BLOG STATION
東京発世界行

written by Ken
 



あなたは、自分の意見が批判されたとき、どんな風に感じますか?

■価値観って、人格の一部でしょ?

「○○って映画を見たけど面白かったよぉ」「それって宣伝先行のクソ映画でしょ。しかもパクりだし」「ねぇ、どうして私にケチをつけるの?」「えっ? 映画にケチはつけたけど、君にケチはつけていないよ」「ひどい。バカにしているのね」
 (はてなグループ:モヒカン族 - キーワード「ムラ社会」
私たちは全員、ムラ社会の中に住んでいます。(もちろん、モヒカン族も例外ではありません。)
モヒ男君は、「映画にケチはつけたけど、君にケチはつけていないよ」と言い訳していますが、「○○という映画が面白い」と言っている、ムラ子さんという人間の価値観を否定していることに、気づいていないようですね。

Web上で巻き起こる議論の出発点は所詮「好き嫌い」でしかないからだと思うのですよ。(中略)
「こういうのが嫌い」と言ったAさんに対して、「そういうのが好き」なBさんが、「そういう事言うAが嫌い」と議論つーか喧嘩を吹っかける、そういう図式。

 好き嫌いの衝突なんて意味がないんですよ。

 Aさんの「こういうのが嫌い」という気持ちと、Bさんの「そういう事言うAが嫌い」という気持ちがベースにある以上、その言い合いに建設的な結末など望めるわけがない。

 (他人の不幸は蜜の味:ブログ上の議論が不毛な結果に終わりがちな理由
嘉陽愛子が好きだと言っている人の前で、彼女のことを批判してはいけません。
ファンというものは、対象に対して、絶対の価値を認め、自らの人格をそこに投影しており、「TBをもらいたい」、「(可能なら)自分のものにしたい」、さらに相手が異性であれば、「セックスしたい」、「一緒になって子孫を残したい」などと、考えるものです。ファンにとって、対象となる人(物)は、自分の人格の一部を構成する重要な要素であって、第三者による対象を批判する行為は、人格を否定されるに等しい結果をもたらすのです。
嘉陽愛子のファンについて言及しすぎると、つけあがりそうなので、ほどほどにしておきますが、僕だって他人事ではなく、妻の前で、某韓国俳優を批判しようものなら、家庭崩壊を招く危険があるので、自粛しているのです。

■テキストにこめられた「思い」
僕は、音楽の演奏活動を行ったり、同人誌の編集をしたりしていますが、どちらの世界にも、仲間内であるか否かを問わず、相手の作品を公然と批判してはダメという暗黙のルールみたいなものがあります。お互いに、そんなことはされたくないですからね。少なくとも、公開されたウェブ上では、批判的なことは書けないわけです。(その代わりに、本人に直接、告げることは頻繁にありますよ。僕は口が悪いほうですから。)
ブログの場合も同じようなことがありますね。
「一生懸命に」描いたイラストが下手くそだと言われたら。
「心をこめて」書いた文章が批判的なコメントで一刀両断されたら。
たといその批判が的を射たものであったとしても、全く傷つかないひとは、ほとんどいないでしょう。自分が作り上げてきたものには、「思い」がこめられているのですから。(全く傷つかない、というひとは、手を抜いているのかもしれません。)

■テキストと作者の人格
太宰治の初期の私小説「猿面冠者」(『晩年』所収・新潮文庫)は、主人公が同人誌に発表した小説が、新聞で痛烈に酷評され、自信を失って心底、落ち込むという話です。その落ち込み方が半端でなく、素晴らしい表現によって描写されているため、短編集『晩年』は、高い評価を受けることになるのですが、これは太宰の天才たる所以であって、一般人に真似のできるものではありません。
私小説における「私」は、作者と同一ではありませんが、作者の人格の一部を構成するものです。また、ファンタジー小説の作者が創造する作品世界もまた、同様に作者の人格が生み出した想像上の世界観の表れであると見ることができます。
これと同じように、ブログの記事を書いている人も、現実の人格と同一ではないにせよ、何らかの形で、自らの人格のある一面をテキストの形で、表出させていると言えるでしょう。その「ある一面」が、その人にとって、どれくらいの重要性を持つのかは、個人差が大きいと思いますけどね。

