さてさて
日付が変わり
大みそか♪
本日をもって
ココロにぴぴぴ。も
更新納め
と
させて頂きます
性懲りもなく
今年の最後も
超長文
ヘタレ余談で
許してほしいでがんす~
年末年始のお忙しい時間
もし
ひと息つかれるときが
あれば
お付き合い下さい
そよかぜが
生まれて初めて
アルバイトをしたのは
中学校2年生のとき。
夕刊配達のお仕事です。
実家のお店が経営難で
両親がいつも
お金のコトで諍いを繰り返していた
そよかぜの思春期。
自立してやるーっ!!
月2万円のバイト代は
全部自分のふところに
めちゃめちゃ
たくましかったです(笑)
そして
正真正銘
コワイモノ知らずの
無敵の中学生でした。
夕刊を読んでいて
たまたまみつけた
『夕刊配達の募集』
迷うこともなく
親に「アルバイト宣言」をし
ひとりでスタスタと
申し込みに行きました
初出勤の日。
仕事を教えてくれたのは
30代くらいの
やさしそうな男の人・・Yさん。
ワタシが担当する区域は
7区だったので
Yさんは
ワタシを
「ななくちゃん」と呼びました。
定年後のおじさんとか
心身に障害があって普通のお仕事が
出来ないひとたち。
そんな人達で構成されている
夕刊配達員。
その中で
なーんにも知らないコドモが
ぴょこんと
いたのですから
きっと
指導するほうも
気を使って下さったんだろうな~
って
今だからこそ思えます(笑)
「俺ね、ななくちゃんのお父さんと
同じ名前なんだよ」
Yさんのやさしいやさしい
自己紹介は
今でもよく覚えてる。
担当部数は
50件だったか100件だったか
ほんとにもう
忘れてしまったのですが
ワタシの担当区域は
昔ながらの
小料理屋さん
床屋さん
染物屋さん
バイク屋さん
旅館
洋品店
熱帯魚屋さん
クリーング屋さん
などが
普通のお宅に混じって
立ち並ぶ
いわゆる下町。
映像の記憶と一緒に
お煮付けのにおい
機械油のにおい
パーマ液のにおい
アイロンのりのにおい
水槽のにおい
たくさんの
『働くにおい』
が
記憶に心地よく
刻みつくような
そんな町でした。
最初の2日間ぐらいは
バイクのYさんに
地図を片手に自転車で
キコキコついていきながら
一件一件
教えてもらいました。
普通にポストに入れるおうち。
お年寄りが住んでるから
部屋まで持っていってあげるおうち。
入り口を入ってカウンターまで持っていくお店。
キンチョウより
ワクワク
なんせ怖いもの知らずだから(笑)
何かを誰かに
届ける
という
仕事が
楽しくて楽しくて
たまらなかったな~
あるバイク屋さんには
備え付けのポストがないので
自転車を降りて
お店の中に届けていました。
店内では
いつもおじさんが
油まみれで作業をしながら
「中まで持ってきてもらって悪いね~」
と
恥ずかしそうに口の中でゴモゴモ。
大人の人と
ちゃんとした会話が出来なかった
ワタシは
首をブンブン左右に振るだけ。
そして
仕事にも慣れてきたある日
いつものように
そのバイク屋さんに行くと
見慣れないモノが
入り口に
こげ茶色のペンキがたっぷり塗られた
小さい木箱には
真っ白のペンキでデッカク書かれた
「郵便受け」の文字。
ひとめで
わかりました。
でも、なんだか
どうしたらいいのかわからず
いつものように
お店の中に
新聞を持っていったら
「これからは外のに入れてもらっていいから」
ちょっと誇らしげに
ニコニコしてたおじさんの顔は
一生忘れない。
そして
そんなおじさんに
ただただ
中途半端な愛想笑いばかりで
なにひとつ
ちゃんとした
お礼を言えなかった自分も
一生忘れない。
あれは
そよかぜが
生まれて初めて
世間のひとさま
から
頂いた
親切のカタチ
だったんだ。
もうひとつ
ある雨の日
雨の日は
自分は濡れても新聞は濡らしては
いけないので
結構大変
で
ある普通のお宅のポストに
いつものように
入れようとしたら
玄関の前に
ギリギリ2台車が並んでいて
人が通るスペースがほとんどない。
きっとね
冷静にみれば
ちゃんと通れる道が
あったんだと思う。
でも
いつもの道がふさがれていて
頭に血がのぼってしまったそよかぜ。
