ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

テンプレート変えました〝紫陽花〟でぇ~す

2017年06月22日 | 俳句

 ブログのテンプレートを変えました。ちょっと遅きの感ありですが…

 〝アジサイ〟です。もう皆さんご存じの花ですから何の説明もいらないでしょうが、少し解説をしてみますと、まず「アジサイ」の名は、アヅ(集まる)と(マ)サイ(真藍)からきたもの。漢字で書くと「紫陽花」ですが、これは唐の詩人白居易が別の紫の花に「紫陽花」と命名したのを、平安時代の歌人・源順(みなもとのしたごう)が今のアジサイにこの字を当てて、その誤用が広まったからだそうです。だから、花そのものは万葉集の時代からあり、日本に自生する「ガクアジサイ」が原種で、外国に渡って品種改良され、「セイヨウアジサイ」として日本に逆輸入されたというもの。

 俳句では他に「七変化」「四葩(よひら)」「刺繍花(ししゅうばな)」「瓊花(たまばな)」など、色々と言います。

   濯ぎ場に紫陽花うつり十二橋 

 水原秋櫻子の句です。この句について『秋櫻子俳句365日』(水原春郎編著・梅里書房)に次のような解説がありましたので、紹介しますね。

 「加藤洲」の前書あり。穏やかな写生句で、秋櫻子自句自解本の中には殆ど収められていない。

 昭和七、八年頃、東大俳句会潮来吟行の時の作で、秋櫻子の随筆「十二橋の紫陽花」には、「吟行した帰り道に、どうも十二橋には紫陽花がなかったではないかといふ話がもちあがり、たうとうあれは秋櫻子が空想で咲かせた花であらうといふことになってしまった」とあり、「秋櫻子は常に現在無きものを詠む傾向があるといふやうな説をなすものも出て来た」と、当時の俳壇の風潮を述べている。この後、秋櫻子自身、再び東大俳句会の仲間と現地に赴いて紫陽花を確認するのだが、昭和六年発表の「馬醉木」独立宣言の書「自然の真と文芸上の真」の伏線をなすものと見ることができよう。

 なお、秋櫻子最後の作が紫陽花の句であることを思うとき、私は運命の糸を感ずる。

 この鑑賞文は、馬醉木同人・有働亨氏が書かれたものですが、この話には、更に尾ひれが付いて「確認しに行ったらなかったので、誰かが先生のために植えたらしい。だから今は紫陽花がある」とか、何とか…聞いたことがあるのですが、もう昔のことなので確かなことは分りません。ちなみに、秋櫻子の最後の句は、〈紫陽花や水辺の夕餉早きかな〉です。が、これも何かと話題になった句なんです。秋櫻子が亡くなったのは昭和五十六年七月十七日。この紫陽花の句は六月中の作で、この句以後、句帳は空白のままで残されていたから、最後といっても臨終の作ではないということ。ただ、切字の併用をあれほど弟子たちに戒められていたのに、この句には「や」と「かな」が用いられているのです。しかし、これがもし朦朧とした意識の下でこのように書き留められ、それを推敲する余力がもうなかったと考えれば、ありきたりの鑑賞で、この句をとやかく詮議すべきものではないと、私は思うんですけどね。それでこの句も『秋櫻子俳句365日』には、そのままで収められています。前のは第一句集『葛飾』、後のは最後の第二十一句集『うたげ』に、それぞれ収録されている句。それで、秋櫻子忌を「紫陽花忌」とも言うんですよ。 

   紫陽花や師の音声のラヂオより

 石田波郷の句で、勿論この「師の音声」は秋櫻子のこと。馬醉木には二人の深い絆が語り継がれています。

『俳句』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 梅漬ける | トップ | 名もなき小さな花 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

俳句」カテゴリの最新記事