さわやか易(別館)

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

チャーチルが守った大英帝国のプライド

2017-05-18 15:52:40 | 20世紀からの世界史

チャーチル(1874~1965)


英仏の首脳たちは再び大戦争が繰り返されればヨーロッパそのものが終焉するという恐怖からナチスドイツにも宥和政策をとり戦争を避けていた。その宥和政策につけ込みヒトラーは戦争を開始した。1940年4月からのドイツ軍の圧倒的電撃作戦に、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギーがあっという間に占領された。

イギリスでは宥和政策のチェンバレンに変わり対独強硬派のチャーチルが首相についた。そのチャーチルの就任間もない5月15日早朝、同盟国のフランス首相レノーから「我が国は敗北しました。」との電話があった。信じられない事態に翌日パリに飛ぶとそれは紛れもない事実だった。フランス軍は既に存在していない。ヒトラーが次の攻撃目標はイギリスであることは明白だった。チャーチルの首相生活は絶体絶命から始まった。

大英帝国を守るチャーチル

幸いにも全滅をも覚悟したダンケルクに取り残された派遣軍33万人を本土へ撤退させることに成功した。6月になるとフランスの首相になったペタン元帥は独仏休戦協定を結んでドイツとの戦争から離脱した。ヨーロッパ各国は殆どがドイツの衛星国家になり、頼みのアメリカはモンロー主義が根強くルーズベルト大統領も選挙を前に戦争はしないと国民に公約していた。

戦争準備をする政府にドイツから和平交渉がある。「英独が戦争をする理由はない。共通の敵はソ連であるから反共連合として手を結ぼう。」 ヒトラーと手を結ぶ選択を支持する和平派の声も強かった。しかしチャーチルは断固反対する。「大英帝国の誇りにかけてもヒトラーの風下に立つことは出来ない。何があっても世界の中心は英国でなければならない。」 1940年の夏、イギリスは独力でドイツ軍の攻撃を待つしかなく、破滅の一歩手前に立たされた。「最後の審判の時が来た。」 チャーチルは覚悟した。

 
Heinkel He 111H dropping bombs 1940.jpg
爆撃をするドイツ爆撃機
 
ドイツ軍の空襲は8月10日から始まった。双方の爆撃機を撃墜しあう「バトル・オブ・ブリテン」と呼ばれる空の激闘は工業力をかける消耗戦となる。チャーチルは軍事施設を攻撃されるよりむしろロンドン空襲をさせるため、1000機の爆撃機でベルリン空襲を命じ敢行する。その復讐としてドイツ軍はロンドンを空襲する。この作戦によりイギリス軍機に撃墜されるドイツ軍機が急増した。失われたパイロットと航空機の損失にはドイツ軍も動揺した。

チャーチルは爆撃された街を葉巻をくわえながら視察して歩いた。「決して、屈するな!」 Vサインを繰り返すチャーチルの国民的人気は高まった。反対派の声は次第に弱まり独裁的地位を確立していく。戦局は地中海にも拡大し、チャーチルもヒトラーも空中戦を先延ばしすることになった。1940年11月にアメリカ大統領選挙で三選されたルーズベルトも「イギリスが負ければ、全ヨーロッパはヒトラーに征服され人類の自由と幸福は失われるだろう。」と公然とイギリス支持を打ち出す。イギリスに光が差して来た。

FDR in 1933.jpg
F・ルーズベルト(1882~1945)
 
1941年6月、ヒトラーはイギリスを後回しにして本命であるソ連を攻撃する。敵の敵は味方である。チャーチルはスターリンに「無条件で協力する。」と電報を送るが、本心では独ソが互いに消耗することを望んでいた。チャーチルにとっても共産勢力に勝たせる訳にはいかない。スターリンからフランスへ軍隊を送るよう要請されるが体よく断っている。それよりチャーチルの期待はアメリカを参戦させることだった。

