階で排除しなければならないのです。
 
 このシーンでの「ダニエルズ」に対する「フォーリー教官」のインパクトが強いため、後に出てくる「ザックのDOR危機」の意味と効果とが倍加することになります。このことは、物語の展開にとっても、重要な意味を持っています。(続く
 
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・車のバッテリーよ、永遠に!(中)

2012-05-05 07:02:14 | つれづれに(日記)

 

 祈り始めてものの数分、エンジンのかかる音がした。同じアパートの駐車場から、一台の軽自動車が出て行こうとしている。筆者は、自分でも驚くほどすばやく車を降りた。無論、“ダメもと”で「ブースター(充電用コード)」のことを尋ねるためだ。

 運転者は男性のようだが、顔はよく見えない。筆者はさりげなく笑みをつくりながら、動き始めた車に近づいた。

  ――おはようございます。
 
 運転席の「若い男性」が微笑み、車を停止させて頭を下げている。よく見ると、ゆうべ訪ねて来た「階下の部屋の青年」だ。ほっとした気持が瞬時に全身をめぐった。
 
 ――ゆうべはどうもすみませんでした。……車のバッテリーがあがってしまって。「ブースター」をお持ちではありませんか?
 
 そう言いながら、青年の表情を食い入るように見つめた。「藁にも縋(すが)る」想いだった。すると青年は、“残念そうな表情”で、  
 
 ――ああ。この車にはないんですねえ。
 
 『……そうだろう。やっぱり、世の中そう甘くはないんだ』と諦めかけた次の瞬間、
 
 ――でも、会社にはありますから。……実は僕「車屋」なんです。取ってきますよ。戻ってくるのに30分ほどかかりますけど、時間は大丈夫ですか?
 
 まさしく「地獄に仏」。もちろん「時間」など、どうでもよかった。
            
 それにしても何とラッキーなことだろう。いや「超ラッキー!」。ゆうべの「クレーム青年」が、今何よりも必要な「車のプロ」とは。「出来すぎた話」に、筆者は夢ではないかと本気で疑った。
 
        ☆
 
 「車屋(階下の部屋)の青年」が去った後、筆者は、青年に対する「お礼」のことを考え始めた。どの程度の報酬が適切だろうか。タクシーを止めて充電してもらったときは、「15分ほどの実車」という想定で2千円を払ったことがあった。
 
 そのため、今回もその程度でと想った。だが「同じアパートの住民」ということで、「現金」は受け取ってもらえないかもしれない。そこで閃いたのが、貰い物の「ビール券(6本)」だった。これなら、何とかなりそうだ。
 そう想った筆者は、車の「ボンネット」を開け、いつでも「ブースター」を接続できるようにして部屋に戻った。
 
        ☆
 
 5、6分探してはみたものの、肝心の「ビール券」は見つからなかった。やむなく車に戻ろうとして2階の廊下から「駐車場」を見た。
 すると、筆者の軽自動車の真横に、「バンタイプの車」が停車している。そしてその車の傍に、「車屋の青年」とは別人の「長身の青年」が佇み、筆者の車を気遣うように見ていた。
 
 「車屋の青年」が出発してから10分も経っていない。「往復30分」はかかると言っていたはずなのに。ずいぶん早い。ひょっとして、途中で会社に連絡したのかもしれない。それで「別の人」が駆けつけて来たのだろうか……。
 
 しかし、「わざわざ別の人が来たとなれば、明らかに緊急の出張作業」となる。つまりは「好意」ではすまなくなり、「ビジネス」となる。そうなれば、「ビール券」というわけにもいかないだろう。どうしたものかと考えながら、筆者は「長身の青年」に語りかけようとした。すると青年は、 
 
 ――おたくだったんですね。夜、ライトが点けっぱなしになっていましたから。どの部屋の方なのか、部屋(号室)が判れば教えてあげることができたんですが。
  
 「ボンネット」が「上がっている」ので、『やっぱり』と思って足を止めたようだ。
 この青年「M君」は、「アパート」の「すぐ隣りの家」に住んでいる。しかも、何と「中古車センター」会社に勤務しているという。つまりは彼も「車のプロ」なのだ。
 
 「通行人」も「車」もほとんど見かけることのない高台住宅地の頂上。そこで「姿を見かけたたった2人の青年」が、2人とも「車のプロ」であるとは。何という偶然”、そして“タイミング”だろうか。どんなに「ご都合主義」のドラマでも、“ここまで都合よく”はいかないはずだ。
 
 しかも、この「M君」は筆者が何も言わないうちに、「バッテリーの充電」作業を、「自分がなすべき義務いや使命」であるかのような雰囲気で取り掛かろうとしている。      
 
 もちろん筆者は、「車屋の青年」が間もなく駆けつけてくれることをM君に伝えた。
 
 ――じゃ、その方に……。
 
  そう言うM君の顔に、一瞬、“小さな落胆”が走ったのを筆者は見逃さなかった。その表情には、『あなたのお役に立ちたい』と心の底から訴えかけるような眼差しが感じられた。
 何と素晴らしい青年だろうか。
 
 よく見れば、なかなかの「イケ面」である。その「整った顔立ち」には屈託のない笑みと優しさが溢れている。次の瞬間、筆者は―、
 
 ――でも、今あなたにやっていただきたいと思います。お願いします。
 
 「車屋の青年」のことは、どうにでもなると思った。おそらく「神」は、今目の前にいる「M青年」を選ばれたのだ。それに素直に従って行こう。
 
 筆者の心に、“その想い”がストンと心地よく降りてきた。(続く
 
 
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・『愛と青春の旅だち』−5/映画を読み解く:6

2012-05-02 20:55:04 | 映画を読み解く

【6】 “しごき軍曹”の片鱗

 ザックの所へと近づいてくるフォーリー軍曹。
 
 ―今笑ったか?
 
  そう言いながら、帽子の「ツバ」でザックの頭を突き押すような「動作」を見せるフォーリー軍曹。何でもないような「動作」ですが、巧みに計算された「演出」そして「演技」です。 
 
 
 ――(ザックに向かって)俺の顔を見るな。目玉をくりぬいてやるぞ。 
  
 軍曹は言います。『こんなナマクラ(ザック)を。海軍も落ちたもんだ』と。そう言ってザックの前を通り過ぎようとした軍曹は、ザックの左肩の「貼り物」に気づき、それを勢いよくはぎ取るのです。無論、そこには「イーグル(鷲)の刺青」があり、軍曹は吐き捨てるように言います。 
 
 ――貴様の勲章は永久にそれだけだ。マヨネーズ(ザックのこと)!
 
 ザックにとっては、「最悪」ともいえるフォーリー軍曹(訓練教官)との“出会い”です。しかし、物語的には両者の“その後”を暗示する「伏線」となっています。
 
 軍曹はこのあと、ひときわ背が低い「デラ・セラ」の前に立ち、「テキサス工科大学数学科」を優秀な成績で卒業した彼に、『DORの第一号にしてやる』という暴言を浴びせるのです。「DOR」とは「Drop on Request」(=希望退学)を意味しています。
 つまりは、途中で退学するように“かわいがってやる”という意味です。 
 
        ☆
 
 「全コース」終了までに「半数」は脱落するという訓練。軍曹は、整列している全員に向けて、
 
 ――ときには汚い手段を使ってでも、貴様らの無能を暴く。パイロットとして不適格な奴らだ。わかったか?
 
