歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

大塚・歳勝土遺跡―歴史雑感〔29〕―

2017年02月12日 19時20分07秒 | 日本史(古代・中世)

2017年2月10日(金)、大塚・歳勝土遺跡公園に行ってきました。本公園は、弥生時代中期の環濠集落遺跡である大塚遺跡と方形周溝墓の歳勝土遺跡を含んで、これらを保存するためにも一帯を横浜市が公園化したものです。最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインのセンター北駅で東に徒歩約8分です。道路を挟んで西に横浜市立歴史博物館があります。本遺跡遺物も展示されています。

本公園は南北を谷に挟まれた東西に広がる丘陵上にあります。公園入口から北に竹林を上がっていくと地形模型のある広場に出て、「国指定史跡 大塚・歳勝土遺跡」の石柱が立っています。この左手(西側)に大塚遺跡があります。写真1は、本遺跡入口です。開園時間は9時~17時(休園日 月曜日〔祝日の場合は翌日〕、年末年始)です。

写真2は、環濠集落本来の入口に当たり、遺構から堀上に木橋(材質ナラ)が架けられていたのを復元したものです。木柵・土塁は空堀(最大で幅4.5m・深さ2.5m)の外側にあります。遺跡全体の東側約1/3が保存保護されて、この保護部分全周250mを柵・土塁・空堀が囲んでいます。

写真3は、復元された住居です。7棟が復元展示されています。入母屋造りで主柱は檜で屋根は茅です。この他、住居址20棟が保存されてその位置を石で囲んでいます。遺跡全体は約1.5mの盛土で保存されています。

写真4は、発掘調査時の住居跡を再生したものです。遺跡のほぼ中央にあるY-17号住居址で2回建て直されたと考えられています。特殊加工のガラス繊維強化樹脂セメントで再生しており、中に入れます。

写真5は、復元した高床倉庫です。柱に円形状に付けられた板はネズミ返しです。また、入口へは厚板・丸木に足掛けを刻んだ一本梯子で上ります。

大塚遺跡を出て、南に少し行くと、歳勝土遺跡です。本遺跡は大塚遺跡の住民の墓地と考えられています。写真6は、方形周溝墓の埋葬内部を復元したものです。中央に穴があり、ここに棺が納めれていたと考えられます。

最後の写真7は、盛土上に復元した埋葬当時の方形周溝墓です。3基が復元されています。右側には墓の位置を石で囲って保存しています。

(2017.02.12)

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