顕正会事件簿&破折資料室

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日蓮正宗寺院一覧 愛知西布教区/愛知西地方部

2010-04-05 17:54:24 | 日蓮正宗寺院一覧
本長寺(名古屋市天白区)  愛知県名古屋市天白区植田南2丁目230 052-803-2601
玉泉寺(名古屋市南区)  愛知県名古屋市南区呼続5丁目4番21号 052-822-3456
本覚寺(名古屋市港区)  愛知県名古屋市港区金船町1丁目1番28号 052-653-8752
妙通寺(名古屋市中村区) 愛知県名古屋市中村区烏森町3丁目24 052-481-6993
妙道寺事務所(名古屋市西区)  愛知県名古屋市西区花原町215 052-505-7844
法来寺(一宮市) 愛知県一宮市苅安賀1丁目7番10号 0586-45-9503
普宣寺(小牧市)  愛知県小牧市大字北外山754-1 0568-77-0111
浄顕寺(津島市) 愛知県津島市百島町字牛屋16 0567-25-2229
興道寺(岩倉市) 愛知県岩倉市西市町寺西19  0587-37-0502
安明寺(春日井市) 愛知県春日井市不二ガ丘1丁目115 0568-51-9434
妙典寺(犬山市) 愛知県犬山市大字前原字向屋敷52-9 0568-62-8600
法遍寺(尾張旭市) 愛知県尾張旭市城山町三ツ池6075-1 0561-54-9226


BY けんゆう2G 
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日蓮正宗寺院一覧 茨城布教区/茨城地方部

2010-04-05 15:37:11 | 日蓮正宗寺院一覧
本妙寺(土浦市) 茨城県土浦市中央1丁目15-1 029-821-1572
光顕寺(日立市) 茨城県日立市助川町3丁目11-1 0294-21-5080
恵妙寺(水戸市) 茨城県水戸市元吉田町1688-1 029-247-7421
冨久成寺(古河市) 茨城県古河市新和田93 0280-76-1066
慈法寺(猿島郡境町) 茨城県猿島郡境町大字伏木334-1 0280-86-5442
照境寺(石岡市) 茨城県石岡市旭台3丁目22 0299-26-3015
法正寺(鹿嶋市) 茨城県鹿嶋市大字下津222-6 0299-82-6220
法高寺(筑西市) 茨城県筑西市辻1905-6 0296-37-6756
興源寺(笠間市) 茨城県笠間市鯉淵6257 0296-77-9127
正善寺(ひたちなか市) 茨城県ひたちなか市大字田彦1618-1 029-275-0674
本證寺(つくば市) 茨城県つくば市要46番地 029-864-1021
行道寺(常陸大宮市) 茨城県常陸大宮市栄町1315-18 0295-53-5101
法悦院(取手市)茨城県取手市井野台5丁目1-1 0297-72-2465


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<破折の試案6-2>国家意志とは何のことか

2009-06-09 12:15:23 | 顕正会破折50の論点
”『勅宣』は、
必ず『天皇の詔勅』
でなければならない!

と、あくまでも強情にこだわるのに、

なぜ『御教書』は
『征夷大将軍の命令書』
でなくても良いのですか?”、

と顕正会員諸君に質問すると、

「別に我々は、バカ正直に文字通りに
『勅宣』や『御教書』の語を
解釈せよと言っているのではない。

『勅宣』や『御教書』とは、
要するに、
”国家意志の表明”
である。

浅井先生は、現代の時代状況を
きちんと踏まえた上で、
”国家意志の表明”
という義に依り、御文を解釈なさっているのだ。

”国家意志の表明”という義から考えるならば、
三大秘法抄の『勅宣・御教書』は、
現代で言えば『天皇の詔勅と国会の議決』
がそれに当たる、と言っているのだ」

と、逃げを打つ事でしょう。

しかしここで、
また一つ新たに疑問が湧いてきます。

そもそも、浅井先生が言われる
「国家意志」
って、一体何なんでしょうか?

