こちらは引っ越しました

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マツケンのCM

2005年04月30日 | ニュースな毎日。
最近どうしたんだ、というくらいにはじけてる松平健氏。
「マツケンサンバII」は相変わらず売れてるわ、全国コンサートツアー中だわ、弁慶だわ。

そして、こんなCMも、最近よく流れている。
(女性を馬に乗せる別バージョンもあるらしいが・・・まだ見てないので、放映してないのかな?)
本当に街中を馬で走らせて撮影したらしいけど。
後ろを一生懸命走ってるわんちゃんも笑える。

マツケンサンバもいいけど、「暴れん坊将軍」はもうやらないのだろうか・・・。
昔の「若さま」は、それはそれはかっこよかった。爽やかで。
そういや、もとはこのひと、勝新太郎の付き人だったんだよなあ・・・。結構意外だけど。
付き人として、連日カツシンに飲みに連れまわされていたころ、「暴れん坊将軍」のプロデューサーに引き合わされたのがきっかけで、吉宗役をやるようになったんだとか。

「時代劇専門チャンネル」見たさにスカパーに入ろうかとまで考えている、今日この頃。
ちなみに、「やっぱ最後は、御庭番衆に『成敗!』させなきゃねー」とか、「(大岡)忠相とか、め組の大将が立ち回りに入ると、珍しすぎていいことありそうだよねー」とか、「吉宗の扇にある文字は『正義』だよー」とかいうのが、うちの夫婦の会話である。
(見てないとわかんないことばっかりですみません)

「大人たばこ養成講座」

2005年04月29日 | 書籍


突然ですが、あなたはタバコを吸いますか?

私はタバコが死ぬほど嫌いなので、全世界的な禁煙の動きには大賛成なのだが、「タバコを吸いたい」という、スモーカーたちの切ない気持ちもなんとなくわかる。しかし、マナーの悪い人がやたらと目に付くこのごろ。

全面禁煙の地下鉄の駅から出てきたあとの、路上での一服。そして、レストランにてご飯食べてる人たちがいるにもかかわらず、まわりを気にせずプカプカし始めたり。山登りにきてんのに、プカっと吸ってポイっとしたり。
いや、吸いたいという気持ちもわかるよ。
でもね、このご時勢なんだから、最低限のマナーは守ってもらいたいのね…。

そして目の敵にされるスモーカーも、「いちいちうるさいな!」と思う人もいるだろう。

…と、タバコのことを言い出すと、とかく目くじらを立ててしまいがち。スモーカーとノンスモーカーの仁義なき戦いは続いていくのだろうが…。

そんな戦いに一石を投じる一冊、「大人たばこ講座」。
「東京ウォーカー」や「日経エンタメ」に掲載されてる、JTの「タバコのマナーについて」という見開き広告を集めた本なのだが、これがユーモアにあふれていて、つい笑ってしまう。
現在シリーズ2冊が出ているが、本屋で立ち読みし、気に入って購入してしまった。

脱力系のイラストで書かれた主人公が、いろんなところでの「お作法」を説明している。(「ホウサク」という名前もある)喫煙大好きな彼が、「大人として、たばこをいかに上手に、かつスマートに楽しむか」ということも交えて、いい大人のありかたをシチュエーション別に実践している。

例えば。
「出張でのお作法。」
①初の出張が決まったら、オレも大人になったなあ、としみじみ一服すること。
②喫煙席、禁煙席のどちらを予約するかは、上司ののぞみを優先すること。
③海外出張の場合、その国の文化、風習、価値観をよく知ること。いらぬ衝突をしないこと。
④当日、上司を待たせないこと。遅れたら、見えそうなところからダッシュすること。
(中略)
⑦駅弁はフタについたゴハンを粗末にしないこと。カリカリ梅干しをさいごに楽しむこと。
(中略)
⑩訪問先では、上司を呼び捨てにすること。待合室では、まだしないこと。
⑪会議中や商談中、そこに灰皿があっても「たばこを吸ってもよろしいですか」のひとことを忘れないこと。
(中略)
⑭ホテルにつくなり、有料ビデオにかじりつかないこと。
⑮会社への報告を終えたら、充実感とともにたばこの煙をゆっくり味わうこと。

