さわやか易(別館)

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

朝鮮戦争の謎

2017-09-18 17:11:14 | 20世紀からの世界史
朝鮮半島
 
戦後の朝鮮半島は日本の統治が解消され、米ソ両国によって北緯38度線を境に分割占領された。やがて北側には金日成(キムイルソン)を国家主席とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、南側には李承晩(イスルマン)を大統領とする大韓民国がつくられた。しかし両国は互いに全朝鮮の統一を主張して対立した。1950年6月、北朝鮮軍は韓国を侵攻し、南端の釜山まで追い詰める。

その後、マッカーサー指揮下の国連軍が仁川に上陸し、北朝鮮軍を中国国境まで追い詰める。そこに中国の人民義勇軍が介入し、南北合わせて350万人の死者が出るほどの大戦争になった。一進一退の攻防を繰り返した末に、1953年7月、元の北緯38度線を境に休戦協定が成立した。というのが、朝鮮戦争の流れです。



D・アチソン(1893~1971)

しかし、この戦争には多くの謎が残ります。先ず、戦争が始まったきっかけです。アメリカ軍は韓国から引き揚げ、国務長官のアチソンが「今後はアメリカは朝鮮半島に介入しない」との演説をしました。この演説から5か月後に北朝鮮軍が韓国を侵攻します。まるでアチソン国務長官が北朝鮮に戦争を促していることです。

次に、アメリカ軍は国連軍の名の下に参戦しています。国連の安全保障理事会には拒否権を持つ常任理事国、ソ連と中国がいたはずですが、何故国連軍が認められたのでしょうか。台湾に追われたばかりの中華民国は別にしてもソ連はその理事会に欠席しています。スターリンの指示によると言われていますが、何か裏があると考えるべきでしょう。


Douglas MacArthur smoking his corncob pipe.jpg
マッカーサー(1880~1964)

次に、マッカーサーは中共軍が大挙して鴨緑江を渡るのを阻止しようと、橋梁の爆破をしようとしますが、アメリカ政府が許可を出さなかったというのです。クラークという米将軍は自著に「私には勝利するために必要な権限も武器も兵員も与えられなかった」と告白しています。また米軍の作戦が中共軍に筒抜けになっていたとマッカーサーは回顧録に述べています。さらに軍人マッカーサーは「朝鮮戦争が軍司令部ではなく、国際的な高レベルで決断されている。」とも発言しました。

そして、朝鮮戦争に勝利しようとしたマッカーサーは突然解任されます。マッカーサーと言えばGHQ最高司令官として対日政策に成功し、次期大統領の声もあり本人も自負していた人材です。マッカーサーは余程悔しかったのか、解任後の米議会上院軍事外交委員会にて要人として言ってはならないことを発言します。それは「日本が戦争に突入したのは、侵略ではなく大部分が安全保障上の必要によるものだった。」 東京裁判で7人の戦犯を処刑し、日本は軍国主義だったと思いこませたGHQ最高司令官当人が真実を証言してしまったのだ。


Shigeru Yoshida suit.jpg
吉田茂(1878~1967)

ところで、マッカーサーは朝鮮戦争が勃発すると、日本政府に7万5千人の警察予備隊(のちの自衛隊)の創設を命じました。沖縄を中心に日本全体を朝鮮戦争の基地として利用する体制を作り上げるため、日本との講和条約締結を進めるよう米政府に進言します。その結果、朝鮮戦争の休戦交渉中、1951年9月にサンフランシスコ講和条約が成立し、日米安全保障条約が締結された。

そもそも朝鮮戦争の最大の謎は大戦後のアメリカは一国で世界の総工業生産の3分の2近くを占めていました。そのアメリカが大戦で疲弊してしまい大した戦力もない中共と何故互角の戦いをしたのか。元の38度線を境に休戦しなければいけないのか不思議である。「国難の正体」を著した馬淵睦夫氏によれば、朝鮮戦争は全くの八百長であると述べております。私もその説に賛同するしかありません。