 全員『イエス、サー』と答えるのですが、軍曹は続けて、
 
 ――卒業時には、100万ドル相当の技術が身につく。その前に私の教練に耐えるのだ。
 
 「基礎訓練」は「13週間」行われます。その後、訓練生は6年間海軍に拘束されることになりますが、フォーリー軍曹も述べるように、当然、その間に「実戦出動」ということもありうるのです。
 
 ――女子供の頭上にナパームを投下できるか? 出来ぬ奴は容赦なく切る
 
 というフォーリー軍曹の言葉は、私たち「観客へ向けたメッセージ」ともなっています。「訓練教官」と「訓練生」との立場の違い。偉大な国家権力に支えられ「軍隊」という組織の一面。無駄なく端的に表現しています。
 「ナパーム」 とは「ナパーム弾」という「焼夷弾」のことであり、1,000度前後の高温で広範囲を破壊し焼き尽くすようです。
 
 
 【7】 「ポーラ、リネット」と「訓練生」
 
 次のシーンは「製紙工場」の全景、そして工場内ですね。作業従事中の「ポーラ」と「リネット」が映り、すぐに終業となります。
  後片付けも「そっちのけ」で、ポーラを促して外へ出ようとするリネット。 
 
 
       ☆   ☆   ☆
 
 
 次のシーンでは、坊主頭のデラ・セラが出てきます。軍曹が、『女の子にもてる』と言いながらその頭を撫でています。軍曹は、「航空隊のパイロット目当ての女性たち」が「週末ごとに基地に押しかけて来る」と語ります。
 
 つまり、基地周辺近くの「若い女性たち」は「パイロットとの結婚」を夢見ている」といい、その「罠(わな)」に「かからない」ようにと注意を促しているのです。
 この「」というのは、後に「非常に重大な意味」を持つことになります。
 
 ポーラやリネットが、その「女性たち」の「一人」となる可能性があることも示唆しています。後に明らかになりますが、その昔「ポーラ」の母親も基地の士官と恋仲になり、その結果、生まれたのが「ポーラ」だったのです。
 現在のポーラの父親は再婚相手であり、軍人ではありません。
 
       ☆   ☆   ☆
 
 次のシーンは、「車の中」のポーラとリネット。運転するリネットの隣りで、ポーラが着替えています。無論、行く先は「海兵隊の基地」であり、訓練生や若い士官が「お目当て」です。
 
 慌てて着替え終えたポーラが車を止め、運転をリネットと交代するシーンがあります。一見、何でもないシーンなのですが、基地へ急ごうとしている「夢見る若い女性の心の弾み」が巧みに描かれています。
 
 裸足で車から降りたポーラが、右手で背中のホックか何かを止めながら左手で運転席のドアを開けようとしていますね。その姿が何とも色っぽく“いじましく”、とても“キュート”です。よくご覧ください。
 
 リネットと運転を替わったポーラが、車を発車させた直後に、後方確認のために慌てて後ろを振り返っていますね。「つなぎのシーン」であっても、決して手を抜いていません。いかに急いでいるかを、さらりとリアルに“コミカル”に表現しています。
 個人的には、こういうシーンが大好きです。監督、カメラマン、そして編集者のセンスがよく判るからです。
 
       ☆   ☆   ☆
 
 【8】 訓練生の入寮
 
 訓練生は「一部屋4人ずつ」。上下2人用の2段ベッド。この入寮初日、ザックは自分が本来「下のベッド」となっているのに気づき、すかさず自分の名前が書いてあるヘルメットを「上のベッド」に上げ、上にあったヘルメット(それはダニエルズのもの)を下に置きます。
 
 その間、ザックは「一瞬たりともためらってはいない」ということです。普通の人間であれば、多少は良心の呵責を感じて躊躇するのでしょうが……。
 このような「非情な判断」と「俊敏な行動」こそ、「士官」そして「パイロット」に求められている「資質」であるということです。
 
 訓練生が整列している際に、フォーリー軍曹が語った言葉を想い出してください。こう言っていましたね。
 
 『女子供の頭上にナパームを投下できるか? 出来ぬ奴は容赦なく切る!』
 
 刻々と戦況が変わる戦場において、迅速かつ的確な判断と行動は絶対的といえるでしょう。「要領がよい人間」といえば、一般的には好ましくないわけですが、ここ「軍隊」ではまさに「それ」が求められているのです。
 
 ここで「象徴的なこと」は、本来は「上のベッド」であるべき「ダニエルズ」が、「ザック」によって「下のベッド」に追いやられたと言う「事実」です。後にダニエルズが訓練落伍生となり、「DOR」を申請して去って行くことを考え合わせるとき、とても意味深いものがあります。(続く
  
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・『愛と青春の旅立ち』−4/映画を読み解く:5

2012-04-28 13:49:32 | 映画を読み解く
 
 【4】 航空士官訓練学校――「フォーリー軍曹」(訓練教官)の登場
 
  オートバイに乗ったザックが、『パイロット訓練学校』へやって来ます。ここは「海兵隊の基地」であり、その施設の広大さと「軍隊という組織の大きさ」……。それに対する「訓練候補生」という「一個人の小ささ」のようなものを対比させています。
 
 オートバイを降りたザックが、「モニュメントのジェット機」の所に到着します。ここで最後の「クレジット」として、脚本、製作、そして締めはもちろん『directed by Taylor Hackford』と、監督の「テイラー・ハックフォード」が紹介されます。
 
  その画面右手に、「訓練生」となるために集まって来た青年たちが、モニュメントの周囲に「たむろ」しています。ジェット機とそれを取り巻く右手の「訓練候補生」と左手の「ザック」という構図。この瞬間は「まったくの他人」である「彼ら」と「ザック」。しかし、のちに親友となっていく彼ら。巧みな配置の演出です。
 
 何よりも、「思い思いの服装と格好」により、リラックスして待機している「訓練候補生」の雰囲気がよく出ています。「映像」が、いかに「瞬時」に「物事を語りうるか」を如実に示しています。
 「このシーン」は、ザックを含めた「彼ら個々の成長」と「人間関係の深化」という「その後」の比較とにおいても、重要なカットそしてシーンとなっています。
 
        ☆
 
 次のカットは、『THROUGH THESE DOORS PASS THE FUTURE OF NAVAL AVIATION』〔海軍航空隊の未来の強者(つわもの)ここを巣立つ〕という碑文。
 
 その碑文のある「階段」を、ダークブラウンのズボンと黒靴だけが映った「一人の人物」が降りてきます。人物は階段を下りたところで足を揃えて静止し、五体を左90度に向け、再び歩き始めます。
 
 左脇にステッキ(指揮棒)を挟んだ左肩一部が映り、次に「襟章」「胸章」そして「帽子」だけが映ります。黒人ということは判っても、顔や全身の映像はまだありません。
 
 次のカットは、「帽子」だけを映したカメラが徐々にロングに引きながら、その「後頭部」と「肩から上」を映し出しています。そこでこの人物の命令口調の「」が発せられます。
 
 ――Fall in! (集まれ!)
  
 彼はジェット機の周りに「たむろしている青年たち」に集合整列の合図をかけたのです。
 
 ――I said “Fall in”, you slimy worms.(集まれ! ウジ虫ども)
 
 
 ここでようやく「飛行訓練学校」訓練教官の「エミール・フォーリー軍曹」の正面上半身が映し出されます。いかにも「しごき」そうな「訓練教官」の雰囲気が漂っています。見事な登場の仕方であり、また「させ方」といえるでしょう。
 ここまでわずか25,6秒。その見事さには溜息が出るばかり……。
 
 この映画の中で一番好きなのが、実は「この登場シーン」です。何十回観ても飽きません。「映像」として、また「カット」の「編集(つなぎ方)」としても秀逸であり、「フォーリー軍曹」をいっそう魅力あるものとしています。
 
 この「登場シーン」が引き立つのも、「思い思いの服装と格好で集合を待っていた」青年たちの「リラックスした雰囲気」によるものです。またこのシーンは、次の「訓練生の整列」と「教官の言い回し」のシーンへの見事な「つなぎ」を果たしています。
 
 私は「ルイス・ゴセット・ジュニア」がこの「フォーリー軍曹」役で「アカデミー助演男優賞」を受賞できた最大のポイントは、この「登場の仕方」と「整列シーン」にあったのではないかと思えてなりません。
 
 それにしても「ウジ虫ども」とは……凄い表現ですね。でもこういう表現は、当時の米国軍隊の「伝統的な歓待のメッセージ」なのかもしれません。
 
        ☆
 
 参考までに言えば、トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ』においても似たようなシーンがありました。
 
 それは陸軍に入隊した主人公(フォレスト・ガンプ)が、「訓練所」への軍用バスに乗るシーンがあります。そのとき、自分の名前を告げてバスに乗り込むわけですが、名前を名乗った彼に、運転手(もちろん軍人)は、「口にすることも憚られるような台詞」を浴びせます。このときの「日本語のテロップ」にも「ウジ虫」という文字が流れていました。
 