という感じ。イラストをお見せできないのが残念。これがまた、味があってよい。結構おかしくてニヤニヤしてしまう。
現実、マナーを守るのも、これくらい楽しくできればストレスも溜まらなさそうだ…と思う。
「マナーを守ってるオレ、大人だな~」という呟きが聞こえてきそうなイラスト。
マナーというのは、「守るもの」というよりも、本当は「楽しめるもの」であるのかもしれない
そして、マナーを守ってくれる人は、素敵だなーと思う。

一冊2000円もするので二の足は踏むが、書店で見かけたら、チラッと覗いてみてほしい。
ちなみに、巻末には「アダルトたばこ養成講座」という、ちょっぴりオトナのコーナーもついている(笑)


原作つきの映画

2005年04月27日 | 映画
原作のあるものを映画化する、というのはよくあることだけれど、まあだいたい不評だったり、コケることが多い。見る人の頭の中でイメージが出来上がってしまっているせいなので仕方がない、ともよく言われる。

しかしながら、原作が「本」である場合は、まだ映画が勝てる余地がある。
たとえば、フランク・タラボン監督の「ショーシャンクの空に」(原作:スティーヴン・キング)や、フランシス・コッポラ監督の「レインメイカー」(原作:ジョン・グリシャム)は、完全に映画の脚本が原作を凌駕していた(と、私は思う。どちらもきっちり読んだけど)。
確かに、映画の世界が読者のイメージを越えるのは大変だが、いいようにアレンジしてくれるのなら、わりとその辺は打破できるような気もする。

が、原作が「芝居」の場合はどうだろう?
これは相当厳しいものがあるような。
今日は映画「阿修羅城の瞳」を見てきたのだが、これも元は劇団★新感線の芝居。新感線好きの私は、何回かこの芝居を見ていたのだが、映画のあまりな出来に切なくなった。細かい感想は、後日HPのほうにUPさせていただくとして・・・。

まず芝居は、作り手のイメージがステージ上で具現化してしまっている。それをライブの迫力で見せつけられるわけだ。この「ライブの迫力」というのは、ある種魔力である。どんなに荒唐無稽であろうが、「どうだー!」という説得力でもって、その世界に引き込むだけの力がある。その点、映画は「スクリーン」の中で展開されるためか、やはり一歩引いた視点で見てしまうのは否めない。

役者のテンションも、やはり違ってくるのだろうか?(よくわからんが)
かの名作「ガラスの仮面」でも、主人公マヤはテレビドラマと芝居の違いに戸惑っていたけれど。
「テレビドラマは気持ちが作りづらい」とかって。

もちろん、映画ならではのよさもある。
特殊効果など、舞台では限界のあることをコンピュータで再現できるし、ハプニングが起こっても、取り直しがきくし。
(しかし、CGも良し悪しなんだけど)

それに、「芝居向きの脚本」と「映画向きの脚本」があるような気がする。あたった芝居の脚本だから、映画もそれで撮ればいけるだろうというのは、早計なのかもしれない(逆もまた然り)。
なんだか、うまく説明できないけれど…芝居だからこそ輝く話、映画だから輝く話。この二つは、やはり何かが違うのだ。似て非なるメディアだから、当然なんだけど。

そんなコトを考えながら、悲しい気分で帰ってきた。
ああ、水曜日でよかった(1000円だし…)。

リンクがはずれてる!

