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リーダー不適格者

2012年03月07日 09時39分57秒 | 日記
南三陸町の佐藤町長が津波で亡くなった遺族から監督者責任を追求されようとしています。この町長はリーダーとしての資格に欠けるようです。防災センターで最後まで住民に避難を呼びかけて亡くなった女性の携帯メール内容から早い段階で津波は6mと下部職員たちも知っていたことがわかっています。しかし、この町長は最初2mだと思っていたので防災センターは安全であると誤解していた、と説明しています。当初から嘘つきだなあと感じていました。早い段階で高い地域に避難するよう指示をしていたら40数名もの職員は死ぬことはなかったと無念に思う遺族の気持ちは当然でしょう。

とにかく問題行動を起こしている町長です。今までの不適格な行為を羅列してみましょう。

1)公私混同の一例

 宮城県南三陸町の佐藤仁町長が、自宅敷地に持ち込んだ災害支援目的のトレーラーハウスについて、「自宅が狭く、(同居する)娘がたばこを嫌うので、1人で寝たばこをするために使っていた」と説明、撤去を決めたことが17日、分かった。佐藤町長が明らかにした。

 撤去日はトレーラーハウスを提供した公益社団法人「Civic Force」と決めるとしている。町長宅は平屋約50平方メートルの1DKで、母と長女の3人暮らし。

 同町と同法人の間で交わされた「使用貸借契約書」では「災害復興活動に関連する目的以外に使用してはならない」と定められている。(2011.09.17)

2)前言を翻して自分の正当性を主張

 東日本大震災の津波で防災庁舎に避難した職員が犠牲となった宮城県南三陸町の佐藤仁町長が「市街地の浸水深は1~2メートルほどではないかと考えた」と認識の甘さを認め「重く責任を感じている」と謝罪したことが5日「殉職職員家族会」が提出した公開質問状への回答で分かった。(2011.09.11)
ところが、12月の防災センターでの被災についての質問状には下記のように答えています。
宮城県南三陸町の防災対策庁舎で町職員32人が震災の津波で犠牲になった問題で、佐藤仁町長が職員に高台への避難を指示しなかったことについて、殉職職員家族会の公開質問状に「判断の誤りとは考えていない」と回答していたことが29日、分かった。(2011.12.29)

自分の判断で防災センターにて避難すれば助かると判断した根拠は津波の高さを勘違いしていたと認めているのにもかかわらず、自分の判断に誤りはなかったとしています。しかも防災センターへの避難は職員各自の判断で自分は指示していないと言及しています。リーダーが動いたら部下も一緒に行動するものです。リーダーが間違えた行動を起こしたからこそ大きな悲劇につながったのです。

遺族に寄り添う発言もできない町長にはリーダーとしての資格に欠けるようです。職員の家族から罵倒されようとも月命日には犠牲者の位牌に手を合わせる姿を見たら遺族の怒りも収まったかもしれません。「重く責任を感じている」姿をみせないことや、前言を翻し居直る町長を司法に訴えた遺族が勝訴することを切に祈っています。想定外の災害であると言って自己責任を少なくしようとした東京電力経営陣と同じにおいを感じてしまいました。




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