■批判の持つ意味
批判的なテキスト(文章)には、ほとんどの場合、「相手をやっつけてやれ」というニュアンスが含まれているものです。

「議論は勝ち負けぢゃないんだから~云々。」とか、「いや、議論は勝ち負けだ!」などの対立する意見があります。 どちらも正しいと思います。 ですが、私は、「議論は勝ち負けではない。」と言いたいです。
 (ぽんすブログ:議論は勝ち負けぢゃないよ
TAKO@ぽんすさんは、こう書かれていますが、ディベートというのは、きちんとしたルールに基づいて行われるべきものであって(リンク参照)、双方がルールについて合意した上で行わなければ、成立しません。合意のないまま、議論を続けると、ギロン議論の記事のように、女の子が泣いて終わりになってしまうわけです。
論破」という言葉に象徴されるように、議論の目的は、相手を言い負かすことにあるのであって、どちらの主張が正当なものであるかは、二の次です。
声の大きな人、文章力のある人、論理を組み立てるのが上手い人が、常に勝つような仕組みになっているのです。さらに付け加えるなら、有名な人(シンパの多い人)というのも、圧倒的に有利ですね。多少の批判を受けても、痛くも痒くもないのですから。(もっとも、最近は、ちょっとくらい有名なだけでは、簡単にひっくり返されたり、信用を失ったりする場合があります。ウェブの恐ろしいところですね。)

■ポジティブな批判をしてみたい
批判は、ネガティブな表現を伴って行われることが多いわけですが、これが前述のように、人格否定につながるのであろうと、僕は推察します。
大概の人間は、褒められると伸びるわけで、肯定的に言及されれば、嫌な気分にはならないのではないでしょうか。
これは自戒を含めて書いておきたいのですが、以前、gooブログが主催するイベントについて、メッタメタに批判してしまったことがあります。(個人でブログをやっている山田さんは別として)gooのスタッフの方が、立場上、反論すらできないようなことを書いてしまい、単なる不平不満を連ねただけの記事になってしまいました。この点については、今さらですが、反省しています。(ごめんね♪)
最近の僕は、モヒカン族を目の敵にしたりしていましたが、ブームが凋落した現在、彼らの果たした役割、ブログ史における貢献度などについて、ポジティブな視点から、再評価を行ってみたいと思っています。お楽しみに。

 *おしまい*

---
【TB】
ぽんすブログ:議論は勝ち負けぢゃないよ
他人の不幸は蜜の味:ブログ上の議論が不毛な結果に終わりがちな理由

コメント ( 27 ) | Trackback ( 8 ) このエントリーを含むはてなブックマーク



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コメント
 
 
 
なるほど (gen)
2005-08-03 00:09:29
非常に興味深い記事でした。

自分が書いてる記事について考えさせられました。



ボクは映画の感想をブログで書く事があるのですが、

個人的に「面白くなかったなぁ」と思う映画で、

「イマイチだった」と感想を書くにしても、

必ず些細な事であっても、良かった点・目を引かれた点を書くようにしてます。

全てを否定するのは作り手に対して失礼だと思うし、

何より自分も同じように(例えば自分のブログを)否定されると悲しいですから。

あと、「お前はあの映画の良さわかってない」、

と言われないための保険という意味合いもあるんですけどね。



公の場で批判するという事は、思っているよりずっと安易な事ではないのですね。
 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-03 00:40:38
>genさん

そうなんです。

昨日、スター・ウォーズの感想を書こうとしたのですが、

書くことがなくなっちゃって、大変でした。
 
 
 
基本的にはよくわかる話なんだけど (Lefty)
2005-08-03 00:51:28
>「論破」という言葉に象徴されるように、議論の目的は、相手を言い負かすことにあるのであって、どちらの主張が正当なものであるかは、二の次です。