「国家意志」という語は
国家を擬人化した表現としては
確かに一般的に用いられていますが、
その正体とは要するに、
「国の主権者の意志」
ではないのでしょうか。

現時における日本国の主権者は、国民です。
「天皇の詔勅」は関係ありません。

もし、「国家意志」という語を、
単なる擬人化の表現として捉えるのではなく、
「国の主権者の意志」から離れて、
「国家意志」という
独立した意志が別に存在するのだと
本気で考えているのであれば、
それはあまりにも突拍子も無い、
意味不明な概念のように思われます。

ひょっとして、
「国の主権者の意志」とは別に、
「国家」それ自身が
まるで一個の生き物のように
独自の人格を持っているとでも言うのでしょうか。

だとすれば、
それはちょっと、気持ち悪い国家観ですね。

歴史的に見ると、
個人の意志を超越した一般意志として
「国家意志」なるものを想定するのは、
もともとは、近代思想のルソーあたりに端を発する
民主主義的な国家論の一つでありましたが、

これが後世には、
「国家意志」の名の下に
個人の抑圧を是とする
国家主義の理論的根拠とされて、
最終的にはナチスドイツのような
化け物を生み出す原因の一つともなったのです。

このような経緯を考慮することもなく、
「国家意志」なる語を
安易に大聖人様の仏法と結びつけるのは、
大変危険ではないかと思います。

国家中心主義的な偏見を排して、
純粋に仏法の眼から
「国」というものを見るならば、

「国」には、国の主権を所有する
「国主」という「人」がいます。

この「国主」という「人」こそが正報であって、
「国」は依報であります。

「国」というものは、
あくまでも「国主の所有」に属するものなのです。

戒壇建立に関する大聖人様の御金言も、

「国主此の法を立てらるれば」であって、
「国、此の法を立てらるれば」ではないのです。

この一字の違いは、極めて重大です。

まず「国主」が能動的に信心をして
御本尊様を命がけでお守り申し上げるからこそ、
依正不二の法則によって
国土の安穏も実現する。

これが『立正安国論』に示された
大聖人様の御意でしょう。

「国主」と「国」との
能所の関係を転倒させて
国家中心主義的に偏って考えてしまうと、

”「国」に「国家意志の表明」をしてもらい、
国立戒壇を建立してもらおう。
そして私たちは、仏国と化した
「国」に守ってもらおう。”

などという、
依存心理に毒された
受け身の発想が生まれかねません。

そのような発想は、
大聖人様の仏法の実践とは
全く無縁のものなのです。
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<破折の試案6-1>勅宣が必ず「天皇の詔勅」ならば、御教書も必ず「将軍の命令書で」ある

2009-06-08 21:29:05 | 顕正会破折50の論点
鎌倉時代の「勅宣・御教書」と、
現時における「天皇の詔勅と国会の議決」は、
決して、”イコールで”は結べません。
時代が違い、国家体制が全く違うからです。

それなのにどうして顕正会の諸君は、
「いかに時代が変わり国家体制が異なろうとも、
『天皇の詔勅』以外の『勅宣』など
絶対にありえないぃぃぃ!!!」
などと、そこまで天皇陛下にこだわるのでしょうか。

そんな無理をしてまで、
どうしても文字通りに
「勅宣」を実現しなくてはいけないと言うのであれば、
なぜ「御教書」の方は、
文字通りに解釈しようとしないのでしょうか?

「御教書」とは、あくまでも
「征夷大将軍の命令書(または三位以上の公卿の命令書)」
のことでしょう。

「国会の議決」だなんて、
コジツケもいいところです。

将軍制と
議会制民主主義は、
根本的に全然違う政治体制ではありませんか。

「勅宣」を文字通り実現するために
憲法を改正して
天皇を「国主」の地位に復帰させねばならない、
そうでなければ御遺命も達成できない、
などと大御本尊様に対して悪言を喚く暇があったら、

まずその前に、あなたがた顕正会員は、
「御教書」を文字通りに実現するため、
将軍制の復活を目指して日々行動していなくては
話の筋が通らないと思われますが、
なぜ、そのように主張なさらないのでしょうか?
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「天皇の詔勅」と「閣議の決定・国会の議決」 <顕正会の邪義6>

2008-07-02 08:47:23 | 顕正会破折50の論点
「天皇の詔勅」と「閣議の決定・国会の議決」
<顕正会の邪義6>

戒壇建立の手続きは、三大秘法抄に「勅宣」「御教書」とあるが、現時においては「天皇の詔勅」と「閣議の決定・国会の議決」がこれに当たる。

<破折6-1案>「勅宣」が天皇の詔勅以外ありえないなら、「御教書」も幕府の命令書以外ありえない

<破折6-2案>国家意志とは何のことか

<破折6-3案>天皇陛下は現時の主権者にあらず
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