福島の誇れるものとは?

写真付きで食べ歩き日記や趣味を書くぐうたらブログ

リカちゃんキャッスルへ再び!

2016年08月28日 23時31分30秒 | 日記
日曜日は朝から気温が上がりませんでした。最高気温も23度で、ブログアップしている現在でも20度です。もう半袖では涼しいを通り越して、肌寒い季節に突入したと感じた一日になりました。

さて2年前に訪れた田村郡小野町のリカちゃんキャッスルを孫娘たちの要望により再訪しました。2年前に年長の孫娘はドレスを着用できましたが、妹の孫娘は幼くて着ることは叶いませんでした。しかし、今回は颯爽とお気に入りのドレスを着用して姉妹ともご満悦の笑顔を浮かべていました。日曜日ということもあり、駐車場には他県ナンバーの車が目立ちました。駐車スペースを探すのに一苦労です。

入場料は大人700円ですが、JAFカードを持参すると10%割引になりますのでお得です。リカちゃん人形やら洋服が販売されていましたが、価格も高く購入する方はお年寄りがほとんどで若い方は鑑賞するだけです。おもちゃはアマゾンやヤフオクで購入するのが一般的になっているのでは?定価の30%引きで購入できるのですから店頭販売は難しいようです。

あっという間にりかちゃん人形の制作工程と時代ごとのりかちゃん人形の変遷を見学できましたので帰途につきました。

帰る途中に郡山市カルチャーパーク内にあるドリームランドを訪れることにしました。郡山市の遊園地という位置づけでしょうが、福島市の遊園地に比較すると規模も大きく施設利用料金も安いのです。ジェットコースターもある本格的な遊園地でびっくりしました。入園料も無料ですので、無料遊具を利用して子供たちが楽しく遊べる遊園地だと思いました。

ところで奈良ドリームランドもかって訪れましたが、現在は廃墟と化しています。横浜ドリームランドも廃園になっていますので、ドリームランドという名称は「夢の跡地」という印象です。郡山市関係団体が運営を委託されています。市の補助金で、営業を継続できている状態かもしれません。施設の老朽化が目立ち、高齢の従業員を多数見かけましたが、子供たちの夢を壊さず営業を継続してほしいと願いながら福島に戻りました。

さて郡山市の人口34万人は福島県随一の人口を誇っています。近隣には大型の工業団地もありますので、郡山市へ県庁を移管しようという運動も昔から起こっています。4号線も走ると「郡山市へ県庁を」という立て看板が目立ちます。福島市から県庁を移転すれば、県庁職員や家族も郡山市へ移動してしまいます。そうなればますます人口29万人の福島市は寂れしまいますので、しばしの猶予を郡山市民にお願いいたします。

県庁所在地紛争で有名なのが群馬県の高崎市と前橋市ではないでしょうか?明治時代から高崎市か前橋市かの県庁所在地問題は、法廷闘争にまで縺れ込みましたが、結論としては高崎側が敗訴して群馬県の県庁所在地は、現状のまま前橋市にするという判決がでました。『高崎市』は県庁所在地では『前橋市』に遅れを取りましたが、現在の市の経済状況や街(都市)の賑わいにおいては、高崎市のほうが前橋市を超えて発展しています。

どこか郡山市と福島市に相通ずるものがありますね。

リカちゃんキャッスルの建物です。手前が駐車場

人形の変容を時代とともに理解できます。二人とも興味深々。でもこの施設内で着るすべてのドレスは安っぽい生地ですね。
以前は着替えてドレスを着ていましたが、現在は着替える必要はありません。そのまま重ね着をするのですべての子供たちがオデブさんに変身します。



ドリームランドの入り口です。

観覧車に孫娘たちは真っ先に突進しました。


続いてくるくる廻るコーヒーカップ。付き添いの娘だけが酔ってしまいました。

さすがにジェットコースターには見向きもしませんでした。

パラトルーパーという遊具でしょうか?




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孫娘、遠方より来る!