しっかと新聞を握り締め
車と車の間をムリヤリ通った・・・
のがいけなかった・・・
途中でまんまと動けなくなり
ジタバタジタバタ
していたら
し、新聞が
びしょびしょに・・・なって
しもた
く・・
く・・・
くそぉ~
逆ギレです。
それでなくても
悪天候にイライラしていた
そよかぜは
ソコで
ぶっちり
ブチ切れ
やってはいけない
信じられないコトを
やってしまいました。
握り締めていた濡れた新聞を
雑巾をしぼるみたいに
思いっきり
むぎゅーっと
ひねりまくって
ぐっちゃぐちゃにして
・・・入れた。
ポストに・・・。
最悪です。
新聞は常に2、3部余分に持っているので
交換すればすむ話でした。
それなのに
ワタシは
100%間違ったコトをしました。
しかも
ポストに入れたあとも
罪悪感などなくて
せいせいした~
ぐらいの感じ。
どうしようもない
くされガキでした。
小さい子供が
自分の思い通りにならないから
おもちゃ箱全部
ひっくり返す
のと
同レベル。
ところが
その後
怒られたという記憶が
ぜんぜんないのです。
時々顔を合わせるYさんは
「ななくちゃん
昨日1件だけ入れ忘れてたみたいだよ」
と
ワタシのミスを
怒ったり
注意をするどころか
いつだって
まるで
「昨日○○さんがよろしく言ってたよ」
と
伝えるみたいに
のんきな感じに言うだけ。
そよかぜが
ぐちゃぐちゃにした
あの新聞は
いったいどうなったのか?
それは
Yさんから教えられることも
そよかぜが自ら尋ねることも
なく
生まれて初めての
アルバイト体験とともに
終わりました。
あのとき
怒られなかったコト。
本当だったら
怒られて当然で
怒られなければ
いけなかったんだと思う。
けれど
時が経てば経つほど
怒られなかったから
忘れられなくて
怒られなかったから
ありがたさが
ココロから離れない。
ワタシが中学生で
まだコドモだったから
大目にみられたのかもしれない。
世の中ではそれを
甘やかしと
呼ぶのかもしれない。
でも
あのときに
ワタシが感じた
みんなの
やさしくて親切で
あたたかかった
社会は
あたたかいまんま
そのまんま
ワタシのココロに残り
いくつになっても
「世の中って案外いいところなんだよね」
って
信じさせてくれるんだ。
きっとこれからもずっと
そして
責められなかったからこそ
許してもらえたからこそ
自分の犯してしまった
間違いが
大きく大きく
ココロの部屋に広がり続け
失敗と反省が
大きな自分のチカラになってる。
今年の
ワタシのブログ生活は
迷いと葛藤の日々でした。
逃げたり
放り投げたり
アクセス数も減って当然(笑)
でも
どんなときでも
こんなココロにぴぴぴ。を
開いて下さったみなさん。
ただひたすら
あたたかいコトバだけを
寄せて下さった
みなさん。
に
支えられた
時間は
初めて
社会に出て
どこまでも
やさしく迎えてもらえた
遠い遠い
そよかぜの記憶が
蘇るような
そんな
あたたかさに
包まれた
1年でした
みなさん
本当にありがとうございました。
2008年も
みなさんと
山下智久くんに
とって
幸多き
喜び多き
一年でありますよう
ココロからお祈り申し上げます
マイペースで未熟者な
そよかぜではありますが
これからも
お付き合い頂けたら
幸いです
1年間投票ありがとうございました
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
最高
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日付が変わり
大みそか♪
本日をもって
ココロにぴぴぴ。も
更新納め
と
させて頂きます
性懲りもなく
今年の最後も
超長文
ヘタレ余談で
許してほしいでがんす~
年末年始のお忙しい時間
もし
ひと息つかれるときが
あれば
お付き合い下さい
そよかぜが
生まれて初めて
アルバイトをしたのは
中学校2年生のとき。
夕刊配達のお仕事です。
実家のお店が経営難で
両親がいつも
お金のコトで諍いを繰り返していた
そよかぜの思春期。
自立してやるーっ!!