2005年04月26日 | お知らせ
前にも「歯医者がらみ」という記事を書いたときに、関連サイトのリンクが外れてジャンプできないということがありましたが、今回も「倉敷に行ってきました」という記事で、小鳩屋さんとアトリエゆうさんのサイトの記事をリンクさせたつもりが、困ったことにまたジャンプできなくなっていました。

どうやら、ハイパーリンクのHTMLを組んで一度UPさせたあと、編集画面をもう一度開くと、アンカータグ内のURLが消えてしまうという不具合があるようです。
昨日は確かに自分でHTMLを組んだ記憶があるので…。

皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。
再度このような不具合を発見された場合は、お手数をおかけしますが、コメントにてお知らせいただけると、大変たすかります。
ちなみに、下線だけ引く、ということはいたしませんので…。

サーバの増強が終わったようで、前よりもスムーズにコメント等は反映されるようになりましたが、一つ片付くと、何か問題が発生するようで…。
書き込む時も、十分気をつけなければ…(-_-;

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番

2005年04月25日 | 音楽(クラシック)
最近週に一回のペースで歯医者通いが続いている。その治療室でよくかかっているのが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲。有線なのかCDなのかは不明だが、行くたびに第一楽章から第三楽章まできいているような気がする。
だから私の中では、この曲は「歯医者の曲」(笑)

演奏会でもよくかかる定番中の定番だが、改めてうちにあるCDを聴いてみた。88年のジルベスターコンサートから、カラヤン指揮、ピアノがエフゲニー・キーシン。

第一楽章から、展開のさせ方がとってもゆっくり…。早めのテンポに慣れてしまっているせいか、ちょっとじれったいくらいだ。オケのアンサンブルなんかは相変わらずとてもきれいなんだけど、思わず早送りしようかと思ってしまったくらい。
カラヤンのチャイコは他をあまり聴いたことがないのでなんともいえないのだが、特にこれがゆっくりなのか? 何かもったいぶっている感のある演奏だなー・・・という感じ。
キーシンのピアノも、抑え目に弾いてるのか。第一楽章のソロは途中でゆるくなってくるので、余計に眠くなってくる。
第2楽章辺りで耐え切れず、撃沈。うっかり眠ってしまった。
第3楽章は割とよかったんだけど…ね、眠い…。

これはいかんと思い、今度は比較の意味でアシュケナージ指揮版のCDをかけてみた(ピアノはアンドレイ・ガヴリーロフ、オケは先ほどと同じベルリンフィル)。
…ああ、これだよ、これ。こちらは対照的にテンポが速い。カラヤン版と第一楽章だけで比較しても5分以上のひらきがある。やはりこれくらいの速さのほうが聴きやすい。
演奏自体は、無難かなあという感じだが。

指揮者の引っ張り方でここまで違うものかと感心。ちょっと勉強になった。

歯医者でかかっているやつも、もう少し細かく聴いてみたいものだが、「きゅいーん」という音に負けてしまうのだな…。
ちなみにこの日は、ピアノ協奏曲のあとにチャイコのヴァイオリン協奏曲もかかっていたが、タイミング悪く(?)治療が終わってしまい、全曲聴けなかった。
さすがに「この曲が終わるまでいさせてください」とも言えないしな…。

倉敷に行ってきました。

2005年04月24日 | 平和な日常。
イギリス留学時代からの友人・こばとさんが、五月一日まで倉敷で期間限定のお店を開いているので、ダンナと一緒に観光がてら、陣中見舞いに行ってきた。
お店の名前が「4月だよ全員集合!」
…案内状に書いてあるのを見ても、これがお店の名前だとは思わなかった。(笑)

倉敷にお昼ごろ上陸したら、めまいがするほどのいい天気で、日差しがとっても強かったです(←日光に弱い)。日焼け止め塗ってましたが。それでも焼けるんじゃないかっていうくらい。
いただいた案内状を頼りに「恵比寿通り商店街」を歩いていくと、途中にいい感じの駄菓子屋さんを見つけ、写真に撮る。(画像参照)