 ついでに言えば、フォレスト・ガンプが入った新人訓練所の教官も「黒人」であり、号令の掛け方など、まさに『愛と青春の旅立ち』の「パクリ」ともいえるものでした。というより、「オマージュ」と言ったほうがいいのかもしれません。
 
 
 【5】フォーリー軍曹とシド
 
 それにしても、この「整列シーン」は見事です。まったく無駄がありません。適度の緊張とユーモアの中に、「国家そして軍隊組織の途方もない大きさ」と、それに対する「新人訓練生の吹けば飛ぶような存在感の軽さ」のようなものが、暗黙のうちに描かれているからです。 
 
 軍曹が『Anderstand?(判ったか?)と尋ねたら、Yes, sir と答えろ!』と言い、『Anderstand?』そして『Yes, Sir』を2回繰り返させるシーンがあります。この雰囲気と声の調子がとてもいいですね。いかにも「しごき教官」と「訓練生」という感じがよく出ています。
 
 この整列の際、フォ−リー軍曹は黒人の「ペリマン」を手始めに、「シド」、「ザック」、そして「デラ・セラ」に絡んでいますね。巧みな「人物紹介」であり、各人物の持つ雰囲気を瞬時に表現しています。
 
 ともあれ、「この整列シーン」の素晴らしさは、言うまでもなくフォーリー軍曹の「啖呵調の台詞とその口調」にあります。さんざんシドをからかった後、軍曹はシドに尋ねます。
 
 ――出身はどこだ?
 ――オクラホマです。
 ――ああ。名物を(たった)2つ(だけ)知っている。
 
 
 この最後の行の台詞の原語(原音)をぜひ確認してください。フォーリー軍曹は、実はこう言っているのです。
 
 
 ――Only two thing come out of Oklahoma. Steers and queers. 
 
 おわかりですね。「Only」と「Oklahoma」の「O」の「頭韻」、そして「Steers」(去勢牛)と「queers」(ゲイ)の「脚韻」が、この台詞回しをとてもリズミカルに歯切れよく、つまりは心地よいものにしているのです。
 
 引き続き軍曹は尋ねます。『お前はどっちだ?』と。そしてさらに『貴様は? 角はない。ゲイの方だな』。
 シドは答えます。『ノーサー!』。すかさず軍曹『ささやくな! ヘンな気になる』。シド『ノーサー』。
 
 この二人のやりとりに、「ザック」が小さく苦笑します。「軍曹」は「ザック」の方を睨み、歩み寄って来るのです。(続く
 
 
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・車のバッテリーよ、永遠に!〔上〕

2012-04-21 15:44:59 | つれづれに(日記)

 

 ◆宅建講座の開講(4月16日)◆

 4月16日、「宅地建物取引主任者養成講座」の「開校式」だった。これから約4か月間、筆者も「主任講師」として新学期を迎えた。

  昨年の6月〜12月まで、やはり同種講座の講師を勤めた。「福岡」と「北九州」の「2教室」を受け持ったことは、「本ブログ」でも紹介済みだ()。
 その福岡教室」(福岡市内)へはマイカー通勤(約45分)、「北九州教室」(西小倉)へは、JRでほぼ1時間だった。
 
       ☆
 
 ところが「今回の教室」は、片道56kmものマイカー通勤。教室は福岡県久留米(くるめ)市の殖木(ふえき)という所にある。福岡都市圏の居住者からすればかなりの田舎だが、「自然」が好きな筆者にとっては「魅力いっぱいの風景」だ。
 
 ちなみに「久留米市」といえば、「ブリジストン・タイヤ」の発祥の地であり、「松田聖子」と「チェッカーズ」の出身地としても知られている。
 また同市にある「久留米付設高校」は有数の「名門進学校」であり、卒業生には現在服役中のホリエモン氏や、筆者が尊敬するジャーナリストの鳥越俊太郎氏の名前が見える。中退した著名人としては、ソフトバンクの孫正義氏だろうか。
 
       ☆
 
 翌日17日は「授業第1目」であり、開始時間は9時20分。朝6時40前に家を出発すれば、2時間ほどで到着する(はずだ)。仮に2時間半かかったにしても「授業」には間に合う。 
 事実、前日の「開校式」は用心して6時15分に出発したため、7時45分には到着していた。1時間半しかかからなかったことになる。
 
 そこで筆者は、「授業の日」は「6時45分」に家を出ることにし、起床時間を「6時」と決めた。念のため、その前後15分の「5時45分」と「6時15分」にも目覚ましをセットした。
 
 緊張と清新な気持の4月17日――。前日12時過ぎに布団に入ったにもかかわらず、「4時半」に目が醒めた。よほど緊張していたのだろう。「二度寝入り」して「寝過ごし」てはまずいと思い、そのまま風呂に入った。その後、「授業ノート」に目を通し、また友人等への返信メールを綴った。
 
 予定より「1時間半」も早く起き、あれこれはりきったため、“早目に家を出よう”という気持になった。早く「到着」すれば、車の中で「ひと眠り」してもよいし、再度「テキスト」や「法令集」に目を通すこともできると考えたからだ。
 そこで車に乗り込み、『いざゆかん!』という気持ちでエンジンキーをかけた。
 
 
 ……だがである。エンジンがかからないのだ。もしやと思って見ると、「小ライト(スモール)」がONになっている。つまり、「車のバッテリー」が「あがって」しまったのだ。その瞬間、一年前の「引越しの日」と「その翌日」の「バッテリー騒動」の記憶が甦って来た……………。
 
 
        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
 
 
 ◆1年前の「引越しの日」に……◆
 
 ……………昨年3月末の「引越しの日」、「荷物」を片付けていた
 そこへ真下の部屋に住む青年から、「もう少し静かにして欲しい」との申し出を受けた。とはいえその言い方は穏やかであり、紳士的だった。筆者はひたすら謝罪の弁を述べた。
 
 以前は「鉄筋マンション」の「1階」であったため、誰に遠慮することなく好き勝手に部屋の中を歩き回り、また行動していた。
 しかし、鉄骨系のアパートとなれば、遮音性はぐんと落ちる。そのことを身をもって体験することとなった。
 
        ☆
 
 引越しの翌日――。午前10時半に知人に会うために出かける必要があった。知人宅はものの30分もあれば着くのだが、途中「区役所」に立ち寄って諸手続きをすませるつもりだった。
 そこで8時40分頃、車のエンジンを掛けようとした。だが「うんともすんとも言わない」。何と「バッテリーが上がって」いる。今回同様、「小ライト」の消し忘れだった。
 
 ショックが全身をめぐった。「引越し前のマンション」(福岡市中央区梅光園)時代であれば、すぐ近くに実兄がいたため、携帯電話をかければ、ものの数分で「ブースター」(バッテリーを充電するための接続コード)を持って駆けつけてくれたのだ。
 
 だが現在のアパートは福岡市外れの「東区」。しかもその郊外の丘の上と来ている。何よりも実兄宅からは、車でゆうに1時間以上を要する。
 
 『さて、どう対処すべきか?』と、気休めに平静さを装ったものの、ショックは麻酔薬のようにいっそう全身をめぐった。以前のマンションなら、数十メートル歩けば幹線道路に出ることができ、いくらでもタクシーに充電を頼めた。
  無論、それなりの「お礼」をするわけだが、何といっても、あっという間に問題が解決する。事実、以前のマンション時代にはこの方法で解決したことがあったのだった。
 
 しかし、ここは「頼りになる実兄」はおらず、「道路に出るまで10分以上」も坂道を下らければならない。「JAF会員」でもなく、引越してきたばかりで、近くに友人知人もいない。
 
 筆者は「絶望的な気持」で「神」への文句を呟きながらも、それでもまじめに祈った。“神頼み”しか、「他に道」はなかったからである。(続く)
 
       ★   ★   ★
 
※『ランチボックスのエレジー』(上・中・下:平成23年6月13日、17日、21日)
※『玉虫色とマキアージュ』(上・下:平成23年12月10日、14日)
 
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・『愛と青春の旅立ち』−3/映画を読み解く:4

2012-04-14 15:09:37 | 映画を読み解く

 

 【2】続・父と息子(父バイロンの部屋)

 ここで先に明かしますが、カレッジ(大学)を卒業したザックは、どうやら父親のところに「卒業の挨拶」に来たようです。そこで父親の住まいに「泊った」というわけでしょう。
 父親がザックに尋ねます。
 
 
 ――これからどうする?
 ――いいか。腰を抜かすなよ。
 ――驚くもんか。言ってみろ。
 
 揶揄するような父親の口調。ザックは「海軍に入る」ため、「これから、レニエ基地の士官訓練学校に入校する」ことを告げます。父親は――、
 
 
 ――なぜだ?
 ――そうしたいんだ。
 
 
 皮肉を込めて笑う父親。そして―、
 
 ――大統領に立候補するようなもんだ。そうだろ?
 