月2万円のバイト代は
全部自分のふところに
めちゃめちゃ
たくましかったです(笑)
そして
正真正銘
コワイモノ知らずの
無敵の中学生でした。
夕刊を読んでいて
たまたまみつけた
『夕刊配達の募集』
迷うこともなく
親に「アルバイト宣言」をし
ひとりでスタスタと
申し込みに行きました
初出勤の日。
仕事を教えてくれたのは
30代くらいの
やさしそうな男の人・・Yさん。
ワタシが担当する区域は
7区だったので
Yさんは
ワタシを
「ななくちゃん」と呼びました。
定年後のおじさんとか
心身に障害があって普通のお仕事が
出来ないひとたち。
そんな人達で構成されている
夕刊配達員。
その中で
なーんにも知らないコドモが
ぴょこんと
いたのですから
きっと
指導するほうも
気を使って下さったんだろうな~
って
今だからこそ思えます(笑)
「俺ね、ななくちゃんのお父さんと
同じ名前なんだよ」
Yさんのやさしいやさしい
自己紹介は
今でもよく覚えてる。
担当部数は
50件だったか100件だったか
ほんとにもう
忘れてしまったのですが
ワタシの担当区域は
昔ながらの
小料理屋さん
床屋さん
染物屋さん
バイク屋さん
旅館
洋品店
熱帯魚屋さん
クリーング屋さん
などが
普通のお宅に混じって
立ち並ぶ
いわゆる下町。
映像の記憶と一緒に
お煮付けのにおい
機械油のにおい
パーマ液のにおい
アイロンのりのにおい
水槽のにおい
たくさんの
『働くにおい』
が
記憶に心地よく
刻みつくような
そんな町でした。
最初の2日間ぐらいは
バイクのYさんに
地図を片手に自転車で
キコキコついていきながら
一件一件
教えてもらいました。
普通にポストに入れるおうち。
お年寄りが住んでるから
部屋まで持っていってあげるおうち。
入り口を入ってカウンターまで持っていくお店。
キンチョウより
ワクワク
なんせ怖いもの知らずだから(笑)
何かを誰かに
届ける
という
仕事が
楽しくて楽しくて
たまらなかったな~
あるバイク屋さんには
備え付けのポストがないので
自転車を降りて
お店の中に届けていました。
店内では
いつもおじさんが
油まみれで作業をしながら
「中まで持ってきてもらって悪いね~」
と
恥ずかしそうに口の中でゴモゴモ。
大人の人と
ちゃんとした会話が出来なかった
ワタシは
首をブンブン左右に振るだけ。
そして
仕事にも慣れてきたある日
いつものように
そのバイク屋さんに行くと
見慣れないモノが
入り口に
こげ茶色のペンキがたっぷり塗られた
小さい木箱には
真っ白のペンキでデッカク書かれた
「郵便受け」の文字。
ひとめで
わかりました。
でも、なんだか
どうしたらいいのかわからず
いつものように
お店の中に
新聞を持っていったら
「これからは外のに入れてもらっていいから」
ちょっと誇らしげに
ニコニコしてたおじさんの顔は
一生忘れない。
そして
そんなおじさんに
ただただ
中途半端な愛想笑いばかりで
なにひとつ
ちゃんとした
お礼を言えなかった自分も
一生忘れない。
あれは
そよかぜが
生まれて初めて
世間のひとさま
から
頂いた
親切のカタチ
だったんだ。
もうひとつ
ある雨の日
雨の日は
自分は濡れても新聞は濡らしては
いけないので
結構大変
で
ある普通のお宅のポストに
いつものように
入れようとしたら
玄関の前に
ギリギリ2台車が並んでいて
人が通るスペースがほとんどない。
きっとね
冷静にみれば
ちゃんと通れる道が
あったんだと思う。
でも
