さわやか易(別館)

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

第二次世界大戦後の世界

2017-07-13 16:01:26 | 20世紀からの世界史
Josip Broz Tito uniform portrait.jpg
チトー(1892~1980)
 
 
第二次世界大戦の結果、世界はどう変わっただろうか。戦争が終わって各国に平和が訪れただろうか。そう簡単に平和が訪れるはずはない。戦地になった都市は破壊による瓦礫の山が残り、職を失った民衆が取り残された。大戦の終了前1945年2月、米英ソのヤルタ会談で、チャーチルは戦後のソ連進出を出来るだけ食い止めようとスターリンと秘密協定を結んでいた。ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーのソ連優位を認めるかわり、ギリシャのイギリスの優先権を認めさせた。ユーゴスラビアについては英ソ対等の地位とした。(ユーゴスラビアのチトー大統領は独自の共産政権をつくりスターリンの送った暗殺者もすべて逮捕、逆にスターリンに対し「刺客を送るぞ」と脅しているカリスマ大統領である。)

 しかし、戦後体制はチャーチルの予測通りソ連の進出、米ソの対立は避けようもない深刻さを増していった。戦勝国である筈のイギリスは全ての植民地を手放すことになり、発言力も小さくならざるを得ない。資本主義国の代表の座はアメリカに移った。アメリカは孤立主義から世界の資本主義体制を支えるパトロン役となる。
最大の変化はソ連を中心とする共産主義の拡大である。2000万人の死者を出し、国土も破壊され、国民の生活も疲弊していたが、「大祖国戦争」を勝ち抜いたことから、愛国心も高まり、指導者・スターリンの威信も増していた。大粛清や強引な農業集団化の傷を負うものの独裁者への新たな絆も生まれつつあった。ソ連は戦勝を最大限生かし、周辺国を「人民民主主義」として反ソではない友好国として囲い込むことを次なる目標とした。


イメージ 2
スターリン(1878~1953)

ソ連は帝国主義反対、ファシズム反対の立場から大資本を解体し社会主義を目指すことをもって民主主義を実行するとした。一方のアメリカは民主主義を共産主義、全体主義に対立するものととらえ、反共、反ソをもって民主主義としたのである。かくして、戦後の世界はソ連に同調する東側とアメリカに同調する西側に別れ、東西二陣営に引き裂かれていった。

敗戦国となったドイツは無条件降伏の末、英仏米ソの4か国による分割統治からの再出発となる。ドイツでは新旧ポーランド領から850万人、チェコスロバキアから300万人、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビアなどからのドイツ人、合わせて1600万人が着の身着のままで敗戦の故国へ引き上げてきた。



瓦礫と化したポーランド首都ワルシャワ

戦争により西側をドイツに、東側をソ連に分割占領されていたポーランドでは、東はソ連に取られたまま、西にドイツ領を獲得、ドイツ人を追放、東からの同胞218万人を受け入れ、旧ドイツ領に410万人を移住させた。

同様に満州、台湾、朝鮮に居住していた日本人300万人が混乱の中を故国に引き上げてきた。中国では日本という共通の敵がいなくなった国民党と共産党の国共内戦が再発し、敗れた国民党は台湾に逃げた。朝鮮半島ではソ連の支持する北朝鮮とアメリカの支持する韓国が主権を争った。


Ho Chi Minh 1946.jpg
ホー・チ・ミン(1890~1969)

大戦中、日本は「大東亜共栄圏」構想を唱え、東南アジアを英仏蘭の支配から解放したが敗戦とともにあえなく崩壊した。しかしアジア諸国は以前の植民地を拒否し独立国家を起した。インドネシアではスカルノがオランダからの独立宣言をし、ベトナムではホー・チ・ミンがフランスからの独立を宣言する。その後、共産主義のホー・チ・ミンは長くフランスと戦い、次にアメリカと泥沼のベトナム戦争を戦うことになる。ホー・チ・ミンはスターリンや毛沢東と違い同胞への粛清は一人も行っていない。

かつて大英帝国の大黒柱といわれたインドもついにイギリスからの独立を果たす。その際起ったヒンドゥー教とムスリム連盟の対立が深まりインドとパキスタンに分裂して独立することになった。戦前まで植民地を保有し、繁栄を極めたヨーロッパ各国は総じて衰退を余儀なくされるとともに、植民地という思いくびきから脱したアジア各国は総じて勢いを増していくのである。

~~さわやか易の見方~~

***   *** 上卦は水
******** 艱難、問題、悩み
***   ***
***   *** 下卦は雷
***   *** 活動、出発、志
********

「水雷屯」の卦。屯(ちゅん)とは行き悩み。産みの苦しみ。草木の芽が地上に出ようとするが、堅い地表を中々突き破れないでいる象である。人間に例えるなら悩み多き青春時代。事業で言えば、創業して間もない頃、中々世間に認めて貰えず苦労に苦労を重ねている頃をさす。どんな道であれ、苦難に耐えてこそ、新しい世界が開けるものである。希望を忘れず、あせることなく、一歩づつ前に進んで行こう。

二つの大戦争で繁栄していたヨーロッパに代わり、アメリカとソ連が表舞台に躍り出た。そして、じっと耐え忍んでいたアジア諸国が新たに力をつけてきた。日本は他のアジア諸国に比べ、半世紀も早く表舞台に立ったことになる。戦後の繁栄はその実力が本物であることを証明している。もっと誇りを持って欲しい日本人が近頃元気がないように感じる。世界史をもっと学んで欲しいものだ。

ベトナムの社会主義は現在も健在である。日本人にとって社会主義、共産主義はイメージが良くないが国にはそれぞれ建国の歴史がある。戦争で何もかも亡くした国家にとって、唯一成立させることが出来るのは社会主義国家であるとも言える。自由主義と言っても国民にそのレベルがなければ、選挙で誰が選ばれるか解ったものじゃない。国家の行く末を本当に憂い、国民を本当に愛している政治家でなければ、どんな体制でも国を良くすることは出来ないだろう。
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