 父親はそう言って、「洗面コーナー」(トイレもあるところ)の小さな吊戸棚を手で敲きます。その態度は、口にこそしませんが『そんな馬鹿げたことを』といった蔑(さげす)みの気持が込められています。
 
 ――刺青(いれずみ)の士官か?
 
 と侮蔑な表情の父親に、ザックは洗面の流しに唾を吐き、『じゃ、また』と言って「出入口」のある「寝室」へと歩いて行きます。不快感をこらえているのが、よく判ります。
 
 ――ザック。怒ったのか? 
    ……お前のためを思って言っている。お前は俺と同じだ。士官の器じゃない。
 ――僕に敬礼するのが嫌なんだろ?
   ※ザックが訓練学校を終えて「士官」になれば、「下士官」の父親より「階級が上」になることを意味しています。
 ――馬鹿言え。何を言う。
 ――それが本音だろ。
 
 まともな父と息子の会話ではありませんね。ザックは明らかに早くこの部屋を離れたい、つまりは父親の所を立ち去りたいのです。部屋から出ようとドアに手をかけたザックは、部屋の中央(画面下)に視線を向けながら言います。
 
 ――「卒業祝い」ありがと。
 
 自嘲気味にそう言い残して「部屋」を出て行くザック。父親は『怒ることないだろ』とザックの背中に言葉を浴びせ、何か言いたげな表情で引きとめようとします……。無論、父親はパンツひとつの姿です。
 ザックが「」に視線をやったのか。父親からの「卒業祝い」が何であったのか。……もうお判りでしょう。
 
       ☆
 
 映画の「始まり」からここまでジャスト9分。実に内容のある第1シークエンスです。長すぎず短かすぎず、主人公の「生い立ち」と、今後予測される彼を取り巻く人物たちとの関わりを暗示しています。見事な導入部であり、観客の関心をぐっと引き込むことに成功しています。
 「脚本」と「編集」、そしてそれを見極め得た「監督」の勝利といえるでしょう。
 
 
 【3】レニエ海兵隊の「士官訓練学校」へ向かうザック
 
 「父親の部屋」を出た後、右肩の刺青を貼り物で隠すザック。これから「レニエ基地」にある「士官訓練学校(パイロット訓練)」へと向かうためです。
 
 ここで初めて「音楽」が流れます。この映画の「テーマ曲」であり、このタイミングも秀逸で無駄がありません。
 
 同時に、オートバイに乗ろうとするザックが映り、画面左上に「ザック・メイヨ」役の「Richard Gere」(リチャード・ギア)、それが消えて左下に「ポーラ・ポリフキ」役の「Debra Winger」(デブラ・ウィンガー)の名前(クレジット)が続きます。
 
 その次にようやく、「タイトル・クレジット」の『An Officer and a Gentleman』が出て来ます。
 3番目のキャスト名は、ザックの親友「シド・ウォーリー」役のデビッド・キース、4番目は、ザックの父親「バイロン・メイヨ」役のロバート・ロッジ、5番目はシドのガールフレンドとなる「リネット・ポメロイ」役のリサ・ブラント、6番目は女性士官候補生「ケイシ−・シーガー」役のリサ・アイルバッハーのクレジット(名前)と続きます。
 
 キャストの最後は、「and Louis Gossett Jr. as Foley」(ルイス・ゴセット・ジュニア〔フォーリー役〕)という「特別扱い」のクレジットにより、訓練教官「エミール・フォーリー軍曹」が紹介されます。この映画での彼の存在の大きさが判るというものです。
 
 
 ◆「クレジット」(スタッフやキャスト名)も「映画を読み解く」カギ
   
 「タイトル」が出る前に「リチャード・ギア」(ザック役)と「デブラ・ウィンガー」(ポーラ役)の2人が続けてクレジットされたのは、二人の「緊密な関係」を示唆するものです。と同時にこの映画が、ザックとポーラを第一とした物語であることを示してもいます。
 
 一方、同じように恋人同士となる「デビッド・キース」(シド役)と「リサ・ブラント」(リネット役)は、両者の名前の間にザックの父親役の「ロバート・ロッジア」の名前がはさまれていますね。つまり、ザックとポーラの場合のように「連続」してはいません。
 これはシドとリネットの二人が、「微妙な関係」となることを暗示しているのです。
 
 最後に出て来る「ルイス・ゴセット・ジュニア」のクレジットについては、配役上の重要性を見事に示しています。やはり「アカデミー・助演男優賞」を獲得するだけの貫禄でしょうか。製作者や監督はそれを狙っていたのかもしれません。そんな気がします。
 
 日本映画は、ハリウッド映画ほど「キャスティングのクレジット」にこだわらないような気がしますね。
 
 ともあれ、この「フォーリー軍曹」が「ザック」と「ポーラ」、「シド」と「リネット」という2組の青年男女の人生に、とてつもなく大きな影響を与えることになるのですが……。as Foley」と「役名」が入っているのは、このルイス・ゴセット・ジュニアだけです。
 
 このように、何気なく「画面」に流れる「スタッフ」や「キャスト」名を示す「クレジット」には、そういう深い意味が含まれていることもあるのです。というより、そうなのです。
 
 「クレジット」の「デザイン」や「字体」や「大きさ」、さらには「表記順序」といったものも、映画マニアにとっては「映画を読み解く」大きなカギであり、楽しみともなっています。〔続く
 
 
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・『愛と青春の旅立ち』−2/映画を読み解く:3

2012-04-11 12:13:46 | 映画を読み解く

  【1】父と息子(父バイロンの部屋)―ワシントン州シアトル ●ファーストシーン

 ☆☆……映画が始まり、薄暗い部屋(父親・バイロンの部屋)の窓辺だけが見える。画面に製作・配給会社、プロダクション、製作者などのクレジット(名称)が順次流れ、その後、「シアトル、ワシントン州」と出る。主人公の「青年ザック」が右手から登場し、薄地のカーテンを開ける。

 ザックは半分下がったロールスクリーンを上げるかと思いきや逆に下げる。ただでさえ薄暗い部屋がいっそう薄暗くなる。そのため、窓辺以外はほとんど見えない。ザックは右下の暗みに視線をやり、緩慢な動作で身体を正面に向ける。

 次のカットは、抱き合ったままベッドで眠っている全裸の男女。男はザックの「父親」のバイロンであり、その手は女性の裸体に触れている。よく見ると全裸女性は2人のようだ。
 
 「青年ザック」は父親に語りかけようとしてベッドの脇に屈み、眠っている父に呼びかけようとする。
 その「カット」のまま、「フィリピン航空118便がフィリピンのマニラ空港に到着した」旨のアナウンスの音声が「かぶり」、……☆☆
 
 ★★……その3秒後、「到着機」の前をキャビンアテンダントに付き添われた「少年ザック」が歩いて来る。アメリカ合衆国から来た少年が、マニラに降り立ったことを意味している。……★★
 
 
 ここから、ザックに関わる「現実(青年時代)」と「回想(少年時代)」シーン(カット)とが交互に織り成されます(カットバック)
 そこで回想シーン」は「★★…………★★」のように、また「現実シーン」は「☆☆………☆☆」のように表記し、私の「コメント」部分は◆【   】◆で囲みます。
 
      
       ◇  
 
 ☆☆……再び「全裸の父親」のベッド脇にいる「青年ザック」のカット。彼は眠っている「父親」の耳元に呼びかける。
 
 ――Hey.……☆☆
 
 ★★……「シーン」はマニラ空港に戻り、「少年ザック」が空港に出迎えに来た「父親」に呼びかけられている。
 
 ――Heykid.Are you Zack?(ザックか?)
 ――Yes, sir.(そうです。)
 ――I’m Byron.Nice to meet you.(わたしがバイロンだ) ……★★
  