2016年08月27日 20時59分57秒 | 日記
8月20日、里帰りのため福島空港へ到着した娘と孫娘2名を我々夫婦で迎えに行きました。孫娘たちが期待しているのはリカチャンキャッスルを訪れること、ダイユーエイト内にある遊具施設で遊ぶこと、アンパンマンミュージアムか仙台市の水族館を見学することなのだと以前にスカイプのやりとりでわかっていました。

22日月曜日には福島市内のサンドパークという無料遊具施設で女性陣たちは遊ぶことができました。(私は待合室でコーヒーを飲みながら1時間半ほど待機)。そして23日火曜日には仙台うみの杜水族館へ私の運転で連れていくことができました。私たち夫婦は2回目の訪問ですが、孫娘や娘は初めて見る海の生物たちに驚くとともにイルカショー鑑賞も楽しんでいたようでした。

25日木曜日は昨年2月にイギリスのウイリアム王子が訪れた本宮市スマイルキッズパークに全員で行ってきました。ここも無料施設ですが屋外のアスレチックが充実しており、活発な孫娘たちが気に入ってくれたようです。爽やかな風の中、元気いっぱいに走り回る子供たちを見ていると老夫婦も元気が出てくるから不思議です。

26日金曜日は会津若松の鶴ヶ城にいくことにしました。115号線を走ると約1時間40分で到着することができるのです。ですから磐越道など高速道路を利用しなくても十分なのです。会津の方も福島市へ行くときは一般道を利用するそうです。確かに80㎞ほどですし、信号が少ない一般道路なのでスムーズに車が走れるのが嬉しいですね。猪苗代湖や野口英世記念館、白い花をつけたそば畑を横目で見ながらあっという間に会津若松市に到着しました。自宅を10時半に出発し、12時10分に会津若松の無農薬野菜使用のレストランを訪れて昼食をすました後に鶴ヶ城見物ができました。

鶴ヶ城は階段を利用して5Fまで登ります。階段は急ではないので孫娘たちも行きも帰りも頑張って登ることができたようです。その後は近くの庭園にて抹茶をいただきながら休憩しました。金曜日ということもあり鶴ヶ城訪問客は少なかったようです。お土産屋さんの店員さんたちも暇そうにしていたのが印象に残っています。やはり桜の季節に来るべきなのでしょうね。

さあ明日は孫娘たちが一番訪問を願っていたリカちゃんキャッスルに行く予定です。孫娘の福島滞在はまだまだ続きます。じいちゃんのアッシー君活動もまだまだ続きます。

サンドパーク内で遊ぶ孫娘たち。



大きな水族館に驚いた様子の二人

可愛いイルカをしばらく眺めていました。

足の長い蟹さん鑑賞に没頭していました。生きたカニが好きな様子です。私は食べたら美味しいだろうという感想しかないのですが。

当日のイルカショーの観客です。平日でも大勢の人でした。人気の水族館ですね。

孫娘たちが福島に戻り書いた絵です。水族館にまた行きたい様子でした。


本宮市スマイルキッズパークの本館です。

ウイリアム王子来訪時の写真が飾られていました。

施設内の一部です。

屋外施設が充実しています。これで無料で良いのかという感想です。




会津鶴ヶ城の雄姿です。

鶴ヶ城近くの老舗の和菓子屋さんです。麦茶をいただいたのですが、最高に美味しかったです。この日はムシムシする陽気で5Fのお城まで登ったら猛烈に汗をかきグロッキー状態でしたので、命の水でした。


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福島市の短い夏?

2016年08月15日 16時06分40秒 | 日記
3日前から福島市の夕方と朝方の気温が20度前後となり、午前中と夕方はエアコン稼働が必要なくなりました。夕方の外出の際、秋風のような涼風を肌に感じました。とにかく涼しいのです。今年は夏が短いのでしょうか?6年前の猛暑は9月まで継続した記憶がありますので、この秋めいた涼しさは一時的なものなのでしょうか?

オリンピックを真夜中までTV鑑賞して眠りにつく際はタオルケットにくるまって寝ています。今朝も気温の低さで目覚めました。

あれ!ブログを書いている時に地震を感じました。震度3だったようです。東北の地底にはオオナマズが住んでいますので地震が起こるのはしょうがないと達観しています(苦笑)。
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情けは人の為ならず(1938)!

