ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

イエロークイーン(小海老草)

2017年09月12日 | 俳句

 今日もどんよりとして、ちょっと蒸し暑い!早くすっきりとした秋の空になって欲しいなあ~!

 火曜日ですので、今日は午後から定例の句会です。今日の兼題は「野分」、「のわき」とも「のわけ」とも言い、草木をなびかせて吹く秋の暴風をいうのですが、要するに今でいう「台風」なんです。しかし、今でこそ天気図や衛星写真があるので、その風の正体が太平洋上で発生して日本付近を通過する巨大な低気圧の渦巻きであるということを皆知っていますが、昔の人は何もわからないままただただ恐れていたんですね。次の高浜虚子の句がその雰囲気をよく伝えています。

   大いなるものが過ぎ行く野分かな   

 ちなみに、農耕民族からすると一番大切な稲作、その稲に花の咲く頃吹き荒れる風、それが台風だったんですが、それを一番恐れて「二百十日」や「二百二十日」と言って、「厄日」としたんですよ。だから、それらも秋の季語です。

 「野分」の話に戻ると、この季語には昔からの歴史がありますので、同じものであっても「台風」よりははるかに奥行きのある季語なんです。『枕草子』にも『源氏物語』にも「野分」のことは描かれていますもの。次に有名な「野分」の句を挙げましょう。

   芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな   松尾芭蕉

   鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな    与謝蕪村

 どちらも有名ですのでご存じの方も多いでしょう。芭蕉の句には「茅舎ノ感」という前書があります。この茅舎は「茅葺の粗末な家」という意味で、今の深川にある芭蕉庵のこと。この句の「芭蕉」は植物の芭蕉なのですが、まるで本人のようにも感じられて、外では芭蕉の葉が暴風雨でバサバサッと音を立てている、家の中では盥の雨漏りの音を一人聞いている夜…そういう孤独な芭蕉の姿を想像してみて下さい。

 蕪村の句、「鳥羽殿」(とばどの)とは京都市伏見区下鳥羽辺にあった白河・鳥羽上皇の離宮。規模が宏大で林泉の美を極めた「城南離宮」(せいなんのりきゅう)などと言われたもの。句意は「野分の吹き荒れる中、騎馬武者が五、六騎、一路南の方の鳥羽殿を目指して駈け抜けていく。ただならぬ気配が感じられることだ」と。この句は、明和5年(1768)8月14日句会の句だそうですので、歴史的事件に対しての想像句…詠史句といわれるそうな…なんです。その歴史事件も保元(1156年)・平治(1159年)の乱だとか、平清盛が後白河院を突如鳥羽殿に押し込めた事件だとかの意見がありますが、私にはどっちとも…ただ、保元の乱が7月、平治の乱は12月、清盛の事件は11月らしいので、これらも陰暦でしょうか?だとすると「野分」の季語から7月の方が合うような気がしますが…はっきりは分りません。どっちにしろ要するに、自然界にも人間社会にも風雲急を告げるようなただならぬ状態が野分という季語でしっかり詠み込まれているということでしょうね。

 10日のブログに載せた〝コエビ草〟の、黄色が近所にありました。名を〝イエロークイ-ン〟といいます。やっぱりボケてますね。ゴメンナサイ!

   

コメント
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