いつもの道がふさがれていて
頭に血がのぼってしまったそよかぜ。
しっかと新聞を握り締め
車と車の間をムリヤリ通った・・・
のがいけなかった・・・
途中でまんまと動けなくなり
ジタバタジタバタ
していたら
し、新聞が
びしょびしょに・・・なって
しもた
く・・
く・・・
くそぉ~
逆ギレです。
それでなくても
悪天候にイライラしていた
そよかぜは
ソコで
ぶっちり
ブチ切れ
やってはいけない
信じられないコトを
やってしまいました。
握り締めていた濡れた新聞を
雑巾をしぼるみたいに
思いっきり
むぎゅーっと
ひねりまくって
ぐっちゃぐちゃにして
・・・入れた。
ポストに・・・。
最悪です。
新聞は常に2、3部余分に持っているので
交換すればすむ話でした。
それなのに
ワタシは
100%間違ったコトをしました。
しかも
ポストに入れたあとも
罪悪感などなくて
せいせいした~
ぐらいの感じ。
どうしようもない
くされガキでした。
小さい子供が
自分の思い通りにならないから
おもちゃ箱全部
ひっくり返す
のと
同レベル。
ところが
その後
怒られたという記憶が
ぜんぜんないのです。
時々顔を合わせるYさんは
「ななくちゃん
昨日1件だけ入れ忘れてたみたいだよ」
と
ワタシのミスを
怒ったり
注意をするどころか
いつだって
まるで
「昨日○○さんがよろしく言ってたよ」
と
伝えるみたいに
のんきな感じに言うだけ。
そよかぜが
ぐちゃぐちゃにした
あの新聞は
いったいどうなったのか?
それは
Yさんから教えられることも
そよかぜが自ら尋ねることも
なく
生まれて初めての
アルバイト体験とともに
終わりました。
あのとき
怒られなかったコト。
本当だったら
怒られて当然で
怒られなければ
いけなかったんだと思う。
けれど
時が経てば経つほど
怒られなかったから
忘れられなくて
怒られなかったから
ありがたさが
ココロから離れない。
ワタシが中学生で
まだコドモだったから
大目にみられたのかもしれない。
世の中ではそれを
甘やかしと
呼ぶのかもしれない。
でも
あのときに
ワタシが感じた
みんなの
やさしくて親切で
あたたかかった
社会は
あたたかいまんま
そのまんま
ワタシのココロに残り
いくつになっても
「世の中って案外いいところなんだよね」
って
信じさせてくれるんだ。
きっとこれからもずっと
そして
責められなかったからこそ
許してもらえたからこそ
自分の犯してしまった
間違いが
大きく大きく
ココロの部屋に広がり続け
失敗と反省が
大きな自分のチカラになってる。
今年の
ワタシのブログ生活は
迷いと葛藤の日々でした。
逃げたり
放り投げたり
アクセス数も減って当然(笑)
でも
どんなときでも
こんなココロにぴぴぴ。を
開いて下さったみなさん。
ただひたすら
あたたかいコトバだけを
寄せて下さった
みなさん。
に
支えられた
時間は
初めて
社会に出て
どこまでも
やさしく迎えてもらえた
遠い遠い
そよかぜの記憶が
蘇るような
そんな
あたたかさに
包まれた
1年でした
みなさん
本当にありがとうございました。
2008年も
みなさんと
山下智久くんに
とって
幸多き
喜び多き
一年でありますよう
ココロからお祈り申し上げます
マイペースで未熟者な
そよかぜではありますが
これからも
お付き合い頂けたら
幸いです
1年間投票ありがとうございました
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