1941年8月、カナダ・ニューファンドランド島沖にて戦艦プリンス・オブ・ウェールズ上でチャーチルはルーズベルトと会談する。アメリカの参戦を要請したが、ルーズベルトも強かだった。ルーズベルトは参戦によって、イギリスに替わって世界の中心になることを目論んでいた。戦争は勝った後に何を得て何を失うかが問題だ。参戦する大義名分とタイミングも重要である。チャーチルはアメリカに参戦させるには日本を追い詰め、日本から先にアメリカへ攻撃させる作戦を考えた。

チャーチルはルーズベルトに日本に対する経済封鎖・ABCD包囲網を更に厳しくするため石油の全面禁輸に向けて圧力を強化すること、さらに「中国から撤兵すること。満州事変以前の状態に戻すこと。」を要求させ日本を戦争に追い込むことにした。1941年12月、ついに日本軍は真珠湾攻撃を決行、日米は開戦した。チャーチルは大喜びでルーズベルトに電話をし、喜びを伝えた。チャーチルは回顧録に「私は感謝の気持ちに溢れて眠りにつくことが出来た。」と書いている。


群衆に勝利宣言するチャーチル

チャーチルはアメリカの参戦によって勝利を確信した。しかし勝ったとしても問題はその後どうなるかである。独ソ戦は消耗戦になっていたが、思いの外ソ連は強かった。それ以上に日本の強さは想定外であり、香港、シンガポールなどアジアのイギリス領はことごとく日本軍に占領された。1943年11月、テヘランにてルーズベルト、スターリン、チャーチルは会談した。そこでチャーチルは二人の恐ろしさを知らされる。自国民を何百万人と粛清したスターリンとルーズベルトは手を組んでイギリスの覇権を取り崩しにかかってきた。

チャーチルの心配は戦後のソ連の脅威であった。しかし世界の覇権を目論むルーズベルトにはそれが解らなかった。1945年4月、ヒトラーは自殺し5月にドイツ軍、8月に日本軍は無条件降伏した。イギリスは戦勝国になったが、アメリカに莫大な借金を抱える債務国となり、世界の覇権国はアメリカに奪われた。大英帝国を維持した衛星国は全て数年の間に独立した。東ヨーロッパの大半はスターリンの支配下になった。チャーチルは回顧録に「第二次世界大戦の長い苦悩と努力の末に実現したのは独裁者がヒトラーに代わってスターリンになっただけだった。」と書いた。
 
~~さわやか易の見方~~
 
***   *** 上卦は沢
******** はじける、破れる
********
******** 下卦は天
******** 陽、大、剛
********
 
「沢天夬」の卦。夬(かい)は決壊、決裂の決にあたる意味。大河が氾濫する、火山が噴火するように陽のエネルギーが爆発するのである。下から五番目までの陽爻が関を切ってあふれる象である。一つの世界が煮詰まり過ぎて安定を保てなくなった。爆発後は全くの新時代が到来する。
 
イギリスは勝者になったが、全てを失った。残ったものは過去の栄光とプライドだけだった。二〇世紀の前半に帝国主義時代が限界に到達し、分解したのである。帝国主義時代を謳歌したヨーロッパ列強はお互いを潰しあって結果的には終焉したのだ。ヨーロッパの文明は一九世紀が花だった。ロマン派の音楽家が多数輩出し、印象派の画家たちが活躍した時代が最も華やかなヨーロッパ文化だった。
 
ナチスドイツが暴走し、ヨーロッパ各国が占領下となり、イギリス、ソ連が激しく戦った。その結果、新しく覇者となったのが、最も多くの犠牲を払ったソ連と最も犠牲が少なかったアメリカである。それまでは新興国と言われていたアメリカとヨーロッパ人からは嫌われていたソ連が2大陣営を築くことになる。大英帝国のプライドだけは守ったチャーチルは天国では回顧録に何と書いたのだろう。
 
 
 
 
 
 
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