~~さわやか易の見方~~
 
***   *** 上卦は地
***   *** 陰の代表
***   ***
***   *** 下卦も地
***   ***
***   ***
 
「坤為地」の卦。全てが陰爻で成り立っている。大地の力は万物を乗せ、万物を制する。天のエネルギーもそれを受け止める地があってこそである。世界には目には見えない力が常に存在する。そのパワーこそ地のパワーなのである。
 
マッカーサーが発言したとされる「戦争は国際的な高レベルで決断される」とは何だろうか。それこそがアメリカ、イギリスの国家をも動かすビッグパワー、巨大金融グループのことである。戦争によって巨額な利益を挙げるグループである。戦争資金を融資し、武器を売って儲ける軍需産業である。現在もこのグループによって戦争は繰り返されている。

「日本の戦争は侵略目的ではなく、自衛のためだった」とマッカーサーが米議会上院軍事外交委員会で発言したにも関わらず、日本政府はそれを生かせなかった。「戦争は二度と御免だ」という国民感情が「平和であればアメリカの属国でもいい」と望んだからだろうか。既に日本は経済優先の路線を歩み始めていたためだろうか。経済優先の72年が今の日本である。豊かにはなったが、何かを失っている。このままでいいのだろうか。

 
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日米戦争とは何だったのか。(2)

2017-09-13 11:05:04 | 20世紀からの世界史

 

米軍横田基地


日米戦争が終結して今年で72年の月日が流れた。しかし今でも日本には多くの米軍基地があり、沖縄が最も多いが合わせて約4万人の米兵が駐留している。因みにドイツには約5万人の米兵が駐留しているという。これは今でもアメリカはドイツと日本には厳重な警戒を怠っていないということだろう。日米同盟と言ってアメリカは日本を最も信頼しているとされるが、本当のところは最も恐れ、脅威を感じている証拠である。

米軍基地は目に見えて解り易いが、実は目には見えないところで日本人弱体化政策に縛られていたことを知ってるだろうか。それがGHQが日本占領政策の一環として行ったWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)政策である。これは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」なのであった。この政策は時代が進んでもなかなか抜けない毒性であり、今なお多くの日本人が洗脳されたままになっている。


東海道・山陽新幹線歴代車両。左から700系、300系、0系
新幹線

確かに戦後の日本は高度経済成長を成し遂げ、一時はアメリカに次ぐ経済大国にのし上がった。東京オリンピックも大阪万博も大成功し、新幹線、自動車、電化製品をはじめメイド・イン・ジャパンは技術大国の名を世界にとどろかせている。スポーツや芸術の分野でも大活躍しているし、ノーベル賞をとる学者も多く、日本人が弱体化したと言ったら怒られるかも知れない。それでもよく考えてもらいたいことがある。

横田めぐみさんが北朝鮮により拉致されたのは今から40年前だが、今だに解決されていない。その後も弾道ミサイルを頻繁に打ち上げられ、核実験まで強行されていながら日本は何も出来ないでいる。中国軍は尖閣諸島ばかりか沖縄にも手を伸ばそうとしている。中国による土地の買い占めは北海道ばかりではない。戦後70年余を平和に過ごした日本人にはその危機感すら無くしてしまった。これこそがGHQが行ったW・G・I・P政策の結果なのだ。日本は戦争に負けたばかりではなく、すっかりアメリカの属国になってしまったのである。



極東国際軍事裁判

それにしても日本という大国をここまで従順な国に仕上げるには想像を絶する用意周到と徹底した取り組みがあったのである。先ずは国民が「二度と戦争は御免だ」と痛感する程のダメージを与えることだった。それには殆んど勝負がついているにも関わらず、いやという程空爆を繰り返したこと、原子爆弾を2発も投下したことだろう。そして、あくまでも無条件降伏に拘ったことにある。