 ◆【この映画の中で、「青年ザック」が「父親」に「最初に呼びかける言葉」も、そしてかつて「父親」が「少年ザック」に最初に呼びかけた言葉」も、同じ「Hey」でした。
 
 『ザックか?』という呼びかけは、まるで他人の子に呼びかけるかのようです。いかに「父親」が「少年ザック」と永い時間会っていなかったかを示唆しています。
 また「Yes. sir.」という「少年ザック」の返事も、およそ実の「父親」に対するものとは思われません。「普通の父と息子の間柄」ではありえない、二人だけの独特な関係が端的に表現されています。 
 
 このあと、「現実」と「回想」との「カットバック」が何回か繰り返され、その中でいくつかの事実が明らかにされます。
 
 第1に、海兵隊下士官の「父親」が原因で、「母親」が自殺したこと。
  その原因は「すぐに戻る」と約束した父親が「4か月間」も連絡しなかったことにあるようです。    
 第2に、そのため「少年ザック」が「父親」と住むため「米国」から「フィリピン」に来たこと。
 第3に、「父親」はマニラに「娼婦2人」を囲い、「少年ザック」はその3人と暮らすこと
 第4に、「父親」は「少年ザック」を手元に置きたくないため、バージニアに戻って欲しいと思っていること。
 
  しかし、「少年ザック」は戻りたくないと言います。すると「父親」は不機嫌な表情でそのことを叱り付けます。
 
 母親を亡くし、満足な身寄りもない「少年ザック」は、《他に行くところがない》のです。このことは、「士官訓練学校」での「ある事件」の場合同様、とても大きな意味を持ってきます。
  
 父親は自分を正当化するためにいろいろな理屈を持ち出し、また嘘をついています。しかし、アメリカに帰ると約束したはずの父親が帰らなかったことで、母親は自殺するのです。
 少年ザックの言葉によれば、父親は母親への手紙の中で『戻ると約束し、母親を愛している』と書いていたようです。 
 しかし、父親は戻らなかった。少年ザックが父親に向けて放つ、
 
 『And she believe you.You are a liar.(お母さんはお父さんを信じていたんだ。嘘つき!)』
 
 という言葉は「痛切な響き」を持っています。
 
 しかもこの一節は、青年ザックの「現実の姿」にオーバーラップしています。つまり、青年ザックの目の前には、少年時代に自分に「嘘つき!」と言わせたその父親が、全裸姿で二人の女性とベッドに寝ているのです。巧みな「回想シーン」(カットバック)であり、一瞬のうちに父と息子の微妙な人間関係を表現しています。】◆ 
 ※なぜ女性が2人いるのか、ザックが父親の部屋を去るときにその意味が判ります。とても重要な意味を持っています。 
 
 
  ☆☆……「青年ザック」が煙草を喫いながら、「寝室」から「洗面台」のある方へやって来る。「寝室」では、ようやく起き出した全裸の「父親」がパンツをはく姿が小さく映っている。……☆☆
 
 ★★……遊郭街の回想シーン。「少年ザック」がストリート・ガール(娼婦)に冷やかされながら歩いている。この後、「少年ザック」は、地元の少年に人気のないところへと誘われ、暴行の末お金を盗られる。……★★
 
 ☆☆……冷蔵庫からビールを取り出した父親が、ビンを見ることなく蓋をはずし、何のためらいもなくそのまま蓋を床に投げ捨てる。そのアルミの蓋がほんのちょっと転がって音を立てる。だがすぐに止まる。 
 
 ◆【シーンの作り方として、とても素晴らしいカットです。父親がいかに日常的にそのような行動をとっているかを一瞬のうちに描ききっています。「父と息子」とのシーンの中で、私が一番好きなカットです。
 
 「いかにもだらしがない父親」の味が見事に出ています。周到に計算された演出であり、また演技ですね。何よりも、「父親」と「息子ザック」の関係と、それぞれの人格を象徴的に表していもいます。】◆ (続く)
 
 
 
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・夕桜ふりむくたびに濃くなりぬ  指宿幸子

2012-04-07 14:09:36 | 俳句・短歌・詩
 
 ちょうど1年前に引越して来ました。元の住まいは、街路や遊歩道に「」の樹が当たり前のようにあり、蕾から開花そして葉桜となるまでの日々を愉しむことができました。 
 
 しかし、今居る福岡の東の外れは、都心の天神・博多駅に比べて緯度がかなり北にあります。加えて玄界灘(日本海)の冷たい海風のために、“開花”が遅かったようです。
 というより「強い海風」は、“ゆっくり穏やかに咲いて、潔く静かに散る”といった“桜の風情”になじまないのかもしれません。そもそも「桜の樹」が少ないような気がします。
 それでも今現在、街路樹や公園、学校などを中心に、七、八分から満開、そして葉桜気味というところでしょうか。
 
 場所がほんのちょっと離れただけで、開花の状態にかなりのばらつきがあるようです。旧居の近辺では、開花から満開、そして落花から葉桜へとほとんど同時だったのですが。こうも違うものかと、このたび教えられました。
 しかし、それによって桜の“あはれ”をいっそう感じるとともに、その“けなげさ”を知る機会ともなりました。
 
       ☆   ☆   ☆
 
 歌人や俳人にとって、「」ほど創作意欲をそそるものはないのかもしれません。“雪月花”といい“花鳥風月”といい、両者に含まれているのは「花」と「」です。
 もちろん、この場合の「」はさまざまな種類の花をさしていますが、日本人にとっての「花」となれば、やはり「」となるのでしょう。 
 
 
   夕桜ふりむくたびに濃くなりぬ   幸子   
 
 
 
 天候が変わりやすい四月初め。思いもかけない日や時刻に、“花曇り”や“花冷え”、さらには“花の雨”に見舞われることがあります。夕暮れどきともなれば、街中にあっても冷気や寒さを感じることもしばしばです。その夕べ――。
  
 ここでの「桜」は、いつも目にする「桜」ではないのかもしれません。何処かに出かけていた作者は、家路を急いでいるようです。それでいながら、今しがた眼にした桜が気になり、ときどき後ろを振り返った……ということでしょうか。
 しかもその桜は、“花明かり”を感じさせるほど咲き誇っていたような気がします。結構大きな桜か、何本も連なっている桜並木か公園のようです。
 
 《濃くなりぬ》という表現に、“咲き溢れる花”の“明るさ”が“翳り行く”様子が感じられます。それとともに、桜の「花びら」の真実を巧みな写実で謳い上げています。
 
 この「桜」は、何処にでもある「ソメイヨシノ」なのでしょう。かぎりなく純白に近い淡いくれないの花びら。その小ささと薄さと、指先にすらその感触をとどめない軽さ。
 それだからこそ、その厖大な花びらの集積が映し出す“どこまでも淡いくれないの花明かり”に、いっそう心を奪われるのかもしれません。無論、その“花明かり”は、日の光の“移ろい”や“翳り”によって、万華鏡の彩にも似た麗しい変化を見せるのです。静かに、しかしすばやく……。
 
 大輪の牡丹や花びらが肉厚の椿などであれば、《振り向くたびに濃く……》とはならないでしょう。「小さく薄く淡いくれないの花びら」だからこその“明かり”であり、また“翳り”なのです。
 
  《振りむくたびに》は、「後ろを振り向く」動作であるとともに、「過ぎ去った時間や場所(場面)」、つまりは「来し方」を含んでもいるようです。《振り向く》ではなく、《振り向くたびに》というところに、「何度も何度も」というニュアンスがあります。
 
  「少しずつ暮れていく空の様相」――。その空の下、無意識のうちに「たった今通り過ぎて来たばかりの桜」を何度も振り返る作者。「振り返りたい」のは、「桜」だけではないのでしょう。「今ある自分自身も……」との想いが心のどこかにあるようです。それが「夕暮れの桜」に触発されたというのでしょうか。
 
 
 無論、この桜はいずれ散っていくのですが、《濃くなりぬ》にその予感を秘めています。というより、桜の樹をよく観察すると判ることですが、一本の樹の中にも、蕾のものから三分、五分、七分八分、そして開ききったもの、まさに今散っているもの、そして既に散り終えたものと実にさまざまです。
 
