kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

表現の在り方

2018-02-21 | 陸上競技
雉も鳴かずば撃たれまいシリーズでしょうか。まー批判されることはある程度覚悟。表面的な事だけを考えているわけではない。こうやってblogを書いていると不特定多数の目につく。もちろん保護者の目にも。「事実」を書けばいいというわけでもない。言葉の一部分を取り上げて吊るし上げるというのはよくあること。

小平選手が金メダルを獲得した。その際、アナウンサーが「獣のよう」という表現を使った。これに対し女性に対して失礼な表現だったと炎上する。この表現が本当に悪いことだろうか。「ヒョウやチーターのような動きをしたい」と本人が発言していてそれに合った表現だったのではないか。「あなたが理想としている動きに近づいたのでは?」という意味だったのかも。分からないが。

レスリングの吉田選手は「霊長類最強」と言われていた。ゴリラよりも強いという表現になるのだろう。「獣」はダメで「霊長類最強」という表現は良いのか。スケートの姿勢自体身体を倒してよんそくそこつに近い構えに見える。自分たちよりも能力が高い動物に例えることが本当に「悪」なのか。もちろん本人が嫌がっていて批判するのなら別だが。

前も書いたが「ノイジーマイノリティ」という言葉がある。「サイレントマジョリティ」の反対の言葉。「声の大きい少数派」と「物言わぬ大多数」という表現になるのだろう。大多数の意見は表に出ない。それに対して「これはおかしい」と声高らかに批判するとう少人数の意見は取り上げられる。マスコミの影響はかなりのものだと思う。「これは注目を集める」となればすぐにYahoo!ニュースになる。

時代の変化もある。国民総評論家時代。何かあればTwitterで呟けば良い。それに賛同してくれる何人かの意見は「国民の総意」のように扱われる。そして批判は批判を呼び大きな話になる。それにより「サイレントマジョリティ」はさらに言葉を発することがなくなる。何かを表に出せば「批判の対象」となり「炎上」することになる。

部活の指導なども同様だと思っている。時間になって始めて時間になって終わる。勝つとか負けるとかは「運」次第。才能がある選手がたまたまいたら強い。そうでない場合は上に行ける選手はいない。そういう指導スタイルだってあるのだと思う。別に部活で結果を出したらそれが評価されて給料が上がるというわけでもない。普通の学校からたまたま「強い選手」が出てきたら高い評価を受ける。陸上競技なんで「才能」でやっていける部分があるのでその辺りは顕著だと思う。

練習に対する取り組みや態度などを指導する。これは「社会体育」とは違ってくるだろう。身体を動かしたいだけだからそこまで必死にやりたくはないという子供もいるだろう。以前ある人に「そんなに一生懸命やったら身体を動かしたいと思っている生徒は陸上競技部には入れないじゃないか」と言われたことがある。そういう視点から見れば批判の対象になる可能性はある。本気でやるとか力を伸ばして勝ち上がりたいと望む者もいれば、「集団に所属したい」「適度に身体を動かしたい」と考える者もいるだろうから。

そうであれば「一律の集団」というのは不可能だと思うスポーツは元々「遊び」という概念から生まれている。もっと気楽にやればいいじゃないかという部分はある。そして「勝つためにやる」事が絶対悪のように批判される。もう一方で物心付く前からラケットを握って卓球をやったりしなければ勝てなくなるため早熟化する。小学生の全国大会がありそこで勝とうと指導者も保護者も必死になる。真逆のことを求めている。

学校に専門の指導者がいないという不満は良く聞く話。かといって専門がついてしっかりと練習をすると「やりすぎだ」と言われる。専門の指導者が付いてやったとしても根本的な問題は何も変わらない。批判の矛先が別に向かうだけだと思っている。

競技志向とスポーツは並列に並ぶのか?受け入れ先としてそれぞれのニーズに合わせたモノを細分化して設定しなければいけない時代が来るのかもしれない。ひょっとしたら競技をやって自分の限界にチャレンジしたいという部分が「少数派」なのかもしれない。これは分からない部分だが。

自分がやりたい事が世間一般から求められている事とは違うかもしれない。そこの部分は受け入れていかないといけないんだと思う。だからといって全てが違うというのも考えさせられる。声が大きな人の意見を受け入れていく傾向が強い。「許さない」という意見を声をあげて言えばそれは全員の意見のようになる。そして社会自体は「批判されないようにする」事にエネルギーを注ぐようになる。言われてから対応する方が必要なエネルギーが大きくなるから。言われないように無難に生きる方が賢い生き方になるのかもしれない。

私はこういう性格なので。なかなか受け入れていくのか難しい。時代遅れなのかもしれないなと思うことも多々ある。それでも先日のように会いにきてくれる人もいる。だから何をもって正しいのかはわからない。自分にできることをやるしかないんだと思う。

書いていてまとまらなくなってきた。まーいいか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テスト週間に入る | トップ | 想いの変化 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。