次に終戦後は日本人に「何もかも日本が悪かった」という自虐思想を植え付けることだった。そのためには指導者を戦争犯罪者として衆人環視の下に裁くことである。それが極東国際軍事裁判いわゆる「東京裁判」だった。東条英機や廣田弘毅ら元首相や軍のトップたちを「平和に対する罪」という国際法にはない罪を作り上げてA級戦犯として裁判にかけたのだった。裁判官は戦勝国側から派遣された11名のうちインドのパール判事だけが、この裁判の無効を主張し全員の無罪を判決をしたが、残りの10名は有罪判決を下しA級戦犯7名の死刑が執行されました。


kokki.jpg
国旗掲揚

その後は「東京裁判史観」が日本の主流な歴史観になるようあらゆる分野での支配が働きます。官界、法曹界、学界、放送界、教育界、経済界、労働界の各分野です。いわゆる左翼主義が日本を席巻するようになり、左翼主義者でなければ出世も出来なくなりました。例えば学校教育の現場でも日教組という組織が幅をきかせ子供たちの反日教育に当たります。卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱にも反対しました。

この効果はものの見事というもので、祭日に日の丸を掲げる家を見ると「あの家は変わっている」と指をさされるまでになりました。戦前の日本が軍国主義で中国を侵略し、南京大虐殺を行って30万人を殺したとか、日本軍が朝鮮の女性を強制的に連行し慰安婦にしたという捏造が日本の左翼によって喧伝されました。両方とも全くの捏造であることは証拠で明らかですが、アメリカの行ったWGIP政策は大成功だったのです。

~~さわやか易の見方~~

***   *** 上卦は雷
***   ***
********
******** 下卦は山
***   ***
***   ***

「雷山小過」の卦。小過とは小(陰)が多すぎること。人間生活に当てはめれば低姿勢に過ぎるということだろうか。小さくしていなければいけない空気に居るようなものである。このような時、君子は人一倍言動を慎み服装も地味なものにし恭敬な態度を表すものである。無理な難題には取り組まず、消極的すぎると言われるほど低姿勢でことに当たるのである。

現在の日本国憲法はGHQの占領下にあったとき、GHQ監視の下で出来た憲法である。言わば手足を縛られた状態で有無を言わさずに押し付けられたものである。日本が二度と大国にならないように作ってある。軍隊を持たないと憲法9条には記してある。政治家が憲法改正を口にすると大騒ぎになる。先頭に立つのがマスメディアでいづれも左翼に洗脳されている。そのお陰で北朝鮮にも物を言えない状態はいかがなものだろうか。

日本は戦後72年間を低姿勢で貫いてきた。世界情勢は大きく変わっている。いつまでもこのままで良い訳はない。自分の国は自分で守るという基本姿勢に立ち返らねばならない。その上で国際平和にも貢献していかねばならない。そのためにも、一刻も早く新しい憲法を整えなくてはならない。既に有事となっている今、日本人の底力に期待したいものである。
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日米戦争とは何だったのか。(1)

2017-09-10 19:14:09 | 20世紀からの世界史
日本の風景(棚田)
 
久しぶりのブログ作成になりました。この夏の間、私はもっぱら戦後の日本史について調べたり考えたりしていました。その中で、元ウクライナ大使の馬淵睦夫氏が著した「国難の正体」に出会ったことは目から鱗のような発見であり驚きでした。世界史に対する見方考え方が少し変わってしまったような気がします。これからの私の記事はこの夏の勉強が表現されることになります。

今回の話はいったい何故、日本はアメリカと戦争をすることになったのかを考えてみたいと思います。よく言われることは戦前の日本は軍国主義国家であった。軍部の帝国主義的野心は満州を手に入れ、その勢いで中国内部を侵略していった。アメリカは中国を救うため、日本を経済封鎖することになった。満州までの返還を要求するハル・ノートを突き付けられ日本は已むを得ず戦争に突入した。というシナリオが広く行き渡っていたと思います。


イメージ 2
ドイツ空軍

よく考えると数々の疑問がわいてきます。あの広大な中国を日本が侵略するというのは、どう考えても無理があり、その必要性はないと思われます。またアメリカが中国を救済するために国民の反対を押し切って戦争をしたとも考えられません。しかも日本を潰すために無差別な空爆を繰り返し、挙句の果てに原爆まで投下するという徹底ぶりと無条件降伏まで戦うというのは何故でしょうか。

そもそも日本が戦争に突入する前にヨーロッパではナチスドイツにより戦争が始まっていました。ヴェルサイユ条約の圧政からヒトラーは立ち上がり、ナチスドイツを率いてユダヤ人を迫害し、生活圏を獲得する目的でソ連に攻め入りました。だからといって、アメリカが日本と戦争をする理由はないと思います。日米戦争はヨーロッパの戦争とは無関係なのです。だとすると何か外に原因があり目的があったのではないでしょうか。


