歴史と中国

2001年夏以来、中国四川省成都市の西南交通大学で教鞭をとっています。四川省(特に成都市)他、中国紹介記事を載せます。

拙稿のファイル頒布のお知らせ

2012年02月03日 10時17分40秒 | 日本中世史

『歴史と中国』http://kanazawa45.wordpress.com/が当地よりアクセス不能状態が継続しているので、「拙稿のファイル頒布のお知らせ」(2005年8月24日付)を、その後に発表した拙稿を追加して、再度掲載します。

 現在までに発表した拙稿はすべてファイル化してあります。そこで、『政治経済史学』所収の151号(1978年)以前の拙稿に関して、(e-メールの添付ファイルとして)ファイルの頒布をすることにしました。ご希望の方は、メールアドレスをご記入の上、頒布ご希望の拙稿(下記参照)を記して本記事にコメントしてください。なお、確認次第、このコメントは削除します。

 『政治経済史学』152号(1979年)以降は国会図書館に納本されていますので、「NDL-OPAC国立国会図書館蔵書検索・申込システム」(http://opac.ndl.go.jp/index.html)の有料コピーサービスをご利用ください。

 ファイルは、Word2003A4 3640字)で作成してあります。

 原文は縦書きですが、ファイルは横書きとなっています。

 本文・註および系図・表はファイル化しましたが、地図はWordで作成不能のため除いてあります。なお、系図・表は原文通りの位置にあるとは限りません。

 入力は原文通りを原則としましたが、ごく一部の字がユニコードにないため、同義異体字にしています。なお、註の表示は原文の表示にかかわらず〔1〕・〔2〕という具合に統一しました。

 以下が拙稿の目録です。  

.仁治三年正月政変について

―後嵯峨天皇即位事情に関する一考察―

政治経済史学50    1967.3  P6

.寛元四年正月京洛政変に関する一考察

―御深草天皇践祚と関白二条良実更迭の経緯に関する一考察―

政治経済史学62,3   1968.3,4 P11

.寛元三年段階における天象の政治的影響

―鎌倉天文・陰陽道に関する若干の提言―

政治経済史学81    1972.10  P4

.四条天皇践祚と九条摂関家の動向に関する研究

政治経済史学84〜6  1973.1,2,3 P40

.仁治三年順徳院崩御と六月関東政変

―『吾妻鏡』仁治三年条欠文との関連において―

政治経済史学8994  1973.611 P61

.関東天文・陰陽道成立に関する一考察

―特に「和田合戦」との連関について―

政治経済史学96    1974.1  P12

.関東における天文・陰陽道の確立について

―「承久の乱」前後―

政治経済史学99    1974.2  P10

.『平戸記』に見えたる「六条宮」について

―「名越の変」との連関において―

政治経済史学99    1974.4  P13

.治承寿永争乱に於ける信濃国武士団と源家棟梁

―特に「横田河原合戦」を中心として―

政治経済史学100   1974.9  P32

10.武蔵守北条時房の補任年時について

―『吾妻鏡』承元元年二月廿日条の検討―

政治経済史学102   1974.11  P6

11.北条氏執権体制下に於ける関東天文・陰陽道

―「義時政権」より「泰時政権」へ―

政治経済史学1113  1975.8,9,10 P29

12.四条帝急崩に伴う皇継決定と関東の対応

政治経済史学119   1976.4  P9

13.筑前国宗像神社大宮司職補任と荘園領主をめぐる諸問題

―社家と本所、とりわけ三浦氏との関連に於て―

政治経済史学140,1  1978.1,2 P31

14.鎌倉幕府成立期に於ける武蔵国国衙支配をめぐる公文所寄人足立右馬允遠元の史的意義

政治経済史学156,7  1979.5,6 P18

15.治承五年閏二月源頼朝追討後白河院庁下文と「甲斐殿」源信義

―『吾妻鏡』養和元年三月七日条の検討―

政治経済史学165,227 1980.2,85.6 P18

16.治承・文治大乱に於ける佐竹源氏

―治承・寿永内乱から奥州兵乱へ―

政治経済史学176,7  1981.1,2 P19

17.丹波国和智庄をめぐる一文書に於ける北条時房の権能

政治経済史学200   1983.1  P6

18.『吾妻鏡』夏季合宿研修(機傍擇嗚棉霏東部「中世武士団」史蹟踏査報告

一九八三年七月下旬―

政治経済史学209   1983.12  P13

19.建久年間に於ける鎌倉幕府権力構成に関する若干の提言

―『吾妻鏡』春季合宿研修報告(供飽豢緘四年三月下旬―

政治経済史学214   1984.5  P17

20.二条摂関家の成立と幕府

政治経済史学215   1984.6  P6

21.中世武士団小山・長沼・結城三氏の鎌倉期城館跡

―北関東「秀郷流太田氏族」史蹟踏査報告―

政治経済史学220   1984.11  P20

22.十三世紀初頭に於ける武蔵国国衙支配

―武蔵守北条時房補任事情―

政治経済史学221   1985.1  P14

23.関白九條兼実の公卿減員政策

―建久七年政変への道―

政治経済史学226   1985.5  P15

24.八条女院と九条兼実外孫昇子内親王

政治経済史学232   1985.9  P10

25.二俣川合戦にみたる安達氏主従

―飽間・加治・鶴見・玉村氏―

武蔵野309      1986.5  P8

26.甲斐源氏棟梁一条忠頼鎌倉営中謀殺の史的意義

―『吾妻鏡』元暦元年六月十六日条の検討―

政治経済史学272,446 1989.1,2003.10 P15

27.平家追討使三河守源範頼の九州侵攻

―「芦屋浦」合戦を中心に―

政治経済史学300   1991.6  P10

28.後深草帝に関する若干の考察

―「正元元年」譲位事情―

政治経済史学313   1992.7  P11

29.三河守源範頼の九州進駐に関する一考察

政治経済史学344   1995.2  P11

30.蒲殿源範頼三河守補任と関東御分国

―治承寿永内乱期の三河国を巡る源家諸棟梁―

政治経済史学370   1997.4  P14

31.寿永二年八月源軍諸将勧賞任国守の史的意義

政治経済史学4389  2003.23 P6

32.『吾妻鏡』正治二年条歳首垸飯記事の作為(上)

―元旦沙汰人北条時政の再検討―

政治経済史学500      2008.456 P7

   なお、〔P洋数字〕はファイルの総ページ数を示します。

  

 WordファイルかPDFファイルかご希望をお書きください。

2012.02.03

 

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後嵯峨天皇 関東御分国 ユニコード 国立国会図書館 国会図書館 添付ファイル
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