う~ん。そうじゃない議論の進め方はあると思うんですよ…。往々にしてそうなりがちなのは認めますが…。



>好きだと言っている人の前で、彼女のことを批判してはいけません。



これも文脈と程度によるとは思うんですよ。

「ええ?いいかぁ?」といわれて「そこがいいんだよ」と言い返せなくて何のファンだというのはあるし…。

…とはいえ、それが成り立つのは、双方である程度の了解事項みたいなのがある場合なのかも…。

で、私はそういう了解がある上で、お互いの好きなものにけちを付け合うというのは嫌いじゃないんで…。
 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-03 01:05:12
>Leftyさん

議論の仕方にしろ、批判のありかたにしろ、

双方の合意の上で行われるのであれば、

そういうのが成り立つんですけどね。

今度、「東京事変というバンドのありかた」というテーマで、

やってみましょうか。(笑)
 
 
 
今晩は^^ (かささぎ)
2005-08-04 00:32:26
何やら面白そうな匂いがしましたので,お邪魔いたします ^^

これは・・・私の件の話(『ガチャ批判』)と同じ要素を含むととっても構わないでしょうか。



私も「在る程度の合意や了解事項,前提となる共通理解があって,初めて議論が成り立つ」と考えています。その意味において「テキスト批判=書き言葉による筆者の一部人格についてを評価すること」は,例えば書いて発表した以上(或いは口にした以上)は,反応がどう返ってこようとも覚悟を持っていなくてはならないのですよね。



そもそも「好き嫌い」という感情だけで反応する(しかできない)ヒトも居るわけですから,初めから議論にならないこともままあるでしょう。

その点も含みおいて発表することを,表現する以上は,考えておかないとならないのですね。



・・・私の意見が的はずれだったら,どうぞご指摘下さいませ。  有難うございます^^



 
 
 
正義 (あきちゃん)
2005-08-04 09:47:14
あなたの正義と私の正義は違うということもあるんでしょうか。どちが間違っているとか、どちらが正しいとかってことではなく、どちらも正しいけれどかみ合わないってことはよくありますね。違いを認識した上での議論なら前向きにもなるかな?なんて思ったりしますが。
 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-04 10:16:34
>かささぎさん

的外れだなどと、とんでもないです。

書かれたテキストが筆者の人格の一部だということは、誰にも否定できないわけで、お互いにそのことを認め合うことが大事なのではないかと思うわけです。

そのあたり、もうちょっとまとめて、別記事を書きたいと思っています。
 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-04 10:40:17
>あきちゃん

正義って、なんでしょう。

正義の一つとして、法律を持ち出すというのがありますね。

例えば、「言論の自由」。

モヒ男君が映画をどう批評しようと自由ですが、よりによって、好きな映画の話で盛り上がっているムラ子さんの前で、そんな話をしなくても良いわけです。

むかついてしまったムラ子さんとの人間関係を修復するためには、「言論の自由」は役に立ちません。



> 違いを認識した上での議論なら前向きにもなるかな?なんて思ったりしますが。



「同じ土俵」という言葉に象徴されるように、議論のありかたという意味で、共通の認識やルールに基づいて行われるならば、意義のある議論になるだろうと思いますが、往々にして、何も生み出さない結果になりがちなんですよね。
 
 
 
批判くらい、いくらでもしたら いいような… (ひつじ)
2005-08-04 12:14:03
人格って、なんでしょうね。人格は「神聖にして侵すべからず」でしょうか。そんなことはないと、わたしは おもいます。人を傷つけることをおそれるな、というか、現に傷つけながら いきてることを自覚せよ、と。



ただ、自分なりの倫理をもって批判をする必要があるし、批判したことに対する「反応」は、ひきうけないといけない。



気になったのは、「声の大きな人、文章力のある人、論理を組み立てるのが上手い人」を同列にあつかっていたことです。声が大きいことは、べつにほめられたことではないですが、論理的であるというのは できるかぎり そうありたいし、そうある必要があると おもいます。そうじゃないと、ただの詭弁になりますから。



kenさんは、「批判するということについて」ではなくて、「人間関係のマナーについて」議論されてるように みえますけども、誤解でしょうか。
 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-04 13:13:37
>ひつじさん

