さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

ジョゼフィーヌを語る。(1)

2016-02-11 | 世界史談義
 
久しぶりに姐さんを訪ねた。

御無沙汰致しました。今度近くに引っ越して来ましたので、これから度々お伺い致します。よろしくお願い致します。

親分にあんたが近くに越してきたこと聞いたわよ。あんたが居ると私も好きなこと話せるからストレスの解消にちょうど良いのよ。遠慮なく来てね。ところで、最近、世界史に嵌まっているってホントなの?

そうなんですよ。姐さんはヨーロッパの王妃の中では誰に興味がありますか?

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ジョゼフィーヌ(1763~1814)
 
そうね、私はジョゼフィーヌね。
 
ナポレオンの奥さんですよね。美人で恋多き女とか言われていますよね。
 
私は波乱万丈が好きだからね。この人ほど波乱万丈は滅多にいないし、たいした身分でもなかったのにフランスの皇后にも成ったんだからドラマとしては最高よ。生まれは貴族でも貧乏貴族というか、大した家ではなかったのよ。生まれつき結構派手好みというか、都会志向というか、度胸もあったみたいね。
 
貧乏貴族の娘がどうやって世に出たんですか?
 
フランスの植民地だった西インド諸島のマルティーク島で生まれたのね。植民地出身の人をクレオールって言うの、田舎者と言われるのがいやだったんでしょう。パリで暮らすために16歳でボアルネ子爵という貴族と結婚したの。結構名門貴族みたいだったけど、結婚はうまくいかなかったみたい。20歳で別れてしまうの。でもウジェーヌという男の子とオルタンスという女の子が出来ていたのよ。
 
20歳で離婚、既に2人の子持ちですか。それは生活も大変だ。それで、どうしたんですか?
 
一旦実家に帰ったけど、実家も大変だからパリに出た。たぶん、誰かの愛人になっていたんだろうね。ちょうどフランス革命が始まる時代だから危険もあるし大変だったと思う。元夫のボアルネ子爵はギロチンで処刑されちゃうの。元夫や知人の助命嘆願をしてたら、ジョゼフィーヌも投獄されちゃうのよ。ジャコバン党のロベスピエールが恐怖政治をしていた頃だったから、貴族たちは続々と亡命したみたいよ。
 
ジョゼフィーヌも危なかったんですか?
 
そうよ、裁判もなしで貴族というだけで処刑していたんだからね。でもね、隣の監獄に入っていた若い将軍と恋をしたっていうからスゴイでしょ。
 
スゴイというか、何でしょうね。その獄中の恋はどうなったんですか?
 
 
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ラザール・オッシュ(1768~1797)
 
二人とも寸でのところで、テルミドールのクーデターというのがあってロベスピエールが処刑され、釈放されたのよ。混乱の最中だったからね、二人はそのまま。ラザール・オッシュ将軍というんだけど軍に戻り、直ぐに反乱軍の鎮圧に行ったらしい。、結構、軍人としては優秀でナポレオンから「戦争の達人」と言われ、ライバルだったらしいけど29歳の若さで死んでいるわ。それに既に結婚もしていたらしい。
 
流石に恋多き女の面目躍如ですね。
 
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ポール・バラス(1755~1829)
 
ここからがもっとスゴイのよ。ロベスピエールを処刑した首謀者ポール・バラスという名うての悪者と生活のため、愛人になるのさ。こういう混乱の時代には必ず現れる悪がいるの。「悪徳の士」といわれた軍人であり、政治家なんだけど、混乱に乗じて総裁政府の総裁になっちゃうのよ。横領や汚職で巨額の富を得て、女好きだから好きなだけ愛人を作ったみたいね。
 
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テレーズ・カバリュス(1773~1835)

このテレーズ・カバリュスも彼の愛人になった1人よ。金持ち貴族だったけど、革命でいろいろ波乱万丈があったのよ。ジョゼフィーヌとは獄中で知り合いになるの。テルミドールのクーデターはこの人が恋人に催促して起ったと言われ、「テルミドールの聖母」と呼ばれたんだって。結構、歴史の裏側には女の影があるって訳よ。その後は社交界の花形になるの。
 
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ジュリエット・レカミエ(1777~1849)
 
もう一人、レカミエ夫人も社交界の花ね。この人は美人でお金持ちだったからよくサロンを開いては政財界の人たちを集めたのよ。ジョゼフィーヌとも親しくてこの3人が当時の社交界の花たちと言えるかな。フランスじゃサロンで政治も経済も芸術も始まると言われるから、各界の大物たちは皆サロンに集まるのよ。こういう女たちが権力の裏側にいるのよ。フランスって国は。
 
そのポール・バラスってスゴイですね。どの位の間、君臨したんですか?
 
