バカに厳しいバカばかり

自戒の念も込めてそういうタイトルにしました。

給食で「いただきます」の是非を語る馬鹿らしさ

2006年01月23日 15時51分11秒 | 日記・雑記
1月22日(日) 晴れ

あちこちのブログで話題になっているようだが、この件について。

「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争
 TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半~、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。

◇「私の場合」を募集
 手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。
《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

 番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。

 一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。

 また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるという。
 永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。その友人は「いただきます」と聞くとうれしいから、お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをした。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ「大丈夫です。そんなにいませんから」と言われたという。

毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊




バカげたことをいう人間に対して、学校とか周りの父兄などの大人が、即座に「バカ」と一蹴できるだけの力を失っていることが、結局のところ不幸の根源だと思う。つまりそれだけの話なのだが、そういった途端に「異なる意見を一蹴したところからあの戦争が」みたいな、全然違う方向のバカ議論に行きがちなのが、また不幸。

ただ「いただきます」って、そもそもサービス主体への儀礼というのが全てなのか。少なくとも私は、自然の恵みというか他者の生命というか、そういうものを自分の血肉とさせてもらう上での、相手への敬意や感謝の意味が第一義だと思っていたので。で、そういう風に今2歳の息子にも教える気でいたので。その考え方に立つ限り、給食費というのは給食の配給への対価であって、出された給食を「いただく」行為とは別問題。だから給食費支払をタテに「いただきます」の要不要をどうこういうのは筋違い。ていうか「食事のときにいただきますは不要」なんて、子供の学校に決められたら、私としては教育上非常に困る。と申し入れるかも。

更に言えば「金払っている」限りにおいて、意思表示の自由が優越的に保証されるべきという物言い。それ突き詰めて言えば、もらった料理食べようが捨てようが勝手っていう話だしね。そんな勘違いを子供にされてはたまらないというか。「給食粗末にしたらいけないことは(金を払った)親の権限として徹底する」とでも言うのかな。なら例えば「いただきます」はお父さんお母さんに対して言えと、個々に親が教育すれば済むことで、別に学校にクレームつけるべき問題でもない。大体一事が万事、色々な親全員の顔が立つように、最大公約数的なカリキュラム作ろうとしたら集団教育なんか成り立たないと思う。あるいは微に入り細にわたって「うちの子には」をそこまで人に徹底して欲しいなら、それこそもっと金払えという話。

ていうより、まず「経済的対価を支払った相手に、追加的に謝意を示すことが好ましくない」特段の理由というのが、どう考えても思いつかない。一体それで何が侵されるのかな。「自らの権利に鷹揚な人間はいずれ権利を奪われる」という意味か。弱肉強食的な教育論だな。でも「持っている者は更に与えられ、持っていない者は持っているものまでも奪われる」という言葉もあるが。その意味では、くだらないことにギスギスして、いかにも「持っていなさそう」な雰囲気に見られないような子供に育てるのも、親の重要な役割ではないかと思うけれど。


【ご参考】「あちこちのブログ」
Y's WEBSITE:blog 日々是好日
桜日和
【鏡の本音】
ダブログ
Birth of Blues
冒険少年にゅーす塾
Absenteの酔いどれblog
メタモルフォーゼ・ニッポン
陽光燦爛的日子 a diary of worldwalker
利に勝ちて非に負ける


【今日のお食事】
朝:家飯
○食べた時刻:9時00分~9時10分
○メニュー
・ミニすき焼き丼

昼/夜:家飯
○食べた時刻:16時40分~17時10分
○メニュー
・鳥白湯ラーメン

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1 コメント

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唯物史観 (いざりうお)
2006-01-30 16:22:00
まさに、典型的な唯物史観ですね。

「心と心のやり取りは全く必要ない。金と物が全て、精神はそっちのけ」という価値観でしょう。

しかしながら、このような人に限って、自分の感情だけは他人を無視してでも押し通そうとします。

他人の感情は唯物史観で無視するが、自分の感情は別なのです。

即ち、唯物史観も利己主義から出発した理屈である以上、この矛盾からは逃れられないのです。

交通事故を起こしておいて、「保険金が支払われたのだから謝る必要はない。」と言う人がいますが、同じでしょう。
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