コメントありがとうございます。

ご意見については、重要なポイントが書かれていると思いますが、今のところ、肯定も否定もせずにおきたいと思います。



> kenさんは、「批判するということについて」ではなくて、「人間関係のマナーについて」議論されてるように みえますけども、誤解でしょうか。



マナーという言葉を、僕は敢えて使わないようにしました。

むしろ、人間関係のありかた、相手の考えや立場を尊重することの重要性について、述べています。
 
 
 
相手を尊重するということ (ひつじ)
2005-08-04 14:51:42
相手を尊重するためには、「つきはなさい」ことが大事だろうと おもいます。けれども反論することが つきはなすということではないし、相手の話に うなずいているだけでは相手を尊重している態度だとも おもいません。



相手を「弱い者あつかい」しても、それはそれで失礼ですしね。自分を安全地帯におかない、自分を固定しない、相手にレッテルをはらない。それが大切なんだろうと おもいます。わたしは、そういう議論を「つながり、ゆさぶり、ひびきあう」議論と よんでいます。



> 人間関係のありかた、相手の考えや立場を尊重することの重要性について、述べています



そうですね。「批判について」重点がおかれてるようには感じませんでした。
 
 
 
Unknown (LSTY)
2005-08-04 15:32:22
 Kenさんがこの記事で書いている理想的なコミュニケーションは、僕としてはリアルじゃなきゃ無理、だと思います。

 web上での知り合いに、そこまでの愛情を注ぎ、配慮することは、ちょっと僕には無理。



 しかし、web上のコミュニケーションだからこそ気を遣うべきこともあるんですけどね。僕は緩い人間なので、そこら辺は「逃げ」と「適当な同調」でごまかしがちです。それは引用いただいた記事でも明らかだと思いますが。
 
 
 
ひつじさん (Ken)
2005-08-04 18:47:58
まったく、おっしゃるとおりだと思います。

相手の話をよく聞く。

相手をよく見る。

というのが、大切なんですよね。
 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-04 18:51:55
>LSTYさん

僕だって、決していつも愛情たっぷりなわけではなく、

しょっちゅう、ぶちキレたりしています。

適度なユルさがあったほうが、うまくやって行けそうな気がするんですよ。
 
 
 
少しだけ、 (ピーちゃ♪)
2005-08-05 04:52:40
こんばんは。



>必ず些細な事であっても、良かった点・目を引かれた点を書くようにしてます。



私の経験からすると、この手法は殆ど無力でした。

大抵はネガな言い方だけを捕らえられて反論されるのがオチです。

議論だからこそ、ではありますが。



>ただ、自分なりの倫理をもって批判をする必要があるし、批判したことに対する「反応」は、ひきうけないといけない。



問題は、反論に対してどういう態度で臨むか、でしょうね。

「自分の論理を受け入れない反論はとにかく間違っている」とか「反応を引き受ける = 相手にグゥの音も出せないくらいに叩き潰す」とかしていれば、記事のまんまの状況に陥るだけです。



このことは双方が自覚しないとダメですけどね。

片方が自覚してても、他方が引きずっていって不毛になっていくことも珍しくない。

 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-05 12:09:21
>ピーちゃ♪さん

> このことは双方が自覚しないとダメですけどね。



両者の温度差が大きかったり、主張が相容れないものだったりすると、

そういう風になるのかもしれませんね。

コメントありがとうございました。
 
 
 
もう一点だけ (ピーちゃ♪)
2005-08-07 01:21:39
ディベートを仕掛けるのなら、最初からディベート仕掛けるよ、とでも宣言すれば、多少なりとも好転するかも知れません。

相手にディベートのつもりがないのにディベートに持ち込んだら余計に反感買うと思う。
 
 
 