ブルジョアジーたちがナポレオンをエジプトから呼び寄せて、ブリュメールのクーデターというのを起して政権を奪取するんだけど、それまで約5年間位は権力のトップにいたのよ。リュクサンブール宮殿で豪勢に暮らしてたんだって。でもね、ナポレオンはその間にジョゼフィーヌに夢中になり、熱烈にプロポーズして結婚したんだよ。ポール・バラスはそろそろジョゼフィーヌには飽き飽きしてて、ナポレオンに押し付けたとも言われてるのよ。
 
ヘ~~~。スゴイ話だなァ。バラスみたいな人を「乱世の奸雄」と言うんでしょうね。僕みたいな小心者には夢みたいだけど、羨ましくもなるね。金と権力で女にもモテたんだ。処刑でもされたんですか?
 
それが、流石は本物の悪よ。政界を追われた後も、それまでに貯めた巨額の富で地中海の近くのモンペリエというところで優雅に暮らしたらしい。
 
ジョゼフィーヌとナポレオンの結婚生活はどうだったんですか?
 
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 ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)
 
結婚したのは1796年だから、ジョゼフィーヌは33歳、ナポレオンは27歳、6歳も姉さん女房なんだよね。その時息子のウジェーヌが15歳、娘のオルタンスが13歳だったの。ウジェーヌは反対だったけど、オルタンスは大賛成だったそうよ。オルタンスはナポレオン贔屓でむしろ母よりオルタンスの方が乗り気だったそうよ。ジョゼフィーヌはまァ、渋々という感じだったんじゃない。
 
じゃァ、恋多き女・ジョゼフィーヌは浮気したんでしょうね。
 
おっしゃる通り。それも結構、大恋愛をしているんだよ。結婚した年に9歳年下の軍人イッポリト・シャルルに出会って愛人関係になるのよ。浅黒いハンサムな顔立ちで、洗練されたユーモアがあり、優しかったらしいのよ。シャルルの方はジョゼフィーヌの性的魅力に惹きつけられたのね。しょっちゅう密会してるからエジプト遠征していたナポレオンの耳にも入っちゃうの。
 
ナポレオンはショックを受け、何度も手紙を書いたりするんだけどダメなんだね。決定的にブチ切れた事件はナポレオンが書いた手紙を運んだフランス艦が地中海でイギリスに拿捕されちゃって、その手紙が新聞に掲載されちゃうの。大恥をかかされたナポレオンは兄ジョセフに離婚手続きを頼むんだよ。でも、離婚に泣いて反対したのは、ウジェーヌとオルタンスだったの。何とか離婚は思い止まったという話よ。
 
世紀の英雄ナポレオンも結構、女には苦労してるんだなァ。
 
でもね、その後にブリュメールのクーデターが起きると、その後の要人たちとの交渉は顔の広いジョゼフィーヌが一役買っているのよ。それからじゃないの、ジョゼフィーヌがナポレオンを見直して愛すようになったのは。
 
ところで、愛人のシャルル君はその後どうなったんですか?
 
軍を辞めて、結構金持ちになっているらしいの。それもジョゼフィーヌが何やら政府の混乱に乗じて、やばい取引をさせ莫大な蓄財をさせて、それをもとにビジネスをしたらしいの。何しろポール・バラスの愛人だった位だから、裏の世界も知っていたんじゃないの。
 
いよいよそれからナポレオンが皇帝になり、ジョゼフィーヌは皇后になるって訳ですね。じゃァ、続きは今度伺うことにしましょう。
 
 

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