歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

城願寺土肥氏墓―歴史雑感〔33〕―

2017年06月18日 20時08分54秒 | 日本史(古代・中世)

2017年6月15日(木)午前、JR湯河原駅の北側の山麓に位置する城願寺(神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252)に土肥氏墓を訪れました。本寺は土肥氏祖の土肥実平の創建と伝え、土肥氏歴代の墓が残されています。土肥氏は、桓武平氏良文流後裔で、相模国西部に勢力を扶植した中村氏族嫡流中村宗平の次男実平が土肥郷(湯河原町)を名字の地とした武士です。北接した早川庄(小田原市早川)をも所領化して、箱根山外輪山南麓を勢力圏としました。実平は、治承4(1180)年の源頼朝蜂起以来の武士であり、石橋山敗戦後の最も賴朝の苦しかった時期を守り切り、対平家戦では軍奉行として派遣されました。

写真1は、墓所正面からのものです。中央の4基の五輪塔左側の5層の重層塔は最古の嘉元2年(1304)7月の銘があります。写真にも見えるように、五輪塔・宝篋印塔等の各種の墓型が揃っています。

写真2は、墓所中央の4基の五輪塔です。形状から鎌倉期のものといえます。左側の2基が実平夫妻、右側の2基が嫡子遠平夫妻と伝えられています。残念ながら無銘です。

写真3は、実平の五輪塔と伝えられているものです。

写真4は、墓所左側より見たものです。墓所全体には66基の墓石があります。

最後の写真5は、表参道を上り切った右側の寺境内に起立する天然記念木、樹齢900年の柏槙(ビャクシン)です。実平が本地に持仏堂を創建した時に手植えしたと伝えられています。

(2017.06.18)

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