2016年08月13日 22時18分48秒 | 日記
8月15日が近づきましたので、戦前戦後の日本人のヒューマニズムに関する本を一冊選んで読んでみました。

1940年杉原千畝の「命のビザ」がヒューマニストの行動として有名です。リトアニアの首都カウナスの日本領事館でユダヤ難民のために通過ビザを発行しつづけ、合計約6000人のユダヤ難民がシベリア鉄道経由で敦賀港に上陸できたのです。その後神戸に一時滞在し、米国へ渡っていきました。

杉原千畝氏を「東洋のシンドラー」として絶賛する番組、映画は多くあります。しかしこの杉原千畝氏より多くのユダヤ人を助けた樋口季一郎氏をご存じな方は少ないのではないでしょうか?イスラエル建国の功労者の氏名が刻み込まれた、エルサレムにあるゴールデンブックにその氏名が刻み込まれている。

 ゴールデンブックには、モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出した ユダヤの偉人達にまじって、上から4番目に「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」とあり その次に樋口の部下であった安江仙江大佐の名も刻まれています。

杉原は1938年に樋口季一郎が吹雪の中、立往生したユダヤ難民2万人をソ連国境から満州国へ入国させたことを知っていたはずです。当時の日本はユダヤ避難民を受け入れる体制にはありませんでした。ドイツからの横やりを恐れて関東軍も入国には消極的だったのです。しかし、樋口は「満州国は独立国である。何も関東軍に気兼ねすることはない。ましてドイツには遠慮は無用である。一緒になってユダヤ人を排撃する必要は毛頭ない。ことは人道問題である。一日延ばせば難民の生命が重大問題になる。」として救援列車の出動を命じたのです。救出した難民の8割はアメリカへ渡ったそうです。

さて樋口は終戦後、ソ連軍が占守島を奇襲した際、北方司令官として取った行動をソ連が問題とし戦犯として引き渡すよう米軍に要求しました。占守島攻撃は8月18日上陸用舟艇に乗船したソ連兵数千名による竹田浜上陸から開始されました。続いて2万の大軍を投入し、一気に北海道占領まで考えて日本軍を攻撃してきたのです。日本軍は防衛線を張り、海上の艦船を撃沈したのです。21日に停戦となりました。ソ連軍損害は戦死行方不明者4500名、艦隊撃沈14、舟艇20だったそうです。それに反して日本軍死傷者600名でしたので圧倒的な勝利でした。

この敗北を恨んで樋口を「戦犯」としてソ連は連合軍総司令部に引き渡しを要求しました。しかし、連合軍は拒否しゼネラル・ヒグチは人道主義者であると擁護したのです。米軍司令部へヒグチ擁護を依頼したのはニュ-ヨークに本部がある米国ユダヤ会議であることは明白でした。ここに情けは人の為ならずという格言がぴったりなのです。


ところで日本軍の将軍でありながらヒューマニストである樋口氏は若い時からの法華経信者であったことがわかっています。また杉原千畝は日本ハリストス正教会(ロシア正教系)の信徒でもありました。ヒューマニズムは信仰を持つことから始まるのでしょうか?それとも信仰からヒューマニストが生ずるのでしょうか?

平成26年6月に発行された本です。もし北朝鮮から大量の難民が押し寄せたら助けるべきでしょうか?難しい判断です。

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猛暑日(36・2度)の福島市!

2016年08月05日 15時52分46秒 | 日記
15時半現在、福島市の気温は36.2度です。たまたま外出しましたら、肌が熱いのを通り越して肌が痛いという感覚です。これではちょっとした外出にも白内障予防にサングラスが必携です。そして熱中症予防のためこまめに水分補給を忘れないことです。本当に猛暑のため人通りの少ない福島市です。
エアコンの効いた家の中に閉じこもっている市民が多いのでは?


大通りを何台もの救急車がサイレンをなびかせ通り過ぎていきました。さて今晩の福島市は「わらじまつり」を13号線で開催します。夕方でも気温は30度を下回らないようですので、熱中症対策を忘れず参加または鑑賞してほしいと願っています。

西日がきつくてまともに視線を上げることができません。明日は38度になるとのことです(恐)。
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