それから歩くこと数分。「方向間違ってないか?」と心配しつつ、どうにか到着した。
何故か白衣姿のこばとさんと、再会の抱擁。
「どうして白衣?」と聞くと、「紅白でめでたいから」とのこと。一緒に同じ場所で帽子を売ってらっしゃるアトリエゆうさんは、たしかに真っ赤なツナギを着てらした(笑)

こばとさんは料理が上手で、私も留学中は何かと食べさせてもらっていた。ほんと、よくたかってたなあ・・・(遠い目)。特にご本人はお菓子作りがお好きなようで、その手から作り出されるスウィーツたちは、まさにミラクル。玄人裸足である。彼女のHPからも、いいにおいがしてきそうだ。

一方「アトリエゆう」さんは、帽子作りの先生。可愛らしくて、お洒落な帽子を手作りしている。かぶりやすい、いい帽子なのよ、これが。一点もののデザインなので、オリジナリティにもあふれているし。

そんなお二人がコラボして、今回お店を出しているのだが、今回もこばとさんのお菓子を購入。そして、アトリエゆうさんの春夏物の帽子も、誘惑に負けてゲットした。可愛かったもので・・・。

商売の邪魔にならないよう早々に退散したあとは、倉敷の美観地区に向けて歩く。途中、レトロなタバコ屋の前で写真をとったり、阿智神社に寄り道したりしながら、大原美術館へ。GW直前のせいか、思ったほどは混んでいなかった。天気もよくて、半日旅行としてはなかなかよかったかも。

平家物語や能で有名な藤戸まで足を伸ばしてみたかったが、残念ながらタイムアップ。
江戸と明治と昭和の雰囲気が一緒になったような不思議な町なんだけど、そぞろ歩くには面白かった。

映画「クローサー」

2005年04月23日 | 映画
先週アメリカから届いたDVDを、一本だけですが、ようやく今日見ることが出来ました。
リージョンコードの問題もあったけど、パソコンで再生したら、なんとかなったよ。ホッ。

"Closer"は、思っていたよりドロドロの恋愛ものでした。
そこを淡々と描いているんですが、なんだか不思議な余韻の残る映画。
大人のラブストーリーというか。

ジュード・ロウのくたびれ具合と、クライブ・オーウェンの濃さ(見た目もキャラも濃いんだ、これが)にちょっと引いてしまったけれど。
キャストは総じてハマってました。

もともとロンドンやニューヨークで芝居として上演された脚本を、忠実に映画用に持ってきたようです。映画にするのはちょっと無理があったかな・・・という気もしないでもないですが、交わされてる会話に、深いものがありました。


日本公開は5月の予定ですが、ダンナと見にいく予定です。
でもなあ、カップル向けじゃないのよね、これ。
ダンナと見にいったら、お互い黙っちゃいそうだ。

2億円のヴァイオリン

2005年04月23日 | ニュースな毎日。
本日付けのヤフー・エンタメニュースより。

ストラディバリのバイオリン2億円で落札、楽器で史上最高
【ニューヨーク 22日 ロイター】 イタリアの名匠アントニオ・ストラディバリが3世紀以上前に製作したバイオリンが、楽器としては史上最高の200万ドル(約2億1000万円)で落札された。
ニューヨークの競売大手クリスティーズが22日、明らかにした。
落札されたのは1699年製の「レディー・テナント」。ストラディバリが最盛期とされる時期の前年に製作されたもので、落札予想価格は80万ドル―120万ドルだった。
楽器の最高落札価格は、1990年に180万ドルで落札された同じストラディバリのバイオリンだった。



バイオリンというのはなかなか難しい楽器のようで、プレイヤーの演奏技術が一流でも、バイオリン自体の質が悪いと、音の聴こえ方に雲泥の差が出る。
あんなちっこい楽器から、どでかいコンサートホールの隅々まで音をいきわたらせなければいけないことを考えると、それだけ楽器のほうもこだわっていかなければならないのだろう。世界的なソリストなら、コンチェルトを演奏するときだって、オーケストラに負けじと音を出さなければいけないのだから。