Admiral Togo on the bridge of Mikasa
 
日本海海戦

それは日本人が気づいていないことですが、日本という国の存在が原因だったのです。実は日本人は当たり前だと思っていますが、日本人の実力は世界では脅威だったのです。欧米文化を吸収し、日本流に作り替える力、特に工業の分野では抜群の力を発揮したからです。明治維新以来、東洋の島国だった日本があっという間に先進国の仲間入りを果たしてしまいました。日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った海軍力には世界中が度肝を抜きました。

軍事力だけではなく外交力でも世界を驚かせました。第一次世界大戦後のパリ講和会議では日本の代表は人種差別撤廃の条約成立を提案しました。これには議長を務めたウィルソン米大統領が吃驚し、苦し紛れの反対演説でどうにか先送りしました。世界の中心だった英米は日本を抑え込まないと大変なことになると実感したのです。その後日英同盟は解消され、日本を封じ込める作戦が秘かに練られていったのだと推測されるのです。


イメージ 3
F・ルーズベルト

第一次世界大戦後は混乱の残るヨーロッパと繁栄を謳歌するアメリカでしたが、1929年にアメリカ発の大恐慌時代を迎えます。日本は関東大震災や昭和の金融強硬にも遭いながらも、大恐慌からは真っ先に立ち直りました。そして満州に進出することになり日本だけが活躍し始めました。恐らくこの段階で日本潰しが本格的に始まったのだと思います。ソ連のスターリンの謀略が始まり、アメリカのF・ルーズベルトは中国を助けるという名目で戦争準備を整えます。

1936年に起きた「西安事件」から日中戦争が仕組まれ、翌年から泥沼に引きづり込まれます。その頃からヨーロッパではヒトラーによる戦争が始まりましたので、日本潰しには又とないタイミングと口実が用意されたと言えます。後はアメリカが参戦するための大義名分、日本からの先制攻撃を待つだけです。経済封鎖も石油の禁輸は事実上の宣戦布告です。日本軍による真珠湾攻撃もアメリカ軍はレーダーによる観測で事前にキャッチしましたが、衝撃を甚大にするためにハワイには知らせませんでした。日本は完全に仕組まれた戦争に突入してしまったのです。

~~さわやか易の見方~~

******** 上卦は天
******** 陽、大、剛
********
***   *** 下卦は水
******** 問題、悩み
***   ***

「天水訟」の卦。訟は訴訟、裁判、争いである。天にあった水が天と対立して雨が降る象である。複数の人がいれば必ず対立があり、個人も国家も争い事はつきものである。意見と方向が異なるとき争いとなるが、あくまでも自説を通そうとすればますます対立の溝は深く激しくなる。つまらぬ意地を捨てて親愛と協調を心掛けて見ることも大切である。

日本の実力に脅威を感じて日本封じを計画したのは英米であるが、あくまでも英国、米国の国民ではない。英国、米国を支配する強大な勢力である。この強大な勢力こそ世界の金融と情報、軍事を支配する帝国主義を支配した巨大財閥グループである。現在もこの巨大財閥グループによる世界支配は着々と進んでいる。それが世界を一つにしようとするグローバリズムの正体である。

「国難の正体」を著し、日本はグローバリズムを乗り越えねばならないと説いたのは馬淵睦夫氏である。馬淵氏はイギリス、インド、ソ連、タイに勤務し、キューバ、ウクライナ、モルドバでは大使を歴任した。在職中に歴史の謎を体験し、退官後に世界の要人たちの回想録を丹念に調べることにより国難の正体に気付いたという。「国難の正体」は是非手にとって読んで欲しい一冊である。


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ブログ開設11周年を迎えて

2017-08-07 18:56:26 | ご挨拶
 

残暑お見舞い申し上げます。
いつも「さわやか易」をご覧いただきありがとうございます。

早いものでこのブログを開設して11年が経ちました。自分でもこんなに長期間続くとは当初考えてもいませんでした。ただ始めた時に感じたことは、「これは何か可能性がある。」ということでした。

