五木寛之氏の『親鸞』⑥

2008-11-14 | 仏教・・・

2008/11/08 (67
  新しい旅立ち(2)
 数日後、忠範は伯父夫婦によばれた。いそいでいくと、犬丸も部屋の端にひかえていた。
「思いがけないことになった」
 と、伯父の範綱がいった。
「どういう事情かわからぬが、白河房の慈円阿闍梨さまが、そなたを召されておる。慈円さまは、関白法性寺殿(ほっしょうじどの)のご子息で、叡山天台の高僧がたのなかでもとくに高貴なおかたでいらっしゃる。まだおん年、27でいらっしゃるが、将来の叡山をになうべき阿闍梨さまじゃ。その慈円さまからじきじきに、そなたをつれてまいれとのお伝えがあった。いまから早速、うかがわねばならぬ。衣服はすでに用意してあるゆえ、すぐに着がえるがよい」(略)
 やがて髪をくしけずり、服装をととのえた忠範は、日野家の門の前にとめてあった牛車にのりこんだ。やせた牛で、車も粗末なものである。牛飼童が一人と、犬丸がつきそっているだけだ。(略)
 牛車にのったのは、生まれてはじめてである。忠範は車内の物見から町を眺めて、思わずため息をついた。
 臭いがひどい。糞尿の臭いと死臭が入りまじった、なんともいえない臭気である。
 辻のあちこちに倒れた人の姿が見える。飢えと流行病で、無数の人びとが死んでいくのだ。そんな町を、たとえ粗末な牛車であろうとも、車にのってとおりすぎていくのは、体が震えるほどうしろめたい気持だった。
 やがて牛車は白河房へついた。木立にかこまれた閑静な建物に案内され、庭の見える部屋でこの坊舎の主人が姿をあらわすのを待った。
「よう見えられた」
 と、おだやかな声がひびいた。


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