 無論、何度も振り返って観ていた作者の目にも、落花している花びらが映っていたことでしょう。
 
       ☆   ☆   ☆
 
 実はこの作者、筆者の実の妹です。最近は彼女もあまり句作をしていないようです。以前は、何度か彼女の句の感想を電話などで述べたことはありましたが。
 しかし、「鑑賞文」として採り上げるのは、今回が初めてです。女性的感性と抑制のよく効いた秀句でしょう。
 
 その作者のいる東京は、いま「満開」とのこと。今年はどのような「秀句」をものにした……いえ、ものにするのでしょうか。
 
 
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・『愛と青春の旅立ち』−1/映画を読み解く:2

2012-04-04 00:04:46 | 映画を読み解く
 
 ◆原題:『An Officer and a Gentleman』の意味◆
 
 『愛と青春の旅だち』の原題は『An Officer and a Gentleman』ですね。この「原題」には、“祈り”のようなものが込められているような気がします。それは最後にお話しするのがよいのかも知れません。
 
 英語にはあまり自信がありませんが、「Wikipedia」の「英語版」で見ると、「原題」の意味がある程度判ります。少なくとも、士官と紳士』といった単語どおりのものではなく、「軍人」の「心得」のようなものを表わしているようです。
 
 どうやら「英国海軍」のものが「米国」に伝わったと思われます。単に「Officer」としているのは、「陸・海・空軍」を問わず使われているためでしょう。「英国」海軍というのがポイントですね。何と言っても「Gentleman」の国ですから。
 
 訳としては、『士官(軍人)であるとともに、紳士たれ』というところでしょうか。
 
        ☆   ☆   ☆
 
 
 ◆「助演男優賞」と「歌曲賞」を受賞◆
 
 ところでこの映画は、1982年「アカデミー賞」の「助演男優賞」と「歌曲賞」を受賞しています。
 前者は、「訓練教官(軍曹)」役の「ルイス・ゴセット・ジュニア」が評価されてのものです。後者はすっかり有名になった「テーマ曲」ですね。「作曲」はジャック・ニッチェとバフィー・セント=マリー、「作詞」は「ウィル・ジェニングス」です。
 
 またこの映画は前回お話したように、アカデミー賞4部門にノミネートされました。「主演女優賞」「脚本賞」「編集賞」そして「作曲賞」です。受賞こそ逃したものの、このノミネートも納得できます。
 
 個人的には、「脚本賞」と「編集賞」を受賞して欲しかったのですが。この年のアカデミー賞は、『ガンジー』『ET』それに『評決』という話題作があり、「ライバルが強すぎた」といわざるを得ません。
  
 なにしろ『ガンジー』は、「作品、監督、脚本、撮影、編集」各賞の「製作主要5部門」を独占し、また「主演男優、美術監督・装置、衣装デザイン」の3部門も受賞、合計「8つのオスカー」を手にしています。
 
 それに加え、「作曲、音響、メイクアップ」の3部門にもノミネートされました。まさしく圧倒的な存在感を持った映画であり、私も半年ほど前に「DVD」で観ました。みなさんにもお薦めしたい優れた作品です。
   
         
 ◆優れた「脚本、製作、音楽、撮影、編集」そして「監督」◆
 
 実はこの映画をはじめて観たのはほんの半年ほど前です。それまで観なかったのは、映画の「タイトル」が気に入らなかったからです。「愛と青春……」など、いかにもという感じでした。 
 昔から、「愛」や「青春」をタイトルに使うものは、邦画・洋画を問わず、またテレビや小説等であっても好きになれません。
 
 それでもこの映画を観るようになった“きっかけ”は、とても単純でした。『ガンジー』のDVDを観たとき、同じ1982年のアカデミー賞受賞作品としてその存在を知ったからです。ことに「脚本賞」と「編集賞」に「ノミネート」されていたために観ようと思ったのです。
 
 以前にもお話したように、私は「映画・演劇」そして「TVドラマ」も、「脚本(シナリオ)」がすべてと思っています。同時に「映画」においては、「編集」もかなり重要なポイントとなります。このことは一般的にはあまり意識されてはいません。
 「脚本」や「監督」、「出演者」「撮影」「美術」「音楽」等がどんなに優れていても、「編集」がまずければ、それまでの全てが無意味となります。
 
 
 ◆「編集」の重要性◆
 
 「編集」」とは、「カット」や「シーン」のつなぎ方であり、膨大なフィルムの中からいかに的確なものをピックアップするかということです。短すぎず長すぎず、舌足らずにも喋りすぎにもならず、タイミングよく効果的にカットとシーンを積み重ねる……。そういう「作業」をいいます。
  そのため編集」の仕方によっては、その映画が伝えようとする「テーマ」や「狙い」そのものが大きく左右されるものです。 
 
 
 ちなみに「Wikipedia」の「映画の紹介」ページをごらんください。おおむね右端に「囲み記事」の形で「映画の概要」が列記されています。その「項目」と「順序」はほぼ決められており、上から順に「監督」「脚本」「製作」の各スタッフ名があり、「出演者」を挟んで、「音楽」「撮影」「編集」のスタッフ名と続いています。
 
 『愛と青春の旅だち』にしても、「スタッフ」の最初に「監督」(ティラー・ハックフォード)、次に「脚本」(ダグラス・D・スチュアート)が来ています。そして「製作」(マーチン・エルファンド)さらに音楽」(ジャック・ニッチェ)、「撮影」(ドナルド・ソリン)、「編集」(ピーター・ツィンナー)となっています。
 
 「製作が3番目となっていますが、しかし、実を言えばこの「製作者」が「一番エライ人」なのです。なぜなら「お金」を出す人であり、何よりも初めに「脚本」や「監督」を選ぶ人だからです。無論、「出演者」などについても大きな権限を持っています。
 
 もっとも以上のことは「ハリウッド方式」にその傾向が強く、日本では「クリエイティブな責任者」である「監督」により大きな権限がある……と言われてはいますが。
 
 ともあれ、まずはこの映画に関わった全ての「スタッフ」と「キャスト」に心からの敬意を表したいと思います。
 
       ☆
 
 ところでこの映画のDVDでは、「15」のチャプターに分けてあり、その各々に「タイトル」がつけられています。正直いって「どうかな?」というタイトルもありますが、概要を知るには便利です。 
 
 今回は、“映画を読み解く”の第1回目であるため、かなり詳細に分析することになるでしょう。
 
 次回より、「ストリー」に沿って読み解いて行きましょう。(続く)
 
       ★   ★   ★
 

 ※この映画についての感想などお寄せください。

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・映画を7倍楽しむ法/映画を読み解く:1

2012-03-31 00:25:59 | 映画を読み解く
 
 ◆「映画」は、文学、美術、音楽、演劇等からなる「総合芸術」◆
 
 『10回でも20回でも観たくなる映画シリーズ』の「下-2:終章」(2011年10月18日)において、将来、「映画鑑賞」の最適教材として、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペック主演の『ローマの休日』を採り上げる旨「予告」していました。
 
 ところが友人たちより、「対象映画」について6作品のリクエストが挙げられました。いずれも1990年以降に公開され、ともに何らかの「オスカー」を受賞した作品です。どれも優れたものであり、うち3つは《米映画協会(AFI)が選んだ米国映画ベスト100》にも入っています。
 しかし、いずれもこれといった「決め手」に欠けていたような気がします。
 
 そこで、他の友人たちの意見も参考にしました。「上記6点」に「新たに6点」を加えた「計12点」を「第1次審査」の対象とし、「第2次審査」において「4作品」に絞りました。もちろん私以下3人の審査員は、全員が「全12作品」を観ています。
 
 そして「第3次の最終審査」において、私に最終決定権が与えられました。そこで私は、「自分が何度も観たい作品」」を選びました。「何度も観たい」と思わなければ「原稿」など書けないでしょうし、何よりも「みなさん」に薦めることもできないでしょう。
 「第2次審査」に残った「4作品」は以下のとおりです(「公開年月」は「日本」)。
 