始めた頃は勿論殆んど読んでくれる人はいませんでしたが、徐々に訪問者が増えてきた頃、「いつか一日100人を超えたらすごいな。」と思っていたことを思い出します。3年前にグーグルに同じ内容で「さわやか易(別館)」を開設した頃から、一日の訪問者100人を度々超えるようになりました。同時に「日本ブログ村」と「ブログ・ランキング」でもベスト10に登場するようにもなりました。

3年前から取り組んでいるテーマは世界史です。そして昨年から「20世紀からの世界史」となり、現在、第二次世界大戦後の世界に取り組んでいるところです。知っているようで知らないことばかりでした。

現在、世界に脅威を与えている北朝鮮の問題も、ソ連、中国、アメリカ、日本の戦争の結果に他なりません。戦後72年の日本はすっかり平和ボケしていますが、新たな戦争が始まる危険も大いにあるのです。

ところが、そんな脅威もどこ吹く風で何の備えもしていないなんて、日本人のお気楽さには呆れるばかりです。先日、ある勉強会でどこかの大学講師が「憲法9条は守らなければいけない。」と平気で語っていました。「戦争を出来る国にしてはいけない。」というのです。

自分の国を自分で守ることをしない国なんてありますか。ようやく安倍政権になって、憲法改正の動きが始まったと思ったら、早速それを阻止しようと安倍下ろしが始まろうとしています。何とも情けないことです。

私のブログで政治を論じるつもりはないのですが、北朝鮮の危機が迫る時に、余りにも暢気なことを言っている日本人にはがっかりしています。終戦後のGHQによって完全に骨抜きにさせられてしまったのでしょう。

そろそろ目覚めて欲しいものです。自国の防衛をアメリカに頼ってていいのでしょうか。そんな国をアメリカが守ってくれると思うのですか。戦争をしないためにもしっかり防衛体制を整えないでどうするのでしょうか。

これからの私の世界史は日本人が誇りを忘れ、精神を忘れ、ただ経済だけを追いかけた姿を語ることになるのでしょう。しっかりと勉強した上で取り組んでいきたいと思います。何かの縁で読んで下さる方には感謝しています。これからもよろしくお願い申し上げます。  猶興
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何故、中国は共産主義国家になったのか。(2)

2017-07-28 16:45:31 | 20世紀からの世界史
双十協定(1945年10月)

アメリカ大統領・トルーマンはルーズベルトの方針を受け継ぎ、中国をアジアの中心と考えアメリカの友好国にするつもりだった。弱体化した国民党軍を立て直し、国民党主導のもとに共産党が協力する統一政府を目指した。1945年10月10日、国民党代表の蒋介石と共産党代表の毛沢東は互いに協力を誓い合った。(10が二つ重なる日を記念して双十協定と呼ばれる。) しかしそれは形だけの協定であり、双方の対立はますます激化していく。

アメリカはルーズベルトが犯した最大の間違えに気付いていなかった。アメリカ型の資本主義国家とソ連型の共産主義国家は水と油で融合することは不可能だったのである。そもそも日中戦争はスターリンの謀略により、国民党と日本軍が戦うように仕向けられ、双方が消耗したところで双方とも共産化する計画だった。中国共産党は漁夫の利を得た上で中国を共産化し、統一する役目だったのである。


George Catlett Marshall, general of the US army.jpg
G・マーシャル(1880~1959)

大統領特使G・マーシャル元帥は国共内戦の調停に乗り出すため、莫大な支援を投下し国共両党を交渉テーブルにつかせようとした。共産党軍を圧倒するためアメリカ軍兵力11万人を揃えた。マーシャルの仲介で内戦の一時的停戦は実現したが、双方の対立はどうしても治まらない。蒋介石も毛沢東も考えが違い相手を受け入れないからである。治まらない重要な理由は他にもあった。アメリカ政府内にいる共産主義者たちの陰謀が働いていたからだった。

