岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

 諏訪から木曽路 ・・3

2018-01-23 14:38:21 | いなか暮し

 木曾福島駅近くの宿は、潜り戸から入る小さな宿 
 夕食の鯉は長野、佐久の鯉の甘露煮に木曾谷の地酒「中乗さん」
 ご飯は「安曇野米」とか、我が家の、ひとめぼれほどではないが、中々のお米を味わった。

 木曾川を挟んだ対岸には明るい日が当たっているが、こちらはまだ寒い、襟巻き、手袋着用して、藤村ゆかりの高瀬資料館を経て、天下の四関所の一つ、福島関所跡を訪ねる。
 「入り鉄砲と出女」はことさらに厳しく取り締まった関所も、いまでは、関所を貫いて列車が走っていた。
 対岸に移動するには 急な遊歩道を利用するのも木曾谷ならでは。
    木曾漆器の店を覗いたらコーヒーを御馳走してくれた。
    買わずに出られない。コーヒーカップ1ヶ5000円也 いいものは高い!!

 日があたって、暖かな対岸では、興禅寺、庭園 「観雲庭」 木曾義仲のお墓もお詣りしてから山村代官屋敷、山村氏は代々、木曾の代官と福島の関守を兼務したお家柄。
 邸内の城陽亭庭園からは、雪を頂いた山が見事な借景となっている。

 「あの山は・・・・」  「木曾駒ヶ岳の手前、地元の人は前山といいます・・・・どちらから?」
 あれやこれや話しているうちに 「私は以前、新日鉄釜石にいて、その後名古屋に・・・・・」
 「大震災以降、2回も釜石を訪れて、復興を確かめていますよ、花巻温泉には親戚も・・・・」
 木曾谷に入って、岩手を良く知る人と、これで2人目、しばらく話しているうちに
、「神棚に祀っている狐のミイラをお見せしましょうか?」と言うことになった。

 山村代官家は代々お稲荷様を氏神として祀り、信心が厚かった。
 その内に屋敷内に狐が住みつき、毎朝の鳴き声で地元の人々は、「今朝の、狐さまの鳴き声は甲高いから良い日とか言ってたらしいが、いつごろからか声が聞こえなくなったが明治年間に建物新築の折、古い建物の下の土の中から見つかったと言う。
 濃い茶色に変色したミイラは大きな猫ぐらい、生きてる間は倍くらいはあっただろうとのこと、今にも動き出すほどに、しっかりして神棚の奥に祀っていた。
 お賽銭を少々奮発して参拝

 御嶽山まいりの人たちが通行したと言われる木曽川にかかる行人橋を渡る。
  木曽川沿いの住宅、表から見れば普通の一階建てだが裏の崖側から見ればこの通り、崖屋造りと言う、初めて聞いた言葉。
 木曾に入ってから見かける住宅や建物、ほとんどが石垣を積んでいる。
 傾斜地を広く使う知恵だろうが、景観は良いと言っても、住む人には大変だ。

 木曽福島13:25発 しなの11号は、塩尻近くなって、急に視界が広がり、木曾谷がら出たと実感。
 広がった景色に真っ青な青空が広がり、14:56長野に着くころまで、
車窓の 北アルプスの峰々がうつくしい。
 もっとも長野経由で遠回りしたのは、このアルプスノ山々を眺めたかったからではある。
 午後、ゆっくり木曾を発って、6時間弱、夕食には家に帰る。

 旅行から帰って2,3日後 何回も何回も、木曾谷は、妻籠は、馬籠は・・・・・繰り返し聞かされる妻
 「私も旅行に行ってきた気分」・・・これはいい、一人の旅費で諏訪から木曽路、二人で行ってきたことになる。

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