 1.『カッコーの巣の上で』
  1976年4月公開。監督/ミロシュ・フォアマン、主演/ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー。アカデミー賞主要5部門受賞(作品、監督両賞、主演男優・女優両賞、脚色賞)。他4部門にノミネート。
   
 2.『愛と青春の旅立ち』
  1982年12月公開。監督/ティラー・ハックフォード、主演/リチャード・ギア、デブラ・ウインガー。アカデミー賞2部門での受賞。他4部門にノミネート。
 
 3.『ショーシャンクの空に』
  1995年6月公開。監督/フランク・ダラボン、主演/ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン。アカデミー賞7部門にノミネート。 
  
 4.『アニーホール』
  1978年1月公開。監督・主演/ウッディ・アレン、主演/ダイアン・キートン。
  アカデミー賞4部門での受賞。他1部門にノミネート。
 
 
 ◆ 『愛と青春の旅立ち』を第1回作品に◆
 
 
 今回私が選んだのは、『愛と青春の旅立ち』(An Officer and a Gentleman:1982年日本公開)でした。
 この作品を通して、「映画の魅力」を語ってみたいと思います。
  
 ここでは、単なる「ストーリー」の展開や「俳優」の演技の評価にとどまらず、「総合芸術」としての「技術的な側面」にもスポットを当て、それがどれだけ「映画」の魅力となっているかを解き明かしたいと思います。
 
 結局映画」は、「人間とは何か」を描く芸術であり、そのために“生や死”、“愛や性”、“喜びや哀しみ”、“家族や国家“、さらには“平和や戦争”といったテーマを扱うものです。
 
 そして、ストーリーの展開や台詞(せりふ)だけでは表現しえない「人間の意識や感情、思想や行動」を、カットやシーンの巧みな積み重ねや画面背景、セット構成、照明、音楽等を駆使して表現するものです。
 
 そのため、監督や脚本家、それにカメラマンや編集者が伝えようとする「テーマ」や「視点」にも触れてみたいと思います。
 
 そこで今回のシリーズ「タイトル」は「映画鑑賞」ではなく、「映画を読み解く」としました。
 なぜなら「映画」とは、文学、美術、音楽、演劇等を総合的に駆使した芸術であり、単なる「鑑賞」といった受身の姿勢では、その真の理解は難しいと感じたからです。
 
       ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
 
 ◆映画を7倍楽しむために◆ 
 
 それではさっそく「本論」に入りましょう。いかにして、『映画を7倍楽しむ』かということですが、どんな「作品」(DVDやブルーレイ)を観る場合でも、次のことを念頭におきましょう。
 
 1.「映画」のよりよい理解のためにも、最低「3回」は観る。
 2.「特典付」を選ぶ。
 3.外国映画の場合、「音声」は極力「英語」にして観る。
 
       ☆
 
 「特典」で特に注目すべきは、当該映画の「監督」や「脚本家」が、その映画の進行に合わせて「解説」しているものがあります。特定のカットやシーンについての必要性や狙い、演出や俳優の裏話など、その「映画」そのものを理解するうえでも大変有意義です。
 何でもない小さな1カット、1シーンであっても、その映画のテーマそのものに関わる重要なものもあります。
 
 「外国映画」の場合、「音声」は「英語版」、ケースによって「日本語吹替版」があります。「字幕」は「英語」「日本語」「吹替用日本語」というのが一般的のようです。
 
 しかし、1回目は「音声」を「英語」(「フランス語」「ドイツ語」というものもあります)、「字幕」は「日本語」で観ましょう。
 そして2、3回目以降に、「ここぞと思う部分」だけでも「音声」と「字幕」を「英語」にして、「英文や英単語」を確認するのがよいと思います。
 
 俳優の「声の質」が、「配役」の雰囲気や人物の性格、人間性といったものを表現していることが多々あります。声が太いとか細いとか、甲高いとかハスキーといったことは、「キャスティング(配役設定)」においても重要な選定要因となっています。
 
 「ゴッドファーザー」でのマーロンブランドは、ほっぺに綿のようなものを入れて頬を少したるませていました。そのため「声」に「くぐもった感じの凄み」がありましたね。そういう「生の声」やその雰囲気を感じることも大切です。 
 
 また「日本語」では絶対に表現できない、「英文・英単語」だからこその「言葉のリズムや抑揚」そして「韻」などを楽しむことができます。 
 
 それでは、次回より『愛と青春の旅立ち』をともに読み解いてみたいと思います。 (続く)                                    
 
  
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◇ジャズとクラシック/ジャズの魅力と危うさ:1

2012-03-27 22:16:23 | Jazzに親しむ

 

 ◆「ジャズ」と「クラシック」との併行試聴◆

 「ジャズ」をよく聴くようになってからというもの、「クラシック」もよく聴くようになりました。

 初級者向けの基本ともいえるベートーベンの「運命」「田園」「第九(合唱)」をはじめ、ヴィヴァルディの「四季」、シューベルトの「未完成交響曲」、ショパンの「ノクターン」各曲、それにドボルザークの「新世界」などでしょうか。
 「クラシック」といえば、誰もがまず初めに聴く作品であり、昔はよく聴いたものでした。
 
 しかし、ショパンの「ノクターン」を除けば、どの程度最後まで真面目に聴いていたでしょうか。それでも「運命」と「四季」だけは、何とか「じっと我慢の子」で最後まで聴きとおした記憶があります。
 とはいえ、もちろん「いっぺんこっきり」です。とにかくクラシックは、1曲の演奏時間が平均40分前後かかることから、そう簡単に鑑賞することもできませんでした。
 
 しかし今回、「演奏時間」が苦にならなかったのです。歳のせいでしょうか。じっくり聴いていると、不思議なほどの“安らぎ”や“落ち着き”を感じました。それだからこそ、また聴きたいと想うのでしょう。
 
 今回、「運命」については、カラヤンとフルトヴェングラーという二人の指揮者のものを聴き比べました。前者は「ウィーンフィルハーモニー管弦楽団」(通称「ウィーンフィル」)、後者は「フィルハーモニヤ管弦楽団」(ロンドン)の演奏であり、いずれも1954年の録音盤です。両者の比較は、実に40年ぶりでしょうか。
 
     ☆  ☆  ☆
 
 「クラシック」を聴きながら、いつしか「ジャズ」との違いを想い描くようになりました。
 
 結論として言えば、「ジャズ」と比較した場合の「クラシック」の魅力とは、「アンサンブル(合奏)」としての“サウンド(楽器)の多様性”や“そのまとまりから来る重層重厚な響き”であり、また“サウンド・ハーモニー”の“深み”や“隙のない調和の美が際立っているからでしょうか。 
  
 「ジャズ」の立場から逆に言えば、いかにして「クラシック」の「アンサンブル」や「サウンド・ハーモニ」にないものを確立するかということでしょう。
 
 「クラシック」を聴き込むようになって、ますます「ジャズ」における「トリオ構成」の存在意義とその音楽性の特質を感じるようになりました。もちろん、この場合の「トリオ」とは「ピアノ」を中心とした「ベース(アコースティック)」と「ドラム」です。
 
 「ジャズピアニスト」たちが幼少の頃に学んだ「ピアノ」は、当然のことながら「クラシック」系統の基本であり、あくまでも「クラシック」の「メロディ」そして「リズム」です。
 
     
 ◆「アンサンブル」の「ハーモニー」なくしてどんな音楽も成立しない◆
 
 優れたプレーヤーたちが、ジャズにおいてもまずは「アンサンブルとしてのハーモニー性」を第1に掲げたのは必然でした。そのためにも、「緻密な曲想の組立て」が不可欠だったのです。その最適任者が「ピアニスト」であることは言うまでもありません。
 
 第2に、少ない「楽器と音色」を逆手にとった「ソロの多用」と「独特なソロ演奏のイン・アウト」であり、それをサウンドにするための「演奏者の曲想表現センス」ではないでしょうか。
 
 そして第3が、その「センス」を引き出すためのインプロビゼーション」(※)と「インタープレイ」(※)のように想います。
 
 以上3点を巧みに活かしたもっとも優れたケースが、ビルエヴァンスキースジャレットという「ジャズピアニスト」であり、その「トリオ」でしょう。
 要するに、「ジャズとは何か」と言う前に、まずはいかにして「音楽」そして「演奏」として完成しているかということです。
 