1946年12月、トルーマン大統領はついに蒋介石に「これ以上内戦を続けるなら援助を打ち切る。」と非難し、「速やかに内戦を解決するなら、工業、農業改革の復興を実行に移す。」と警告したが、内戦は続けられた。アメリカにとっても中国を戦後のアジアの中心と期待していたのだが、余りにも酷い蒋介石の無能と国民党の腐敗には見切りをつけざるを得なかった。かくして、全力を投じて仲介に当たっていたマーシャル将軍を召喚させ、内戦からのアメリカ撤退を表明する。


建国宣言をする毛沢東
 
国共内戦はどのようなものだったのか。蒋介石の国民党はアメリカの武器弾薬を手に共産党への全面侵攻、一掃する計画だった。一方の毛沢東はゲリラ戦を展開し、国民党軍を山岳地帯に誘い込み戦力の消耗を謀った。国民党へのアメリカからの支援が途絶える頃を見計らって、ソ連は日本軍から奪った大量の武器を提供した。1948年の9月から国民党軍は大打撃を受け後退、1949年4月、国民政府の首都・南京は共産党軍に制圧された。
 
毛沢東は全国の著名な有識者や諸党派の代表を北京に集め、「中国人民政治協商会議」を開催する。新国家の国号を「中華人民共和国」とし、毛沢東は「中央人民政府主席」に就任することが決議された。首都は南京から北京に遷都することが決定した。1949年10月1日、毛沢東は天安門の壇上に立ち、建国を宣言した。毛沢東にとっては、1921年の第1回中国共産党全国代表大会に28歳で参加して以来、国共内戦と合作を繰り返した臥薪嘗胆の28年間であった。

 
台湾を訪問した蒋介石夫妻
 
一方、敗北した蒋介石の国民党政府は南京を脱出し、台湾島の台北に遷都することになる。1950年1月にはトルーマン大統領は台湾への不介入方針を発表した。台湾も共産党軍の手に落ちるところだったが、1950年6月突然始まった朝鮮戦争により、台湾の共産党軍は朝鮮に移動した。その頃、アメリカの野党・共和党から中国を共産化させてしまったことへの批判が盛り上がり、アメリカは第7艦隊を派遣する。台湾はアメリカ陣営として共産党への砦となる。

蒋介石は一度は引退したものの、1950年3月再び中華民国・総統に就任し、アメリカからの全面的協力を受けて大陸反攻を目指すこととなる。しかし同年に香港を抱えるイギリスが中国共産党が建国した中華人民共和国を承認した。また朝鮮戦争への国連軍側としての参戦はアメリカから拒否される。蒋介石は中国本土への捲土重来を願いつつも、1975年4月、生涯を閉じた。

~~さわやか易の見方~~

******** 上卦は火
***   *** 文化、文明、明知
********
******** 下卦は山
***   *** 動かざるもの
***   ***

「火山旅」の卦。旅行の旅であるが、楽しい旅ではなく居場所を追われるような旅を意味する。孤独の旅、失恋の旅とも言える。豊かな生活にあったものが、全てを失い無一文からやり直す。こんな時には無理をしないことである。「旅は少しく亨る。旅には貞なれば吉なり。」とある。人生は長い旅でもある。失ったものをいつまでも嘆いていることは賢明ではない。全てを受け入れて、やれることから始めれば良いのだ。

孫文の後継者であった蒋介石。妻は孫文の義妹であり、大財閥の一族でもある。アメリカ大統領のルーズベルトとは親交を結んでいた。アメリカ政府も全面的に支援してくれた。何もかも整っているように見える。なのに折角手にした天下を盗られてしまった。逆に毛沢東はエリートでもなければ、財閥がいた訳でもない。その毛沢東が天下を取った。現代版、項羽と劉邦の物語である。物語として見れば、これ程面白いものはない。

アメリカの大失敗はここに始まる。ルーズベルトは日本を憎んで中国を贔屓していた。アジアの中心を中国にし、末永く同盟を結ぶ心算でいた。親米であり、反共であった日本を力づくで潰してしまった。しかし戦争が終わって気付いて見れば、あれほど大事にしていた中国は敵に回ってしまい、あれほど憎んでいた日本を頼りにすることになった。未だに中国には手を焼いている。ルーズベルトの間違いにアメリカは苦労している。
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