感泣亭

愛の詩人 小山正孝を紹介すると共に、感泣亭に集う方々についての情報を提供するブログです。

詩・愛しあふ男女7

2010年10月27日 | 日記

     


   愛しあふ男女 7




すぎ去つた風景はとりもどすことは出来ない


お前はふりむいてはいけない


お前の目の上をすぎ去るものを私の見るにまかせて


二人の人生が崩れるのを待つばかりだ


 


二人の人生がもし崩れないでいつまでもつづくのならば


風は たえず お前の髪をなぜてゐるだらう


青い空の下で並木と建物の窓とが


私たちをむかへさうして私たちを見送つてゐるのであらう


 


お前のほほゑみのうしろにかくされた深いもの


つかれたやりきれないさびしさとそのほかのものがすぎ去り


何も二人のうしろには残らないのではないか


 


遠い空の方から色のついたテープがからまりあひながら


長く落ちてくる 確実なものはないのだから


その中をすぎても 二人は抱きあふだけであらう


詩と表現「水盤」7号

2010年10月25日 | 

長崎の平野さんから「水盤」7号をご恵送いただいた。
感泣亭秋報の常連執筆者になって下さっている森永かず子もこの「水盤のメンバーである。
今号で面白いと思ったのは、冒頭に掲げられた 井上氏と森永氏の「対詩」であり、「函」と題する7号企画である。
現代詩は、最初から個人の創作物としてあった。それが、日本の座の文芸である俳句などとは決定的に違った。
それが繋がろうというのだ。それが「対詩むであり、今回の企画の試みだ。
しかし、ここに現代と切り結ぼうとする意志があるように思える。
森永さんが、後記のような ゜水泡」で「我々同人が楽しみ、遊ぶ企画になってしまった」と書かれている。が、仕掛ける人間の楽しさにこそ、現代の閉塞感を切り開く鍵があるように思う。

愛しあふ男女 6

2010年10月23日 | 日記

    愛しあふ男女 6


 



街燈の青い三角の光が絵のやうだ


暗い壁のすみつこの所では


しづかな夜が二つの心をやさしくなぜてゐた


壁にもたれてお前はうつむいてばかりゐた


 


けだもののやうにあらあらしく私はお前に


ふるまつた 私は言つた(お前を愛してゐる


お前を愛してゐるのだから)


私の声はお前の耳に流れて入つた


 


誰かが次第に街燈を持ちあげた


光の円周が地の上を動いて


私たちは青い光の中に立つた


 


手をにぎりしめて二人が立つてゐるのは


赤い壁の前であつた 光の方に顔を向け


きびしい目をしてゐるのはその壁の前であつた


青衣132号

2010年10月22日 | 

伊勢山さんから青衣をいただいた。132号である。




正孝は、山の樹が解散したあと、どのグループにも属さなかったが、青衣とはかなり親しい関係にあったようだ。青衣の会にも何度も参加している。
比留間一成さんなど気の置けない人たちがいて、居心地がよかったのではないか。
また、かつて中国旅行にご一緒した西垣さんらとの関係もあったと思われる。

その西垣さんの「鎮魂歌」が「戦後の詩」として、収録されているが、胸を打つ。
解説を伊勢山氏が書いている。

表紙の詩は、その伊勢山さんの作品である。

 夜の分去れ

 老狐は迷わず

 黒々とした疎林に向かう

 暗さは蝕まれているのではない

 月明りが回ってくると

 一本 一本が自ら照り映える

 老狐は月の傾くのを見ながら

 疎林の一本となる

山崎剛太郎さんも詩を寄せている。先日の世田谷文学館のお話といい、山崎さんの活躍には舌を巻く。
布川鴇さんの「赤い眼の抽象形」
比留間一成さんの「蝉」
伊勢山峻さんの「戦後を生きる」

それぞれの味わいが伝わってくる。


詩集「愛しあふ男女」復刻版

2010年10月21日 | 

計画していた小山正孝の詩集「愛しあふ男女」の復刻版がようやく出来上がった。
復刻版というよりもパンフレット版である。
実物はB4サイズだが、こちらは、A4サイズである。一回り小さいということだ。
実物は、15枚の詩編がページも付けずに、バラで挟み込まれているが、
こちらは、両面刷りで、簡易製本している。
表紙は、かなりこった作りになっているが、そういうわけになかなかいかないので、
色合いだけ何となく似せた。
つまり、量感や質感は全く異なる。
しかし、詩編については、駒井哲郎さんの版画を含め、実物に近い。
この詩集、田中栞さんの「書肆ユリイカの本」にも収められているが、駒井哲郎の版画の実物が挟み込まれているために、古本業界では、30万円という異常な高値がついている。これではなかなか手に取れないのが当たり前だ。