 誰が何と言おうと、“初めにアンサンブルとしてのサウンド・ハーモニーありき”でしょうか。
 これを履き違えたバンドやプレーヤーが多いように感じます。自らのテクニックを誇示するあまり、ここぞとばかりに「不必要に長いソロ」を演奏するような場合などです。
 
 リスナーは「何の曲」を聴いているのか、いえ「聴かされている」のか判らないほど冗漫なソロが延々と続いています。さらに悪いことには、無意味な「インプロビゼーション」や「インタープレイ」で引っ張られることです。勘弁してくださいと言いたくなります。
 
 
 
 ◆「ジャズ」という極上の「から揚げ弁当」を◆
 
 たとえて言えば、「クラシックのシンフォニー(交響楽団)」は「老舗仕出屋」の「幕の内弁当」のようなものです。厳選されたひとつひとつの具材が、じっくりと味付けされまた煮込まれており、料理人によって各素材のうま味が最高に発揮されています。
 
 そのような具材がふんだんにあるのです。たとえ漬物の一切れや煮豆の一個が失われても、全体としての秩序や調和がそう崩れることはありません。「幕の内弁当」の風格と確固たる「まとまりのよさ」とがあるからです。
 
 一方、「ジャズのトリオ」(カルテットなども)は、オーダーが入ったその場で揚げる「ほか弁屋」の「から揚げ弁当」のようなものです。かなり品質の良い鶏肉を、やはり品質の高い油と揚げ方で仕上げないかぎり、満足な食べ物とはならないでしょう。
 
 「から揚げ」以外の「おかずの具材」もさることながら、その分量、配置といったもののウエイトが、「幕の内弁当」以上に求められるのではないでしょうか。ちょっとした具材の大きさの違いや配置のズレなども、「幕の内弁当」よりも目立ちやすいことでしょう。
 
 ともあれ、「ジャズプレーヤー」である前に、まずは「質の高い音楽センス」を備えた「真の音楽家」であって欲しい……と、リスナーの一人として痛切に想うこの頃です。(続く)
 
 
       ★   ★   ★
 
   
  このシリーズは不定期の連載です。 
 
 「」については「モダン・ジャズよ永遠なれ」シリーズの「」を参照ください。
 
 
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・劇空間の広がり/『ジョニィへの伝言』のドラマ性:4(最終章)

2012-03-23 00:05:17 | ミュージック

 

 5.「友だち」の正体は?

 さて、この「友だち」とはどのような人物でしょうか。前回、「友だち」は「ジョニィ」と「依頼者」双方に共通の「男友だち」と想定しました。
 しかし、筆者は「2人に共通の女性(友だち)」としたいのです。その方が3人の人間関係が濃密になることでしょう。
 
 この「女性」は、「依頼者・ジョニィ」の2人が現在の「さびしげな町」に住むようになってから知り合ったとの想定です。
 
 知り合った「きっかけ」ですか? 筆者にはドラマチックなストーリーがあるのですが、語り出したらこの連載が終わらなくなるのでやめておきましょう。
 
 というより、みなさんの「イマジネーション」の邪魔にならないために控えます。米国であれば、「ホームパーティ」などで簡単に「友人」を作ることは可能です。
 
 ともあれ、時間の経過とともに「女性」と「ジョニィ」は「友人」の枠を超えてしまった……ということでしょうか。その結果、「依頼者」と「ジョニィ」の関係が揺らぎ、2人は別れることに……。
 
 そして「依頼者」は「今住んでいる街(町)を出」て行き、「もとの踊り子」に戻ろうとしているのです。 
 
 
 6.「伝言」の「託し方」は? 
 
 ところで「依頼者」はどのような形で「ジョニィへの伝言」を「女性」に託したのでしょうか。
 筆者は、歌詞のニュアンスから「電話」による「伝言」のような気がします。その「3つ」の理由は――。
 
 1.『ジョニィが来たなら 伝えてよ』と、単に「ジョニィに伝えてよ」ではないからです。もちろん「女性」が眼の前にいても、「ジョニィが来たなら伝えてよ」と言うことは可能でしょう。
 しかし、この一節が「3回」繰り返されているところから、「女性」は眼の前にいなかったのではないでしょうか。このフレーズに、「ジョニィがあなたのところに来たなら……」というニュアンスが感じられませんか。
 
 2.『友だちなら そこのところ うまく伝えて』の一節を「4回」も繰り返していることにあります。しかも最後の4回目は、「うまく伝えて」をもう一度繰り返していますね。
 
 無論、以上のような「歌詞の繰り返し」は、歌謡曲の基本でもあるわけですが、それだけではないように、筆者は感じました。
 
 3.「電話」の方が、「直接会って託す」よりも「依頼者・女性」そして「ジョニィ」を含めた3人のその後の展開に深みが出るからです。
 
 
 7.その瞬間、彼女は何処にいたのか?
 
 「旅立とう」としている今このとき、「依頼者(彼女)」は田舎町の「バスターミナル」にいるのでしょう。「ジョニィ」に「ひと言」告げたかったと思います。そのために「会う約束」をしたのです。
 
 「彼女」は待合室で「ジョニィ」を待ちながら、発着する何台ものバスを迎え、また見送っていたのでしょう。
 
 だが「ジョニィ」は現れそうにもない……。いつまでも「待合室」に座ってばかりもいられない。そう思った「彼女」は「電話」をかけ、「ジョニィへの伝言」を「女性」に託したのです。それが「ジョニィ」への「最後のメッセージ」になるかも知れないと予感しながら。
 
 『わりと元気よく出て行ったよと お酒のついでに話してよ』というひと言は、「彼女」のささやかな意地であり、自分自身を励ます意味もあったのでしょう。このフレーズの繰り返しが、とても効果的ですね。
 
 そしてそのあと、「彼女」は、「いろいろなもの」を断ち切るために敢然と自分に言い聞かせるのです。
 
 『今度のバスで行く 西でも東でも
 
        ☆   ☆   ☆
 
 たった一曲の「歌謡曲」であっても、これまでみたように奥深い人間の世界が息づいています。留まることを知らない「イマジネーション」の広がりは、執拗なまでに「クリエイティヴィティ」を刺激し続けるようです。
 
 そして「イマジネーション」は、与えられた「作品の表現」がシンプルであればあるほど、いっそうその「イマジネーション」を広げていくのです。しかし、どこまで行ってもその「イマジネーション」が満たされることはありません。だからこそ再度「その作品」を、そして「他の作品」を求めようとするのでしょう。
 
 人が「芸術」を求めようとするのは、そういうことではないでしょうか。
 
 ……それにしても、「彼女」の「その後」が気になりますね。
 
        ☆
 
 阿久悠氏は言いました。『感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである』と。(wikipedia)
 
 同感であり、「逆もまた真なり」ということでしょう。
 
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  「Wikipedia」によれば、ボーカルの高橋真梨子さん(当時は「高橋まり」)は、この曲によってレコードデビューを果たしたとのこと。また「ペドロ&カプリシャス」は、この『ジョニィへの伝言』によって翌年1974年の「紅白歌合戦」に初出場したようです。
  
 また『五番街のマリー』のリリースは、『ジョニィへの伝言』から遅れること7か月半後の1973年10月」25日。ちなみに「ジョニィへの伝言」はシングル約25万枚、「五番街のマリー」は約21万枚のヒットとなったようです。(完)
  
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 ――あたくし思うの。旅立った彼女や「イマジネーション」でお話が終わる方はそれでいいでしょうね。でも残された「ジョニィさん」と「その彼女」はどうなるのかしら? 何かが起きそうな気がするの。下手をすれば、「その彼女」も「元踊り子さん」と同じように、"ジョニィさんへの伝言"を誰かに託して何処かへ行ってしまうってこともあるんじゃない? 
 
 少なくとも"あたくしの「イマジネーション」"はそのように広がり始めたの……。あら、いやだわ。どんどん「イマジネーション」があたくしの「クリエイティビティ」を刺激し始めたみたい。
 やだァ! 眠れなくなりそう! ねえ? 何とかしてくださらない? あなたのせいよ。ねえ……。 聞いてる? あれ? 眠ちゃったの? 
 
 
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