だからといってストラディヴァリクラスの名器になると、個人的に買うのは、名だたるソリストだって難しい。高いしね。
なので、スポンサー(つうか、パトロンと言うべき?)の企業が所蔵しているものを貸与するというケースも多いらしい。
ヴァイオリニストのマキシム・ヴェンゲーロフが使用しているストラディヴァリは、ルイ・ヴィトン所蔵のもの。無期限で借り受けているらしい。「なぜルイ・ヴィトンがヴァイオリン?」と思ってしまうが、宣伝にもなっていいのか。タイガー・ウッズとナイキの関係みたいな(違う?)

それにしても、理屈はわかるんだけど、あんなちっこい楽器に2億円・・・。
庶民には縁遠い世界だわ・・・。
今回クリスティーズで落札されたヴァイオリン、プレイヤーが使うものなのか、それとも楽器コレクターが、弾きもせずににこっそり家に飾るのか。
できれば、きちんと弾いてもらえればいいけど。楽器のためにもなるしね。


それにしても、最近音楽聴いてないなあ。
いろいろばたついてて。反省。

ヴァチカン市国

2005年04月22日 | ニュースな毎日。
新教皇誕生のニュースを見ていて、「そういや、バチカン市国ができるまで、紆余曲折があったんだよなあ・・・」てなことをふと思い出した。でも、高校の世界史でちょこちょこっとやった程度の知識なので、細かいことはウロ・・・。この際なので、ちょっとネットで調べてみた。

ヴァチカン市国はローマの西側にある、世界最小の独立国家。教皇を元首として、教皇庁が治めている。
「ヴァチカン」という名前は、あの辺りがキリスト教以前から「ヴァティカヌスの丘」と呼ばれていたことに由来する。ちなみに通貨はイタリアと同じユーロ。切手も独自のものを発行しているが、イタリアの切手も同様に使える。

市民権を持っているのは、2002年度で555人。枢機卿、大司教などの高位聖職者、駐バチカンの司祭、行政官、教皇庁職員、スイス人衛兵などに対し、教皇の勅許によって与えられる。(ということは、市民は当然男ばっかりってことか)
兵力は持たず、スイス人衛兵が警護にあたっている。一定以上の身長がある未婚のスイス国籍の男性が勤めている。バチカンでなんだか派手な服を着たお兄さんを見かけたら、それがスイス人衛兵。中世そのままのようなデザイン。ミケランジェロが作ったとかいうけど・・・どうなんでしょうか。下士官に昇進すると、結婚が許可される。

なんでスイス人かというと、戦争大好きだった教皇ユリウス2世(在1503~1513年)が、勇猛果敢なスイス人傭兵に目をつけたからだそう。その伝統が、ずっと続いているわけだ。その頃の教皇領は広大で、北はボローニャ、南はローマまであった。

この教皇領、始まりはフランク王国の宰相・ピピン(いつも思うが可愛い名前だ・・・)がカロリング朝を廃してメロヴィング朝を起こした時に、教皇ザカリアスにその正当性を認めてもらったお礼として、ラヴェンナ地方を寄進したことから。
要するに「王朝のっとったの、ずるくないよ~」と法王に言ってもらったお礼に、どどーんと領地をあげちゃったわけです。756年の話だから、相当昔ですな。

その後も教皇領は着々と広がっていき、「カノッサの屈辱」で有名なグレゴリウス7世(在位1073~85)の時にはトスカナ地方の一部を、教皇権が最大になったインノケンティウス3世(在位1198~1216)の時にロマーニャ地方を獲得し、最大版図となった。

・・・が、ナポレオンの時代になると、教皇領は一度消滅させられる。
ナポレオンがエルバ島に流されたあと、ウィーン会議で領土は一度復活するが、イタリア統一運動(リソルジメント)の影響でどんどん削られていく。