この「愛しあふ男女」の復刻に取り組んで、感じたのは、復刻と言うのは難しいということだ。
似ていなければ、似ていないで、「なんだこれは」となるし、似ていれば、似ているで、「こんなものか」と実物が誤解されかねない。
どちらにしても、問題点がある。
それでも、この詩が何人かに新たに読まれるとすれば、それでよしとしたい。




愛しあふ男女 5

2010年10月15日 | 
  
  愛しあふ男女 5

 

手を組んで私たちはかけ抜ければよいのですか

さまざまのことは考へないで先の方へ先の方へと

頭の上にかぶさる森の葉の黒い影を

よけながら私たちだけがかけ抜ければよいのですか

 

愛してゐる 愛してゐますとくちびるの中でそつと

くちびるをふるはせて言ひながらほとんど目をつぶつて

もつれるやうにならないやうに注意しながら

足音あらくかけ抜けてしまはうとするのですか

           

私たちの中でもえるやうに影の中でもゆれてゐるものでせうか

胸の火はあの足音は消えないものでありませうか

さうした愛しあふ二人になりきつて下手から上手へと私たちは

 

かけ抜けるのですね 光は私たちを輪の中につつんで

ずうつとついて来てくれるのですね つまづく場所では

一瞬は光の輪もとどまつていたはるやうに照らしてくれるのですね


小山正孝の墓

2010年10月12日 | 
小山正孝の墓は、富士霊園の文学者墓苑にある。
富士霊園は、富士の麓の宏大な敷地にあり、春はお花見の名所でもある。
毎年、10月の第一木曜日に日本文芸家協会主催の墓前祭が営まれる。

本のページのようでもあり、巻物のようでもある、名前と代表作を書いた碑が、八期まで建てられている。
最近は、自分の好きな文学者の墓を探して訪れるファンもかなりいるようだ。
今年の墓前祭は、バス三台、そのほかに個人の参加があり、かなりの人数にのぼった。
こうした文学者の墓というようなものが、一堂に会しているのは、他の国ではあまり例がないようだ。
係累が無くなっても供養してもらえるとか、文学者の一列に名を刻んでおきたいというようなことが理由にあるのだろう。
毎年、相互扶助委員長の伊藤桂一氏が挨拶をされるのだが、今年の夏の暑さで、入院をされたということで、今年は出久根氏が代わって挨拶をされた。
写真は、小山正孝の墓および、墓前祭の様子である。







風の音 第十五号

2010年10月09日 | 日記


杉浦明平の研究家、若杉美智子さんから「風の音」の第十五号が届いた。
この、個人誌、すでに十五号とは驚きである。
今回の「旅」はカンボジアだ。「ぶんがく逍遥」は、雑誌未成年の第八号に関する記事である。
たかだか、十六ページの小冊子であるが、毎回読んで飽きない。
若杉さんの文章力によるものであることは確かだが、最初の設計が考え抜かれ、しっかりしていることが力なっているいう感じがする。
ご希望の方がありましたら、moyama@nifty.com までご連絡下さい。


 


 


愛しあふ男女 4

2010年10月06日 | 日記

   愛しあふ男女 4


 



後悔がいつかは心を占めるのだらう


ゆつくりとひろがつてゆく夏のやうに


お前はあの時私の目を見つめた


私は哀れな人間でしかなかつた


 


私の手はお前にからまりながらみにくかつた


お前のほほに私は私を寄せてゆきながら


言葉をわすれてふるへてゐるだけだつた


どこにどんなおとし穴があるかわからないと思ひながら


 


からだの大きさのちがふことがお前を愛らしくさせてゐた


もも色の小鳥のやうな手をいつまでもわすれないだらう


私はお前の声をいつまでもわすれないだらう


 


くちづけした時にはお前の歯が


宝石にあてた時のやうに感じた いつかは後悔が


黒い雲のやうにお前の心を占めるのだらう


顕彰の仕方

2010年10月05日 | 雑感
感泣亭の活動をしていてつくづく感じることがある。
それは、これからの個人の顕彰の仕方についてである。

例えば、先日立原道造記念館の「休館」の集いに顔を出した。

確かに立原道造という詩人は傑出した詩人であることは確かだが、
一人で成り立っているわけではないということだ。
例えば、書簡集だ。
様々なつながりの中で立原という詩人がいるということだ。
歴史的にという面もある。様々な人の影響を受けて立原がおり、
その立原が様々な人に影響を与えたという形で彼が存在する。
そうした、縦と横と様々な糸の結節点に立原は存在する。

近代個人主義というやつは、そうした関わりを捨象して、個人だけを取り出すという立場に立っているように思うが、その時代は過ぎたのではないか。
とりわけ、現代の日本を見ると、その感を強くする。

小山正孝の顕彰の仕方についても、同じだ。歴史的なつながり、同じ時代を生きた人々、その後のこと。そして、時代を明らかにすることが必要なのではないかと強く感じている。