ピーちゃ♪さん (Ken)
2005-08-07 10:05:47
本記事に書いたとおり、双方の合意がなければ、

ディベートは成立しないと思います。
 
 
 
Unknown (えっけん)
2005-08-07 18:49:49
>双方の合意がなければ、

>ディベートは成立しないと思います。



同意です。

「議論」と「ディベート」は全く別のものだと思います。



何か反論された際に、勝ち負けにこだわり過ぎる人は、ディベートは出来ても議論はできません。
 
 
 
あ。 (えっけん)
2005-08-07 18:51:45
そもそも

議論に対する考え方が、僕とKenさんとの間で違いがあるやんけ!





 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-07 21:15:24
>えっけんさん

> 議論に対する考え方が、僕とKenさんとの間で違いがあるやんけ!



そのとおり。

双方の考え方の違いを認め合うことが出来れば、

大概の議論は、そこで終了します。

それ以上、踏み込まないというのも大切なことだと思います。
 
 
 
いまさらのコメントでアレですが、、 (fuda)
2005-08-14 00:01:15
リンクをあちこち辿ってたらここに着いたので。



で、思ったのですが、、



最初に引用している会話、あれはそもそも「批判」じゃなくて単なる「貶し」じゃないですか。あれを「批判」と呼んだことで、その後の論議にずれを起こしているように思うのですけど。



自分としては論理性の有無をもって、批判と貶しの違いとしてます。



別にネガティブだろうが批判したっていいと思います。もちろん、その場のコンテクストを踏まえてという条件はつきますが。単なる好き嫌いを表明している人に、論理的な意見をふっかけても場違いなだけですしね。
 
 
 
こんにちは。 (Ken)
2005-08-14 00:17:22
>fudaさん

「貶し」が「批判」であるかどうかについては、ここではコメントを控えたいと思います。



論理的に物事を述べることは大切なことだと思うのですが、本記事に書いたとおり、「論理を組み立てるのが上手な人」が、常に勝ってしまう(ように見える)ことが、むしろ問題なのではないかと思うのです。

 
 
 
Unknown (fuda)
2005-08-14 01:21:07
>「論理を組み立てるのが上手な人」が、常に勝ってしまう(ように見える)ことが、むしろ問題なのではないかと思うのです。



実際には「共感的理解」を得た人の方が意見が広まりやすいと思いますけど、ここらへんについては書き出すと長くなるので今はやめときます。



ところで、最初に引用している会話文を読んで、思い出したブログ記事があったのでご紹介。



理系の男はなぜモテないのか

http://blog.livedoor.jp/shi3z/archives/5363767.html



この記事の内容の全てに賛成するわけではありませんが、考え方としてはおもしろいと思いました。モヒな人というのもこういうタイプなのかもしれません。
 
 
 
fudaさん (Ken)
2005-08-14 16:02:45
ご紹介いただいたリンク記事は、何度か読んだことがあります。

僕も、相手に対して「共感」できるかどうかが、大きなポイントだと思うんですよね。

コメントありがとうございました。
 
 
 
書いてみました (かささぎ)
2005-09-22 04:26:19
Kenさん おはようございます^^ ようやく書いた記事をトラックバック致しました。・・・のですが,寝惚け炸裂のようでごめんなさい。何度もしちゃった・・・多い分削除して頂けますか;; お手数を掛けます。申し訳ありません。



この記事,何度も拝読していますが「理解と共感」「批判」「議論」とテーマ満載だったのですねぇ(・・・今更ですね)。あー自分がいかに題材をいかにこなしていないのかが露呈して,恥ずかしいです・・f^^;



取り敢えず また後ほどお邪魔致します。
 
 
 
かささぎさん (Ken)
2005-09-22 12:12:59
今、読み返してみると、多くのテーマを詰め込みすぎて、消化不良を起こしているような気がします。(^_^;

結局、僕は議論には向いていないのかもしれませんが、いろんな方の意見を読むうちに、少し考えが変わってきたように思います。

これからも、よろしくお願いします。

 
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