1870年にはイタリア王国が成立。ローマを占領され、とうとう教皇領は消滅する。
イタリア王国は教皇の不可侵性とヴァチカンの領有権を保障した「教皇保障法」を制定するが、「ざけんな!」とキレた教皇ピウス9世はこれを拒否。
その後、歴代の教皇たちはヴァチカンにこもり続け、イタリア政府との交渉を拒み続ける。
結局、1929年にムッソリーニとピウス11世との間でラテラノ条約が締結されるまで、およそ60年のあいだ、教皇庁は引きこもり続けたわけですな。

で、このラテラノ条約により、世界最小の独立国ヴァチカン市国が誕生した。イタリア政府の干渉はうけないということを銘記したこの条約、お互いギリギリの譲歩だったんだろうなあ。

それでまあ、現在に至るわけですが・・・。教皇って聖書には全く書いてない存在なのに、あれだけの力を持っているというのは、(今更だけど)なんだかとても不思議。

たけのこをいただきました。

2005年04月21日 | 平和な日常。
今週の初め、ダンナが会社でたけのこをもらってきた。
それも、掘ったばかりで土のついたやつ。
誰かが会社に大量に持ってきたのもので、妻帯者は強制的に引き取らされたらしい。(ノルマは一つ)。20~30センチくらいの大きさで、なかなかおいしそうだったが、いかんせん、調理法がウロ。私は高校の調理実習で一度やったきりで覚えてないし、ダンナは言わずもがな。

「どうすんの、これ・・・」
「アク抜きしないと」
「それは知ってるってば。米のとぎ汁だっけ?」
「さあ・・・確かそうだと思うけど」

埒があかないので、結局ダンナが近況報告がてら、京都の実家に電話して聞くことに。
お姑さんがいうには、こんな感じだった。

①たけのこの下の方、汚れてる部分を切り落とし、表面の土をざっと洗って落とす。先端のほうに、火が通りやすいように切込みを入れておく。

②水に糠、もしくは米のとぎ汁に鷹の爪を加えたものの中に、皮つきのたけのこをそのまま投入し、ひたすら煮る。皮の上から竹串が通るくらいまで、とにかく煮る。

③煮えたら、お湯を捨てて水を替える。荒熱が取れたら皮をむき、そのまま水の中で一昼夜放置。これでアク抜き開始。途中で数度水を変えるべし。

食べられるようになるまで、一晩以上かかるということなのね。
ともかく、言われたとおりの方法で、たけのことのバトル開始。

下の部分を落とした時は、やけに柔らかかったくせに、いざ煮始めると、これも5~6時間(ひょっとしてもっとか?)かかった。
煮えたあと、あら熱がとれるまで待ってから皮をむく。
黒い皮の部分がなくなるまでむいていったら、最初よりも随分と小さくなってしまった。
・・・あれ、これでいいのか?
なんとなく不安になるが、どうもこういうものらしい。こじんまりとしてしまったたけのこを水の中に投入し、さらに丸一日放置。
部屋の中に、わくわくするようなたけのこ臭がただよう。うーんいい感じ。

煮たり待ったりで、結局二日後。ようやく食べられる段階までこぎつけた。
さて、どうやって食べるか。
悩んだ結果、その日は炊き込みご飯の他に、たけのこ、わかめ、水菜、鶏肉で炊き合わせを作ってみた。
・・・ウマー。素直に感動。
意外にたけのこと水菜の相性もいいことがわかり、収穫は大きかった。

その後、残ったたけのこは、醤油と鰹節で煮付け、保存に耐えうるようにした。
ちょっと煮すぎてしょっぱくなってしまったが、酒の肴や混ぜご飯にあうかも。

苦労はしたけど、水煮された状態で売られてるたけのことは、香りも歯ごたえも違う。やっぱり手間はかけるべきなんだなあ・・・(ものぐさゆえ・・・反省)

おいしいものにありつくためには、苦労を惜しまないことが大事なのね。